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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和54.2.6 県指定 |
小浜市竜前 |
若狭彦神社 |
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延喜式に記録されている若狭比古神社二座が当社(上社)に当り、下社と併せて若狭一の宮とされる一国鎮守の大社である。かつて当社に伝世の重要文化財「若狭国鎮守神人絵系図」(鎌倉期成立 国所有)には、明神鳥居を前方に、三間一戸の楼門と、その左右に起る板敷回廊が、三間社流造の本殿を四周する各丹塗の壮麗な社殿景観を画き、今日と比べて、その構造と配置の変遷を偲ばせる。
ほぼ東面する本殿は、文化10年(1813)造営の三間社流造(梁間三間 内前室一間)、桧皮葺、素木造で組物はすべて大斗船肘木、妻飾は二重虹梁、豕扠首式である。
中備の蟇股は紋章の透彫を飾り、庇をうける4本の方柱は手挾付で、母屋繋はない。軒は正面を飛檐打越、背面を二軒繁垂木の化粧とする。昇階は9級である。
この本殿は、大棟を梁間の真中におくため、比較的前方屋根の出が短く、勢い破風の反も緩かであり、また棟を貫く千木、10枝の勝男木、妻の鞭懸などに特色があり、これを下社の本殿と比べれば、その相違は明瞭である。
神門(中門)は、天保元年(1830)の造営。切妻造平入、桧皮葺、素木造の至って閑雅な四脚門である。
随神門は、江戸後期の造営。入母屋造平入、桧皮葺、素木造、桁行三間、梁間二間の清雅な八脚門で、正側面と、中柱で区画する前面一間を、床高の随神座とし、広い中央の通路を挾んで、随神像各4軀が、左右に正対する珍しい形式である。当社の随神は、祭神影向の際、随従の吉祥八人と、神人絵系図は伝える。
なお、随神門と神門の間には、昭和40年の風害で倒壊した方三間入母屋造平入の拝殿礎石が残っている。
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