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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和57.4.20 市指定 |
小浜市伏原 |
曹洞宗発心寺 |
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武門の名家若狭武田氏5代(※)元光の墓塔は、自ら開基した発心裏の後瀬山山腹にあって、寺院を眼下に静寂のなかに眠っている。
元光は、天文20年(1551)8月17日、享年86才で没したが、この墓塔は、没後直ちに造立されたものと推定される。若狭武田氏歴代当主の墓塔中、埋葬施設として現存するものはこの1基で、室町時代の武将墓、また守護墓塔としての歴史的意義は深い。
25uの削平された苔むす廟所に、基底2.5m、高さ1m余の梯形土壇を築き、その上部に総高1.8mの凝石灰製の宝篋印塔が造立されている。
塔の基礎は総高40p、幅59p、側面の高さ30.5pの反花式で、反花は中央に単弁一葉、その左右に間弁を配し、各隅に単弁を刻む。側面は4面ともに輪郭を巻く。塔身は高さ30p、幅29.5p、蓮台を入れた月輪内に金剛界の四仏種子を刻する。笠は総高36.5p、幅54p、上部6段・下段2段、隅飾は2孤で輪郭を巻き素面である。相輪部は総高67.5p、伏鉢から宝珠まで一石で彫成し、伏鉢の径25p、上部請花の径23pと、全体の様式から見て多少大きくなっているのが特徴で、現在、土壇、塔身、笠の下部等に若干の損壊と欠失が認められる。
元光壮年の風貌を偲ばせる法体の坐像は、当寺祖師堂右側の厨子に奉安され、「発心寺殿贈従三品前光禄太夫天源勝公大禅定門神儀」の零牌を前に、今も変らぬ供養をうけている。
※ 若狭武田氏守護歴代には諸説があるが、ここでは在職根拠の簿弱な信親を除き、元光を5代とした。
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