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妙興寺


紙本著色小足掃部夫妻画像 2幅

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指 定 所在地 管理者
昭和56.5.23 市指定 小浜市鹿島 日蓮宗妙興寺


 妙興寺は現在、後瀬山の西北麓、室町時代の若狭守護武田氏館跡に隣接する位置にある。寺伝によれば鎌倉時代中期、日蓮上人の高弟日像上人(1269〜1342)の創建と伝え、京都妙顕寺派の中本山である。その後、当寺に残る市内最古の禁制状に見られる通り、武田氏に庇護され、京極氏にも厚く保護された由緒ある寺である。
 本画像の小足掃部は京極高次の家臣で「京極家臣分限帳写」によれば小浜時代は400石、松江時代は1,030石の上級武士であり、当寺の中興開基とされる。ところが掃部の祖先と見られる人物が、『若狭国守護代記』延慶2年(1309)の条に「北条代官帆足入道成願」として認められる。また、この時期が当寺創建の永仁元年(1293)より16年後であるため、祖先と寺との何らかの因縁により、像主が若狭に入部するや、当寺に方丈を構え中興することになるのではないかと考えられる。
 小足掃部画像(写真上、縦69.1p×横31.7p)は、画中の賛により元和8年(1622)に制作されたことが知られる。画様は清楚な表現で温和な面貌の像主の性格まで表現し得た感がある。夫人画像(写真下、縦73.2p×横42.5p)は、画中の賛に没年を元和4年(1618)と記し、その子の発願によって供養像として制作されたことが知られる。特にこの画像は、桃山風の女性風俗を良く伝えるだけでなく、賛あるいは技法などから両画像がほぼ同時期元和8年(1622)に同一画工によって制作されたことがうかがえる数少ない作例である。