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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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平成24.2.22 市指定 |
小浜市上田 |
岩井谷熊野那智神社 |
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上田区岩井谷の集落から、霊峯飯盛山に向かう中腹に本神社は立地する。東面する巨岩の磐座に喰い入るように鎮座し、原始からの巨岩信仰を示す境内地として市史跡に指定されている。山麓には山伏屋敷の伝承や行場である滝などもあり、中世以後は修験道とも密接に関わりをもち現在まで伝えられてきた。
社殿由緒書によれば、延暦12年(793)に坂上田村麿呂により開基された多古木山長田寺(田村薬師)の奥の院として、寺院四至の北限である飯盛山腹に延暦17年(798)に創建されたことを伝える。さらに、天長3年(826)には社殿を拡張、本殿に十一面観音を併祀したという。また、寛永15年(1638)に荒廃した社殿を復興して遷宮式を行い、熊野那智大権現と称したといい、古来の巨岩信仰、山岳信仰と密教文化の受け入れ、熊野と修験道信仰という神仏信仰の受容をよく示している。
小浜の霊峯としては、多田ヶ岳がもっとも知られ、その山麓には地方では特異ともいわれるほどの密教文化財を伝世させている。一方、市内のもう一つの霊峯である飯盛山においては、山麓登山口に当地中名田地区の田村薬師と奥院、加斗地区の飯盛寺、口名田地区の勝願寺(馬頭観音堂)などがあり、地域には行者信仰や行者講などが現在も根付いていることから、より修験道信仰が強かった山ということができよう。
現在、本殿には本尊秘仏である十一面千手観音菩薩坐像を含め不動明王立像、蔵王権現立像の3体の木造破損仏(平安時代後期)が安置されるとともに、当社の由緒や信仰を示す数多くの文化財を伝世させている。本来ならば個々の文化財価値としては、その保存状況から値しないものかもしれないが、一括文化財としては地域の神仏習合信仰をみせる貴重な文化遺産と位置付けられる。 |
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