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高成寺


元方守端墨跡(送別語) 1幅


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指 定 所在地 管理者
昭和51.1.22 市指定 小浜市青井 臨済宗南禅寺派高成寺


 元方守端禅師は、中国元時代の禅僧であるが伝は明らかでない。本墨跡は守端の墨跡としては唯一のものとされている。表装もおちついて見事なものである。法量は縦21.1p×横57.2pである。
 この書を受けた椿庭寿海禅師は、遠江国の生れで幼い頃から竺仙梵僊を師事し、一日師の言を聞いて得悟している。椿庭は観応元年(1350)法を求めて同志と共に元へ渡り、天寧寺空海念に入って蔵主となり、その後、幾多の名刹を訪ねて応安6年(1373)に帰朝している。元に滞在すること20余年に亘り、守端の下での修行を辞して帰朝している。この書はその時に守端が椿庭に与えたもので、末尾に「敬次南堂和尚韻送椿庭蔵主帰東万寿山主守端」とある。なお、本文の始めに「道人法の為め日東より来る」とある。椿庭は帰朝の翌年足利義満の帰依を受け、要請によって京都真如寺、次いで鎌倉浄智寺、円覚寺を経て天龍寺に移り、天龍寺退寺後南禅寺の楞伽院に入り、嘉慶元年(1387)勅命により南禅寺四十六世になっている。応永8年(1401)円寂世寿84才、なお当地方では舞鶴市溝尻天龍寺派清光寺の開山となり、多聞院の興禅寺の開山にもなっている。興禅寺には、真偽は不明であるが五輪塔の塔所がある。椿庭は、当地の高成寺開山大年和尚と共に竺仙梵僊の法子であるから、高成寺に椿庭に関するこの墨跡が保管されているのも法縁であろう。