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韓国船遭難救護の碑

最終更新日:2020年11月6日

ページID:564

韓国船遭難救護の碑(泊区)

 2000年1月、当時の韓国船員・泊区民の子孫らが100周年記念事業と、21世紀の日本と韓国の友情と平和を祈念して建立しました。

 史実大韓国咸鏡道吉州・学洞社村 「四仁伴載」船は、商人や乗組員ら93人を乗せロシア・ウラジオストック港を出航しましたが、厳冬の日本海で遭難。明治33(1900)年1月12日、15日間漂流し漂っているところを漁村・泊村の村民に救出され、93人の乗員は全員無事に帰国することができました。役場や警察の聴取の後、20日午前小浜を出発し敦賀から大阪から釜山へと送られました。

 日本海がひどく荒れた翌日、沖に遭難した漁船を見つけた泊村民たちは、うねる波の中、小船を出し人々を岸まで運び、乗員を各家に分宿させ手厚くもてなしました。泊村を離れるとき、村民も乗員も、親子兄弟のように涙を流して別れを惜しみました。乗員たちは「このもてなしの心を忘れません。」と言葉を残し、帰国の途についたのでした。

 救助後、泊村の人々は遭難した人たちに十分な食事と暖を与えましたが、言葉も通じない中で、なんとかお互いの習慣の違いを理解し、別れを惜しまれる程にもてなした泊村の方々を小浜市民として誇りに思います。

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