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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和51.12.23 国指定 |
小浜市国分 |
小浜市 |
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天平13年(741年)聖武天皇は諸国に国分寺造営の詔勅を出された。若狭国分寺跡については、昭和47年より3ヵ年にわたる発掘調査を実施、天平の偉容が明らかとなった。その結果、現国分寺周辺に僧寺の存在を明確にした。寺域は方二町(230m四方)であり、遠敷地区に残る条里の線と一致する。伽藍配置は、南大門・中門・金堂・講堂と軸線上に配し、その東に塔を置くという形をとっている。
南大門と中門については、後世の破壊が著しく、基壇土が確認されたのみである。金堂は現釈迦堂と重なっており、平面規模は、桁行は五間で長さ21.6m、梁行が四間で長さ15mを測る。基壇化粧は乱石積みで、その大きさは南北21.9m、東西28.8mである。金堂直前に2ヶ所の階段がとりつけられ、玉石敷きの幅1mの東・西参道が中門にのびる。講堂については掘立柱穴を東西四間分、南北二間分確認した。塔の規模は三間等間で、各柱間寸法は2.7mとなり、初層辺長は8.1mとなる。基壇辺長は約15.3mの方形と推定される。
本国分寺の特徴として、各建物の規模がやや小さいこと、塔の南西に径50mの円墳(国分寺古墳)があり、寺域内に巨大な古墳のあるのは全国的に珍しい。さらに、瓦の出土が少なく、堂や塔は瓦葺きでなかった可能性が強い。また塔の東南部から、金銅製の相輪の破片も30数点発掘され、全国的に貴重な資料である。
昭和54年より昭和58年まで5ヶ年にわたって環境整備が施工され完了した。
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