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飯盛寺


飯盛寺本堂 1棟


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指 定 所在地 管理者
昭和58.1.7 国指定 小浜市法海 高野山真言宗飯盛寺


 飯盛山中腹に建つ飯盛寺は、文和年中(14世紀中期)後光厳帝勅願再興のあと、文明16年(1484)に回禄、同18年円満院二品親王の再建を伝えるが、本堂内に遺存した多数の寄進札が同年に集中するところから、その再建の史実が裏付けされている。
 自然石の石垣積基壇に建つ本堂は、桁行13.66m(五間)、梁間12.88m(五間)。単層、寄棟造、妻入、茅葺、四方切目縁の五間堂で、各部の基調は和様を主とし向拝を後設する。
 この本堂は、その造営年次において羽賀寺本堂に続き、神宮寺本堂に先立つ当地方中世建築の貴重な遺構で、また、その平面も良く似ているが、前掲両本堂とも外陣奥行が二間で、外陣両側面から一間入った位置に柱をたてる古制に対し、当本堂では中世末の一般的構架法から外陣廻りの柱を抜き、虹梁上の組物で隅木を受け母屋通りの桁を支えるため、外陣奥行が一間半という違いがある。また、内陣の方三間は変らないが、両本堂の入母屋造平入に対し、寄棟造妻入という形式と、葺材の相違からこの堂の外観は著しく小さく見える。現在、一部柱間装置等に改造が見られるが、基本的な構成部材は当初のものが良く残り、虹梁・斗栱・木鼻等に良くその特徴を示している。
 羽賀寺・神宮寺両本堂の華麗さに対し、虚飾のないこの堂の簡素さは、戦国争乱期における大檀越の資力差を物語るものであろうか。