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羽賀寺


木造安倍愛季(上)・秋田実季坐像(下) 2軀

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指 定 所在地 管理者
平成6.5.20 県指定 小浜市羽賀 高野山真言宗羽賀寺


 愛季像は、承応2年(1653)6月の造像。衣冠束帯形に作られて、像高75p、袖幅81p。彩色。桧材。背銘は「竜穏院殿、前侍従者、日下将軍第七代末孫、安倍愛季万生鉄、大居士卅九才入寂、承応二年六月子息、城介造立之、羽賀寺第八住持、法印来雄」(、本文改行)と陰刻されている。
 実季像は、江戸初期の造像と思われる。僧形に作られている。像高61.5p、袖幅105.5p。彩色。檜材。背銘は陰刻されている。「高乾院殿前拾遺空巌梁空、大居士者日下将軍安倍安康、第八代後胤也名秋田城介安倍、実季永禄本堂上葺外當寺寄進霊宝等、数多也秋田自此代始、法印来雄書」。
 当寺は、「羽賀寺縁起」によれば応永5年(1398)と永享7年(1435)と二度の火災に遭い、三重塔や本堂などを焼失した。この事を聞いた後花園天皇は、奥州十三湊の日下将軍に命じて、羽賀寺の再建に取り掛からせたという記事が見える。
 永享7年に本堂が焼失した後、同8年莫大な資材を投じてこれを再建工事に着手した安倍康季は、完成を見ないまま文安2年(1445)に津軽岩木山麓の引根館で病死してしまうが、引続き工事は進められ、文安4年に安倍義季の代に至り完成したものが現本堂である。この木像2体は、現在の羽賀寺の本堂を再建した由緒から安置されているもので、実季自身が自ら人形師に作らせ、この羽賀寺に奉納したものと推察される。
 本像は羽賀寺にとっても、また、若狭小浜と東北の歴史にとっても重要な意味をもつものである。