民話
おんば様
昔、むかしのおはなしです。
雪の降る歳の暮れの丹後街道を、食べ物を乞いながら旅をする母と娘の巡礼がおりました。娘のお父さんが、ざん訴に合って殺されたので、母と娘が旅に出たのです。母親は、もともと大変高貴な家の娘さんでした。
足を引きずりながら、とぼとぼ歩いていると、いつの間にか岡津にたどり着きました。しかし、寒空に日が暮れ、行くあてもなく、庄屋さんのお屋敷の前に立っておりました。
「お福や、今夜は、この家で泊めていただきましょう。」といいながら娘の手を引いて門口に立ち、一夜の宿を乞いました。
庄屋さんの奥さんは、優しく母と娘さんを屋敷に招き入れました。
「今日は、亡くなった父の命日です。これも何かのお引き合わせ。ごゆっくり休んでくだされ。」と言って、暖かい囲炉裏に招いて、食事も出してくれました。
ところが、長い旅の疲れとほっとした心の緩みからでしょうか、母親は倒れるようにして床につくと、村人の介抱もむなしく、とうとう亡くなってしまいました。残された娘のお福は、庄屋さんの夫婦の親切なとりなしで、母親の葬式を無事にすませました。お福は「私は、お母さんの霊を弔うために旅に出ます。」と言いました。すると、哀れに思った庄屋さんが、「私たちには子供がいないから、うちの子になっておくれ。」と言いました。お福はとても喜び、庄屋さんの家においてもらうことになりました。
お福は庄屋さんにかわいがられて、優しい、そして美しい娘に成長しました。
「嫁にほしい。」「婿になりたい。」と村の若い衆が通いましたが、お福は「私は仏様におつかえする身です。」と言って断り続け、やがて、仏門に入りました。また、お福は村の娘たちに縫い物や文字を教えていました。
あるとき、村の若い者が、お福の帰りを待ち伏せて乱暴しようとしましたが、反対に若い者はお福にこらしめられてしまいました。
若い者はこのことを深く恨みに思い、代官に訴え出ました。代官は、かねてより年貢のことで百姓をかばって自分の命令を聞かない庄屋を困らせてやりたいと考えていたので、これ幸いとお福を召し捕らえ、代官所に引っ立てさせました。
囚人かごで運ばれるお福は、悲しむ村人に
「私は必ずこの村に戻ってまいります。どうか、心配せずに待っていてください。育てていただいたご恩は一生忘れません。」と言いながら、船に乗せられて、連れて行かれました。船が沖に出ますと、急に激しい雷雨が起こり、海は大荒れになり、悪だくみをした代官やその家来たちは、船もろとも海の底深く沈んでしまいました。ところがお福の入っていた囚人かごは、どうしたことでしょう。荒れ狂う波の間をスイスイと進み、やがて岡津の浜に打ち上げられました。
大喜びの庄屋さん夫婦や村人たちが、急いで囚人かごを開けてみますと、乗っているはずのお福の姿はなく、かごの中には美しい姿をした仏様が座っているではありませんか。
あまりの不思議な出来事に、庄屋さんや村人はただただ驚きました。そして「これは、お福さんが村の難儀を救ってくれたのに違いない。恩返しに悪い代官をこらしてくれたんで。」と言って伏して仏様を拝みました。そして、村の守護としてお姥ヶ谷にお祀りしました。
それからは、誰ということなくこの仏様を『おんば様』と呼ぶようになり、村人の信仰を集めるようになりました。
時代が移り変わって『堂の奥』に行く山道は、大変荒れてきました。山奥ではお参りするのには不便だから、海岸の辺りに移そうということになり、海辺の近くに移転しました。ところが、ある晩「波の音は嫌いじゃ。」というお告げがありました。それで現在の堂の奥にお祀りすることになったのだと言われています。
【岡津区】