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萬徳寺


絹本著色愛染明王像 1幅


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指 定 所在地 管理者
平成12.3.21 県指定 小浜市金屋 高野山真言宗萬徳寺


 愛染明王は増益、息災、延命、敬愛、調伏(害悪を法力で押える)を司る修法の本尊とされ忿怒の相貌を示すが、その内心は衆生の煩悩を悟りへ導く愛情豊な明王として広く信仰されて来た。
 この明王を説く経典(瑜祇経)によると、頭上に獅子冠を戴き、顔は三眼の忿怒形とし、体は赤身で宝瓶上の蓮華座に坐る姿を言う。手は六臂で、それぞれに金剛鈴、金剛弓、拳、五鈷杵、金剛箭(矢)、蓮華を持つが、まれに頭上に弓をかざして天に矢を射る天弓愛染や双頭(不動と愛染の合体像)の愛染像などもある。愛染明王は弘法大師請来であり、真言密教においては重要な仏として平安末期以降に造像も多く見られる。
 本図は規定どおりに描かれていて、伝統的仏画の様式に倣うが、赤蓮華の蘂がこぼれそうな表現などは宗画の影響を受けたものと考えられる。彩色も濃厚な赤色で統一され、優美な中にも厳粛な趣を見せるが、忿怒の表情や大円相内の金泥による火炎はやや平面的表現となり形式化も否めず、鎌倉時代も後期に入ってからの作であろう。画絹の法量は縦84.0p×横41.8pである。
 萬徳寺仏画の主たる作例は平安末から室町にかけて制作されたもので、全体に小型の作品であるが他にあまり例のない図像が多い。同寺縁起によれば、その前身寺院が極楽寺と称し天台系寺院であった可能性も高く、文永2年(1265)の若狭国惣田数帳写に極楽寺として所載されることから本仏画が制作された頃にはすでに存在したことを知ることができる。なお、本図左下の卍は後筆であるが、マントクジをもじった所蔵印と考えられる。