文化財情報

得法寺

記念物(史跡) / 若狭町 / 【構成文化財】熊川宿

もともと天台宗の寺院であったのが、室町時代の文明7年(1475)、蓮如上人が越前吉崎から小浜・名田庄(なたしょう)を経て京都へ上る途中、若狭に約100日間滞在されたといわれ、ここ得法寺にも逗留されました。このとき、蓮如上人に帰依し、浄土真宗に改宗したと伝えられています。吉崎からの船中で書かれたことで「船路の名号」と言われる、六字の名号「南無阿弥陀仏」の掛軸が今も寺宝とされています。
 元亀元年(1570)には、織田信長は秀吉と家康をも従え、越前朝倉義景を攻めるため、京都から熊川を通り敦賀へ向かいました。信長が熊川の松宮玄蕃(げんば)の所に宿泊したことが「信長公記(しんちょうこうき)」に書かれています。この際、徳川家康は得法寺(古くは徳法寺とも書かれた)に泊まったといわれ、このとき境内の松に腰を掛けたという謂れを持つ松の木が境内東隅にあり、「家康腰掛けの松」と呼ばれていました。しかしながら近年残念ながら枯死してしまいました。
 またこの寺院には、後水尾天皇が日光東照宮の陽明門の勅額の下書きとされたご宸筆(しんぴつ)と伝えられる「東照大権現」の書が秘蔵されています。
 得法寺の墓地には、細川幽斎(藤孝)の妻麝香(じゃこう)の出自である、熊川城主沼田氏の供養塔と伝えられるものがあります。これは、室町時代中期頃に建てられたと考えられ、元は五重の層塔であったと推定されています。

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