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高成寺


瑞方面山履践集還入状 1軸


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指 定 所在地 管理者
平成7.2.23 市指定 小浜市青井 臨済宗南禅寺派高成寺


 紙本墨書履践集は臨済の名刹高成禅寺に伝世の秘宝であるが、この履践集に秘められた流転と還入の経緯を物語る貴重な記録に「納履践集於青井山偈並引」と題する1巻が寺宝として大切に保管されている。これを要約し「瑞方面山履践集還入状」としている。法量は縦29.5p×横125.7pの巻子本である。
 その概要は、「周防国泰雲寺(山口市)は永平第7世覚隠禅師が住持された曹洞宗の巨刹であるが、ここに古くから履践集三巻が所蔵されていた。これは若狭国青井山高成禅寺開山大年法延禅師が編まれたものであるが、法灯のみだりがあったか、この惜しむべき重宝が遠国に流転して箱の中に虫喰まれ、このことを知る人も少ない。私は若狭に住山する仏縁と泰雲現住の霊源和尚と親しい因縁により多年秘惜する道元禅師の真蹟と交換して、これを手にすることが出来た。いま、大年禅師の四百年開山忌(1762)を前に、謹んでこれを青井山住職方崖和尚に還入する。よって今後は永く山門不出の什宝として備えてほしい。」とあって、さらに七言律詩に続けて「宝暦十一年(1761)十月初二日、応、勅沙門永平面山瑞方焚香九拝謹草」と自署している。
 面山禅師は、ときに79才。詳細な禅師の年譜もこの年8月以降の消息を欠く。従ってこの出来事が西海道行脚途次の偶発か否かは定かでないが、恐らく遺編の故山還納による青井一山の歓喜を、我が喜びとすべく秘惜の高祖真蹟をも交易の資とする深い思いを秘めた余念なき旅程ではなかったかと思われる。
 因みに面山禅師は曹洞宗屈指の学僧で、損翁宗益禅師から面授嗣法され、空印寺の第十四世住職後、隠居して永福庵を開創、明和6年(1769)9月、世寿87才をもって京都建仁寺西来庵に示寂と伝えるので、この忘れ難い出来事は入滅8年前にあたる。