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国分寺


木造釈迦如来坐像 1軀


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指 定 所在地 管理者
昭和45.2.20 市指定 小浜市国分 曹洞宗国分寺


 凶作と疫病から万民を救わんとの聖武天皇の発願によって、天平9年(737)国ごとに丈六釈迦像1軀、脇侍2軀の造像と、大般若経各1部の写経を命じ、同12年には七重塔1基、七尺観音像1軀の造立と法華経10部、観音経10巻の写しを命じ、翌13年には国分寺を二寺に分って、僧寺を「金光明四天王護国之寺」、尼寺を「法華滅罪之寺」と命名したといわれるが、ここ国分の里は、かつて天平壮厳の美を現じた若狭国分寺跡である。
 歳月移って1200有余年、天平創建の七堂伽藍は諸国国分寺の例にもれず、焼亡、廃壊の厄を重ね、室町時代末に至っては鎌倉期再刻の本尊大仏を残すのみとなったが、慶長16年(1611)小浜の住人、山田一徳が諸国遠近を勧進して、現在の釈迦堂を建立したが、その後大破し、宝永年間(1704〜10)に再建されている。
 本尊釈迦丈六の大仏は、像高318p、膝張237p、寄木造り、施無畏、与願の印を結び、天平の遺制をいまに伝える県下最大の巨像で、基壇上に立つ入母屋造り平入の釈迦堂内に安置されている。
 本像の軀部は鎌倉時代、頭部は江戸時代の作と推定されるが、特に軀部は写実的な刀法をもちいて見事に造形され、肉身部に残存する漆箔や依文の彩色とともに往時の華麗さを偲ばせるものがある。
 地元の国分区には、数少ない文化財愛護少年団があり文化財愛護の実践と研修に努めている。