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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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平成12.3.21 県指定 |
小浜市金屋 |
高野山真言宗萬徳寺 |
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千手観音は『千手千眼陀羅尼経』に説かれるように、千の慈手に備えた千の慈眼により遍く衆生を救済するため、日本では十一面観音とならんで古く、奈良時代から信仰されてきた。
その姿は千の手により複雑にならざるを得ないが、経理的な規定に基づき四十二臂などに簡略化されて表わされる場合が多い。また、頭上に戴く小面も二十七面や二十四面・十一面などがある。
本図の場合は本面の両脇に三眼の大型慈悲面と忿怒面をつけ、頭上三段に七面ずつを配し、その上に頂上仏面を据えてつごう二十四面(本面を除く)としている。脇手については持物手の他に頂上手を設けて化仏を置いたり、本来は腹前に両手を組む宝鉢手にそれぞれ紅・紫蓮華を持たせる珍しい姿で、総計四十手(中央の二手を除く)を配している。
彩色は肉身を金泥で塗り、さらに朱線でくくる基本的な描法を用いており、条帛や裳にみられる切金も繊細で上品な表現となっている。なお、現状では剥落してはっきりとしないが光背も認められ、その上方には湧雲に乗る月輪を描いている。
このような特徴から本図が描かれたのは鎌倉時代後期と考えられ、他にあまり類例を見ない構成のため一種異様な雰囲気をかもし出している。法量は縦98.5p×横38.5pである。
萬徳寺仏画は全体に小型であるが不動三童子像をはじめ本図のような異例の数少ない図像を含み注目される。
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