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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和35.3.5 市指定 |
小浜市浅間 |
臨済宗妙心寺派常高寺 |
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常高寺の山門をはいってから左側に墓所へ登る道がある。コンクリートの階段を登れば国道27号線が通っている。そこはJRバス浅間停留所になっていて、この国道を横断して老樹のうっそうとしたところまで登ると、常高院の墓がある。
常高院は京極高次の室、浅井長政の女で「はつ」または「ふじ」といい、秀忠の室小督及び淀君と姉妹であり、大阪役の時和睦の媒介をした。
寛永10年(1633)8月27日、江戸で歿し、同年10月6日当所に葬られたのである。
墓は高さ4メートル、砂岩で造られた宝篋印塔で、塔身前面に上から空・風・火・水・地の文字が刻まれている。
またその地輪にあたる部分は、後方を除く三方には十字を浮かした模様が刻まれ、十字の縦の線の中に、正面には常高寺殿松岩栄昌大姉、右側面に寛永十暦癸酉年、(1633)左側面に八月廿七日と刻まれている。
この墓に相対して、反対側に桂久院をはじめ7人の侍女の墓がある。
この墓のまわり一帯に常高寺で得度した尼僧の墓がとりまき、その配置は常高院を中心に殿中の女性たちが、節会に集まった姿を呈している。これら尼僧たちにあつく護られてきた常高院の墓は今なお完全な姿で、老樹の枝越しに、小浜の海を見おろしている。
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