若狭神宮寺は、和銅7年(714)、若狭比古神が神から離脱して創建されたという寺院で、創建当初は若狭比古神願寺と呼ばれていました。鎌倉時代以後は、若狭一宮根本神宮寺と呼ばれる天台宗の寺院です。
境内の閼伽井から汲み取った香水により、お水送りの行法を担っており、境内からは平城宮と同形式の瓦が出土するなど、古くから奈良とつながっていたことを示しています。
戦国時代に越前の朝倉氏によって再建された本堂は重要文化財に指定されています。同じく重要文化財に指定されている北門(仁王門)から本堂までは、往時の伽藍跡を偲ぶこともできます。また、本堂脇には、若狭彦姫神を写したとされる木造男神女神像も安置されています。