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個 人


金屋鋳物師用具 504点 附文書 32点


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指 定 所在地 管理者
昭和57.4.20 市指定 小浜市金屋 個 人


 名刹万徳寺のある金屋は、中世以来若狭地方の鋳物師の中心地であった。近世までは、若狭の歴代領主の保護のもとに鋳物業が続いていた。
 昭和35年、明厳寺(西勢)の梵鐘の鋳造を最後にした。芝田孫左衛門宅では、吹屋跡も残されており、使用した鋳物関係の資料が豊富に保存されてきた。資料の圧巻は、梵鐘、半鐘、鍋、釜の規とよばれる型取具であり、江戸時代の宝永6年(1709)、享保2年(1717)、天明6年(1786)、同8年などの記年銘の墨書されているものがある。明治以降の製品の中心は、鍋、釜などの日曜雑器類であり、それに関する鋳造用具も多い。農閑期には、若狭各地に鍋、釜の行商にまわっていた。
 文書は、仁安2年(1167)蔵人牒写をはじめ室町期には若狭守護武田氏の庇護を示す奉書があり、さらに文化5年(1808)の鋳物師職掟書や明治5年には皇室御用の燈篭を鋳たことを示すものなど、中世から近代までの文書が残されている。
 金屋鋳物師の初見は、『若狭郡県志』巻第4に八幡神社(男山)旧蔵の鐘で、室町時代応永4年(1397)の紀年銘があると記されているが現存しない。現存の例としては日枝神社の梵鐘で、慶長17年(1612)「大工下金屋九郎左衛門」の銘がある。大飯町福谷伊射奈伎神社蔵の鰐口には、応永11年(1404)「大工遠敷下金屋左近」の銘が残されている。