文化財情報

丸山塚古墳

記念物(史跡) / 若狭町 / 【構成文化財】上中古墳群

天徳寺地籍の北川左岸堤防の近くにあって、経約50mの大型円墳でしたが、昭和28年の大水害の際、復旧用土として利用され、今ではその面影もなく「丸山古墳跡」として存在します。
 この古墳は、盗掘墳として永らく放置されていましたが、掘削取土をしたところ、盗掘墳にもかかわらず意外にも貴重な副葬品の品々が豊富に出土しました。調査の結果を要約すると、一つは、従来竪穴式石室と思われたのが、片袖の立派な羨道をもつ横穴式石室であり、北陸では最も大きいものと思われ、また赤色顔料が施されていないことは、葺石、埴輪の施設が全く認められないことと併せて、他の古墳と若干異なるものといえます。
 二つには、舶載された画文帯神獣鏡と馬骨片です。鏡は奥壁の中央から何か布か異質物で包まれた状態で出土していました。舶載鏡の所謂伝世鏡として特別に奥壁の中央近くに置かれていたものと推測されます。環頭太刀、須恵器と共に馬骨が出土したことは、大化の薄葬令に馬匹の殉葬を禁じていますが、それ以前は朝鮮に出兵して武勲を立てた首長が死亡したとき、墳墓に愛馬の殉葬供献を行ったといわれていますが、このことは古墳調査上、貴重な資料といえます。
 三つには、双竜型、三葉型2種の環頭、豪華な杏葉の馬具類、若狭では初めて出土したと思われる挂甲(けいこう)など、朝鮮との交流関係など興味深いものがあります。
 四つには、残片ながら須恵器、特に二重底からなる「はそう」が出土したことは、見逃すことのできないところでしょう。丸山塚古墳の築造年代は古墳後期のものと推定されますが、従来と趣を異にした築成の裏には、当時のこの地域社会に、何らかの変化があったものと推測され興味津々たるものがあります。

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