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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和16.11.6 国指定 |
小浜市羽賀 |
高野山真言宗羽賀寺 |
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羽賀寺本堂内陣正面の須弥壇に十一面観音立像を中心に、左に安置されるのが千手観音菩薩立像である。
本像は、桧材の寄木造りで、材の割目を防ぐために内刳りが施してあるので、像の重さは30sに過ぎない。
像高135.4p、色彩を施さぬ素地の彫刻であったかと思われる。
当寺本尊の十一面観音像に比べて、大変温雅な相好である。わずかに微笑をうかべるかにみえる目鼻だち、まるく小締りの面部のモデリング、あまり起伏のない体部のアウトライン、左右対称の裳の衣文、その浅い彫り口、どれも平安末の菩薩像の典型的な特色であり、加えて台座もほぼ当初のものを残している。ただその蓮弁が、かたちは平安末の通常のものなのに、葺き方が各弁の間を間遠に葺く吹寄せでなく、重なりあって魚の鱗状に葺かれているのは、平安末から鎌倉様式への移行の時期に造られたものであることを示している。
本像はその胎内に記される墨書銘によって、長寛3年(1165)千常にあった松林寺の本尊として造像されたことが判明し、また胎内納入の木札の墨銘から万治3年(1660)の修復と、その両脇侍であった不動明王(明通寺)、毘沙門天(羽賀寺)、画像の来歴が明らかとなった。なお、松林寺は明治初年に退転し、三尊は羽賀寺に移された。
本像を、妙楽寺本尊千手観音に比べると、脇手の数は少ない。そして多数折損していることは惜しいが、昭和25年の修理に際しては、脇手を新補することを避けた。
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