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雲外寺


絹本著色潤甫周玉画像 1幅


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指 定 所在地 管理者
平成11.4.23 県指定 小浜市谷田部 臨済宗雲外寺


 雲外寺は臨済宗南禅寺派で、室町時代の若狭守護武田元信の子、潤甫周玉(玉長老)の開山となる由緒ある寺である。潤甫周玉は、後瀬山城を築いた武田元光の弟として文亀3年(1503)に生れ、幼くして仏門に入り京都へ出たものと思われる。当時若狭武田氏は、京都建仁寺に塔頭・十如院を創建して、代々同氏出身僧が住持となっていたことからこのあたりの状況はうかがえる。
 その後、大永8年(1528)にはわずか25才で小浜栖雲寺の首座(『実隆公記』)となり、天文3年(1534)には隠退したためか「西堂」と号し、同8年(1539)に『雲外寺旧記写』によれば、「於矢田部郷被立山荘、此所者栖雲寺之外故号雲外寺」として現在地に雲外寺を創建し隠棲した。しかし、天文12年(1543)には建仁寺第二八二世に迎えられ、天文18年(1549)に46歳で没した。
 本画像は絹本著色で上部に和尚の自賛が記され、その下の円窓に肖像が描かれている。この天文14年の自賛から肖像も和尚の存命中に描かれたものと思われ、とりわけ発心寺伝来の武田元光画像とよく似た顔付き・細く孤を描く眉などは両者が兄弟であることをよく示している。
 なお、潤甫周玉は当時の文化人・三条西実隆・清原宜賢・連歌師宗硯等とも交友も深く、文芸をもって京都五山に知れわたった若狭武田氏出身僧の素養を見るかのようである。本画像は縦79.6p×横29.4p、小画面ながら潤甫和尚の生前の姿をあます所なく伝えており、当地に残る武田氏出身僧の唯一の肖像画としてきわめて貴重な一幅である。