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若狭国分寺跡

最終更新日:2021年4月25日

ページID:5268

国分寺史跡

◆所在地◆

 小浜市国分21-1付近(国分寺と隣接)

◆アクセス◆

 JR東小浜駅より1.5Km(駅にレンタサイクル・電動有り)  

◆文化財◆

 国指定史跡:若狭国分寺跡

◆概要◆

 天平13年(741年)聖武天皇は諸国に国分寺造営の詔勅を出されました。若狭国分寺跡については、昭和47年より3年にわたる発掘調査を実施、天平の偉容が明らかとなりました。その結果、現在国分寺周辺に僧寺の存在を明確にしました。寺域は方二町(230メートル)であり、遠敷地区に残る条里の線と一致する。伽藍配置は、南大門・中門・金堂・講堂と軸線上に配し、その東に塔を置くという形をとっています。

 南大門と中門については、後世の破壊が著しく、基壇土が確認されたのみである。金堂は現釈迦堂と重なっており、平面規模は、桁行は五間で長さ21.6メートル、梁行が四間で長さ15メートルをはかります。基壇化粧は乱石積みで、その大きさは南北21.9メートル、東西28.8メートルである。金堂前面に2ヶ所の階段がとりつけられ、玉石敷きの巾1メートルの東・西参道が中門にのびる。講堂については掘立柱穴を東西四間分、南北二間分確認しました。塔の規模は三間等間で、各柱間寸法は2.7メートルとなり、初層辺長は8.1メートルとなります。基壇辺長は約15.3メートルの方形と推定されます。

 本国分寺跡の特徴として、各建物の規模がやや小さいこと、塔の南西に径50メートルの円墳(国分寺古墳)があり、寺域内に巨大な古墳のあるのは全国的に珍しいです。さらに、瓦の出土が少なく、堂や塔は瓦葺でなかった可能性が強いと考えられます。また塔の東南部から、金銅製の相輪の破片も30数点発掘され、全国的に貴重な資料です。

 昭和54年より昭和58年まで五ヶ年にわたって環境整備が施工され完了しました。  

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文化交流課

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