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瑞伝寺


木造地蔵菩薩坐像 1軀


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指 定 所在地 管理者
平成7.4.21 県指定 小浜高塚 曹洞宗瑞伝寺


 瑞伝寺本尊・地蔵菩薩坐像は、古くより子安地蔵として近在の人々の信仰を集めて来た。本像は像高86p、桧材の寄木造りで内刳りを行い、当初は全身に彩色が施されていたと思われ、正面を向き左手には宝珠、右手には錫杖を取り、左足をやや前に出してゆるやかに坐る姿に表わされている。お顔は、切れ長の目に豊かな張りを持った頬など整った美顔で、拝する者に安堵感を与える慈悲深い相である。
 当寺に伝わる「瑞伝寺本尊縁起」は『若州管内社寺由緒記』(延宝3年・1675)にも所載され、これによれば、当寺は鎌倉時代の承元3年(1209)、当国の惣地頭であった津々見右衛門次郎忠季の郎党・清原是定の建立とし、本尊は「安阿弥」(快慶)の作とされている。ところが、近年本像の調査を行ったところ、本像の体内・内刳り背面に右下の墨書が発見された。
 これによって本像の制作は、様式・構造的に見ても承元3年頃であることが裏付けられ、縁起の中の人々の名とともに仏師の名が見つかったことは注目される。この仏師幸千は生没不明ながら奈良西大寺木造叡尊坐像胎内納入文書「西大寺有恩過去帳」(弘安3年・1280)に見える同一人物と考えられ「春日社司祐茂日記」(嘉禎2年・1236)にも同名があることから奈良にいた慶派の流れを汲む仏師と思われる。また、清原是定については「若狭国遠敷郡検田帳案」(『東寺文書』・文永2年・1265)にある是定名と関係があるのではなかろうか。






  
 
 




















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