小浜城のあゆみ

小浜城天守台
 小浜城は、南北河川とそれを利用した外堀で囲まれ、西は小浜湾に面し、東は湿地によ り防御するという自然地形を巧みに利用した全国でも珍しい水城であります。
 慶長5年(1600)関ヶ原合戦に伴う大津籠 城で功績のあった京極高次が、若狭一国の城 主として入部してから築城が開始されました。

 高次は、家臣の安養寺三郎左衛門と赤尾伊豆 守に命じて縄張りを行い、領民に蘇洞門石を 運ばせて基礎を築き完成しました。
 京極氏が進めた築城は、江戸城の普請役な どでなかなか進まず、天守台や石垣等が築かれたのみでした。

 その後、寛永11年(1634) 川越から小浜へ入部した酒井忠勝が、翌年10月に天守台を普請し、中井正純の指揮の下で三重の天守閣の棟上げを行い、同13年10月に完成しました。築城に要した期間は、京極氏が着工して以来、実に45年の歳月を要しました。

酒井忠勝肖像
 城郭内部の建物は、正保〜慶安年中(1644〜51)に相次いで建築され、寛文2年(1662)の大地震によって多くの石垣が破損しますが、廃城までこれを維持し、堀の浚渫以外の大規模な城郭修理はしませんでした。

 完成した小浜城は、外堀南北130間、東西157間、本丸・二の丸・三の丸・西の丸・北の丸をもち、多門櫓5、櫓25を数え、完成した天守閣は、高さ9間3尺5寸、1層目7間8間、2層目5間6間、3層目3 間4 間でありました。

 しかし、明治4年(1871)の廃藩置県により、小浜県庁が城内に設置される工事中、二の丸櫓からの出火により、旧跡の大部分を焼失。天守を除く大半を焼失し、実質的な機能を終えました。

 明治5年には、城内通行のため本丸東側石垣が破壊され、同6年には廃城令をうけて、翌年に天守閣が解体され、同8年には酒井忠勝を祭神とする小浜神社が創建されて現在に至ります。昭和年代まで残存した東側の外郭石垣も、度重なる風水害により流出し、往時の姿が感じられるのは本丸の石垣のみであります。  昭和31年には福井県の指定文化財史跡として指定され、県民の貴重な財産として保存されることとなりました。

現在の小浜城天守台



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