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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和43.1.19 市指定 |
小浜市奥田縄 |
曹洞宗永福庵 |
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面山禅師隠棲の地永福庵には、さすが禅師の真筆が数多く蔵されている。その中には経典もあれば、画幅に賛を加えたものも多い。
筆者は不明であるが、半切絹本に祖師道元禅師の濃彩着色の頂相が1幅ある。それに面山禅師が賛を加えたのがこれである。
面山禅師は徹頭徹尾永平道元に帰依し、永平本山に参詣し、祖師の教に直接触れんとし遺墨に当ること一再ならずであった。そして日常足を永平寺に向けて投げ出すことをしなかったと伝えられる。
この七言律詩の賛は、描かれた祖師道元の姿を拝して、祖師像に写し出された面相姿態と紙背を通して感ずるところとを、面山禅師の詩歌として謳いあげたものである。即ち祖師の眼光はすべてを看破しておくところなく、しかも御姿は一生の半にも達せられない若さと力に充ち満ちている。そして気宇は星空にまで届き、五体の力は不可思議の世界に通じ給うとたたえ、いま我れこの師の流れを酌むべく渇仰していると結んだ七言律詩である。小浜空印寺在住時代享保20年(1735)の作である。
面山禅師の筆蹟は多いが、「洞宗の源」を渇仰してやまぬ祖師の肖像画に賛した文字は、また格別の風格がある。これ、禅師の代表的遺墨とする所以である。
この画像は永福庵第十六世瑞芝の代より、この庵の什物に加えて伝えられているものである。法量は縦109.5p×横40.8pである。
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