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空印寺


酒井家墓所 1ヶ所


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指 定 所在地 管理者
昭和57.4.20 市指定 小浜市男山 曹洞宗空印寺


 酒井家墓所のある空印寺及び小浜小学校の地は、大永2年(1552)武田元光が後瀬山築城の際、堅固な城館を構築した処で、以後、京極高次の小浜城築城に至るまで一国支配の本拠地であった。
 高次没後、嗣子忠高はこの旧地を父の牌所とし泰雲寺を建立したが、寛永11年(1634)松江に転封。同年入部した酒井忠勝は、父忠利の遺骨を移して建康寺と改称した。寛文年中、2代忠直堂宇大修造のとき、父祖の法号をとって建康山空印寺と改め今日に至っている。
 八百比丘尼の入定を伝える霊窟のあたり、豪壮な山門を通して桁行十一間の本堂が見える。酒井家墓所は寺域の南西にあって、この本堂右側から参道が通じている。墓域は面積約600u、土塀で四周を区画している。
 歴代藩主墓は、南側最右端に忠利夫妻を配し、左に@忠勝・A忠直・B忠隆・C忠囿・D忠音・E忠存・F忠用と連なるが、G忠輿・H忠貫・I忠進・J忠順・L忠氏の各墓は配置がやや異なる。材は花崗岩、総高3.8m、圭頭型竿石は高さ2.73m、台石は2段で概ね一枚石、何れも竿石の表裏に、法号、官職位階、没年等を刻する。中央部右側にある酒井家之墓は、大正13年(1924)東京本邸内の墓地改葬に当っての造立で、地下には納骨の設備がある。墓域には前記藩主墓の他、忠勝の長子忠朝以下11基の子女墓があり、西北には区画された分家墓所がある。