施設概要
名誉館長の挨拶
くらしの基本である食のありかたには、風土や社会の歴史が反映されています。そこで食文化について知ることは、地域を理解することでもあります。
古代、小浜は朝廷に若狭の海の幸や塩を献上する御食国の中心地でした。その後も、京の都に魚介類を運ぶ鯖街道の出発点として栄え、日本海航路の拠点である小浜で各地の食が交流して質の高い郷土の食が形成されました。
小浜市は全国にさきがけ「食のまちづくり条例」を制定しました。その食のまちづくりの中心になる施設が「御食国若狭おばま食文化館」です。
この日本最初の「食文化館」が市民と小浜を訪ねる人びとの出会いの場となり、日本の食の交流センターに発展する事を期待いたします。
古代、小浜は朝廷に若狭の海の幸や塩を献上する御食国の中心地でした。その後も、京の都に魚介類を運ぶ鯖街道の出発点として栄え、日本海航路の拠点である小浜で各地の食が交流して質の高い郷土の食が形成されました。
小浜市は全国にさきがけ「食のまちづくり条例」を制定しました。その食のまちづくりの中心になる施設が「御食国若狭おばま食文化館」です。
この日本最初の「食文化館」が市民と小浜を訪ねる人びとの出会いの場となり、日本の食の交流センターに発展する事を期待いたします。
平成15年9月 御食国若狭おばま食文化館名誉館長(国立民族学博物館名誉教授)
食文化館の施設目的
「御食国(みけつくに)」とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食(みけ)」(天皇の御食料を指す)を納めた国のことです。
万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、若狭については、平安時代に編集された『延喜式』に、天皇の御食料である「御贄」を納める国として、志摩などと共に記されています。
また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知れます。若狭は、古くから塩や海産物などを納める御食国として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。
若狭おばま(小浜市)は、今も昔も、豊穣な森が生み出す水、美しい自然が育む豊富な海の幸、山の幸に恵まれた水と魚や野菜の一番うまいまちであります。小浜市では、全国に誇れるこの食の歴史と食材に光をあて、「食のまちづくり条例」を策定し、「食のまちづくり」を開始したところであります。
具体的には狭い意味での「食」ではなく、食材にこだわった農林漁業の振興、食文化を支える食品産業や箸産業の育成、味にこだわる民宿や観光産業の振興、食料の地域自給、健康への貢献、食を育む森と水・川・海などの環境保全、食を作る体験学習を通じた児童教育、広範な分野にわたり「食のまちづくり」を推進しているところです。そして、市民や事業者、観光される皆さんが主体的に食のまちづくりに参画し、互いに理解しあい、協働してまちづくりを進めていければと考えています。
万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、若狭については、平安時代に編集された『延喜式』に、天皇の御食料である「御贄」を納める国として、志摩などと共に記されています。
また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知れます。若狭は、古くから塩や海産物などを納める御食国として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。
若狭おばま(小浜市)は、今も昔も、豊穣な森が生み出す水、美しい自然が育む豊富な海の幸、山の幸に恵まれた水と魚や野菜の一番うまいまちであります。小浜市では、全国に誇れるこの食の歴史と食材に光をあて、「食のまちづくり条例」を策定し、「食のまちづくり」を開始したところであります。
具体的には狭い意味での「食」ではなく、食材にこだわった農林漁業の振興、食文化を支える食品産業や箸産業の育成、味にこだわる民宿や観光産業の振興、食料の地域自給、健康への貢献、食を育む森と水・川・海などの環境保全、食を作る体験学習を通じた児童教育、広範な分野にわたり「食のまちづくり」を推進しているところです。そして、市民や事業者、観光される皆さんが主体的に食のまちづくりに参画し、互いに理解しあい、協働してまちづくりを進めていければと考えています。