若狭塗は、慶長年間(1596~1614)、小浜の豪商組屋六郎左エ衛門が国外より入手した色漆塗の盆(若狭盆)を城下の塗師松浦三十郎が模して製作したことに始まったといわれています。また、最初は菊塵塗とも呼ばれたといいます。これに改良工夫を重ねて卵殻・研ぎ出しの技法が完成され、藩主が「若狭塗」と命名して、小浜藩の基幹産業として奨励し職人を保護しました。江戸初期に青森県弘前市に職人が移住し津軽塗の技術改良を行った記録が弘前に伝わっており、海を介した交流がみられます。 明治時代以降は、和食文化の基礎ともいえる塗箸の生産が主流となり、国内シェアのほとんどを若狭塗箸が占めており、御食国、鯖街道という食文化を彩る一端の文化ともいえます。