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指 定 |
所在地 |
管理者 |
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昭和60.6.6 国指定 |
小浜市金屋 |
高野山真言宗萬徳寺 |
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不動は本来、ヒンドゥー教の神であったが、仏教では如来の使者、後には如来の変身として五大・八大明王の中尊となり、如来の慈悲では救われない者を強力な法力によって帰依させる最高の明王となった。なお不動は矜羯羅・制多迦の二童子や八大童子などを従えることが多い。
本図はこのような不動の中でも珍しい三童子を伴なう画像で、この図像は平安末期に現われるが、本図のように主尊に恭順する童子を生気に溢れ、のびのびと描き出す例は他になく、きわめて古様と考えられる。
不動は青身で、凄まじい忿怒の形相で睨み付け、赤々と燃え盛る火炎を背に海中の岩礁上に立っている。現状では絵具が長年月により黒変してはっきりしないが、赤外線写真によれば的確な筆致が捉えられ、本不動が円心様不動の系統に属することがわかる。
中でも本図のように不動の脇の岩上に別の倶哩迦羅竜王剣が描かれる画像は他にはあまり類例を見ず、さらに不動の背後高く水波を描き込む様式は、本図が天文系図像であることをうかがわせ、古法に基づきながらなお新しい創意を盛りこんでいることが知られるのである。これは同寺がかつて極楽寺と称し天文系であったと言われることからも頷ける所であろう。
彩色は切金を一切使わず、金銀泥や絵具主体で進められており、不動の蛮絵文様や童子の袴の市松文様などには銀泥が多用されていることも注目される。このような特徴から本図は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての過渡期の制作と考えられ、寸法は縦115.0p×横61.9pである。
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