若狭小浜のデジタル文化財 TOP 文化財とは デジタル文化財図録 - 用語解説 文化財マップ 小浜の歴史 文化財年表 戻る
和久里区


和久里壬生狂言


※画像クリックで拡大写真



<IMG src="map/042.png" width="250" height="200">
指 定 所在地 管理者
昭和61.3.28 県指定
平成15.2.20 国選択
小浜市和久里 和久里壬生狂言保存会


 この狂言は和久里の西方寺境内に建つ「市の塔」の7年供養会に奉納される仮面無言の狂言である。この供養会は数え年の7年目(十二支の子と午の年)の4月と定められ、近年では昭和59年4月14〜16日の3日間に亘り、境内の仮設舞台で上演された。
 狂言の番組は「狐釣り、腰祈り、寺大黒、愛宕詣り、餓鬼角力、炮烙割り、座頭の川渡り、とろろ滑り、花盗人」の9曲で、番組は毎日入れ替り、中日には大般若経の転読、毎日午後には宝塔縁起が朗読される。
 狂言に使用の仮面は昭和53年上演の際、従来の紙製面を廃し、区民の自作で30余の木彫面が作られた。出演者はすべて区内の男子に限られる。
 「市の塔」は南北朝期の造立以来、江戸初期には小浜の東西の市場に移って「市塔尊」と信仰され、神事能が奉納されたが、その間、京都狂言師の来往も度々であったと伝える。現在の和久里狂言は明治45年(1912)にかつて塔のあった八幡宮前の狂言師から伝習したもので、地元では壬生狂言と称するが、現存の壬生狂言30曲と対照するとほぼ共通するのは6曲で「狐釣り、座頭の川渡り、腰祈り」の3曲は壬生にみられない。しかし江戸時代中期の壬生狂言60曲には「狐釣り、座頭の川渡り」がみられる由で、残る1曲「腰祈り」は京都三大念仏狂言(壬生寺、嵯峨釈迦堂、千本閻魔堂)のいずれの記録にも未見で、異なる別派を承継した可能性も残される。
 融通大念仏の合唱下に上演の故に発生した無言の狂言が、当地に伝流した意味は大きく、貴重な宗教民俗芸能の遺産といわねばならない。