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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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平成10.3.25 登録 |
小浜市千種1丁目 |
福井県立若狭高等学校 |
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小浜藩酒井家は藩祖忠勝以来学問に厚く、幕府が官学として保護していた朱子学の儒者を多く招聘していた。
元文5年(1740)7代忠用は、仁斉学派の儒官に代え、藩士山口春水の推薦する崎門学派・望楠軒2代講主の小野鶴山を招聘した。明和7年(1770)鶴山死去の後、4代講主の墨山を招聘し、安永3年(1774)正月、墨山を教授とし、学則を定めて藩学問所(藩校)順造館を開校した。この校名は漢籍の「道に順つて士を造る」から定められている。
順造館は、その後享和2年(1802)に増改築されたが、この正門は天保5年(1834)の建築されたものである。本門は切妻造・本瓦葺の薬医門で、主要部分を欅材とする虚飾のない素朴な造りである。築後の歳月に加え幾度かの移築と補修で当初の面影を大きく変じているが、今もなお両翼の袖塀に遺る華やかな海鼠(なまこ)塀(へい)、大棟両端の鬼瓦に輝く若狭剣片喰の酒井家家紋は、藩学問所唯一の建築遺構としての風格と激動の歴史を物語る歴史資料として価値を有している。
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