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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和44.11.21 市指定 |
小浜市酒井 |
日蓮宗長源寺 |
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この鰐口は直径28.5p、厚さ9.5p、重さ5sの銅造りで、「永重本堂円覚寺鰐口延文五年(1360)庚子十一月八日、若州長源寺常住、施入妙是」の銘記があり、大きさ、古さにおいて県下では貴重な遺品である。
長源寺は康暦年間、日源上人の開基で、後瀬山麓(現空印寺の敷地)に創建されたが、武田元光が後瀬山上に築城のとき、館舎建設のため現在の位置に移築されたもので、当時は一帯の沼池中の島であったため移築後の山名を「向島山」と名づけられたとの説がある。移築後の長源寺は隆盛を極め大正4年(1915)の『小浜町誌原稿』によると「寺内に三十番神社あり、西に刹堂あり、楼閣は貞享年間の建築で左右に金剛力士を置き楼上に十六尊者を安置す。往昔は寺中に十七僧院あったが、今は四僧院のみを残し什物に日蓮上人の大曼茶羅あり、また漢竹の笙あり、秋風丸と名づく、天智天皇の御物なりと伝えられる。絹本著色の画像は国宝に指定されている」とある。この記録には、十七僧院があったというから、鰐口の銘記の円覚寺はそのうちの一僧寺で、そこから本寺に伝ったものと考察される。『若州管内社寺由緒記并社寺什物記』は長源寺の開基につき次のように伝えている。「日源上人は康暦2年(1380)の夏、当国に来錫の途中、遠敷の正護比丘尼に出合い、比丘尼は弘経済度の上人に出合った願望成就から小浜に上人を伴い上人法華経を構ず。聴者市を成して集まる。因って一宇を建て長源寺と号した。」とある。
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