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広嶺神社


紙本著色広嶺神社祭礼絵巻 1巻


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指 定 所在地 管理者
昭和53.3.17 市指定 小浜市千種二丁目 広嶺神社


 貞観2年(860)播磨国広峯よりの勧請と伝える広嶺神社は、若狭名所の一つに数えられた雲浜千種の森に鎮座され、竹原神社、天王宮、祗園社とも称され、明治維新までは小浜城下の地主神として尊崇された社である。なお神域には雲月宮と別称され、松林寺(神宮寺、明治維新後に廃絶)を付随した天満神社の他、数社が鎮まる。
 この祭礼絵巻(縦27.5p×全長16.8m)は当社の秘庫に蔵せられる社宝である。
 古来より当社の祗園御霊会に際しては、必ず祗園三神輿の御動座があり、古昔は青井の御旅所であったが、或る年、風浪による御座船の損壊があって以後、府中に変り、さらに寛永15年(1638)以降は小浜八幡宮の御旅所に神幸(いまは廃止されている)されてきたが、この三神輿の還幸に供奉して小浜の各町内より笠鉾、棒振り、大太鼓、神楽、花車、曳山や数奇を凝らした仮装の行列などを繰り出して華麗な風流を競ったのを、克明かつ綿密に描写したのがこの祭礼絵巻である。
 この絵巻の作者は、文政年間に小浜藩士であった都筑頼母の次男、都筑盆右衛門と考証されるが、盆右衛門は天性絵画を好み、北斎の画を愛玩していたという。
 本絵巻はその後、都筑家より譲りうけた町家の商人、長谷川伊兵衛の愛蔵に帰したが、のち故あって旧藩主、酒井家に献上され、のちさらに広嶺神社の社格昇格を祝し、絵の由来に因んで酒井家より当社に寄進されたものと考えられる。
 この絵巻物は、近世最盛期における当社祗園会の巡行を物語る唯一の貴重な民俗文化財である。