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常高寺


紙本墨書常高院自筆消息 1幅


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指 定 所在地 管理者
昭和45.10.19 市指定 小浜市浅間 臨済宗妙心寺派常高寺


 これは京極高次の室常高院栄昌尼が江戸から小浜に建てた常高寺の開山槐堂和尚に送った自筆の消息であるが3月10日の日付だけで何年のものか全く不詳である。
 夫人は名を「はつ」または「ふじ」といい、近江国小谷山城主浅井長政の次女で、生母は織田信長の妹お市の方である。姉は豊臣秀吉の側室淀君、妹は徳川秀忠の室小督である。
 夫京極若狭守高次は慶長14年(1609)47歳で病没したので、夫人は剃髪して栄昌尼と称し小浜の後瀬山麓(現在の浅間区)に常高寺を建立し、名僧の誉れ高き槐堂和尚を開山とし、夫高次の菩提を弔っていたが、寛永10年(1633)8月27日江戸において67才で没し、同10月常高寺に葬られた。
 これらの事実から推考すると、この書翰は晩年の筆蹟と思われる。内容は槐堂和尚に九条の袈裟を贈ることを書いたもので、「いり用でしたら大いそぎでお返事を下さいそうすると縫わせて差し上げましょう。この頃は久しくお便りもさしあげておりませんがお元気でいらっしゃいましょうか。お伺いします。私方も何事も変ったことはございませんからご安心下さいませ。先日九条の袈裟の事を言ってこられましたが、そのお返事次第で九条も縫わせて差し上げようと思ってお返事をお待ちしておりましたが、おそくなりましたので、まず出来上がってきた分をお届けいたしましょう」と、品名と数とを書き、「あなたのよりも大きくしてありますが……」など女らしくやさしさの溢れた見事な筆蹟である。
 文書の法量は縦46.3p×横30.4pである。