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羽賀寺


紙本墨書羽賀寺本堂上葺勧進帳 1巻

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指 定 所在地 管理者
昭和53.7.25 県指定 小浜市羽賀 高野山真言宗羽賀寺


 羽賀寺には勅筆の縁起をはじめ、数々の貴重な古文書を伝世するが、この『羽賀寺本堂上葺勧進帳1巻』もまた其の一つである。この勧進帳(縦32p×全長255p)は罫線を施した料紙(鳥子紙)を用い、この類に通例の巻子本で、作者は青蓮院入道尊猷親王とされるが、題簽・奥書からも其の真翰なることが証される。
 帳は「勧進沙門敬白」に始まり、霊亀2年、行基菩薩開創以来の寺運の隆替を詳述のあと、文安4年(1447)日之本将軍安倍康季による堂宇竣成後、60余年を経て朽廃した本堂上葺のため、一国茅屋に至るまでの針芥の施与を勧進し、最後に本尊十一面観音の功徳を讃嘆して「仍幹縁旨梗概如斯」と結び、「永正十一年祀甲戌(1514)卯月日勧進沙門敬白」の末記をもって終る。この勧進沙門 尊猷親王は後柏原天皇の第3皇子で青蓮院門跡 天台座主四天王寺別当を歴任された尊鎮法親王のことで、天文19年(1550)9月、47歳で薨去されている。従ってこの帳は親王11歳の筆となるが、書跡には些も稚拙の俤なく、室町和様体で筆力雄勁、気品高く其の流麗の書体とあいまって俄に信じ難い雲上の教養を偲ばせる。
 『紙本墨書羽賀寺年中行事』にみる本堂上葺の初見は「天文元年壬辰歳(1532) 本堂上葺造畢 二月十六日供養有之」の記事であるが、この帳の紀年銘よりすれば其の間実に18年の歳月を費やしたことが知れる。とき、たまたま戦国争乱の渦中にあって、若狭一国また不穏の形勢であったことを思えば、この期間の長さはそのまま勧進の辛労を告げるものであり、恐らくその間、応急の補修をもって雨露を凌いだものであろう。