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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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(立像)昭和47.5.30 国指定
(厨子)昭和45.2.20 市指定 |
小浜市加茂 |
加茂神社 |
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加茂神社の社前を小北川に沿って100mほどのぼると、急に視界が開け、前方に細い道が山を登る。登りつめたところに、為生寺の本堂とされる観音堂がある。この堂の本尊として安置されていたのが、千手観音菩薩立像であるが、いまは堂の背後につくられた近代コンクリート式宝形造の収蔵庫に奉安されている。
本像は桧材の一木造で、頂上仏を除く像高は108.5pである。像の頭、体部は一材から彫成して内刳りもなく、胸や腰に十分な厚みをもたせながら、胴部をすこぶる細く引締めた体貌に特色がある。
裳の衣文にも、平安初期(9世紀)像にみる大きな波と小さい波を交互にくりかえす翻波の衣文を刻み、また衣端に渦文を刻むなど古風な特色をみせるが、目鼻立ちのおだやかで、彫りの浅いあたりをみると、制作は11世紀の早いころとみられる。
なお頭上面中の六面、脇手の半数は当初のもので、台座の蓮肉、蓮弁20枚はもとのものが保存されている。表面の漆箔は後補で、あるいは元来彩色像であったかと思われる。
本像を納める厨子は、すべて桧材でつくられ、内側左の支柱に「為生寺御厨子造営檀那、一色右馬助詮之、千時院主仏子宗海」「勧進造禾寸畢、大工藤原宗次生年卅四歳、小工左衛門三郎尉源真弘」「応永五年戊寅(1398)五月十六日 □□□」と3行の墨書銘がある。
『若州管内社寺由緒記』には「為星寺の十一面観音は伝教大師の御作なり。往昔は山の峯に堂御座候へ共 大雪に崩れ申候に付 文禄年中に谷に堂を建設 云々」と、本像の来歴をかたっている。
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