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口田縄区


大塩城跡

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指 定 所在地 管理者
昭和63.1.21 市指定 小浜市口田縄 口田縄区


 大塩城跡は口田縄集落の後背を南北に走る大光寺山にある。この山は海抜134.7mの山であるが、南川溪谷の山野を一望に収め得る戦略要地で、山麓には城主大塩氏の菩提所大光寺があり、付近には館、館ノ口の地名が残る。『口名田村誌』は寛正6年(1465)若狭守護武田氏の被官大塩吉信の築城と、文明元年(1469)の大光寺開基を記すが、『郡県志』は築城時期に触れず、明応2年(1493)大塩吉次の大光寺建立と、卒後の法号「大光寺」及び没年を永正元年(1504)と伝える。
 城の大手は大光寺からの経路とみられ、山上には前後二郭を土塁で囲む全長約100m、幅約50mの主郭台地があり、その南後方には大きく東西に落ち込む堀切があって、土橋が五つに堀切を区画する特異な障子堀に類似の様相を示すが、この例は関東に多く、関西では珍しい遺構で注目に値する。また主郭北側にも土橋二条で区切る同様の備えがあり、遺構全体としても土塁、張り出し郭、堀切、竪堀などが良く残されている。
 大塩氏は代々長門守を称し、『口名田村誌』は吉信、吉次、吉忠、助秀の4代、『県郡志』は吉次、新左衛門尉吉忠、八郎左衛門の3代とするが、吉次の法号「大光寺」からみれば吉信、吉次は同一人かとも思われる。最後の城主は永禄5年(1562)湯岡城主南部久方と合戦、敗退して国吉城の粟屋氏に身を寄せたという。