廣嶺神社は、若狭名所の一つに数えられた雲浜千種の森にあり、明治維新までは小浜城下の地主神として尊崇されてきました。神域は「雲月宮」と別称され、神宮寺であった松林寺には平安時代後期の仏像を伝えていました(明治以後、明通寺と羽賀寺に分祀)。境内には北前船を精密に模した奉納船が船玉社に祀られています。
廣嶺神社の祇園祭は、500年以上続くとされ、神輿のほか、他の祭礼ではあまり見ることのない、障子鉾や鎌鉾がでます。鎌鉾は鎌倉時代の京都祇園祭にも出ていたといわれており、京都でなくなったものが鯖街道の起点に伝承されていることとなります。また、江戸時代初期に小浜城築城のために町が分断されたため、神輿の巡行に船が使われる「船渡御」があり、港町ならではの祭礼といえます。