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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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平成16.1.23 県指定 |
小浜市新保 |
曹洞宗龍泉寺 |
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青雲山龍泉寺は曹洞宗永厳寺(敦賀市)末で小浜市新保にあり、本尊は木造聖観音菩薩坐像である。創建は同寺背後の山上にある霞美ヶ城々主武田信高により、天文10年(1541)と言われている。
この時招かれて同寺開山となったのが、この頂相に描かれた大功文政禅師である。禅師は肖像の上に記された賛によると、大利氏の一族の出で永平寺明峰派(明峰素哲を初めとする曹洞宗の一派)の逸材であったことが知られ、同寺が当初から曹洞宗であったこともわかる。
なお同賛には「行年六十九光陰 不侍丙子従心之歳 仲秋二十八圓寂」とあって、禅師は天正4年(1576)8月28日に70の声を聞かずに没したことがうかがえ、しかも肖像は、「禅師在世之日命画師令写慈像」と賛にあることから生前に描かせていたことが判明する。
この頂相は縦74.9p×横37.9pで、禅師は法被を懸けた牀座に坐り、大衣と袈裟を着て左手に念珠、右手に払子を持つ姿に表わされる。その輪郭は丸味のある柔らかな細線で、彩色によって顔、衣文等がやや平面的になるのは否めないが、禅師の容貌を克明に写しており、穏やかで気品に満ちた人柄を偲ばせてくれる。
ところでこの賛は禅師没後19年目の文禄3年(1594)8月28日に英甫永雄が請われて記したものであるが、この中に「予之老爺蒲澗稜公(信高)」とあって、永雄自らが信高の子であることを明確に述べており、賛を引き受けたのもこの縁によると考えられる。
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