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矢代区


手杵祭


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指 定 所在地 管理者
昭和43.3.29 県指定 小浜市矢代 矢代区


 奈良時代のむかし、矢代浦に1艘の唐船が漂着した。そしてその船には王女と付添いの女搶Oが8人乗っていたが、長い漂流の船旅に身も心も疲れ果て、その上食糧もなくなってしまい、言葉も通じないままに、ただあわれみを乞うばかりであった。ところが船中には金銀財宝がどっさり積まれていたために、浦人たちはこれに眼がくらんで、杵をもって唐人たちをみな殺しにしてしまった。この悲しい事があって以来、この浦人たちは王女達の霊を慰め、天罰を恐れて手杵祭を行ない、平安初期以来全く途絶えることなく受け継いでこの行事を守ってきたと伝えている。
 この祭をまとめる人は大禰宜といって、正月元旦より水垢離と潔斎精進を重ね、この1年間を区の祭礼・物忌み、宗教的諸事の責任者としてすごさねばならない大役の人となっている。
 祭行列の役者には5種あるが、手杵棒振りと2人の弓矢持ちと、そして女搶Oとが特別の雰囲気をかもし出し、また悲劇の主人役を演じる。編笠にシダ葉を挿し、顔には墨で隈取りをした異様な姿に扮した棒振りと弓矢持ちは殺戮の所作をする。これに反して未だ穢れを知らぬ少女達女揩ヘ、金袋に擬した頭巾をかぶって登場する。祭日は4月3日である。
 禰宜・若者組・女児は、矢代区の戸主、長男、娘に限り、区の成員になるにはこの役割を必ず経なければならないとされてきた。