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東条義門、梅田雲浜、伴信友、幾松

最終更新日:2023年10月1日

ページID:5286

国語学者 東条義門(とうじょう ぎもん)

東条義門の墓

 東条義門は天明6年(1786年)、妙玄寺(広峰)に生まれ、14歳のとき、勉強を志し京都の学校へ入学。

 後に、妙玄寺を継ぎながら国分法の研究に打ち込み、多くの著書を発表しました。著書『山口栞』では、動詞、形容詞、助動詞の活用語に画期的研究が見られます。

 今日の国語の基礎を築いた一人です。

 妙玄寺境内に顕彰碑が建っています。

幕末の志士 梅田雲浜(うめだ うんぴん)

梅田雲浜像

 文化12年(1815年)小浜市雲浜で小浜藩家臣の矢部家に生まれました。

 後に祖父の実家である梅田姓を名乗り藩校で崎門学を学んでいます。江戸末期、尊皇攘夷を唱え、志士の指導者として勅許反対を推進しましたが、安政5年(1858年)の「安政の大獄」で捕らえられ獄中で病死します。

 松源寺に墓碑、小浜公園に顕彰碑、中央公園に銅像、千種二丁目に生誕碑がそれぞれあります。

国学者 伴信友(ばん のぶとも)

 安永2年(1773年)2月、小浜市竹原の山岸家に生まれました。

 天明7年(1787年)、15歳のときに江戸に行き、伴家の養子になり日本の歴史を研究。本居宣長の学風を慕って宣長没後の門弟となっています。考証学は、科学的方法で国文・国史の考証に数多くの著書と業績を残しています。享和元年(1801年)「若狭旧事考」を著すなど、江戸末期の国学者の大家として活躍しました。

 若狭高等学校に顕彰碑があります

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