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豊かな加斗の暮らしを紹介します

加斗の紹介

小浜市の西に位置する加斗地区は九つの里からなる地域です。
東勢、西勢、荒木、黒駒、法海、下加斗、上加斗、岡津、鯉川の地区があります。

加斗の歴史

蒼島(あおしま)


昭和26年6月9日に国の天然記念物に指定

 蒼島は小浜市加斗の海岸から約1kmの距離にある面積約2haの島です。
 地形的には、南北に走る尾根から海へ向かう急な斜面が大半を占めており、東側の岩場には洞窟も見られます。
 本島には弁天を祀る蒼島明神があり、その社の森林として保護されてきたためか、
植生には人手が加わった形跡がなく、原生状態の照葉樹林となっています。
 この森林は1951年に「蒼島暖地性植物群落」として国の天然記念物に指定されています。
 蒼島には55科122種の植物が記録されており、中でもこの島を北限産地とする
ナタオレノキとムサシアブミが、かなりの個体数で自生しています。
 多くの暖地性植物によって構成される蒼島の森林は、若狭地方の島の極相林として極めて重要なものです。
 海抜39mの島で、外界の荒波をまともに受ける北岸は、浸食により大きな洞窟を生じているので、砂浜は島の南岸に少し有るのみです。
【下加斗・上加斗区】
     

飯盛寺(はんじょうじ)


 本堂は国指定の文化財(室町時代中期)高野山真言宗。
 飯盛山中腹の景勝地に建つ飯盛寺は、縁起によると、文和年中(1352年〜1356年)に、
後光厳院の勅願所として建設され、七堂伽藍と12坊を擁した寺院でした。
 文明16年(1484年)火災に遭い、本堂・塔頭・什物すべて焼失したと伝えられています。
今残る本堂は、延徳元年(1489年)に建立されたことが、平成10年の解体修理によって判明しました。
 自然石の石垣積基壇に建つ本堂は、間口13.66m(五間)の広さです。
 単層、寄棟造、妻入、桟瓦葺(旧は茅葺で近代に改造)、四方切目縁の五間堂で、各部の基調は和様を主として向拝を後設しています。
【法海区】
     

妙見山(みょうけんさん)


 天正8年(1580年)12月 当時の住職が夢で海中から一筋の光がこの山の中腹の老松へ当たっているのを見られ、翌朝 不思議に思い、夢路を辿り海浜に行けば岩の上、自然に掘られて壺型となった所に御尊像があり、拾い奉り光の当たった老松あたりに小さな祠を作り、日夜読経し祀ったのが始まりです。元禄13年(1700年)には妙見堂を建立し、享和元年(1801年)には現存の大きさになり、明治33年の大改修、昭和54年の改修を経て現在に至っています。
 商売繁盛・寿命長久を祈願し、日清、日露戦争また、第二次世界大戦中には日に300人以上、年間の参拝者は5,000人以上は下らず、小浜、県内、京阪神からも多数の参拝者がありました。無事を祈願した南無妙法蓮華経の小旗が125段の階段わき一面に広がったという。
 現在では区民はじめ戦争のお礼参り、病気平癒に、また市内西津地区の方々が総出で、海上安全、家内安全、商売繁盛を祈願し、参拝に来られ、毎年6月15日、10月15日には大祭を行っています。
【西勢区】

岡津製塩遺跡(おこづせいえんいせき)


 本遺跡は昭和53年と昭和54年に発掘調査を実施しました。若狭地方には土器製塩遺跡が50ヶ所確認されているが、本遺跡はそれらの中でも、極めて保存の良好なものとして、香川県の喜兵衛島の製塩遺跡と共に国の史跡に指定されました。(指定範囲4,981平方メートル)
 本遺跡は、古墳時代後期〜奈良時代にかけてのもので、若狭の製塩土器の編年からは、
浜禰UB式・岡津式・船岡式のそれぞれの時期に属します。石の敷き詰めた製塩炉跡は、
岡津式(1号炉〜4号炉)、船岡式(5号炉〜9号炉)の合計9基検出しています。
さらに現海岸線より約20m奥に海岸部遺構(護岸)、その東に南北約30m、東西約10mの範囲の性格不明の焼土面が検出されています。
古代の土器製塩工房跡の全容を示す遺跡といえます。
 若狭で生産された塩は、奈良の都へ税(調塩)として納められており、このことは藤原宮や平城宮出土の若狭からの送り状(木簡)が物語っています。

【岡津区】

加斗公民館

〒917-0045
福井県小浜市加斗30-35

TEL 0770-52-5136
FAX 0770-52-5136
E-mail
ph-kato@city.obama.fukui.jp

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