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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和54.2.6 県指定 |
小浜市遠敷 |
若狭彦神社 |
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延喜式神名帳(撰進927)、若狭国42座、遠敷郡16座(大2座、小14座)に記される若狭比古神社二座(名神大)が当社(下社)に当り、上社と併せて若狭一の宮とされる一国鎮守の大社である。かつて当社に伝世の重要文化財「若狭国鎮守神人絵系図」(鎌倉期成立、国所有)には、明神鳥居を前方に、三間一戸の楼門と、その左右に起る板敷回廊が、三間社流造の本殿を四周する各丹塗の壮麗な社殿景観を画き、いまと比べて、その構造と配置の変遷を偲ばせる。
正しく東面する本殿は、享和2年(1802)造営の三間社流造(梁間二間 前室一間)、向拝一間、桧皮葺、素木造で組物はすべて三斗組、妻飾は豕扠首式である。向拝をうける方柱は手挾付で、下は浜床、母屋繋はない。中備は紋章透彫の蟇股を飾り、軒は正面を飛檐打越二軒、背面を二軒繁垂木で化粧する。正面前室の腰は菱格子を嵌め、外陣正面は蔀戸である。昇階は7級で納める。
この本殿は、大棟を梁間二間の内外陣中央におく流造に通例の、基準的建築構造のため、前方に長くのびる屋根の曲線は、まことに流麗で、破風の反も美しい。
神門(中門)は、享和3年(1803)の造営。切妻造平入、桧皮葺、素木造の至って閑雅な四脚門である。
随神門は、寛保3年(1743)の造営。入母屋造平入、桧皮葺、素木造、桁行三間、梁間二間の清雅な八脚門で中央の通路を挾む前面一間を、床高の随神座とし、左右各4軀の随神像が、左右に正対する珍しい形式である。この随神は、祭神に随従の吉祥八人と、神人絵系図は伝える。なお、随神門と神門の間には、昭和20年の雪害で倒壊した方三間入母屋造平入の拝殿跡が残っている。
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