同家の「建物絵図面」によれば、江戸時代末期、安政5年(1858)に建てられたことが分かっています。熊川村の初代村長逸見勘兵衛、またその子息で伊藤忠商事二代目社長となった竹之助の生家でもあります。平成6年にその末裔の逸見諒氏から建物と土地が町に寄贈されました。
平成7年に町有形文化財に指定され、以降3カ年をかけて保存改修修理が行われ、平成10年から一般公開されています。
平成8年に国の重要伝統的建造物群保存地区選定され、以降、町並みの保存修理事業が始まりましたが、旧逸見勘兵衛家の保存改修は、この選定に先立ち、これをリードした事業でした。町並保存は住民が住み続ける町でなければなりません。この建物の保存改修は民家を、現在建てられている家よりももっと住みよい家にできることを実証したモデルとしての意味を持っています。
現在は、喫茶や宿泊施設として地元住民のみなさんに活用していただいています。