若狭小浜のデジタル文化財 TOP 文化財とは デジタル文化財図録 - 用語解説 文化財マップ 小浜の歴史 文化財年表 戻る
羽賀寺


紙本墨書羽賀寺縁起 1巻

※画像クリックで拡大写真



<IMG src="map/hagaji.png" width="250" height="200">
指 定 所在地 管理者
明治34.8.2 国指定 小浜市羽賀 高野山真言宗羽賀寺


 羽賀寺は小浜市内有数の古刹であり、勅願によって創建され、また中世以降皇室との関係深く、秘蔵せられた80余通の古文書には他にあまり類例のない勅筆並びに綸旨が含まれている。
 この羽賀寺縁起こそ、陽光院誠仁親王の御筆であり、奥書は後陽成天皇の勅筆に係っている。
 紙本墨書、縦50p×全長430pの巻物として立派な表装が施されている。極めて平易な漢文体で、墨痕鮮やかに筆のあとが走って見事なものである。いま羽賀寺の由緒来歴を辿ってみよう。
 本浄山羽賀寺は、元正天皇御宇霊亀2年(716)、行基菩薩が創建した。この時行基の齢は48歳であった。彼は入滅するまでに伽藍を造立すること実に二百余宇という。当寺の本尊は十一面観世音で、行基の作であり、見事なことこの上ない色彩を施しているものである。その後平安中期に本尊もろとも泥土に没する風水害に遭ったが復興し、鎌倉初期源頼朝三層塔婆を造立寄進した。しかし室町時代初期にはたびたび火災にあい、今の堂塔は文安4年(1447)に造立された。そして一天泰平四海静謐を祈ってきた。以上が天皇の筆になる縁起のあらすじである。
 巻尾奥書12行175文字は天皇の宸翰である。創建以来大悲の威力を仰いで、衆徒檀越黎民悉く協力によって寺運を維持発展したが、いま秋田実季の懇志で修造を遂げた事を述べて結びとする、と仰せられている。