教育長のことば

「学力と人格の一致」の授業 −障がいを持った子どもたちから学ぶ その2

 前号(平成29年7月10日付)で触れましたが、私は県特殊教育センター嶺南駐在主任(現在は嶺南教育事務所特別支援教育課)として、就学相談の仕事を4年間していました。その間、障がい児教育のプロと言われる大先輩たちに教えを乞う機会が多々ありました。「森下!障がいを持った子どもたちは教科書で教えるものではないぞ。生活の中で学ばせなあかんぞ」と、何度も言い聞かせられました。今もその考えは「その通りだなぁ」と思っていますし、前回の障がいを持った子どもたちの指導もそのような視点を貫いてきたと思っています。

 ある時、と言っても27〜28年前のことですが、ある養護学校(現在は特別支援学校)の先生から、「子どもが不登校がちなので、相談したい」という電話がかかりました。私は一瞬、「えぇ!養護学校の先生の方が専門家なのにどうして?」と、不可解な思いと私より専門家の方にどんな助言ができるのだろうかという不安な気持ちを抱いて学校に行きました。

 学校に行って、まず担任の先生から困っておられることを聞きました。登校を渋るそうです。その後、教室に行き、相談されている子を紹介されました。お子さんは中学校2年生の女の子でした。教室にはその子一人だったと思います。何を学習しているのかのぞいてみると、小学校1〜2年生程度の足し算の計算をしていました。しかもあまりできていないようでした。このブログを読まれている皆さん。この場面に直面された時、どう思いますか。考えてみてください。私は即座にこの教室の中で学習させられている少女と、以前読んだドストエフスキーかカミユかが小説の中で書いているギリシャ神話の物語の一文が重なりました。その話は、犯罪を犯した人への最もつらい刑罰はザルに水を満タンにさせる刑罰だそうです。あるいは犯罪を犯した者に重い石を山の頂上まで押し上げさせ、押し上げたとたんに石がゴロゴロと下まで転げ落ちる、その石を再び頂上に運ばす刑だそうです。やらされていることが永遠に形にならない、実らない、そのことがわかっていてやらされることほど人間にとって過酷な刑罰はないという逸話です。全く同じだというつもりはありませんが、私は少女のこの指導では学校に来るのを渋るのは当然だと思いました。おそらく何年にもわたって、彼女にとっては意味のない単純な計算をさせられてきたのではないでしょうか。そう想像しました。意味が分からなくても、健常児のように水がたまったり、頂上に押し上げた石が転げ落ちることなく積み重なりだんだん頂上が高くなった成果が感じられれば、自分の有用感を堅持することはできると思いますが、形になっていかないようでは小説で述べられていることと同じだと直感しました。そして、本当に意味のある学習に仕立て上げることを考えるなら、例えば、ためた水を畑の野菜にまき、野菜が育つ喜びを感じさせることができれば、学びの意味は学習者に感じられると思います。苦労して持ち上げた石で頂上が高くなり、頂上からの眺望がすばらしく感じられれば、学習の意義も感じられることでしょう。前号から述べていますように、障がいがある子どもたちも人間として生きたいという自尊心を持っていることを理解し、教育活動を考えることが絶対に必要です。

 観察後、担任の先生にこういうことをやんわりと指導させてもらいました。同時に、先輩から教えられたとおり、「机の上のドリルで訓練するのでなく、生活の中で自然の中で、学ばせることを考えたらどうか」と言わせていただきました。女の子ですのできれいな洋服を作らせたり、中学生ですので料理や洗濯体験などを通して、算数的なことを指導したらどうですか」と、助言させていただきました。短時間の相談で、どれだけ理解していただけたかは不明ですが・・・。

 このことを健常児の指導レベルで考えてみます。国の「学力調査」の算数で常に正答率の低い分野に割合の問題があります。子どもたちには理解しにくい分野であることはすべての教師が感じています。しかし、よくよく考えてみますと、商売をやっている方なら何割引きだとかいうことは、学校での勉強が苦手だった方でも大人になって難なく処理しています。どういうことでしようか? 私の父親は大正生まれでしたので小学校しか出ていませんでしたが、そういった類の計算はすべて暗算で処理していました。それに引き換え、大学まで卒業している私はというと、円、ドルが高い、安いなどを考えるのに、いちいち「どうやったけぇーなぁ?」と、思案しなければならないていたらくです。割合などは教科書で習うより、実生活の中で学ぶ方が身につく実例の典型的な一例ではないかと思います。

 数年前ですが、嶺南のある支援学校で研究会があり参観に行きました。業間の時間に高等部の廊下にいました。すると、一人の子どもがCDデッキを廊下に持ち出しラジオ体操を鳴らし始めました。数人の子どもたちはそれに合わせて整然と体操を始めました。指導する先生のいる様子はありません。しつけられたのでしょうが、自分たちでやらなければならないと思い自主的にやっているのです。私はこの子たちの小学校あるいは小学部時代を想像しました。二つの姿を重ね合わせた時、私は目頭が熱くなりました。日々の先生方の並々ならぬ地道なご努力が健常児の発達に比べれば遅れはあるものの、自分たちでやろうという姿勢を育てたのだと思った時、教育の地道な営みに大いなる感動を禁じえませんでした。

 ところで、この原稿を書いているときに新聞で感動する記事を読みました。どうしてもこの号で、書き綴っておきたいと思います。

重度の脳性まひを患い、22歳の今までずっと寝たきり。声も出せない。堀江菜穂子さんの詩集『いきていてこそ』(サンマーク出版)には苦悩が磨いた言葉が並ぶ。自分の体がほかの子と違うことに気づいて家族を恨み中学生の頃にはバラバラに心が砕けた。その心には「なん人ものわたしがうまれた」混乱の毎日だった。壊れる寸前の精神の危機を救ったのは、わずかに動く指で字を書くこと、中でも詩をつづることだ。誰にも伝えようのなかった「叫び」が一挙にほとばしり出た。作品は2千篇にのぼるという。詩集には54編が収められた。その一つを紹介する。こう始まる。「かなしみでんしゃ はっしゃします/かなしみはみな ごじょうしゃください」「かなしみでんしゃ はっしゃします/かなしみでんしゃのいくさきは/とおいとおい きたのうみ」。電車に揺られるのは詩人の悲しみだけではなく、すべての人の悲嘆だろう。「ゆきがちらつくそのうみで/はしのうえからおろされた かなしみたちは/うみにとけ でんしゃはからで しゃこにもどる」。人々を癒すように詩は結ばれる。「かなしみでんしゃ きょうもまんいん」と。
この後、記事は九州の豪雨による被災者への思いが綴られているが・・・。この後略す
(平成29年7月10日付福井新聞「越山若水」より)

 この事例は、まさに、私が前号で述べた「寝たきりの子の主体性をどう引き出すか。それが本当の教育だ」という実例であると思います。特別な事例だと言われればそうかもしれませんが、ズッーと考え続けて思いつくままに手当たり次第に取り組んでみれば、やがて適切な指導の方法を思いつくセンスが磨かれるように思います。「詩を書いたら」と示唆したのは学校の教師か親であるのかは新聞記事ではわかりませんが、堀江さんは詩を書くことと出会って生きがいをみいだしたのです。

 教育活動はこのように適切な指導内容であれば、子どもたちの能力や心を伸ばしますし、逆に不適切であれば、指導者の意に反して子どもたちの成長を歪めることになるのではないかと思います。障害児教育ではそのことを特段如実に教えてくれるように思います。自分では良かれと思ってやっていることでも実はよくなかったということが、私の経験の中でもありました。今まで、ブログでは私自身如何にもうまくやってきたことばかり書き連ねてきましたが、実はそうではありません。新卒以来、何度も失敗し、先輩たちに心配をかけ、子どもたちの心を傷つけ、保護者の方からおしかりを受けることも多々ありました。しかし、そのことを肝に銘じ、自分に言い聞かせて反省し努力してきました。

 30代半ば、張り切って取り組んでいました。しかし、数名の子どもたちはどうしても宿題をしてきません。連絡帳なども書かせ点検するなどの努力をしましたが、やはり忘れてきます。毎朝、起立させてガミガミ叱り続けていました。一方、実践はかなり実ってきていましたので自信もありました。6年生でしたので、私の授業について卒業前に彼らの率直な意見を聞きたいと思い、次のような意見を求めました。

 「もう、みんなとお別れだから、この二年間の先生の指導について、思うことを書いてくれんか。そういっても、気兼ねしていいことしか書かないと思うから、10のうち一つぐらいは悪いことを書いて」と頼みました。そうしたら、しっかり者のある女の子が次のようなことを書いてくれました。「私たちは毎日ちゃんと宿題してきているのに、一部のしてこない子を先生は朝からガミガミ叱り、それを毎日聞かされるのは嫌でした」。この記述を読んだ時、私は頭をガーンと殴られた思いがしました。同時に、しばらくしてその通りだなと深く反省しました。宿題を毎日欠かさずしてきている周りの子の気持ちなど考えるには思い至らず、ただただ宿題をやってこなかった子に対してねじ伏せてでもやらせてみせるという自分勝手な指導であったと反省しました。ましてやよくよく振り返ってみると、毎日鬼の形相でガミガミ説教をしていても一向に改善する様子もない指導をしていたことに気づかされ、恥ずかしいというか、情けなくなりました。それを12歳の子どもから指摘されたのですからなおのことです。このことを指摘されてからは、宿題の点検はしますが叱ることはやめ、「休み時間にやりなさい」という指示だけにとどめるようにしました。もちろん、宿題をやってくるように他の手立てを工夫する努力もしました。今でもこのことは時々脳裏に浮かんできます。子どもたちは毎日頑張って登校してきます。若いころの私は教師として、子どもたちに楽しい学校生活を与えてやっていなかったことを悔いています。子どもたちの気持ちを配慮する教育が大切だと考えさせられました。

平成29年7月21日

「学力と人格の一致」の授業 −障がいを持った子どもたちから学ぶ

 初めて3S学習に出会ってから、3S学習の本質を「焦点化→追求」さらに「学力と人格の一致」という構想に仕立て上げるにあたって、自分自身の中で大きなヒントにしたのが、障がいを持った子どもたちとの出会いや障害児教育の体験です。「障がい児教育は教育の原点だ」と言われますが、今の私はその通りだと思っています。それはどういう意味か、私の経験を通して、私なりの理解を今回述べてみようと思います。

 20代後半から、15年ほどを小浜小学校で勤務しました。そして、30代のすべての年度を研究委員会に所属し、当時の小浜小の授業研究推進役をしてきました。障がいを持った子どもたちとの初めての接点は「心身障害児理解交流学習」の文部省(当時は文科省でなかった)指定を受け、研究結果を近隣の先生方に発表したことです。当初、私にはなぜこのような研究指定校が実施されたのか、あまり意味が分かりませんでした。その後振り返って考えてみると、養護学校義務制の法律ができ、障がいを持った子どもたちにも義務教育として教育を受ける義務と権利を国が実質的に認めたのではないかと思います。海外では、障害があっても通常学校で学ぶのが当然という考えがすでに普及しつつある時代に、障がいを持った子たちにも教育を保障していかなければなりませんが、全員を直ちに通常学級で学ばせるには財政的にも指導面でも、現実的でないとの判断が政府・文部省にあったのではと思います。そこで、一歩前進の妥協案として各地に養護学校を設立し、子どもたちを広範囲から一か所に集めて教育を保障したと理解しています。今までは、障害を持った子どもたちは教育を受けられないまま家で放置されていたのを、改善できたことは一歩前進だと思います。しかし、本来なら地域の学校で健常児たちと交わりながら、教育を受ける権利がありますし、障がい児、健常児がともに同じ学校・教室で学習し、将来にわたりともに社会の中で生活していくことが理想です。にもかかわらず、ある面から言えば、障がいを持った子どもたちは地域の学校から離され通学しなければなりませんでした。遠くの子どもたちは一時間以上もかけて養護学校のスクールバスで通学をするというのが現実でした。当時は、嶺南地域で二つの種類の養護学校が、若狭町気山の美方高校の山手にありました。ですから、遠い子は高浜から通わなければなりませんでした。年齢の上の子には寄宿舎もありました。障害をかかえての長時間通学の実態を知った時、心底つらいだろうなと思いました。(現在は、そういった問題を少しでも解消するため、県は気山に一校、小浜に一校と改善されました)このように地域や健常児たちと離された環境で教育される欠点を補うための方策として、「交流学習」が考え出されたのではないかと思います。簡単に言えば、年に数回の出会いですので遊び程度のことしかできませんが、それでも、私たちは、小浜小学校の子どもたちには事前事後に障害のこと、障がいを持った子どもたちへの理解をうながす学習をさせました。まずはどんな学習をさせなければならないか、教員が勉強しなければなりません。指定を受けてしばらくして、養護学校の先進校を見学に行くことにしました。当時、昭和50から60年代、全国的に最高レベルの障がい児教育が実践されていると言われていた近隣のある県の養護学校に見学に行きました。大いに学ぶべきことがあると期待し数人の教員で行きました。すでに、私たちは、教育は子どもたちがうまれながらに持っている「主体的な能力」に依拠して展開されるべだという教育観を堅持し、3S学習の構築に日夜奮闘していましたから、当然、障がいを持った子どもたちの生き生きした姿が拝見できるものだと大いに期待を膨らませて訪問しました。しかし、残念ながら、その期待は失望に終わりました。

 一時間目、教室の隅で、指導者の一人がピアノを弾いています。7〜8人の子どもたちが先生に手を引かれて円陣を組みピアノのリズムに合わせて歩いています。歩くのに不自由でない子供たちもいますが、不自由な子どもたちもいますので手を引いてやらなければなりません。それは当然かとも思いますが、その時の私は子どもたちの表情を見て、今指導されていることをこの子どもたちは楽しく思っているのだろうかという疑問を抱きました。二時間目は体育館です。川や山に見立てたマットや跳び箱が並べられており、体育館の端から端までを子どもたちの体の状態に合わせて走ったり歩いたり、歩けない子はハイハイしながら、かけっこのようなことをする授業でした。自分で取り組める子どもたちには納得いたしましたが、疑問に思ったのは寝たきりの子への取り組みでした。横になったままの子どもの両脇を二人の先生がかかえ、「山を越えますよ。川を渡りますよ」と言いながら、ゴールに連れて行くというものでした。寝たきりの子もその子なりの参加をという、先生方なりの考えは理解できなくはありませんが、私にはその子の主体的な能力が生かされていないと思いました。寝たきりの子がこのような取り組みに参加すること自体が高度なのです。自分からよたよたしながら歩けたり、這ってでも自分で移動できる子ならいいとは思いますが、しっかりした理論的な裏付けのある検討がなされているのかと疑問に思いました。教育はやればいいというものではなく、正しい教育観、教育実践観の理論がなければ、自分の実践している授業が妥当かどうかを自分で自己反省し、改善していくことはできません。この授業には複数名の先生方がかかわっているのです。だれもそのことを指摘する人はいなかったのか、私のように考えている方がおられなかったということかなと思い落胆しました。

 この養護学校見学からはこのような授業を目指せばいいという理想の授業を見ることはできませんでしたが、障害があるがゆえに健常児ほどの主体的能力を持ち合わせていない障がいを持った子どもたちに「主体的な授業」をどう工夫したらいいのだろうということを、自分の今後の課題として確認できたと思います。一方、今までは自分のクラスの子どもたちを自分からあまりやろうとしない意欲に欠ける子どもたちだと否定的に見ていました。しかし、日常生活全般を振り返ってみると、給食の配膳、朝の会の進行など自主的にやれていることがいくつもあることに気づかされ、その能力はすごいことなんだと再認識させられました。その認識の極限は漢字の宿題を忘れてきて先生からガミガミ叱られ、「今すぐやりなさい」と言われれば、自分の意思を曲げてでも私の指示に従うという、ある意味すごい主体性を持ち合わせていることに気づかされました。このころから私の子どもたちへの見方や接し方は大きく変化させられました。自分のクラスの子どもたちはすごい主体的な能力を持っている、その能力を生かし切る教育実践が、私には実現できていないことを痛感いたしました。

 私は40歳前後に小浜小学校で特殊学級(当時は特別支援学級のことをこう呼んでいました)を2年ほど担当した後、特殊教育センター嶺南駐在の教育相談の仕事を担当することになりました。ここでは障害児教育の専門家や障がいを持った子どもたち、そのお母さんと交流し多くのことを学びました。ここでの経験は今の3Sの深化を実現するうえで大きく役立っています。教育相談の仕事は、主として小学校就学にあたって障害の程度を見極め、養護学校に行くか、特殊学級に行くか、通常学級に進学するかを保護者に決断してもらうよう相談する仕事です。そのため、子どもの観察・検査を行い、保護者、保育士、教諭から園児・児童・生徒の状態を聴取し、その判断をする専門家からなる「就学指導委員会」に提出する資料を作成し、委員会で説明をすることです。また、判定結果に基づき、保護者の方に判定結果通りに進学するよう勧める仕事でした。そのため、小浜市が経営していた母子通所施設「母と子の家」(保育園の年齢の障がいを持った子どもたちが母子で通園し、療育されているところ)にもよく出入りするようになりました。しばらくして、私は嶺南駐在の所員全員(5名)でここにお邪魔し、子どもたちを指導させてもらえるといい研修ができるのではと思うようになりました。そのことを園長先生にお願いすると了解が得られました。それで、1か月に一度全員で出向き、子どもたちの指導をし始めました。当初は子どもたちと遊んだり、お母さん方とおしゃべりをして帰ってきていました。しばらくして、きちっとした指導をして反応を見たいと思いみんなに相談したら、OKだったので実施に移しました。

 二つのグループに分かれて実施しました。私のグループはかなり重度の自閉症のお子さん(仮にA君とします)を指導させてもらうことになりました。指導者は私を入れて3人です。私より若いのですが、養護学校出身の男性の方とさらにもう少し若い女性の方です。A君は年中ぐらいでしたが、会話は全くなし、抱っこをしょうとすると嫌がり逃げ回ります。追っかけようものなら、タンスの上に逃げるか、物陰に隠れます。ですから、全く接触を拒否するので、指導の手掛かりがつかめません。3人でどんなことをするかを相談しました。私は上司で年上ですが、障がい児教育の専門家ではありません。障がい児教育の免許を持っているわけでもありません。ですから、養護学校出身の男性教師を常に立ててきました。もちろん、私に指導の主導権が回ってきたら、こんなふうにやってみたいと思うことは考えていました。まずは彼に主導権を譲りました。なぜなら、養護学校での指導の豊富な経験があり、どんな指導をするのかを見たいと思ったからです。彼は認知指導と称して、どこかから知能テストに似た訓練用具を持ってきて本児を個室に座らせ、机の上に用具を広げ訓練をし始めました。しかし、すぐに飽きてというか、意味が理解できなくて応じてくれません。二日間ほど挑戦しましたが、うまくいかない様子でした。私は当初から、内心このような指導では「無理なんではないか」と思っていましたので、彼が困惑しているタイミングを見て、「自分に一度させてくれんか」と遠慮がちに切り出しました。快く承諾してくれました。私には秘策がありました。今まで20年にわたる健常児の教育経験、そして、3S学習で培った教育観、上記で述べた県外の養護学校の見学体験から、のちのち障害児教育を実践する機会があったら、どういう授業をすべきかを考え続けていました。私の計画を同僚と「母と子の家」の保育士に説明し、了解を得ました。私の考えていた指導方法は当然A君に備わっている自分からやろうとする主体性をどのように生かして指導するかです。当時、文科省は「新学力観」なる新しい教育観を主張し始めていました。子どもたちのなかに眠っている一人一人の「良さ」を引き出す指導が子どもの教育では大切だといい始めていました。「良さ」を引き出すには今までの指導方法の既成概念を取り払わなければならないと言われていました。「教室の壁」「指導者の壁」「教材の壁」などを打破し自由な発想で、その子の「良さ」を引き出す授業の創造を求めていました。長年の教師経験でも、何度かそういう経験をしてきましたから、この文部省の主張は、その時の私には「その通りだ」と納得していました。それで日々の実践をこの発想で考え続けていました。男性教員の指導でA君が応じないのは、教室の椅子に座らせてやらせようとしているからだと考えていました。教室での指導が困難なら、発想を変えて教室外でやればいいではないかと考えていました。でも、教室の外で何に取り組ませたら、私のねらいとする自ら取り組もうとするかです。教室での抱っこや図形認識の訓練には応じなくても、おなかがすいたら、ご飯は自分から食べようとします。それと同様、自分が必要だと思えば求めてくるはずだと考えました。そこで計画したことは、園から数百m離れた南川の川岸に積まれたテトラポットの上にのせ、私が少し前方にいて、「こっち来な」と導きの合図をすれば自分の方へ来るだろうと思いました。そして、体が傾きこわかったら、私の差し伸べる手を握ってくれるだろうと想像しました。実際にやらせてみると予想通りになりました。自分がやばいと思ったら、私が差し出している手を自分からつかんできました。指導の場を工夫し、本人の主体的な行動が引き出せる環境をセットすることで彼の主体性を引き出すことができたと、私は考えています。ここに2〜3回ほど通いました。そろそろ別の所でやろうと思いました。我々が子どもの時から親しみを込めて呼んでいる、近くにある数百mたらずの山「愛宕さん」に連れて行くことにしました。私の実践したテトラの取り組みを聞き、もう一組も「行きたい」と言い出し、結局全員でいくことにしました。

 ところで、今度の「山」という環境がAの主体性をどう引き出し、我々との接触が図れるのかを考えてみます。テトラの場面と類似しているところは多いのですが、山は道の部分と藪の部分が明確にわかれています。道の部分は上に向かって方向性を示していますからそのことを彼は理解し、上の方向に登るだろうと思いました。危ないところではテトラの時と同じように手を出せば握ってくるだろうと考えたのです。私は彼より少し前を歩き、「がんばんなよ」と声掛けしながら進みました。途中何度か危ないところでは手を差し伸べたら握ってきて、彼から支援を求めました。私が手で引っ張って強制的に歩く必要もなく、ゆっくりですが中腹まで登り切りました。この山での活動も2回ほどで終わりました。

 私もこのポジションでの勤務を終え別の場所に異動になりましたので、さらに継続して取り組むことはできませんでした。このようなことを続けていけば、私との接触も拒否することがなくなり、自然に手をつなぐような、身体接触をさせてくれるだろうと思いました。この経験から、私は教育の本質的な在り方を学びました。一つ目に、「主体的」に育てるということは直接子どもたちを引っ張り上げるのでなく学習環境を整え、彼らが自ら学ぼうとするように学習環境を工夫していくことが指導者の役目ではないかと思うようになってきました。この考えは、今3S学習で何度も言い続けている課題を与えない授業や子どもと心をつなぐことが大切だという教育実践観の構想確立に影響を及ぼしていると思います。二つ目に、障害があり、知的年齢が遅れているということは、たとえ6歳であったとしても、2歳とか3歳ということになります。だとすれば、レベルを下げた小学校の知的訓練的な方法もいいのですが、考えようによっては知的レベルは低くても、生活年齢は障がいを持った子ども健常児も同じ年月を生きてきています。すなわち、2〜3歳の健常児の子どもとは発達状態が同じではないということです。ここではこれ以上詳しくは述べませんが、(次号で実例を述べます)その子の発達状態を十分考慮し、学習のあり方を工夫することが求められていると思います。結論的には、遊びや生活体験の中で知的発達や社会性の伸長を考えた方がいいのではないかということを、上記の実践から主張したいのです。

 ある時、市内の小規模校の校長をしていた時のことです。特殊学級がありました。3人ほど児童がいました。その中に男子のダウン症のお子さん(B君とします)がいました。赴任早々、時々遊びに行きました。ぐいぐい積極的に三人にかかわっていきました。2人は喜んでくれたのですが、B君だけは、相性が合わないと本人が感じたのか避けるようになりました。私は内心読み間違えたと思いましたが仕方ありません。こうなると静観するしかありません。2月の節分の時期が来ました。隣に保育園があるので、担任の先生と相談しました。「鬼の姿をして豆まきに行き、暴れまくってこよう」と計画をし、保育園の了解をとりました。

 当日朝から鬼の姿の準備をしていると、当初は、「行かない」と言っていたその子も、「やりたい」と言い出しました。どんな心境の変化かはわかりませんが自分から言い出したのです。私と担任はしめしめと思いながら、「保育園の子を脅かすぞ」とか、「暴れまくるぞ」と言いながら、みんなでウキウキしながら準備をして、保育園に乗り込みました。「ガオーッ、ガオーッ、食べてしまうぞ!」と、大声で叫びながら暴れまくってきました。逃げ惑う園児を見て、うちの子どもたちはとても面白かったのでしょう。帰ってきても満足そうでした。ところで不思議なことに、その日以来、B君は、私が学級に行くと遊びの相手になってくれるようになりました。私の性格を彼が理解し受け入れられるようになったのだと思います。この経験も私にとっては貴重な経験です。健常児では教師との関係を推し量る能力があるので、普通はこんなに如実に変化を見せることはありません。いかに子どもと心を通じ合わせることが教育・保育活動を成立させるうえで大事な要素であるかをつくづく思い知らされた経験でした。

 若狭町上野にあるみそみ小学校(当時は三方町第三小学校)の前に、以前南部保育園がありました。自動車の免許講習をするところを数100メートルほど敦賀方面へ行くと、陸橋がありますが、そこを左に折れたすぐの所にありました。その保育園から、教育相談の依頼がありました。数回行きました。

 少し発達の遅れがあるようだという女の子(Cさん)を紹介されました。年中さんでした。動きは緩慢で、見るからに少し発達が遅いように見受けられました。顔の表情もあまり生き生きしていません。会ってすぐ思ったのは、「ずいぶん厚着だなぁ」と思いました。担任や園長先生から様子を聞きました。その中で、「なんであんなに着ているのですか」。「おばあさんが風邪ひくとあかんから着せているようです」と保育士から聞かされました。冬場とは言うものの、何枚も重ね着されています。長ズボンの下に毛糸のパッチまで履かされていました。私は即座に、「あんなに来ていたら、暑くて汗かくし、動く気しないでしょ。家の方に説明して薄着にしてもらってください」と助言しました。元気な子は半ズボンの子やスカートの子もいます。上もせいぜい1〜2枚程度しか着ていません。室内はストーブもありますから寒くはありません。保育士さんがどう説得したかしれませんが、次回訪問した時は少し薄着になっていました。知能テストなどもしました。少し遅れ気味かなと思いましたが、クラスの中で活発にかかわらせていけば、それなりに発達をうながすことができると思いました。そこで園長さんに頼んで、年中児全員を園外に連れ出す許可を得ました。「園外に出るとき、いつもはどこへどんなふうに連れて行きますか」と聞くと、「近くの公園へ、二列に整列していきます」とのことでした。私の頭の中にはどのような郊外指導をするか、構想がありました。年中の子どもたち25人ほどを二列に並ばせ、陸橋を渡り、山の方へ向かいました。先頭が私で、後ろに担任の若い女の先生に付き添ってもらいました。しばらく歩くと、もう、車の来ない広場に来ました。二列に並ばせて歩く必要はありません。少し向こうに冬の田んぼが広がっています。田んぼの前に一本の大きな木が生えていました。200mほど先だったと思います。子どもたちに、「あの木の所まで、よーい、ドンで走るよ。誰が速いかな・・・」と指示しましました。「よーい、ドーン」との私の声で走り出しました。私も負けじと、先頭に近いところで走りました。速い子は実に速いなと思いました。案の定、C子も後ろの方から、よたよた走ってきます。体を巧みに動かすことが、おしゃべりをしたり、みんなと遊べたり、ご飯をがぶがぶ食べたり、知的発達も促します。変わったことをして子どもたちの能力は伸びるものではありません。普通のことを普通にさせてないことで、遅れを見せている子はかなりいると思ってきました。全員が木の所まで来ました。子どもたちは「ハアハア」息を弾ませながら、生き生きした表情を見せ始めました。「一番速かった子、だれ?」。くちぐちに「OOちゃん」。「そうか、OOちゃんが一番速かったの、がんばったな」。その子は男の子で運動の得意な体つきをしています。私はその時ミッキーマウスの帽子をかぶっていましたので、「僕が今度は先生に代わって、リード役や」と言いながら、「この帽子かぶってな」と、ミッキーの帽子をかぶらせました。とてもうれしそうにしています。目の前には田んぼが広がっています。しかし山裾の田んぼですので、畔の落差が1〜1.5mほどあります。「今度はあの畔の上に上がるんやで。のぼれるかな?」。「のぼれる!のぼれる!」という子と心配そうにしている子がいます。「よし、登れ!」みんな必死で登ります。当然、予想はできますが、すぐに登れて、「登れた!」と行って喜んでいる子と、ずり落ちてなかなか登れない子がいます。登れない子はどうするかなとみていると、早く登れた子は、まだ登れない子に上から、「がんばれ!がんばれ!」と励まし始めました。こんな小さな子でも、友達のことを考えて励ますことができるのだと改めて感動しました。やがてほとんどの子が登りました。数名の子はどうしても登れません。どうするかなとみていると、できる子が手を差し伸べて援助し始めました。「手につかまって!」とか言いながら引き揚げようとします。そして、ようやく全員畔の上に上がりました。「ミッキー!先頭に立って山の方へ行って」と指示すると、意気揚々と歩き始めました。「みんなこんなところ歩いたことある?」と聞くと、「ない、ない」と言います。大体、そうなんです。アスファルト舗装の歩きやすいところしか歩かせていません。しかし、子どもたちは自然な歩きにくいところが好きなんです。子ども心がわかっていないと喜ばせてやることはできません。大人の感覚で育てては子どもらしい子どもには育ちません。山裾に着くと、きれいな水が流れていました。雪解け水で、冷たいきれいな水でした。長靴のまま入ったりして、水の流れの速さを楽しみ、園に帰ってきました。この実践から、子どもたちは私の指示に従えることが分かったので、第二弾は大きな冒険計画を考えていました。そして、C子の変容を図れないかと賭けに出ようと目論んでいました。

 構想を園長先生に説明しました。それは、南部保育園から歩いて三方駅まで行き、一人ずつ切符を買わせて汽車に乗り、十村駅で降りて歩いて園に帰ってくるという、子どもたちにとっては大変な冒険旅行です。6km以上はあろうかと思います。「いつもはどのくらい歩かせていますか」と、園長先生に聞きました。「近くの公園まで、500mほどですかね」との返事です。園長先生の顔からは無理ではないかなという思いが読み取れます。もちろん、私も内心、Cさんだけではなく、他の子さえも行けるかなと心配になってきましたが、ここであきらめたら、この保育園の状況や目当ての子どもの変容を実現させることはできません。園長先生は心配そうに、「無理なんでは・・・」との反応です。「やっぱり、そう来たか」と内心思いながら、どう説得するか考えていました。「園長先生、やってみなければわかりません。無理だったら途中から折り返すので、何とか取り組ませてもらえませんか」と粘りました。しばらくして、「わかりました」との返事をいただきました。「ところで、子どもたちが最も疲れない歩き方はどんな歩き方ですか。二列に並んでいくか、みんなバラバラで歩くか。それと国道じゃない、車のあまり通らない裏道はありませんか」と聞きました。バラバラがいいと教えてもらい、裏道で行けることもわかりました。また、当日は園長会で、最初から引率できないと心配そうに話されました。主任の先生が担任以外に付き添ってくださることになりました。前日、このことを子どもたちに説明し、みんなで励まし合いながらやり抜こうと、激をとばしました。もちろん、どれぐらいの遠さなのかは子どもたちは具体的に想像はできていません。遠いんだなぁぐらいです。それより園外へ出られる楽しみで、うきうきしていました。また、十村駅までの切符を自分で買わせるために、「十村駅までの切符、子ども一人ください。」と一人ずつ切符を買わせる練習をしました。ほとんどの子が言えましたが、本番は緊張するからその通り言えるかが勉強です。

 さて、当日の朝、子どもたちは張り切っていました。楽しいことが待ち受けているだろうことを予感しています。前回、田んぼ・山裾の経験があるからです。さあ、出発です。先頭には地理に詳しい保育園の先生にリードしてもらいました。しばらくすると先頭と最後部は大きく離れだしました。三方庁舎横の所で、全員来るのを待つと約束していました。遅いグループは休み休み歩きました。目当ての子どもは最後部で、ようやく三方庁舎につきました。相当疲れています。休んでいると、園長会を終わられた園長先生が心配顔で見に来られました。本児の様子を見て、「Cちゃん、車に乗せて、駅まで行こうか」と言いだされました。私はそれを聞いて、「園長先生、それだけはやめて。駅までもう少しだから、休み休みでも、みんなと同じように全部歩かせて」と懇願しました。ここまでがんばらせて歩いてきてあと少しの所でCさんだけ車に乗せたのでは、今までの努力が水の泡になります。本人の変容を実現できません。本人に「歩けるやろ?」と聞くと、「歩く」とはっきり主張してくれました。いろんな理由で遅れがちな子でも、みんなの中では「がんばらなくちゃ」という自尊心を持ち合わせているものです。その自尊心をうまく利用し、つらいことにも挑戦させていくことが、保育・教育の指導のコツです。しばらく休んでから再出発です。先頭を歩く子どもたちはほとんど疲れを見せていません。元気なものです。駅が見えてくると走り出す子もいました。ようやく全員三方駅につきました。私たち指導者は内心ホッとしました。次は子どもたちにお金を渡して、自分で切符を買わせます。スラスラ言える子もいますが、緊張して、「一人子どもください」と、ちんぷんかんぷんの子もいます。すぐに言えずに、もじもじしている子もいます。横で支援しながら、駅のおじさんから切符を受け取るとほっとした、満足げな表情を見せます。電車が入ってきました。あまり乗ったことのない子もいて、うれしそうでした。十村駅につき、1kmほど歩いて園につきました。みんなほっとした、やり遂げたという表情です。全員到着、みんなで「バンザーイ」をしました。ひと休みし昼ごはん、全員おなかがすいているのでガツガツ食べています。もちろんCさんもおなかがすいていますから、おいしそうに食べていました。

 数日後、園に行くと園長先生や担任の先生が、私に「先生、あの子すこし変わってきました。自信を持ったのか、積極的になってきました」と、うれしい報告を聞くことができました。また、「園全体でも、外出の時はあの時以来、1〜2キロと距離を伸ばし、遠出するようになりました」と、先生方の保育の考え方や仕方に変化がみられるようになってきたと思いました。園内保育で満足せず、大きなことに挑戦させ子どもらしさを発揮させれば、心身ともにたくましく育つと思いました。もちろん家庭ではこのような困難なことは、親に甘えてできることではありません。友達みんなが頑張るから、つらくても僕も私も頑張らなくちゃというのが、集団生活、他人の指導者に子どもの保育、教育をまかせる意義があるのだと思います。子どもたちには精いっぱいの背伸びをさせ、やらせきれば自信がつき、次も頑張ってやってみようと思うのではないかと思います。

 これらのいくつかの実践から学習の場を工夫し、彼らが奮発して自分からやろうとする、そういう指導が本当の保育・教育活動のあり方ではないかという教育観を、私は内心ますます強く確信するようになりました。これらの体験は、私にとっては障害を持った子たちや遅れがちな子どもたちもここまで頑張れるんだ、ましてや私が今受け持っている健常児の子どもたちは、もっともっと自分たちで考え自分たちでやれる力があるはずだから自分たちでやらせればいいんだ、指導者が丁寧に指導しすぎているのではないかと、指導観を180度反転しなければという思いを強く持つようになりました。自分たちでやれないこと、やらせられないこと以外はすべて自分たちでやらせればいい、学習もまずは自分で考えて当たり前じゃないか、何で先生が教えなきゃならないんだという思いを強く持ち始めました。

 教育は子どもたちの主体的能力を生かし切ること、子どもたち自身が伸びようとする力を発揮できるように配慮してやること、この観点で日々の授業を工夫することが大事であることを、私は障害児教育を通して確信しました。「障害児教育は教育の原点である」、この認識が当初小浜小学校で出会った3S学習を深い学びの授業構築へと導いてくれたと思っています。

平成29年7月10日

「学力と人格の一致」の授業 −基本的な学習内容は全員に徹底して指導すべき

 先日、市教委主催の英語科の研修会を実施しました。毎年数回集まっています。中学校の英語科の先生方に集まってもらっていました。中心になってこの会を運営していただいていますのは市内で教頭をしている英語科の先生です。私は教育長として、あいさつをさせてもらいに出席しました。

 ところで、国や県の学力テストの結果で、毎年、中学校の英語が他の教科より常に悪いので、以前から心の中で気にしていました。「何で毎年英語の点数が悪いのだろうか」と。そういうことを話題にしました。順番に先生方の思いを聞いているうちに、会長さんから、「単語の定着率はどの程度だと思われます?」と質問され、二校の1から3年生の定着率を順番に聞かせてもらえることになりました。定着率の最も悪いのは3年生で50%ぐらいだと聞き、がっくりしました。皆さんはどう思われるかわかりませんが、50%では英語の点数がよくないのは当たり前だと思いました。

 私たち市教委は主体的で深い学びのある授業を実践してほしいと先生方に呼びかけてきました。同時に、基本的な知識習得はすべての児童・生徒に100%習得されるよう努力を求めてきました。しかしながら、残念な実態を聞かされました。でも、子どもたちを直接指導されている先生方から実態を聞けたことは今後の授業力向上のよきヒントを教えていただけたと思っています。

 私が30代の時、当時勤務していた小浜小学校でのことです。立派なプールがあるのに、全員泳げないまま子どもたちが卒業していくのを目の当たりにし、私自身憤慨していました。夏休みにも泳げない子を毎日呼び出し泳げるようにしました。その結果、みんな泳げるようになることを指導者として体験しました。その延長線上に6年生の時、海での遠泳(500m)を小浜市で初めて取り組みました。もちろん、戦前は小浜市でも実施していたと思いますが・・・。「やればできる」という教育の鉄則みたいなものを会得しました。と、同時に、みんながよいと思うことは自分が動けば、みんなに協力してもらえるという(この時は全校の職員であり、保護者や地域の方々でしたが)世の中の法則みたいなものも学ばせていただきました。

 このような経験から、子どもたちの集団の士気を高め能力を向上させるためには、単純なことですが、「全員がOOOをやり抜こう」というスローガンを掲げて努力させることだと理解しました。体育面だけでなく、漢字の習得や百マス計算、詩の暗記などです。このような「できていない」、「できた」という単純な内容は中途半端な取り組みでは効果は現われてきません。最後の最後までやらせきることがクラスの士気と一人一人の子どもの変容を実現することになるんだということを知り尽くしてきました。教師と子どもの忍耐強い戦いです。どちらかというと、教師が根負けして途中であきらめるので成果がきちっとだせないことを、私自身の失敗からわかっています。それで、絶対にあきらめてはいけないという強い決意で取り組みに臨んできました。すでに、このブログにもいくつか実践例を掲載させていただいています。ポイントは最終的には個別指導の工夫です。

 退職前の二年間は今富小学校の校長をしていました。国語の授業を時々させてもらっていました。宮沢賢治の「やまなし」を十数時間授業しました。途中、『雨ニモマケズ』の詩を暗記し、覚えられた子から校長室に来て私の前で暗誦します。全部言えれば、私から「はい、合格です。ご苦労様でした」と認められます。子どもたちは一瞬ほっとした表情と合格を認められた達成感で表情が和みます。この詩は短いので、すぐに暗記できます。遅い子でも、2〜3日で全員合格しました。次に与えたのは『永訣の朝』という詩です。ものすごく長いので、覚えるのには相当な努力を要します。暗記は簡単そうに思えますが、この詩のように長いものを覚えるためには、本人の覚えようとする意欲的な意志や姿勢が必要です。何となく覚えられるものではありません。頭を意識的に起動させなければ覚えられません。車で言えば、アクセルを踏み、スピードを加速させるように脳を働かせなければなりません。暗記力のある子は本人に任せておきましたが、暗記力のない子、今まで、暗記の訓練を受けてこなかった子どもたちにとって,長い詩を一気に覚えるのは困難です。そのため、今回は手立てを教えてやりました。区切りのいいところで、何回かに分け暗記するよう助言しました。部分部分が覚えられたら、その都度私の所に来て、「はい、いいですよ」という達成感を持たせながら、最後には全範囲に挑戦させます。早い子は一日で覚えてきましたが、遅い子は10日以上かかりました。それでも根気強く付き合い、暗記できました。努力を褒めてやることができ、本人も私もうれしかったです。

 話は少しそれますが、認知症予防には小学校1〜2年生程度の足し算・引き算のドリルや漢字の読み書きなど、単純な学習の繰り返しが利用されていますが、それは短時間でものすごく脳をフル起動することがわかっているからです。私もある時、学校に出勤してすぐにドリルに取り組みましたら、前頭葉のあたりがカット熱くなり、しばらくすると、脳がスカッと目覚めだしたなと感じる体験をしました。老齢の我々でさえそうですから、若い成長力のある子どもたちには単純な学習を軽く見ることなく、一定の期間集中的に訓練することで、暗記力の向上や脳の活性化が図られるのではないかと思います。

 最初の英語の単語の習得に話を戻します。結局、小学校の適切な学年段階から暗記することを訓練していないと、中学校になって数多くの単語を暗記させようとしても、暗記力も鍛えられていませんし暗記する気力も育てられていませんので、子どもたちには、暗記が思うようにできないのではないかと思います。もちろん、中学校は中学校の責任において単語の暗記に努める工夫をするべきですが、小学校のうちからその基礎能力を育てていくように努力していく必要があるのではないかと思います。

 最後に、校長先生方、管理職の方々にはこのような学習の重要性をしっかりと認識していただき学校運営上に位置づけ、子どもたちの学力向上につなげていただきたいと思います。

平成29年6月1日

「課題を与えない授業」の実践を考える −具体例 その1 6年社会科から

 平成28年度市内の小学校で社会科の授業を参観しました。参観した授業は「課題を与える授業」でした。この授業の参観に触発され、教師用指導書(赤本)の授業展開例を調べてみました。当然指導書の授業の流れは「課題を与える授業」です。そこで、私が希求している「課題を与えない授業」構想と比較しながら、二つのタイプの授業がどのように違ってくるかを述べ、教員の皆様の今後の授業構想に一石を投じられれば幸いだと考えています。

 教科書を準備してください。『新しい社会6上』(東京書籍)P108〜P109(板垣退助と自由民権運動)です。まず赤本から授業の展開例を抜き出してみます。

学習の流れ

政府の改革に不満を持つ人々の行動について調べる。
T
不満を持つ士族や農民はどのような行動を起こしたのだろうか。
C
戦争をした。
C
政府に伝えた。
T
反乱からどのような行動に変わったのだろう。
C
言論で主張するようになった。
反乱から言論で主張するように変わってからの、板垣退助と自由民権運動について調べる。
T
自由民権運動とは、どんな考え方の運動だろうか。
C
国会を開くべきだ。
T
政府が自由民権運動を取り締まる様子を模擬演説会で表そう。
C
弁士−国会を開いてほしい。
C
警察官−演説をやめろ。
C
聴衆−自由民権運動を広げよう。
自由民権運動の広まりに対する感想や意見をまとめる。
T
自由民権運動の広まりに対する感想や意見をノートにまとめよう。
C
運動が全国に広まり、国会開設を約束することができた。言論の力が政府を動かした。
T
国会開設の約束は、果されたのだろうか。次の時間に調べていこう。

 この授業の展開から設定された本時のねらいは

政府に不満を持つ人々の行動が反乱から言論へと変化していったことを、国会開設を求める板垣退助の願いや行動と関連付けて考える。

です。この赤本に書かれている指導過程は紙面の制約があるので、書かれた方のことを考えると、そのことを考慮して、この後、私の意見を述べていかないと不公平になるとは思っていますが・・・。

 他方、私の考える「課題を与えない授業」で教材分析した授業の構想を提示してみます。P108〜P109と言えば、すでに、数か月の歴史学習を進めてきているので、本来なら数か月間の積み重ねの「ひとりしらべ」→「みんなしらべ」として展開を想定したいのですが、ここでは初期段階として、どのような「ひとりしらべ」→「みんなしらべ」になるのか、述べてみます。

 基本的には、文章や周りの写真・資料を見たり読んだりして、まずは思ったこと、考えたことを自由にひとりしらべをさせ、ノートに書かせます。訓練されていれば、「P108からP109をひとりしらべしてください。」と言っただけでどうひとりしらべするのか、子どもたちは理解していますが、当初は当然のことながら理解できていません。そこで、理解できるように手ほどきしてやらなければなりません。教え方としては、例えば、

T
P108の本文1行目〜5行目を読んでください。
P
(子どもが読む)
T
思ったこと、考えたこと、分からないこと、質問などをノートにひとりしらべをしてください。やることはわかりましたか。(質問があればひとつひとつ丁寧に答える。)
P
はい
T
それではやってください。

このようにひとりしらべの仕方を指導します。数分間時間を取った後で、

T
では発表してください。

 最初はこのように一部分ずつでやり方を指導し、一回目で理解できれば、「残りもこのように部分ごとに、さらに写真や資料についても同じように進めていけばいいんだよ」と指導します。

 そこで、以下この2ページの範囲で、私が子どもだったらどんなひとりしらべをするかを書き連ねてみます。また、子どもたちの発言予想に対して、教師としての受け止め方、さらに追及していきたい意図なりを「教師の胸の内にある意図」として記述してみました。

(P108)
本文1行目〜5行目

  • (児童の意見)
  • 政府による改革で多くの士族は職業がなくなれば、生活に困るな。時代が変わるということは人々にとって大変だ。
  • よくなるはずの民衆の生活も楽にならないということはみんなにとって大変。
  • さまざまな負担って、軍隊に入れられることや地租改正のことかな
  • (教師の胸の内にある意図)
    子どもたちはこんなことを発言するだろうが、教師としてはひとりしらべの仕方の質を上げることを意図して、子どもたちとのやり取りに臨むことが必要です。もちろん子どもたちの発言の流れに乗ってですが。
  • 政府による改革とはどんな改革だったかな?(以下、太字の所は教師の追加質問です)
    教師から追求する。復習ですからすぐに答えてほしいのですが。正解であれば、「そうですね」と同意してやればいいのですが、答えられなければ、もう一度以前を振り返って確かめる必要があります。こういう追求をしておけば、理解力の高い子からひとりしらべできちんと意識し準備しておくようになります。このような学習の仕方がテストで対応できる能力になると思います。
  • 「多くの士族は…収入を失い」とは「多くの士族ってどういうこと?」反応が鈍ければ「士族全員だったの?どう思う?」
    当初はここまで厳密に子どもたちは考えていませんので、この追求には戸惑うと思います。しかし何度かこのような洗礼を受けてくると、理解力のある子から対応を示せるようになってきます。文章の裏や文章を厳密に読むことができるようになってきます。すると、学習に対する興味を持ってくると思います。その過程で、時々教科書が子どもたちにとって分かりにくかったり理解できないところがあったりすることに、教師も子どもたちも気づいてきます。今まではそういうところを素通りしてきたということです。理解力の低い子ほどそうなのです。その現実を教師は知ってほしいと思います。説明が飛躍している部分や理解しづらいところはどうするかです。理解の高い子や教師が答えてもいいですが、子どもたちに教科書会社に電話をして聞かせるよう仕向けるのもいいと思います。担当者は丁寧に答えてくれるはずです。子どもたちからの生の指摘は教科書の欠陥の改善にも役立つので一石二鳥です。
  • 「さまざまな負担とはどんな負担」、子どもが項目だけ答えたら、再度、「具体的に説明して」と、厳密に迫ります。一般的な言い方でなく具体的に説明できてこそ、分かっていると判断できるのです。わかっているか、いないか、教師も子どももはっきりさせるところから授業が始まると思っています。こういうやり取りをする中で書いてあることを抜き出して答えるだけでなく、自分の頭で場面を想像し自分なりの解釈をし、分からないこと、疑問に思うことも含めて、その数行の文章に主体的にかかわっていくように指導をしていきます。そうすると、それぞれの子どもの個性的な考えが表出されてきます。その発言を聞き、それに対して他の子どもたちが自分の意見をぶつけていける学習が成立させられれば、子どもたちはすごく意欲的に楽しみながら学習に向かうことは間違いありません。

本文6行目〜11行目

  • (児童の意見)
  • 反乱を起こすのは当然。しかし、進んだ武器を持った政府軍に鎮められたのではどうしょうもない。言論で主張しようとするのは賢いやり方だ。
  • すべて抑えられたのでは反乱はあきらめざるを得ないだろう
  • 不満を持つ士族というなら、不満を持たない士族もいたのだろうか。どんな人だろう
  • (教師の胸の内にある意図)
  • 「進んだ武器、政府軍に鎮められたってどういうこと」
    こういう教師の追求質問で具体的に理解させると同時に、『西南戦争』の絵とこの部分の文章を関係づけて答えることになりますので、複数の資料を関係づけて自分なりの考えを主張していけばいいのだということを指導できると思います。近代的な武器=鉄砲と伝統的な武器=刀について説明します。当然、この説明の先には「それなら西郷軍も近代兵器を使ったらいいのに、どうして使わなかったのか」という方向に、子どもたちの疑問が深められることを望んでいますが・・・。
     また、鎮められたから、それでは言論でというように急にやり方を方向転換できるものなのだろうかという疑問を持つ子どもはいないだろうか、期待したいと思います。そういう発言があれば、「なるほどなぁ。それはいい疑問だね」と、鋭い指摘をみんなで納得してほめたたえたいと思います。しかし、この後、この疑問を子どもたちはどう説明するだろうか、教師としてはとても興味があります。常に考えさせるように考えさせるように仕向けます。「深い学び」のためにです。
    「不満を持たない士族・・・」は前項で述べたことと同じように対応できると思います。

本文12行目〜16行目

  • (児童の意見)
  • 言論を国会という方法で実施しようとするのはかしこい考えだ。外国から学んだのだな。自由民権運動が広がっていくのは当然だ。
  • 政府は士族や民衆を抑える立場の人ではなかったのか。なぜ、自ら話し合いをする場を持とうとするのかな。政府のなかにもそういう先進的な考えを持つ人がいたのかな。
  • 国会ってどんなものなのかな。みんなで話し合う会議の場なのかな。
  • 「ことば 自由民権運動」は民衆の意識が以前よりは変化してきたのではないか。

(教師の胸の内にある意図)
「国会」「憲法」はわからないと思います。子どもたちから質問が出てきてもいいように思 います。「国会」のことは『板垣退助』の所に記述してあるので気づかせたいが、「憲法」 の方はどこにも記述して無いように思います。どうするか、考えておきたいと思います。 政府の中から、なぜ国民の意見を聞こうとする人が出てくるのかは疑問に思ってほしいと思います。大人は何となく経験的に理解していますが、子どもは普通そこまで考えないと思います。だからこそ、教師はそこに突っ込みを入れ、説明を求めるといいと思います。 その結果、社会や政治の世界の特性というか、躍動的な動きを理解させられれば、子ども たちは社会科の学習を面白いと思うだろうと思います。福沢諭吉などの西洋思想が影響を 及ぼしてきているのではないかぐらいは指摘させたいです。

(P109)
(児童の意見)
本文1行目〜4行目

  • 政府の中に板垣退助のような民衆の声を取り入れようとする人もいるが、政府全体としては国会開設に対しても、弾圧しょうとするのだな。なかなかみんなの意見は聞いてもらえそうもないな。
  • 自由民権運動の主張は政府にとっていやなのだな。なぜなのかな。どんなことを主張したのかな

(教師の胸の内にある意図)
板垣退助みたいな人もいるのに、何で、政府は言論を弾圧するのか、ここに素朴な疑問を持って当然、子どもなりの考えを聞いてみたいと思います。
政府が弾圧する理由が具体的にわかっていなければ、理解は上滑りです。どの程度まで理解させられるかは別として、「なるほど、そういう理由か」と、具体的に理解させていくことが大事だと思います。このような思考訓練を毎時間させます。その結果、やがて自分なりに納得いくまで追求しようとする学習態度が形成されると考えています。

本文5行目〜7行目

  • (児童の意見)
  • 政府がどんなに弾圧しても、大勢の人が主張したら、要求は通ったのだな。すごいな。みんなの力は。今の日本にすこし近づいてきたみたい。
  • どんな国会が作られるか楽しみだ。民衆の意見が本当にとおるのかな?

(教師の胸の内にある意図)
「大勢の人が主張したら要求が通るとはどういうことなのかな」と、聞いてみたいです。さらには、さらりと国会開設を認めたように教科書からはうかがえるが、どうなのかな?こういう問題提起を子どもたちにはしておきたいと思います。そうすることで、国会開設が具体的にどんな内容かはっきりしてきたとき、政治の世界の論理が少しは理解させられるのではないかと思います。良くも悪くも、政治の動きに興味を持つ子は確実に出てくると思います。

  • (秩父事件)
  • しばらく前までは物価が上がったといっていたのに、なぜ、西南戦争後は繭や米の価格が下がったのかな。
  • 弾圧されながらも、その裏では徐々にいい考えはみんなに理解されていくのかな。

(教師の胸の内にある意図)
物価の上下の件は教科書からはわからないと思います。わからない所はわからないと指摘できる能力を子どもたちに体得させたいと思います。それが本当に分かろうとする学びの姿勢になっていくのではないかと思っています。
いい考えは理解されていくとはどういうことか、追求したい。道徳科と重なるが、人間の歴史における幸せの希求や平和な世界を、人々は求めてきている事実を認識させる機会になると思います。

  • (北海道・沖縄)
  • アイヌの人々は自分たちの土地をとられ、日本名にされたのでかわいそうだ。琉球も、一方的に沖縄県にされたのではかわいそうだ。時代ってそんなもんなんかな。

(教師の胸の内にある意図)
アイヌ人と沖縄の人たちへの当時の本土政府の人権抑圧政策が明確に理解できる記述であると思います。できれば、アイヌ民族や沖縄の歴史を人権学習として、別の時間に指導してみるといいと思います。毎年、文科省の外郭団体編纂の『アイヌ民族・歴史と現在』というような人権学習向きの冊子が現場には配布されています。読まずに捨てるのでなく、是非、積極的な利用をしたいものだと思います。そうすれば、子どもたちにアイヌや沖縄の文化・歴史に興味・関心をもち、どう理解すべきか、子どもなりに考えてくれると思います。

(全体的に)

  • (児童の意見)
  • 民衆は自分たちの生活がよくなるように努力するが、そのたびに弾圧されるのはむごい。でも一歩ずつ進むのだと思う。
  • 表面的には負けたように見えるが、自由民権運動の考え方は正しいので民衆に浸透されていったのだと思う。
  • 国会は開催が約束されたが、実際はどんな内容だったか、疑わしい。

(教師の胸の内にある意図)
民衆の動きに押されて、その時の政治の実権を握っている人たちは妥協してくるが、その内容には常に不十分さがあることがそろそろ理解されていってもいいように思う。時代は進むようで遅々として進まないが、進まないように見えて、やはり進んでいると前向きに理解できるように指導したいと思います。このようなことを子どもたちの議論で明確にさせられたらと、願っています。すなわち、時代を懐疑的に理解させたり、否定的にとらえさせながらも、一方、長期的に理解していくと、徐々に今の日本の民主的な社会が多くの人々の願いや努力でつくられてきたのだということがわかり、新しい時代を切り開く主権者としての自覚を持たせることができると思います。ただ、このような歴史の変転流転をどう理解するかは究極的には個々の子どもの理解にゆだねるしかないと考えています。教師が一方的に指導して理解できるものでなく、子どもたち同士のやり取りの中で、とりわけ「課題を与えない授業」でこそ、認識させることができると思っています。

最後に、今日の学習の「感想」(私は「学習記録」と呼んでいましたが)を書かせることで、この一時間の学びを頭の中で振り返らせ整理させます。その感想を毎時間書かせていき、より質的に向上するように指導の手を加えていくと、それぞれの子がそれぞれの思いを徐々に深く書き綴れるようになります。その子なりの学びが読み取れてとても興味深いです。

 以上のような教材分析を経て、私が想定する目標は以下の通りです。この時、目標設定にあたって、特に考えるべきことは、すでに3S学習の説明の所で述べてきましたが、「焦点化→追求」の追求を経た目標を考えることです。

本時の目標

自由民権運動など国民中心の考え方の浸透で国会開設の道が開かれたことを理解するとともに、大勢の国民の意見が政治に反映されるのでよかったと思うことができる。
国会開設が本当に国民の意見の反映の場になるのか、今までの歴史の勉強から懐疑的に調べることが必要だという思いを持つことができる
と考えました。

 ところで、赤本と私の構想する二つの異なる授業観から生み出されてくる授業が違ってきているのは読み取っていただけると思います。「課題を与える授業」の方は教科書に書かれている内容を読み取ることにほとんど終始しています。しかし、「課題を与えない授業」の方は教科書の記述を踏まえつつも自分の思いを込めて主体的に読み取ろうとしています。課題を与えられて読む場合と与えられないで読む場合はこのように、知識を読み取るだけの歴史学習になるのか、歴史に主体的にかかわろうとする学びになるのか、明確な違いがみられるように思います。また、自分の頭でわかりながら読んでいくので、記述が理解できなかったり、自分の思いと齟齬があると思う部分に対しては、「?」と、意識し読むようになります。すなわち、「批判的読み」「疑問的読み」ができるようになります。まずは、各自がこのような読みを、「ひとりしらべ」できるようになることが、深い学びの話し合いの前提となります。同時に、このような読み方がなされれば、必然的に子どもたちの読み取りは個性的になります。各自の読み取った意見が個性的であるがゆえに、クラスで各自が自分の意見を発言し、議論する意義を子どもたちは理解してくることになります。

 子どもたちに本質的な意味で、授業に主体的に関わらせたいと構想されている方々、子どもたち一人一人の個性的な意見を考えさせ、深い学びに導くような議論をさせたいと願っている方は、是非「課題を与えない授業」に挑戦していただきたいと思います。

 実は、今、教育委員会は小浜市の全学校に、次のようなことを実施するよう指示しています。上記のような「ひとりしらべ」を各教師があらかじめ考え、全教員で研修会を持ちます。誰かが教員役をし、先生方を児童・生徒に見立て、発表させ、話し合いをします。そして、実際の子どもたちとの授業がどのようになるか、想定してみる研修をするというものです。実際に私も学校に行き、教師役をさせていただき話し合いを指導しています。やってみると、先生方は自分が発言し、他の先生方の違う意見を聞いたり、意見をたたかわせたりできることが楽しく感じるようで好評です。さらに、自分では思ってもみない意見が聞けたり予想していなかった結論に導かれたりするので、授業をするにあたってとても参考になると受け止めてもらっています。当然、先生方は大人ですので、「子どもレベルの発言をして」と言っても、いろいろな意見が提案されてくるので、私自身も私の考えなかった意見を聞かせてもらえるので大変勉強になります。こうして、1〜2時間の教員研修を体験すると、授業のイメージがそれぞれの教員の脳裏に明確になってきます。そこで、「じゃ、本時の目標をどうする?」と、考えてもらいます。上記に掲載しましたのは私個人の考えた目標ですが、「課題を与える授業」と「課題を与えない授業」の2つの授業の目標はずいぶん違うということが理解されると思います。その学校の教員全員で、このような方法で教材分析をしていただければ、このような違いがみられることがわかっていただけると思います。(何校かで、実際に実施してきました)もし、「課題を与えない授業」で教材分析し、目標設定した授業を子どもたちに長期間提供したとすれば、今までと異なる社会科の能力が形成されるのではないかと確信しています。社会を見る目が育てられてくると考えています。社会科本来の面白さが子どもたちに理解されると思います。さらに、一様な意見でなく、多様な意見が発言されてくるので、民主的で、深く考える能力が育てられると想定されます。授業が進んでいけば、内容は難しくなっていきます。しかし、計画的、意図的に子どもたちの話し合いや内容の読み取り方を訓練していけば、やがて、ひとりしらべの対象範囲も部分ごとでなく、一気に全体的・概括的に読み取ることのできる能力を獲得する子どもたちも育成されてくると考えられます。ですから、短時間のひとりしらべが可能になると思います。

 最後に、なぜ「課題を与えない」と、このように深く考える授業が創造できるかを考えていただきたいと思います。課題を与えないと、子どもたちは自分自身を教科書の記述に直接対峙させることになり(難しく表現すれば、自己の全存在を傾注して)、主体的に考えさせられることになるということです。3S学習は、入り口は形式ですが、最終的には内容そのものをどう主体的に考えさせるかという授業観です。そういった意味から、3S学習は学校での学びを通して生き方を考えさせる学習であると、私は理解しています。先生方は、ぜひ挑戦し、子どもたちの能力を育成していただきたいと願っています。

平成29年6月1日

「学力と人格の一致」の授業 −「焦点化→追求」の授業の理想を求めて

 学びとは人格完成です。そのため、平成28年9月1日付で、3S学習で実践すべき授業の本質を「学力と人格の一致」の授業だと規定してきました。そして、授業の実践に当たっては、「授業は授業そのものと人間関係から成立するのだ」ということを述べてきました。ただ、授業は授業そのものと人間関係だとは言うものの、完全に分けて理解すべきものではなく、ふたつの要素は渾然一体として理解されなければなりません。二つの要素を結びつける授業を現実化するためには、授業のあり方が「主体的な学び」や「子ども中心の授業」などと表現される教育観・授業観を持って取り組むことが必須だと、私は理解しています。そのためには、「主体的な学び」、「子ども中心の授業」とは何か、なぜ「主体的な学び」、「子ども中心の授業」でなければならないのかについての見識を深めていかなければならないと思っています。こういった問題意識を持って、できるだけ具体的な事象を通して、これから考えていきたいと思います。

 「主体的な学び」、「子ども中心の授業」とはどのような授業かですが、一応、現在話題になっているアクティブ・ラーニング論で主張されている「主体的・対話的で深い学び」の視点で理解し話を進めていきたいと思います。なぜなら、3S学習の「焦点化→追求」の授業で求めてきたことはまさに「主体的・対話的で深い学び」と表現されるイメージとほぼ同様だと推察されるからです。私たち小浜市では、先輩たちによって、すでに50年ほど前からこのような授業に取り組んできていますが、なかなか具体的な成果を生み出せないまま今日まで来ています。しかし、どういう課題があって前進できないのか、解決するにはどのような工夫・努力をすればいいのかなど、ある程度明確になってきているので、具体的な事例を通して述べていきたいと思います。

 ところで、主体的な授業を念頭におき、今実践されている授業を私なりの視点で類型別に表現してみますと、

教師の一方的な講義型 この方法を基本に時々子どもに質問を投げかけながら進める授業もこのタイプの中に入る
課題を与え、ひとりしらべの時間をとって発表させ授業を進めるやり方。子どもたちに課題を考えさせるやり方もこの中は含むと考える。
課題を与えず、教材(ふつうは教科書)の範囲を指示し、ひとりしらべをさせ、発表させて授業を進めるやり方。
この3タイプの授業があると思いますが、結論を言えば、私は今③のタイプを実践できれば、最も理想的な「主体的な授業」になるのではないかと考えています。②の授業は「主体的な授業」」として、現在一般的に取り組まれていると思っております。逆に@の授業はとても「主体的な授業」ではないという共通理解が教員の間であると思います。ところで、③のタイプの授業だけが子どもたちの能力育成に有効なのかと言えば、そうではないと考えています。教科や教材の特性、子どもたちが授業をうける能力レベルなどにより、この3つのタイプのすべてに、それぞれの長所・短所があると思っていますので、うまく使い分けることによって、子どもたちの能力を最大限に引き出すことが求められていると思います。そこで、ここでは主として③の授業を②の授業と比較しながら、紹介していきたいと思います。なぜなら、③の授業が実践されないで、「主体的・対話的で深い学び」を子どもたちに体得させることはできないと考えるからです。

 さて、これから述べることは、一応教科書教材を使用することを前提として話を進めていきますのでご理解ください。すなわち、自主教材などを前提にしてはいないということです。

 時々先生方から「多様な意見が出る課題の工夫は?」という質問を受けます。今の私は「それだったらいっそう課題を与えない授業に取り組んでみたらどう?」と言いたくなります。私はいつのころからか、③の「課題を与えない授業」に取り組み始めました。先生方に、「課題を与えない授業を考えて」と言いますと、必ず、「えぇ?どうやって課題を与えないで授業をするのですか?」と、反応が返ってきます。しかし、それは当然のことだと思われます。先生方の頭の中には勉強は教師がリードして教えなければわかってくれないという固定観念があるように、私には思えます。この固定観念は子どもたちより教師の方が、能力が上だという思いがあります。また、子どもたちは強制しないと自ら学ぼうとはしないという見方があるように思います。さらに、教師が教えないと、授業の目標に到達しないという思いもあると思います。このような授業のイメージは「主体的な授業」、「子ども中心の授業」とは相いれません。この固定観念を吹っ切り、まずは「子どもたちは自ら学ぼうとする能力を持ち合わせている」、「自分から分かろうとしなければ、分かるようにはならない」「学ぶのは子ども自身であって、教師が学ばせるのではない」「授業内容がわかったかどうかは本人にしかわからない。」など、理想的な学びの基本的理解を教師自身持ち合わせているかどうかが、「主体的な授業」、「子ども中心の授業」を展開できるかどうかのカギを握っていると思います。

 私が学級担任として授業に臨んでいたのは38歳ぐらいまででした。ですから、「課題を与えない授業」構想を持ち始め、その良さや必要性を理解し、実践したのは数年にすぎません。その後は「嶺南教育事務所」の特別支援課、研修課や管理職として、机上であるいは短期的に授業をさせてもらい、「課題を与えない授業」の構想を確立してきました。実践数が少ないので、多くの生の実践報告が出来かねると思いますが、授業参観等で参観した事例をも含め述べていきたいと思います。

 私自身、当初は道徳や国語で取り組み始めたと思います。先輩たちの道徳の授業を見て、あまりに丁寧な手順を踏む展開の仕方に違和感を持ち続けてきました。まずは登場人物がどんなことをしたか質問してあらすじを把握させたうえで、考えさせたいところで課題を与え(中心課題とか、中心発問とか言われています)、ひとりしらべをさせ発表させます。その前後に補充の質問をし、教師の描くとおりの授業を実施します。ですから、必ず指導案通りの展開に終始することになります。仮に、教師の目指す考え方と違う考えを子どもたちが発表したとしても、取り上げられる授業を参観したことはほとんどありません。それでも、子どもたちは表面上それらの課題や質問にかなり活発に反応する学級もあるので、参観していると一見「主体的・対話的で深い学び」が実践されているように思われますが、③の授業観を持って参観していると、指導者の考え通りにしか授業が進められていないことがすぐに見抜けます。

 長女が高校生の時、夕飯を食べながら家族で雑談をしていました。偶然、中学校時代の道徳の授業の話になりました。娘が言うには、「お父さん、道徳の授業は副読本を読むのは面白いけど、授業は楽しくないわ」。「何でや?」と聞くと、「勉強する前から先生の言いたいことわかるもん」と聞かされました。私は、「そうなんや」と、同意の返事をし、やっぱりそうかと納得しました。学校で実践されているかなりの道徳の授業は、教師の意図する答えが出るように仕組まれています。そして、都合の悪い答えは軽く流し、自分の授業の流れに沿った発言だけを取り上げ、授業をつないで結論に導きます。ですから、授業を何回か受け、その教師の授業の意図が予想できて来れば、授業はワンパターンなので、結論は予想がつくというわけです。このような授業で、子どもの道徳観の変容や民主的な道徳観の形成が可能なのだろうかと、いつも思い続けてきました。こんな単一な価値観が多様な世の中に生きている子どもたちに一様に指導される授業は「子ども中心の授業」ではありませんし、「主体的・対話的で深い学び」の授業ではないと思い続けてきました。そこで、どのように取り組めば、このような価値観の押しつけ道徳から脱却できるか考え続けてきました。

 ある時期から白紙で教材に向き合い、いろいろな価値観や考え方を持った子どもたちがいることを想定し、それぞれの子どもたちがどう考えたり思ったりするかを考えてみるように努力してきました。教材研究にそういう姿勢で臨んだ時、教師自身の私はAと読み取るけれど、子どもたちのなかにはBやC・・・と考える子もいるのではないかと、予想できるようになってきました。教師はAと読み取ってほしいために、Aという結論が導き出されるような課題を与えるから全員がAと読むのであって、課題を与えなかったらAとは読まない子どもたちも出現してくると思うようになってきました。そこで、A、B、C・・・という多様な意見が出るような授業、すなわち「課題を与えない授業」をしたいと思うようになりました。

 では、なぜ課題を与えるとAとしか読めず、あたえなければA、B、C・・・と読めるのでしょうか。まずは、極論として考えてみます。ある教材を子どもたちに指導するとします。そもそも教材には理解してほしい内容が含まれています。その教材を教師が取り上げた時点で、何を指導したいのかという教師の意図はある程度定まっているといえます。(教科書は、文科省や教科書採択の委員会で意図をもって選択されています)、このことは義務教育という主旨にてらし合わせれば当然のことです。そこで、子どもたちが一般的に読めば、教師の意図通りに読みますが、子どもたちには性格や生活環境の違いなどが多様であり、教師にはAと読めると考えても、B、C・・・としか読まない子、読めない子がいることは当然考えられます。「主体的・対話的で深い学び」を追求しようと考えている教師であるなら、そのような多様な意見を前提にした議論を期待しますが、普通はAと読み取ってほしいと願う教師は、授業でB、C、と主張されたのでは授業の目標であるAという結論にたどりつけない、たどりつくのに苦労するので容易にAという結論にたどり着く手立てとして課題を設定して授業を展開するという発想が考えられているのではないかと、今の私の授業観からは考えます。言い換えれば、ある教材を選んだ時点で、子どもたちの理解すべき内容はほぼ決定づけられているのに、そのうえ課題を与えられるのでは、二重に思考の自由を限定されることになると考えられます。それは子どもの自由な発想を大事にして授業を展開するのでなく、教師の考えを押し付けていく授業になると考えられます。「子ども中心の授業」を希求している私としては、子どもたちのいろんな意見を発表させる中からAという結論に自然とたどり着ければいいと考えていますが、万が一、自由な議論の中でAと結論づけられず、必然的にBC・・・になっても致し方ないこと、そういう授業の展開が「子ども中心の授業」では当然の成り行きだと考えています。別の言い方をすれば、そういう「ゆるい授業」、「幅のある授業」を展開しながらも、1〜2年かけて子どもたちに論理的思考や個性的で自立できる能力を育成していく授業スタイルが③だと考えています。

 ところで、「課題を与えない授業」を実践しようとしたとき、クラスで発表し合いますが(集団学習、私たちは「みんなしらべ」と言っています)、発表する意見を一人一人があらかじめ用意することが大切です。そのためには一人一人に意見を持たせるための個人学習(私たちは「ひとりしらべ」といっていますが)が必要です。その個人学習をどのようにさせるかが課題となります。結論的に言えば、ひとりしらべの仕方を教えることです。ひとりしらべの仕方が分かれば、子どもたちは進んでひとりしらべに取り組みます。ひとりしらべの仕方は教科や単元の特性などによって違いますので、それぞれの教材の特性を踏まえてひとりしらべのやり方を、教師は指導する必要があります。さらに質的に高いひとりしらべができるようになるためには、ひとりしらべの仕方を子どもたちと一緒に時々工夫していくように努力していかなければなりません。質の高いひとりしらべができれば、質の高い発表ができるようになります。当初はあまり難しく考えなくていいと思います。

 それではいくつかの教科のひとりしらべの方法をさっと紹介します。

 すでに、算数の事例として、平成28年5月20日号で記載してあります。算数は内容が単純明確なので、ひとりしらべのさせ方も単純です。まずは、読んでみてください。

 道徳を考えてみます。30代の担任の時や校長の立場でも実践しました。道徳の教材を「1〜2回読んで、感想を書きなさい」と指示します。キャンパスノート半分程度の感想をかかせます。それを発表させることから始めます。全部読ませると、時間がたりませんので、「ここだけ発表したいというところに赤線を引きなさい。そこだけを発表してね」と指示します。こういうひとりしらべなら、まず、どの子もできるはずです。 次に国語です。「一読総合法」という国語の授業方法があります。物語や説明文の読みとりでは「書き込み」「書き出し」という方法があります。とてもひとりしらべをさせやすい方法です。その方法をとりいれ実践してきました。

 社会です。ここ数年、各学校から一人ずつ代表に集まってもらい、「リーダー研修」という授業研究会をしています。そこでは、今年度6年生の社会科の授業研究をしています。教科書2〜3ページの範囲を決め、読んで思ったことをノートにまとめます。その中から、発表したいことを自由に発表してもらいます。今までで3回(縄文時代、弥生時代、弥生の後期の所)、教師を児童に見立てて授業形式で研究してきました。

 図工です。例えば絵を描くことが年に数回あるとします。教科書の参考例を見て、思ったこと、色遣いが工夫されているとか、書き方が面白いとか、自由にひとりしらべを発表させます。それを聞いている他の子どもたちはなるほどと理解すれば脳裏に残ります。そのポイントを教師はまとめ、「このことを意識して作品に取りかかりましょう」と指導します。

 このように当初のひとりしらべのやり方は基本的には教科書を見て、読んで、思ったこと、考えたことなどを自由に発表させるところから進めていきます。何時間か指導していくと、子どもたちのひとりしらべに工夫が見られます。それらを紹介して参考にするよう指導します。取り組み始めると、当初はなかなかスムーズに授業を進展させることは困難ですが、教師と子どもたちの両者が課題を与えないやり方に慣れてくると、教師の意図しないユニークな意見を子どもたちは考え発言してくれるので、より深い学びの実現が可能になるように思います。また、今日の授業では子どもたちがどんなユニークな発言をしてくれるかなという楽しみがわいてきます。私は毎日先生(私の)の発想を乗り越えるような発言を期待しながら教室に向かっていました。

 また、「ひとりしらべ」の質の向上は、その教材で学ぶべきポイントを見抜き理解する能力を伸ばします。この能力は最終的には自学自習ができる能力を伸ばします。教育は個人から出発し、集団の力を借りてお互いが刺激を受け能力をアップし、最後には一人一人が自立した学びの能力を体得することを目指しています。自立した学びの能力が体得できていれば、例えば、一冊の新書本を手にした時、数ページごとにノートにまとめながら全編を読み切り、その本の著者の主張を本人なりに深く読み取ることができると、私は思っています。俗に言う「子どもたちには魚を与えるのでなく、魚の釣り方を教えよ」だと思います。そういう意味で、③のスタイルはまさに「学びの自立」を可能とする指導スタイルでもあると考えています。大学などの高等教育のベースになる「学び方」だと思います。

 では、次回からは、この観点からより具体的な教科・教材を取り上げて述べてみたいと思います。

平成29年3月14日

「学力と人格の一致」の授業 −具体例 その6

 今回は、学習内容を学ぶにあたって、授業により直結する指導について考えてみます。それは、「常に考えて行動せよ」ということです。表現は悪いのですが、多くの子どもたちは、このしつけがされるまでは、日々ボーっと生活をしています。これでは教科学習で主体的に考えさせることはできません。それで、あらゆる機会をとらえて考えるように仕向けます。

 テストの用紙を配る場面を想定してください。30人のクラスだと、普通二列ずつ机を引っ付けて5人並んでいます。10人のグループが3グループできることになります。

 通常、先生方がテスト用紙を配布するのを見ていると、A列に5人並んでいるので5枚きっちり数えてAの机の上に置きます。次にB列に5枚置くというやり方で配布します。それは、これから述べる混乱が起きないようにという配慮だと思うのですが・・・。そうすると、Aは自分が一枚取って後ろへまわします。同じようにB、Cと配布します。ですから、子どもたちは何も考えずに、自分が1枚取ったら機械的に後ろへ回せばいいのです。それに対して、私は意図的にAの机に、適当な枚数3分の1をドサッとおきます。そして、すぐに隣りのグループCDの所に行き配ります。そうすると、どういうことが起こるでしょうか。Aは何も考えず、今まで通り、自分が一枚取り後ろへ回します。Bはテスト用紙がもらえないので、「先生、テストください!」と、私に訴えます。私は「えー?どういうこと?」という反応を示してから全員に向かって、「みんなちょっと先生の話聞いて」と、私の方を向かせます。そして、テスト用紙がどのように配られているかを理解させます。「先生は今A君の所にテストを置きました。そして、C君の所へ行って配りましたね。A君はどうすべきだったのですか?」と、子どもたちに問いかけます。状況が理解できた子は、「A君は隣のB子さんに渡してから、後ろに配るべきだったと思います。」と答えます。私は「みなさんどうですか」と、子どもたちに投げかけます。彼らは「同じです」と応じます。「では、なぜそうしなかったの?考えていなかったからでしょう。次からはよく考えて行動してください」と教えます。しかし、このことは理解したと思いますが、それでもすぐに次の混乱が起きることが予想できます。私はABグループにきちんと10枚数えて配っていないので、子どもたちが後ろへ回していくと、余ったり足らなかったりするからです。そこで、後ろの子はすぐに、「先生もらえません」とか、「余りました」とか、子どもたちは訴えます。そこで、同じように静かにさせて、状況を説明してからどうすべきかを考えさせます。当然後ろの子どもたちで調整すればいいことを理解します。それで、「今言ったでしょう。周りを見て考えなさい」と繰り返し教えます。それからは事あるたびに「考えなさい。考えて動いているか」と口酸っぱく言い続けます。その後、しばらく子どもたちの行動を注視していると、考えて行動している場面に出くわすことがあります。そういった時にすかさず、その子の取った行動の仕方が、まさに先生が言ってきた「考えて行動しろ」ということだったと指摘します。そして、その子をみんなの前でほめます。

 たとえば、先生方が出張でいないときには、テストをさせることが多いと思います。係りの子はテストの配布と回収をしますが、たいてい机の並びか、早くできた子の順に集めると思います。しかし、時には出席順に並び替えて回収してくれる子がいます。アイウエオ順に並び替えてあれば、テストを採点して点数をノートに記入するとき、とても楽にできます。先生のこと、すなわち相手のことを考えて物事を処理しているのです。私は、そういう時が来るのを待っています。そして、すかさずほめます。「H子さん、先生のことを考えてテストを出席順に集めてくれたんですね。先生が点数をノートに記入するのにとても速く処理できます。いつも先生が言っている『考えて行動しなさい』とはこういうことですよ。H子ちゃん、大きくなって会社に勤めたとき、そんなふうに仕事すると社長さん、ボーナスたくさんくれるかもね」と、冗談がてら子どもたちに教え、H子をほめます。

 宿題のノートの集め方でも同じことが言えます。漢字や計算のノートが、朝教師の机上にドサッとおかれますが、閉じたままおかれますと、一冊ずつ開いてチェックしなければなりません。その手間がかかります。しかし、ある時、先生に見てもらうところを開いて集めている場合があります。その時はテスト集めの場合と同様、子どもたちに知らせます。

 掃除の仕方の場合で考えてみます。掃除の見回りをしていて、しばらくすると子どもたちの多くは考えて掃除をしていないなという姿を見ることになります。「もうゴミがたまっているところはないかな」などと考えてやろうとはしていません。それで、終わりの会などを使って、「今、掃除したばかりだけど、教室で掃除できていないなというところを30秒で1つでも2つでも見つけなさい」と指示します。当然いくつかの指摘がみられます。普通の所はなされているのですが、例えばテレビの上の埃とか、本棚の後ろの隙間とか、毎日しなくてもいいのですが、「埃のたまっているところはないかな」と考えて掃除をするようになってほしいと願っています。

 私が担任をした当初、子どもたちは、宿題は家でするものだと思い込んでいます。私はタイミングを見て教えます。「テスト早く終わったら、宿題、学校でしてもいいんやで。給食の前に待っているときにしてもいい。要領よくやったらいい。だけど、日記だけは一日を振り返って書くから家で書いてくれないといけないけど。日記以外は全部学校でしてしまったら、家に帰ったら遊ぶだけや。考えて要領よくやれよ」と教えます。当初は意外な反応を見せますが、慣れてくると子どもなりに理にかなっていると理解できるので、要領のいい子ほどうまく取り入れてくれます。

 最近は私たちの子ども時代より多くの教科書や文具を毎日家から学校に運び、学校から家に持って帰らなければなりません。子どもたちは重たくて苦しんでいます。先生方の考えにもよりますが、私は「持って帰らなくてもいいものは学校においておいてもいいよ」と指導します。その方が、忘れ物がなくなるからです。重い荷物を持たなくてよくなるからです。もちろん強制はしません。全部持ち帰りたい子は持ち帰ればいいのですが、自分の工夫と判断で考えてやればいいのだということを事あるごとにしつけます。

 先生方、頭の中で想像してみてください。このように毎日意図的にしつけられるクラスと何となくしつけられるクラスでは、一年間たてば、ずいぶん生活の仕方や態度に差が出てくるのは当然理解していただけると思います。学校は意図的計画的に育てる場ですので、何となく育てるのでなく、先生方には常に考えて育ててほしいと願っています。子どもたちの伸びはすごいものがあると思います。だからこそ、私は先生方の前向きな努力と工夫を期待しています。こういう生活や学習姿勢が学校の教科学習に対してだけでなく、高校・大学の受験勉強の仕方、今の現実社会の仕事の処理の仕方に対して、特に求められているのではないかと思います。

 まだまだ、こういった側面での話をしたいのですが、授業そのものはどうするんだという声も聞こえてきそうなので、次回からは授業にウエイトをおいた話をしたいと思います。

平成29年1月16日

「学力と人格の一致」の授業 −具体例 その5

 今回は、絶対させなければならないことはさせるという指導観で教育にあたることが大事だという指導の具体例を述べてみたいと思います。

 前号で述べたコメ作りの学習の中で、私は子どもたちが喜ぶだろうと思い、昔の道具である足踏み脱穀機を学校に持ち込み、体験をさせました。ゴロンゴロンと回転する動きや音が電車と蒸気機関車との違いのように思えて、子どもたちの興味を引くと思ったからです。授業が始まってから、私は子どもたちに向かい、「全員順番にやってもらいます」と指示しました。この指示で、全員体験してくれるものだと思っていましたが、しばらくするとほとんどの子は一度はやってくれました。しかし、一部のやろうとしない子がいることに気がつきました。担任の先生はこのことには気づいていないようでした。それで、担任の先生に、「まだ、やっていない子がいるので、全員やるように言ってください」と助言しました。担任の先生は、「まだの子は全員やってください」と、大きな声で指示しました。私はこれで全員するものだと思い、子どもたち全体を見回していました。引っ込み思案な性格の子もやり終えましたが、数名の女子は少し離れた石段の所に座り、何食わぬ様子でおしゃべりに興じています。担任の先生の指示が聞こえていないかのようにです。明らかに、「そんなことやっても面白くもない」と、白けたような気持ちでその場にいるのでしょう。私はこのクラスの課題を見せつけられたように思いました。その課題とは、「まだの子は全員やってください」と指示したのにもかかわらず、やっていない子がいることに担任は気がついていないことです。それで、私は担任に、「あそこに座っておしゃべりしている子は、先生取り組もうとしていませんよ。もう一度指導してください」と言わざるを得なかったのです。教師の中には、指示をすれば自分の指示通りに子どもたちは従ってくれているものだと思っている方がおられるようです。もちろん、従っていない子がいることを察知されておられるのならいいのですが・・・。実際は、ざるに水を入れるような指導をされている方が時々おられます。私は子どもたちに指示したことはかならずきちんと実行させるように努めてきましたし、指示に従っていない子がいる場合は心にとどめて、「次の機会に必ず取り組ませるぞ」という気持ちで指導にあたってきました。子どもたちの動向をきちんと把握することは教師にとっての必要不可欠な能力だと思います。実は、このような状態を毎日繰り返していることは、先生が指示したことであっても「聞かなくてもいいよ」という指導を毎日、毎時間しているのだというように理解していただきたいと思います。教室の授業を見せてもらった時、ピーンと張りつめた真剣さの感じられる学級は先生からの指示が子ども全員に行きわたっていますが、ざわついている学級は先生の指示があいまいにされているように思います。教師の指示が一度で全員に行きわたり、全員が素早く取りかかれる学級は、学習内容の習得やクラスの協力体制も確立されているのは言うまでもありません。

 では、教師の指示を全員に貫徹させるために工夫してきたことを紹介します。教師が子どもたちに、「みんなやってください」という一言だけでは最初は徹底しません。そこで、この脱穀場面で具体的に考えてみます。簡単なことですが、全員脱穀機の前に一列に並ばせることです。そして、全員ならんでいることを確認することです。たったそれだけのことです。そうすれば、ぬけがきされるようなことはありません。教員の経験が少ないと、そのようなコツに気が付かないのは仕方のないことですが、だからこそ、教師は自分のクラスに集中力が欠如しているのなら、どうしてそうなのか、粘り強く原因を熟考してほしいと思います。後の号で述べることになると思いますが、教師の指示を一つ一つきちんと子どもたちに取り組ませることが、話し合い学習に取り組んだ時、クラス全員が話し合いに集中できるかどうかを左右する重要な要素の一つになると思います。

 そこで、私は教師の指示を徹底するために時々意図的に取り組むことがあります。

 帰りの会を使って取り組みます。その日の掃除は終わっているのですが、教室にゴミが残っているなというときがあります。「教室にゴミが落ちています。今から全員で30秒ゴミ拾いをします」と指示します。「よーい。始め!」と号令します。当初、新たなクラスを受け持った場合は大抵これから起きる事態は想像できます。私の号令で、すぐに取り掛かる真面目な子、取り掛かろうとしない不真面目な子がいます。そこで、5秒ほどして、「やめ!全員自分の席に戻りなさい」と言います。そして、やおら「なんで、途中で先生がやめと、いったかわかるか」、クラスの熟度によっても違いますが、たいていポカーンとしています。それで、説明します。「先生は全員でゴミ拾いをしなさいと言いましたね。だけど、OO君とOO君は何もしていませんでした。ダメです。真面目にやりなさい」と厳しく指導します。「わかりましたか。OO君、OO君」。普通は「はい」と言います。「それではもう一度やりますよ。よーい、はじめ!」。これで全員取り組みます。すぐにゴミはなくなります。「やめー!きれいになりましたね。次からは、先生がやれといったことはきちんとみんなでやってください。わかりましたね」。やってもやらなくてもいいのなら、「やりたい人だけやってください」と指示すべきです。簡単なことですが、こういったことを時々実施し、教師の指示が徹底するように厳しくしつけていくことが国語や算数の学習に誠実に向かう子を育成することになると理解してほしいと思います。

 次回は、もう少し、教科学習に近い内容でのしつけの仕方を述べてみようと思います。

平成28年12月15日

「学力と人格の一致」の授業 −具体例 その4

 今回は教室のなかでの指導の仕方について具体例を述べてみたいと思います。

 学習を終えた後で、先生方は感想を書かせることがたびたびあると思います。「感想を書いてください」と、子どもに指示した時、ご自分のクラスの子どもたちはすぐに書き始めますか。全員書いてくれますか。書こうとしない子がいたらどうしますか。私が担任をしていた時は、書くことを嫌がる子、苦手な子はいましたが、まったく書こうとしない子には出会いませんでした。管理職になって授業をさせてもらった時にそのような子どもに出会いました。二か所の学校で体験しました。

 一回目は6年生の社会の授業でした。「感想を書いてください」と、子どもたちに指示しました。しばらくして机間巡視をしましたら、A君はまったく書く気配がありません。A君は学習が遅れがちで、そのほかさまざまな問題を抱えている子でした。しかも、最近他校からの転校生でした。担任の先生に「彼は書こうとしないんだけど、何で?」と聞きますと、「まったく書けないわけではありませんが、書こうとはしません。今まで書いたことはありません」との返事で、担任の先生はあきらめている様子でした。私は彼の所に行って、「書かないの?どんなことでもいいから書いたらわ」と書くことを促しましたが、書く気配はありません。担任にさらに詳しく聞くと、前の学校でも書かなかったそうで、担任は書かせることは無理だと思い込んでいるようでした。周りの子どもたちの多くはさらさらと手を動かせています。数名は苦労しながら書いているようですが、A君のようにまったく書き始めていない子はいませんでした。私は彼に、「みんな書いているんだから、君だけ書かないのはだめだよ。絶対書いてね。」と強く迫りました。そのうち、書き終わった子どもたちが、「先生書けました。どうするんですか」と聞いてきました。どのように対応すればA君が書き始めるか考えていた私は、その時書き終えた子を別室に移動させれば、A君は自分だけになるので心細くなり書き始めるだろうと思いました。「よーし。この方法で対応してみよう」と決断し、「書けた子は図書館へ行って本を読んでいなさい」と指示しました。しばらくすると、教室に残る子はどんどん少なくなっていきます。彼のもとへ行って、「頑張って書いたらわ」とうながしますが、書こうとはしません。「どんなことでもいいのよ。何か思うことがあるやろ。書くまで駄目だよ。」と、私の本気度を見せつけました。「これはやばい」と、内心思ったのかもしれません。残る子が1〜2名になった時、書き始めました。他の子の数倍の時間はかかりましたが、ノート1ページを埋めました。ほとんどがひらがなで字も乱雑で書かれている内容も不十分ですが、それでも彼なりに頑張って書いたのです。「僕、書けるやん。頑張ったな。次からは最初から書こうね」と、彼の努力を認めてやりました。担任の先生は、「彼が書きましたか?」と、意外だという反応をされました。

 別の学校でも、同じような経験をしました。5年生の社会科の発展学習の場面です。田植え、稲刈りなどの体験をを終え、教室で感想を書かせました。机間巡視をしていくと、B君だけがまったく書く気配がありません。不登校気味の子でした。この児童も、「今までに書いたことはない」との担任の話で、書かせることを諦めているようでした。前回の経験があるので、何回か言葉で書くことを促しました。そして、前回同様、書けた子は別室で宿題をするよう指示しました。次々と友達が別室へ消えていきます。すると、何と書き始めるではありませんか。内容的には十分ではありませんし、字も乱雑ですが、とにかく書ききったのです。

 さて、この二つの経験をした私は、後輩から、「書かない子をどうすれば書くようになりますか」と聞かれると、以上の体験談を話しします。

 では、なぜ、私がこのような方法を思いついたかを述べます。ある民間の作文団体の月刊誌で、次のような考えを読んだからです。それは、「書くことは肉体的苦痛を伴います。その苦痛を除去するには書かせる以外にはありません」と。「ええ!そうなんだ」と、あまりに単純明快な解決法に、その時感動した記憶が時々脳裏に浮かびます。書かない子や書くことを嫌う子を、どう指導したら抵抗なく書いてくれるようになるかについて常々悩んでいた私は、それ以後、事あるたびに、「はい,感想書いて」と、どんどん書かせるようにしました。一日にキャンパスノート2〜3枚以上と決めて書かせました。数か月もすると、子どもたちは慣れてきたのか、「はい、感想」というと、すぐに鉛筆を走らせます。おそらく、彼らの頭の中には書かかなければならないという思いで、授業を受けるようになりつつあったのではないかと思います。書かない子、書けない子をどう指導するか、難しく考える必要はないように思います。いろいろな言い方で理解をうながしても書こうとしない子どもに出会うと、先生方は、「この子は書けないんだから、仕方ない」と諦めている場合が多いように思います。簡単に妥協しないで、悩み続けてほしいと思います。私は40数年この気持ちを持ち続けて日々努力してきました。そして、自分なりの具体的な解決法を見出してきました。実力のあるベテラン教員はそれなりの解決法を見出していると思います。だから、子どもたちはその先生を信頼し、指導に素直に従っていくのだと思います。特に、若い経験年数の少ない先生方には教育状況は厳しいかもしれませんが、めげずに忍耐強く解決法を見出していただきたいと思います。

 今までも繰り返し述べてきたことですが、子どもたちを主体的に成長させるには自由に考えさせ行動させると同時に、絶対にさせなければならないことはさせるという指導観で教育にあたることが子どもたちの能力を伸ばすことになると理解していただきたいと思います。主体的学習は子どもたちの自由を前提にしていますが、教師の指示に従わないことを容認するわけではありません。教師の指示に従い毎日少しずつでも努力させ学びを身につけさせなければ、自由な成長も望めないと考えています。教師の指示に従うという教室の常識的な秩序の確立が絶対条件です。ただ、この指導観で注意していただきたいことがあります。強制するとはいっても、強制された結果がその子にとって先生の言われたとおりに努力してよかったと心の中で納得できるものであることが絶対必要です。強制されて、反発や反感が子どもたちの心の中に生じるような指導の仕方では、子どもたちを人格的に良い方向に育てることにはなりません。そのためには子どもの心の動きを読みながら、繊細かつ大胆にせまる教育的技法を自分なりに体験的に編み出していってほしいと思います。

 次回はこの考えがより明確にご理解願えると思われる指導場面を紹介します。

平成28年12月5日

「学力と人格の一致」の授業 −具体例 その3

 今回は偶然でなく、あらかじめ意図的に仕組んだ取り組みを紹介します。少し勇気や決断力のいる自然体験などに取り組ませることで、子どもらしいのびやかさが体得されてくると考えてきました。その伸びやかな人格が授業中手を挙げて発表しようする主体的態度として転化されると考えてきました。そこで、今回は山での活動、川での活動を紹介します。

 晩秋から春先には山での活動を実施してきました。なぜなら、冬場はマムシ、ハチ、ダニなど危険な生き物がいないからです。口名田小学校や中名田小学校ではよく山登りをしました。中名田小学校の川の向こうに見える山に登りました。3年生以上で登りました。数日前、おにぎりとお茶を持ってくるように指示します。午後の時間を使います。上りは整備された山道を登ります。先頭に若い元気のいい先生を配置し、後ろには我々年配者がゆっくりな子どもたちを追い立てます。里山ですので、すぐに頂上に着きます。頂上で一休みさせ、おにぎりを食べさせます。ソフトボールぐらいの大きなのを食べている子もいます。しばらく頂上で遊ばせた後、下山します。下りは山道でなく、道のない雑木林を走り下ります。落葉し、地面にはいっぱい枯葉がたまっています。初回は子ども達に、「走り下りろ!」と命令しても、指示の要領が分からなかったり、怖さが先に立ち走り下りようとはしないので、私が老体にムチを打ち見本を見せます。「走って下りるからついて来い!」と命令します。下りの坂を全力で下ります。木を避けて、木と木の間を鹿のように巧みに下ります。その様子を見て、子どもたちはカッコよさとスリルに魅力を感じてやってみようと思うのです。20メートルほど降りて振り返ってみると、すぐに真似をして私についてくる子、躊躇して行動に移せない子がいます。「早く下りて来い!」というと、私や先に下りた友達の様子を見て、自分もやれそうだと思う子から、走り下りてきます。最後の子は怖いのか、立ったままで下りることができません。お尻をずらして下りてきます。私の所まで下りてきた子は下り坂を猛スピードで下りるスリルを体験したので、早く続きをやりたくてうずうずして待っています。「さあ!行くぞ!下まで行ってまっとれ!」と指示すると、子どもたちはキャキャ言いながら、走り下ります。子どもたちのなかには面白いので、転げまわっている子もいます。登りと違ってすぐに下に到着します。私も少し遅れて全体の様子を見ながら下ります。下に下りると、子どもたちは私の所によってきます。最初の方はやはり男子が多いです。しかし、少数ですが女子もいます。子どもたちは私を取り囲んで、興奮した面持ちで、いかにスリルがあって面白かったかをしゃべりまくります。そりゃそうだと思います。学校でも家でもこんなにスリルのあることはさせてもらったことがないからです。特に最初に下りてきた一団の子どもたちは運動神経も発達していて、いつもの規制された学校生活にうずうずしているからです。またやらせてほしいと次々としゃべりまくります。私はやおら、「面白かったやろ、かしこうしとったら、またさしたるさかいにな」と、子どもらの気持ちに応じてやります。これで子どもたちは私に素直に従うことは間違いありません。時々でいいので、このような体験を取り入れれば、子どもたちの心はスカッとして、生き生きさを取り戻してくると思います。そのうえ、教師に対しては好感を持つと思われるので、指示や注意に素直に従おうとします。ただ、一方で立って走り下りることができなかった子どもたちをどう指導するかです。この子たちも走り下りてきた子と同様に、立って走り下りる度胸や体の機能性を持ち合わせてほしいと願っています。全速力で下りるスリルを味わえてこそ、子どもらしい感覚がよみがえってくると思うからです。何回か同じことを繰り返すうちにそうなりますので、年に二回ほどずつ、毎年繰り返せばいいと思います。校長は2〜3年での異動ですので、この学校では十分目的を達成することはできませんでした。だからこそ、今このブログを書かせていただき、後輩の先生方の理解と実践に期待をしています。

 夏場は近くの南川で泳がせます。口名田、中名田、今富小学校で実施しました。口名田では私と教育観を同じくする教員が複数いましたので、私の異動後も数年実施してくれましたが、それ以外では残念ながらあまり継続できないようでした。 昭和30〜40年代頃なら、子どもたちは子どもたち同士で川に遊びに行っていたと思います。しかし、その後どんどん規制が厳しくなり、子どもたちにとっては受難の時代になりました。昨今、大人たちは事あるたびに、「この頃の子どもたちは元気がない」とか言って子どもたちを非難しますが、そのように育ててきたのは大人だと私は思っています。また、子どもたちの発達にプロとしてかかわる責任を担っている教育現場の先生方も多忙化などで、そういった自然体験に取り組むことを避けてきたように思えてなりません。自然体験を通して子どもらしくのびのびと育てることこそ、いじめなど防止の基本だと、私は思っています。

 さて、夏が近づいてきました。私は中名田小学校の校長として、子どもたちを川で泳がせてやりたかったので職員会議で提案しました。案の定、一人の先生から反対の意見がありました。予想はしていましたが、またかと内心失望しました。6月頃だと記憶していますが、「川の水は冷たくて、15分も入っていると凍えて、入っておれないんじゃないですか」と言われました。私は川に入ったことがないのか、川での水泳指導が面倒だからの反対のための反対意見だと思いました。勿論そのようなことは口にはしませんでした。喧嘩腰になるからです。こういうことは以前の職場でも何度か経験してきました。ここをどう切り抜けるかが私に問われています。そこで私は勝負に出ます。「養教の先生、川へ行って水温を計ってきてください。泳げる水温だったらさせてもらいます」と勝負に出ました。次の日、「水温はどれぐらいでしたか」。「21〜22度でした」と、養護教諭の先生は報告してくれました。中名田を流れる南川は中流で上から見ていると冷たそうに見えるのですが、これぐらいあれば、子どもたちには普通に泳げます。「この水温であればやれるので取り組ませてください。体調の悪い先生方は陸からの監視でいいですから」と話を収めました。

 川は浅いところと深いところがてんでバラバラに点在しています。しかし、浅いところは相当の広さで広がっています。一日目は浅いところで泳がせ、恐怖心や川の流れに体をまかせていれば、安全に泳げるんだという感覚を覚えさせることが指導のコツです。浅いところが広がっている上流側に教師2名ほどを配置し、スタート係りとします。下流のゴールにも2名ほど配置します。残りの数名の教師にライフジャケットを着せて途中に点在させます。2〜3mずつ間隔をあけてスタートさせます。最初は20mほどで慣らします。2〜3回繰り返して、徐々に距離を伸ばします。「伏し浮で浮いておれば、水の流れでゴールの先生の所へ着くからね」と何度も声掛けし、安心させながら体験させます。勿論、最初は教師の見本を見せます。怖がる子もいますが、せいぜい30〜40cmぐらいの深さのところですので、全員できるようになります。何回かやらせて、「よーし!自由遊びだ!」と、子どもたちを解放してやります。勿論範囲を決めます。四方に監視の教員を配置します。浅いところ、深いところもあります。度胸のある子は深いところを目指します。しばらくして、陸上に上げ少し休ませます。「ずいぶん水に慣れたでしょう。これから今日の本番をやります」と言い、浅いところを100mぐらい泳がせます。「今日の本番だ。頑張るんだよ」と勇気づけます。中には「楽勝、楽勝」という子もいますが、心配そうな子もいます。上流から子どもたちをスタートさせます。プールのように頑張ってバタバタしなくても、力を抜いて流れにさおさせておれば流れていきます。次々にゴールの先生の所に到着します。ゴールの先生と握手する子もいれば、ようやく到着した子は先生に抱えられて、お互いで喜び合っている子もいます。2回ほどして、一日目の練習は終わります。陸に集めて、子どもたちに「どうやった。川で泳ぐの、自信ついたやろ」と語りかけます。ほとんどの子はまた泳ぎたいという反応を示しますが、怖かった子は少し不安そうな顔をしています。何度か繰り返せば、このような子も生き生きとしてきますので、私はあまり気にしていません。

 二日目、5分ほど自由に泳がせます。次に、一日目に実施した浅いところでの泳ぎを2〜3回復習します。さて、次が今日の本番です。深くて、足のつかない所で、流れが急なところを横断させます。流れを横切るので、斜めに流されますが、少し平泳ぎで泳げば、せいぜい20〜30mほどですので、すぐに対岸にたどり着きます。しかし、流れが速く渦巻いているようなので見るからに恐怖心をあおられるので、ほとんどの子はまずは怖いと思います。「今から、この流れの所を横断し、向こう岸にたどり着きます。がんばろう!」と激をとばします。ですが、子どもたちは心配そうです。先生方を配置します。「最初にやってみるという人」というと、やはりそういう子はかならずいます。「OOちゃんがやるそうです。OOちゃん頑張って!みんなも応援して」。「OOちゃん、よーいドン」で背中を押すと、すぐに泳ぎだします。流されながらも必死で泳ぎます。すぐに対岸にたどり着きます。みんなで拍手をしてやります。その様子を見て、子どもたちは自分も行けそうだと思う子から名乗り出ます。次々と対岸にたどり着きます。しばらくすると、数名がどうしても決断できません。実は、このような子たちが思い切って勇気を出し挑戦してくれるのが、この水泳訓練の主要な目的なのです。以前の号で述べた跳び箱の指導観や方法と同じ考えです。まずは、ことばで励まし説得します。それでスタートが切れる子はいいのですが、できない子は教師か、友達が一回目伴泳します。実際にさせてみてなんともないことを体で覚えさせてから、もう一度一人でさせます。本人は必死です。クラスのみんながやり遂げたのですから、自分もやり遂げなければなりません。肉親ではここまで厳しく指導はできません。やはり教育は他人の手を借りなければならないと思うのです。教育は子どもたちに厳しく迫るところは迫り本人の精神を鍛えてやらなければならないと、私は思っています。いよいよ最後の一人になりました。私も先生方もかわいそうだから、「もうやめとくか」という言葉が出そうになります。その言葉をぐっと飲み込み、「行けるから頑張って!」と励まします。その子は体をゆすって、水に飛び込もうとします。何度も躊躇します。こちらも必死な思いで、「行け!」と祈るような気持ちで叫びます。その瞬間、ようやく水に飛び込みました。周りの子どもたちや先生方も全員が「がんばれ!がんばれ!」の声援を送ります。対岸にたどり着くのを祈るような気持ちで見守っています。途中では誰も助けてはくれません。自分の力で必死に泳いで対岸にたどり着かなければなりません。流されながらもようやくたどり着きました。全員が拍手で喜びます。本人は緊張と必死の泳ぎでハアハアと肩を上下させ呼吸しています。自分も行けたという満足感が顔に満ち溢れています。

 私はこういう場面を学校教育の一年間の間に一回でも二回でも作り出し、子どもたちに勇気や自信、仲間意識を形成してやりたいと思い実行してきました。それが子どもたちを成長させることになると考えているからです。このような経験は昔なら、近所の異年齢集団でやらされてきたことです。また、この意識変革が算数や国語の学習で挙手して発表しようとする決意や分からない友だちに教えてあげようという共感的な学級の素地づくりにつながると思い、今日まで努力してきました。

 次回は、教室内での子どもたちの対応について、具体例を述べてみたいと思います。

平成28年11月18日

「学力と人格の一致」の授業 −具体例 その2

 今回は、校外活動の場で実践した事例を紹介したいと思います。

 山間部のへき地の学校(中名田小学校)にいた時の出来事です。5年生の社会科の校外学習で、15qほど離れた市の中心部へバスで行った時のことです。担任は子どもたちを学校まで集合させずに、家から近いバス停から各自バスに乗るように指示しました。担任と校長である私は学校前のバス停から乗ります。ですから、私たちが乗り込むときには、すでに学校より奥の子どもたち数名が乗っています。私たちが乗り込むときは、先生が乗ってくるか心配そうに立ち上がってみていました。私たちが乗ってきたことを確認すると、ホッとした表情をしていました。また、学校より下のバス停で乗る子どもたちもバスに乗り込んできて―おばあちゃんに付き添ってもらっていた子どもいましたが、私たちや友達が乗っていることを確認して一様にほっとしていました。校区の最後のバス停からの子どもが乗り込み、これですべての子どもたちが乗りました。みんな遠足気分で、気のあった友達と一緒の席で楽しそうに談笑しています。もちろん一般の大人の方も乗っています。

 二十数分後、バスは市内に入りました。目的のバス停近くに来たので、担任は、「次のバス停で降りるぞ!」と指示しました。さて、ここで混乱が生じます。バス代を払わなければなりません。私と担任は料金表を見て支払い、さっさと降りました。その様子を見て、子どもたちは慌てだしました。バス代はいくらだということになりました。料金表には距離の違いによる金額は表示されていますが、子ども料金は大人の半額という表示しかありません。ですから、バス停による料金とその半額を計算しないと、自分のバス代はわかりません。計算のできる子はさっさと計算し悠々と支払いを済ませることができますが、計算のできない子は慌てだしました。友だちに、「どうしたらいいのか」と聞いたりし始めました。パニックです。それでも計算のできた子はいいのですが、できない子は慌てふためいています。他人ごとではありません。だんだん友達は降りていきます。いやでも自分で対応しなければなりません。最後は勇気を振り絞って、運転手さんに聞く以外ありません。ようやく、全員降りることができました。その寸前、私たちは運転手さんと他のお客さんを待たせたことを謝りお礼を言いました。お客さんたちは一様に、子どもたちのことですので、微笑みながら見守ってくれていました。

 さて、みなさんがこのような場面に遭遇したら、どのように対応されるでしょうか。普通は担任が料金の計算の仕方を子どもたちに丁寧に説明し、まずは自分で計算することをうながされるでしょう。ですが、計算がにがてな子がいることも確かですので、その子に対しては友達に助けてもらうか、担任が一人一人に教えるかされると思います。そして、混乱の無いように予め対処するのがよい指導だと一般的には考えられていると思います。しかし、意図的にか、無意図的にかは知りませんが、この担任は何ら手助けをしませんでした。私は私で、このような本番を利用して自分で解決していくように仕向けていくことこそが本当に子どもを育てることになると確信していますので、当然のことながら、「子どもたちが自分で考えればいいわ」という見守る対応に徹したのは当然です。冷や汗をかいた一部の子どもたちがバスから降りてきました。バスが出発した後で、その子たちを含めて子どもたち全員に対して、私たちは、「やばかったなぁ、帰りはうまくやれよ」と、慰めとも励ましとも考えられる声かけをして、子どもたちの心をフォローしました。叱られるかもと思っていた子どもたちはホッとした様子でした。勿論、帰りのバスでは自分のこととして早くから降りる準備を、どの子もしたのは当然です。この体験は偶然ですが、偶然の好機を子どもたちの心の育ちに生かせるのか、台無しにするのかは指導者の考え方しだいであることがわかっていただけると思います。本番で勝負をさせてこそ、子どもたちは変容することを理解していただきたいと思います。そこに教師が手を差し伸べては子どもたちの心を育てることはできません。自分のことは自分でする、自分に降りかかっている状況を自分で乗り越えていく気概を持たせてこそ、教室の中の算数や国語の授業でも発表してやろうと発奮する気概を持てるようになるのではないかと、私は考えるのです。

 二つ目の話です。雲浜小学校で教頭をしていました。3年生の遠足のつきそいをした時のことです。担任の先生たちは東小浜駅近くのショッピングで、子どもたちに「好きなお菓子など自由に買ってもいいですよ」という学習をさせました。その時、「東小浜駅から小浜駅まで電車に乗って帰るから、電車賃分のお金は残しておきなさい」と言い含めました。買い物を終え、電車に乗るため東小浜駅の正面まできました。これから一人一人切符を買わせるために整列させて座らせていました。突然、ある子が立ち上がって、「切符代が5円足らない」と騒ぎだしました。周りの友達もざわつき始めました。私は彼のもとへ行き事情を聴きました。そうしますと、計算間違いをして、お菓子を買いすぎたということがわかりました。切符が買えません。この状況で、皆さん方ならどう対応しますか?おそらく多くの先生方はわずか5円ぐらいですから、お金を本人に貸すか、あげるかすると思います。それで難なく解決しますから。ですが、前例から考えて、私がそのような対応をするはずはありません。私はしばらく考えました。そして次のように対応しようと考えました。私は担任ではありませんが、以前から本人がどんな性格なのかをよく知っており気にしていました。勉強はできるのですが、俗にいう、せんが細いのでもっと図太く育ててやらないといけない子だなと思っておりました。それで、私は担任の所へ行き、下記の対応策を理解してもらいました。まず、本人に、次のように納得させようと考えました。「切符売り場の窓口へ行って、『5円足らないんだけれど切符売ってもらえない?』と頼んでみたらわ。ダメだったら次考えたらいいんじゃない」と。ダメもとの行動を進めさせようと考えていました。そして、ダメな場合の構想も私の胸中にはありました。それはもしダメなら彼に、「どうする?」と相談を持ちかけ、最終的には二人で学校まで歩いて帰ればいいわという思いがありました。本人に一つ目のことを言い含め、実行するよううながしました。すぐに「やってみる」と言い、窓口へ行きました。ところが、しばらくすると手に切符を持って帰ってきました。聞いてみると、窓口近くに見ず知らずの若いお姉さんがいて、本人が頼んでいるのを聞いてかわいそうになりお金を援助したとのことでした。残念ながら、そこまで手を打っていなかったので、目論見は結果的には頓挫してしまいました。

 ここでの私の意図を述べます。まず本人の性格を踏まえて挑戦させたいと思っていました。度胸を出して人に頼む、うまくいけば5円負けてもらえる、困ったら人は助けてくれるんだという人間に対する信頼感を持つことができる、もしだめなら先生と歩いて帰る、人生何とかなるという思いを本人に持ってもらいたいと思っていました。さらに、歩いて帰るというこの二人の行動を周りの友達も注視しています。面白いことをするなとか、そんなふうに考えればいいんだとか、ある状況に対する身の処し方や考え方(生き方)を具体的に教えることができると構想していました。さらに、子どもたちはこの事実を家庭で保護者に話す子も多いと思います。ユニークな指導ですから。保護者はこの話を聞いてきっと好感を持つと思います。先生が子どもに寄り添って指導してくれているということです。このように次々と惹起してくる課題を読み解き、プラスになるように対応することで、子どもたちを成長させることができると、私は思っています。今の世の中、きっちりしすぎて、何とかなるなんて言う人生観が持てなくなりつつあります。その結果として、いろいろな精神的な問題を抱えている人も増えていると私は思っています。だからこそ、子どもたちはおおらかに育てたいと思い続けてきました。今回は予定通りには挑戦できませんでしたが、是非皆さん方の取り組みで、参考にしていただけたらと思います。

 さて、今回二つの事例を提示しました。二つともあらかじめ予想していたものでなく、偶然発生した事態に対しての対応でした。次の号ではあらかじめ意図的に計画した取り組みを紹介したいと思います。

平成28年10月21日

「学力と人格の一致」の授業 −具体例 その1

 今までも具体的事例をいくつか提示してきましたが、ここ何回かは、私が取り組んできた事例をいくつも紹介します。いくつもの事例を通して、私が考えている「学力と人格の一致」の授業とは何かをより具体的に理解していただければと思っています。同時に、具体的な事例を参考にして、ご自分なりの取り組みを工夫していただけたら、私としてはうれしく思います。ただ、私の経歴が小学校ばかりですので、中学校の事例を提示できないのが残念です。小学校で以下の内容レベルで取り組んできました。年齢が上の中学校では、小学校以上に自分たちで学校生活を取り仕切っていくのだという意思を持つように指導していただけるといいのではと思います。

 すでにお話ししていますように、学びを通して、意図的に人格を形成していく実践です。その取り組みは内容的に区分すると、二つあると思います。一つは、学習内容そのものを人格が育つように工夫し、子どもに提供することです。教科の内容特性から人格形成に直結しているものと、そうでないものとがありますが、国語や社会は前者として工夫しやすい教科だと思います。他方、算数・数学や英語はそうでない教科だと思います。もともとの学習要素の特性を踏まえて取り組めばいいと思います。例えば、社会科なら、特に歴史分野では、縄文時代、弥生時代、・・・江戸時代・・・戦後と学習していきますが、私は最後に、「歴史を勉強して」のようなテーマで、レポート報告を求めます。私が子どもたちから期待するのは、「先人たちが、長年にわたって、この平和で、民主的な日本の国を作ろうと努力してきたことがわかりました。私たちもさらに日本の国だけでなく、世界中の人々が平和で幸せに暮らせる世の中になるよう私もがんばらなければと思いました」というような生き方を踏まえた思いです。そのためには数十時間の授業を、子どもたちがそのように理解できるように展開を工夫しなければなりません。もう一つは、子どもたちは教師と子どもあるいは教師と複数の子どもたちで学習や生活を営んでいます。この人間関係において、日々学校生活を送っています。ですから、人間関係の取り扱い方によって、子どもたちの人格(心)をよい方向にもわるい方向にも育てることになるのです。

 そこで、まずは授業を通して、人間関係で子どもたちの心を育てる実践を複数提示したいと思います。取り組んだ目的、時期、内容など共通要素のあるものを毎回まとめて提示したいと思います。今回は小学校中・高学年を念頭に四月当初の取り組みを述べたいと思います。

 四月の始業式の日には教科書を配ります。当然、このような事柄でも心の形成について考慮したいものです。普通はすぐに配布できるようにとの思いから、先生方は春休み中にご自分で重い教科書を教室まで運ばれる方も多いと思います。しかしながら、私はいつのころからか、そういうことはしなくなりました。始業式の日の朝のショートタイム、「教科書、職員室の先生の机の上にあるので、取りに行ってくれる人」。「ハイ!ハイ!ハイ!」と、大抵元気な男の子数名がすぐ反応して手伝うと意思表示してくれます。この子たちが、「このクラスで幅をきかせているのだなぁ」と、クラスの実態がわかります。「じゃ、今手を挙げた子、とりにいって」と、すべて子どもに任せるか、私が先頭に立って連れ立っていくか、瞬時に判断します。ある程度頼りになると思えば任せますし、頼りなくて任せられないと思えば連れ立って行きます。教科書を持ってくる様子を見て、このクラスの前学年までのクラスづくり、一人一人の育ち具合を推し量ります。その様子を見て、さらに教科書を配らせるかどうかも判断します。一連の行動を通して、取りに行った数名がみんなで協力的に事が運べていたら、うまく育てられているということになります。反対に、途中でもめたり、廊下で教科書を落としたりすれば、このクラスはうまく育てられていないんだと判断できます。配布が終わった段階で、「君たちが手伝ってくれて先生助かったわ。ありがとうね。また、次も手伝ってよ。」と、教師の思いをはっきり伝えることです。他方、今日手伝ってくれなかった子でもこのやり取りを聞いていて、次は手伝おうと思う子も出てくると思います。このように、ちょっとした場面でも対応の仕方によって、子どもたちの心−自らやろうとする意志や教師との意思疎通を育てることができると思っています。ただ、どうしてもこういう呼びかけに応じてこない消極的な子もいます。そのような子が問題なのですが、消極的な子も自分から手伝おうとする友達の様子は見ています。ですから、自分からは行動には踏み出せないのでしょうが、心の中では手伝ってもいいかなという変化は起きていると、私は推察します。そこで、手伝ってほしい場面に遭遇したら、教師から「OOくん。職員室の先生の机の上にOOが置いてあるのでもってきて」と指示すればいいと思います。そして、うまく取りに行けたら、「ありがとう。次も頼むよ」と、教師の期待する気持ちを投げかけておけばいいと思います。人は期待をかけられて育つものだと、私は認識しています。子どもたちの世界だけではなく、職場の大人でも同じです。職員や市民と何かを取り組むときはそういう意識でもって臨んでいます。そうすると不思議にみんな協力してくれるように思います。

 先生方は、時間割表はどうしていますか。おそらく、始業式か次の日ぐらいにはきれいに印刷した時間割表を子どもたちに配られると思います。私はそういうことはしません。始業式の日に、子どもたちに、「2〜3日中に、時間割りの表を作っておいてください」と指示します。4日ほどしてから、「明日、時間割表を持ってきてください」と指示します。朝の会の時間などで、「書いてきてくれた表を机の上に出しなさい」と言います。机間巡視し、表をチェックします。上手に心を込めて書いてきたと思われる表をかかげ持って、「どうや?みんな見て。OOちゃんのはとてもきれいに書けているね。」とほめます。「OOちゃん。とても頑張りました。はい、拍手」と、その努力と工夫をクラスのみんなでたたえます。「先生が何かをしてきなさいと言った時はこのように工夫してくれるといいですね」と、先生の思いと願いをはっきり言います。このように具体的な場面を通して、先生は何を子どもたちに求めているのか、理解させていきます。そうしますと、先生の言うことを聞いて頑張ろうと思っている子から、先生の期待に応えて取り組もうと努力してくれると思います。こういった流れを新しいクラスで一日目から意図的に作り上げていきます。日々のちょっとした取り組み方を変えることによって、先生の指示通りに頑張って学習に励もうというクラスが形成できるのではないかと思っています。

 新しく担任をして2〜3日すると、クラスの中に差別されている子や見下されている子の存在が見えてきます。前任者がしっかりした教育観を持って民主的な学級集団を作っておいてくれればいいのですが、大概は厳しいです。クラスの中には学習に遅れがちな子、運動が苦手な子、肥満傾向の子、家庭が経済的に恵まれていない子、性格が個性的子などいます。子どもたちに人権意識が育成されていなければ、かならずクラスの中には差別意識や言動が渦巻いています。当然のことながら、差別されたり、見下されたりしている子は自信を無くしています。そのような子は自分から授業中に発言などするはずもありません。私は5年生ぐらいを受けもつと、このような課題を払しょくするために登り棒に取り組ませます。

 それでは、登り棒の取り組みを紹介します。校庭の隅っこによくあると思いますが、3メートルぐらいの鉄棒を10本ほど立てかけたものです。その鉄棒を登って遊ぶ遊具です。上手な子は上層にある鉄棒を支える平行の鉄の棒の上に立ちます。手と足首を上手に使い登ります。筋力が必要ですし、手足の使い方が求められます。高いところに立たたなければならないので怖さもありますが、頂上に立ったときにはそれなりの征服感があります。ただ、取り組ませる前から推測できますが、ほとんどの子どもたちは登りきれますが、数名の子は困難を極めます。特に、肥満傾向の子は体の重さに対して、腕や足の筋力がついていけません。ですから、どう工夫して取り組ませるかがポイントとなります。まず、体育の時間に取り組み方の説明をします。4〜5人の学習グループで取り組ませます。グループ全員が頂上に立てたら、「みんなできました」と、先生に報告に来るように指示します。その報告を受けて、私が確認に行きます。全員スルスルと頂上まで登れたら、「はい、合格」と言います。たいてい、「わーぁぃ」と喜びます。下から、「万歳って言いな。」と指示しますと、子どもたちはうれしそうに、「万歳!」と、声高らかに叫びます。降りてきた子どもたちに「頑張ったね。本番は体育の時間にみんなの前でやってもらいます」と努力をたたえます。次の体育の時間に、できたグループが順番に登ります。クラスメートから、拍手でたたえられます。このように次々とできるグループが増えていきます。しかし、肥満の子(A君とします)をかかえたグループは困難を極めています。他の子はすでにできているのに、Aだけは全く登れないままなのです。しびれを切らせた子どもたちは私の所に訴えに来ます。「先生、A君は少しもできません。どうしたらいいですか」と。私の出番です。登り棒の所に行きますと、Aは汗を流しながら腕を上の方に伸ばしてダラッと疲れた様子で鉄棒にしがみついています。他の子に「登ってみてください」と言いますと、簡単にスルスルと登ります。「Aくん。しっかりやれや!」と激を飛ばすと頑張らなければという思いはあるのですが、30cmほど自分の体を持ち上げたところでぶら下がったまま上へは上がれません。しばらくすると力尽きてズルズルとずり落ちます。私も内心、難しいなぁと思いながら、策をめぐらします。そして、思いつきました。手を交互に一回、二回、三回ぐらい上へ移動させるぐらいならできるだろうと思いつきました。そのようにさせてみるとできることがわかりました。それで、本人とグルーブ員に「手を交互に三回動かし少しだけ登ることを、毎日、百回やってみて。他の人は頑張ってやれるように応援して。わかったな」と指示しました。一週間ほどして、グループの人に、「どうや頑張っているか。見せてもらうわ」と、みんなで連れ立って点検に行きました。「さあ。A君頑張って」と励ましました。やらせてみると以前より簡単にやれるようになっています。私はうれしくなって、「すごく上達した。頑張ったな」と本人の努力をたたえました。A君も少しほっとした様子で、微笑み返してきました。そこで、「今度は、手を変えて、5回やってみて」。何回かやらせるうちに少しやれるようになりました。やれそうなので、「同じように、5回を百回をやりな。がんばるんやで。必ずできるようになるから」。このようにステップを小刻みにし頑張らせました。平行な鉄棒の上に乗るのは少々難しいと思ったので、「上の棒にタッチできたら合格や」と、言いわたしました。数日後、グループの子が息せききって、職員室の私の所に来ました。「先生!A君できました!見に来てください」。見に行きますと、汗ダラダラの彼がいます。「やってみな。がんばって!」。スルスルという感じではありませんが、上の鉄棒にタッチすることができました。「合格!」と大声で叫んでやると、うれしそうに満面の笑みで微笑んでいます。私は降りてきた彼の頭を撫でてやりながら、「よく頑張ったな。よかった。よかった。万歳!万歳!」と努力をたたえてやりました。他の子どもたちも一緒に万歳をしてくれました。この後、体育の時間みんなの前で披露させました。

 ところで、この取り組みの意義は、自分はダメだと思い込んでいた本人の意識とクラスメートの「A君は何もできない」という思い込みを打破したことです。同時に、私はこのような取り組みを通して、指導のポイント、コツを体得してきました。いったん取り組んで途中で頓挫させたら、それこそ、その子どもに恥をかかすことになります。取り組みだしたら、必ず成功させなければなりません。そのためには前回の平成28年9月1日号でも述べましたが、「必ず達成するぞ」という指導者の強い決意が求められます。次にできるようにする手立てです。今回は手を交互に代えていくことの段階を踏ませたことです。言われてみると簡単そうに思えますが、初めて取り組むときはいろいろ考えなければなりません。最後に、子どもとともに喜んでやることかなと思います。

 さて、以上のようないくつもの取り組みを通して、ゴールデンウイーク前には、子どもたちはしっかりと教師の指導下におかれてきます。私の指示が通るようになったら、その状況を利用して3S学習を軌道に乗せるため、次々と学習の仕方を指導します。私も教員なりたての頃はこのように段取りよく子どもたちをリードできていませんでした。四月当初、子どもたちは初めての先生ということで緊張していますが、しばらくすると先生の指導力のなさを見透かして緊張も解け、徐々にだらけてきます。それを押しとどめるには、教師は大きな声で叱らなければなりません。毎日叱られてばかりでは子どもたちも嫌になります。しかしながら、実力がなければ、これが教室の現実です。他方、教壇に立って何年も経験をしてきたベテランの先生方はそれなりのいろんな方法で私と似たような解決策を編み出していることでしょう。そのような質の高い教育方法を使って、だんだんとクラスをまとめていきます。そういうクラスでなければ、国の学力テストの点数も獲得できませんし、いじめの発生も防止できません。

 次の号では、校外活動の場面をいくつかまとめて報告したいと思います。

平成28年10月12日

3S学習のめざしているものは何か ― 「学力と人格の一致」の授業

 平成23〜24年ごろの市内中学校で発生した生徒の問題行動は、長年教育に携わってきた者の一人として忘れることのできない衝撃的な出来事でした。7〜8名ほどの生徒が授業中教室を抜け出し、廊下でたむろします。廊下の電気のスィッチは指で押し込み壊されます。玄関口のホールで数名の生徒がトドのように寝転んでいます。小学校以来、7〜8年間、われわれ教員はこれらの生徒に対して何を教育してきたのだろうと自虐的な気持ちになりました。もちろん、私が目にしたことは彼らの好き勝手な行動の一部にしかすぎません。毎日のように、これに類似した行動をしていました。私はこれらの場面を目にして、「これが中学生・・・」かと、愕然としました。この状況を改善しようと、教員も必死の努力を続けてくれていました。しかし、わがままし放題の彼らは、教員が厳しく対応しょうものなら激昂してくるのは目に見えています。如何ともしがたい、厳しい状態がしばらく続きました。その後、教員や関係者の努力と時間の経過の中で、現在は平静を取り戻しています。

 初めての校長として、あるへき地の学校に赴任した時です。私は一日目から、子どもたちの様子がおかしいと感づきました。彼らは新しい先生に出会っているのに、ほとんど反応なし。子どもらしい人なつこさのないのが気になりました。数日して、以前からおられる方にそのことを話しましたら、「そうですか」とあまり気にしていない様子なので肩すかしを食いました。私の受け止め方が間違っているのかなと思ったりもしましたが、その後も、私は最初の印象をぬぐうことはできませんでした。しばらくして、養護教諭に聞いてみると、少人数の学校にもかかわらず、数名の子どもたちが休み時間になると、グズグス言いながら保健室に入り浸っていることがわかりました。この実態を聞いて、「やっぱり、そうか」と思いました。少人数の学校はファミリー的でみんな仲良く住みやすいとばかり思っていましたのに、少し違うなと思うようになりました。その後、今まで以上に子どもたちの言動や表情を注意しながら見ていますと、平穏無事なのは表面上で、多くの子どもたちは大なり小なり発達上のいろんな課題や人間関係に悩んでいることがわかってきました。そして、最も問題なことは、そういった子どもたちの抱えている課題を先生方はあまり気にしていなかったことです。なぜなら、表面上秩序が保たれ、日々の教育活動は淡々と遂行されていたからです。

 今の私は、中学校の目に見える問題行動も問題ですが、子どもたちの心に巣くっている悩みにも目を向けて解決してやらなければならないと思い続けています。では、このような問題を日々の教育実践の中でどのように解決していくかを、今回は考えてみたいと思います。

 このブログの数回前、平成27年8月20日付、平成27年10月25日付で、3S学習の一つの到達点として、「焦点化 → 追求」の授業を提案しています。この授業は話し合い学習が中心的な内容ですが、この授業に取り組んでみますとすぐに壁にぶつかります。例えば、発表する子はするが、発表しない子はしません。そこで、私は発表しない子はなぜ発表しないのだろうと考え続けてきました。そうしますと、その原因が推測できるようになってきました。学習があまり得意でないので間違うと恥ずかしい、授業が分かりにくい、もともとおとなしい性格、クラスに睨みを利かす子どもがいてのびのびと振る舞えない、担任の先生になじめないなどいろいろあると思います。それらを項目的にまとめてみますと、

・授業内容や授業の展開の仕方がわかりにくい
・教師の話し合いのさせ方がまずい
・本人が引っ込み思案など、性格的な問題
・教師と子ども、子どもどうしの人間関係が親和的でない

などです。そこで、それぞれの子ども、クラス全体のこういった背景にある課題を一つ一つ除去、克服していくことが必要だと考えました。その工夫と努力が具現化されてきますと、

・話し合いが深まる
・話し合いが楽しいと感じる
・自分からやろうとする
・みんなと一緒に協力する
・一生懸命取り組む
・相手の言い分や立場を聞こうとする
・笑顔が見られる
・周りを必要以上に気にせず、自分の思いを言える
・いろいろ考えようとする

など、「焦点化 → 追求」の授業が成立するだけでなく、子どもの心や態度、クラスの雰囲気が好ましいと思えるようになってきました。私は、この授業実践を「学力と人格の一致」の授業と呼び、先生方に理解・実践していただけるよう働きかけてきました。わかりやすい言い方で言えば、授業とは1+1を指導しながら、子どもの心づくりを同時にすることです。逆に、心が育つことで、学習に今まで以上に積極的に取り組んでいくようになると考えています。しかしながら、今までは生徒指導、教育相談、学級づくりなどと称して、教科の授業時間以外の所で心づくりをしようと努力してきました。しかし、よくよく考えてみますと、一時間目から六時間目の教科学習の中でこそ心の陶冶を意図すべきと考えるようになってきました。他方、教育現場の授業を直視しますと、「1+1」を指導するのが精いっぱいで、心の陶冶などにまで心配りをする余裕のない教員も多く見られます。特に、経験年数の若い教員には致し方のないことですが、実はそうも言ってはおれない状況を指摘させてもらわなければなりません。ストレートに言えば、子どもたちの心を日々の授業を通して育てているどころか、踏みにじっている場合があるのではという危惧を持っていただきたいと思います。このように偉そうに講釈している私ですが、過去の自分の実践を振り返ると、「多くの子どもたちの心を傷つけた」と反省しています。もちろん、このことに気づき始めたのは教職、15〜20年を経過してからのことです。そして、子どもたちの心を傷つけることが少なくなってきたなと、思うようになったのはさらに後のことです。ですが、このような私の経験を理解していただくことは教員としてとても大事なことと確信し、後輩たちに言い続けていかなければならないと思っています。そこで、そのような実例を次に述べてみたいと思います。

 体育の時間や市の器械運動発表会に備えて、跳び箱の学習している場面です。体育館に四組ほど跳び箱を並べて子どもたちは練習しています。上手な子どもは6〜7段の高い跳び箱を誇らしげに跳んでいます。しかし、跳べない子たちは3〜4段の低い跳び箱で練習しています。「あぁ、やっているなぁ」と思い、しばらく見ています。でも、跳べるようにはなってきません。その先生は跳べる子に力を注ぎ、跳べない子には跳ばしているだけのようです。やがて、教師の吹く授業終了の笛が鳴り、跳べない子たちはむなしい時間を終えることになります。次の日は跳べるようになるのかなと期待し体育館に向かいますが、全く進展なし。3日目もそのように変わりなしとなってくると、「何とかしなくっちゃ」という教師としての自負心がムラムラと湧き起ってきます。指導の先生に、「先生、このグループの子どもたちは何日も練習しているのに、少しも跳べるようになりませんわ。私、指導してよろしいか」と、指導者の了解をとります。30人ぐらいのクラスで、4年生程度なら、7〜8人は跳べない子がいます。今までの経験から、その日のうちに半分ぐらいは跳ばせられます。2〜3日でその半分、2人ぐらいの子は跳び箱以前の基礎的な運動を数週間させないとできるようにはなりません。

 では、どのような練習をさせたのか。私は体育が専門でもありませんし、むしろ苦手です。しかし、何日も子どもたちの練習を見ていて、跳べない理由がわかってきました。そして、素人の私にでもできるということに確信を持っています。なぜなら、3〜4段を跳ばせることはまったく高度な技ではないからです。跳べるようにならない理由は3つほどあります。まずは、跳べない子を絶対跳べるようにしてやるという教師の気概,迫力、情熱などの思いがないからです。私は、「できない子、分からない子のために教師がいる」という思いで指導をしてきました。できる子は指導しなくてもできます。目をかけてやらなければならないのは「できない子、分からない子」です。二つ目は跳ぶための技術です。手は跳び箱のどこにつくか、踏切をどのように踏み込むかなどです。こういった跳べるための基本をしつこく教え、実行させていないからです。3つ目は、跳べない子は跳ぶ気をなくしています。その理由はいろいろあるでしょうが、跳び箱は跳び落ちなければならないので怖いなどの心理も働きます。さらに、何日も練習しているにもかかわらず、できるようにならないので跳ぶ気が失せているからです。

 次に、どのように指導するのかです。上記の実態を克服するように実行すればいいだけなのです。私の経験では、子どもたちには努力させれば必ずできることがわかっていますので、「今日は絶対跳ばせてやる」という強い決意で体育館に行きます。まず、跳べない7〜8人の子どもを集めて、跳び箱を跳ぶ技術をしっかり理解させます。踏切の前でスピードを緩めないこと、走ってきて、「パッ、パッ、パッ、パーァン」とリズミカルに踏み切ることを教えます。手をつく位置は跳び箱の向こう側につくこと、手をつく位置を跳び箱にチョークで書いてやります。「怖いかもしれないけど、向こうへ落ちるつもりで」と教えます。恐怖心を取り除くために、当初は跳び箱の向こうに分厚いウレタンマットを置いてやるのも一案です。また、上手に跳べる子の見本を見せたりし、頭の中に跳べるイメージを作らせます。それでは始めます。跳べない子全員を順番に跳ばせます。「先生の言う通りすれば、必ず跳べるからがんばれ!」と、激をとばします。今までの経験ではこれだけの指導で跳べる子も出てきます。なぜなら、教師の気迫が子どもに伝わり、「頑張らないと」と思うからです。跳ばせている間も、「もっと踏切をポーンと強く踏め!」、「手はもっと先だ!」、「もうちょっとだ!向こうへ落ちろ!」、跳べそうな子には背中に手を当てて、「次はかならず跳べるから」などと耳打ちし、暗示をかけます。1〜2人、すぐ跳べるようになります。跳べた瞬間、私は小躍りして喜んでやります。ですが、この状態をこのまま続けていても、さらに、次の子が跳べるようにはなりません。そこで、この時点で、跳べる子、跳べない子のチェックをします。跳べた子は跳び箱の周りに座らせ、跳べない子だけをさらに取り組ませます。仮に5人だけ残ったとします。5人をもう一度跳ばせます。そして一番跳べそうな子を選びます。そして、その子だけを跳べるまで連続して跳ばせます。もう一度、彼の問題点を克服するよう助言し、「かならず跳べるから」と暗示をかけます。一方、跳べて、跳び箱の周りに座っている子どもたちには、「A君を応援しょう」と指導します。「がんばれ!がんばれ!」と、大きな声で応援させます。A君が一回目跳べなかったら、二回目、三回目と跳べるまで連続して跳ばせます。一回跳んで休ませると、気持ちが和いでしまうからです。みんなの応援もあるので、本人もだんだん本気になってきます。「君ら、応援足らん!」と言い、応援も真剣にさせるよう仕向けます。「もう少しだ。今度は跳べるから」と励まします。そうすると、不思議に跳べるのです。「跳べた!万歳!」と、みんなで喜んでやります。できたA君には、「A君はこちらに座って、応援して!」と。「次はB君」というふうに取り組みます。このような指導で、大半はその日のうちに跳べますが、2人ほどはどうしても跳べません。跳び箱の前方に手をついて足や上半身を前へ持っていくことができないからです。お尻が跳び箱の真ん中あたりに着地するのです。このような子には跳び箱の練習以前の基礎的な運動で補強してやる必要があります。かえる跳びで、足の着く位置を手をついた向こう側へ着地させる練習を何時間かさせます。しばらくさせてから、跳び箱を跳ばせます。それを繰り返していると、ある時パッと跳べるようになります。このように子ども一人一人の課題を、一つ一つ取り除きながら跳び箱に向かわせます。必ずみんなできると思います。跳び箱3〜4段は最低ですから、何としても全員クリアしてクラス全員で喜び合いたいものです。

 さて、こういう経験を何年にもわたって取り組んできた私は、「何日も何日も跳べないまま練習させている指導って何なの?」と思います。できるようにならない指導の場面に直面すると、いつも悔しく思います。できるようにし、みんなで喜び合いたいものです。跳べた時には、「跳べた!跳べるやん。よかったね。これからもがんばろう!」と、努力をねぎらうと同時に、つぎも・・・と、未来に希望を持つように声掛けをします。子どもの喜びに満ちた笑顔を見るのが教育ではないかと思います。わたしは「たかが跳び箱、されど跳び箱」で、子どもたちの心を育ててきました。毎日跳んでいて、今日も跳べなかった、次の日も・・・では、子どもたちの心を育てるどころか、子どもたちの自尊心を毎日打ち砕いているようなものだと思います。跳べたという経験をさせないで、算数や国語の時間に「みんな、発表しよう」と呼びかけても、発表する気にならないのは当たり前だと思います。みんなができることを必ずやらせきり、自信を持たせることです。そうすれば、自分から「発表しよう」という思いを持ってくると思います。

 もう一つ、具体的な事例を紹介します。話し合い学習の場面です。ある子が発表します。「OOだと思います」と言って、その子が座ります。すぐに、他の子が「他に意見があります!」「ハァイ、ハァイ!」と勢いよく指名を求めます。その時、多くの教師は「他に」というように、すぐ次へ進みます。私はいつも思います。初めに発言した子どもの意見は「どうなったの?」と。あっているのか違っているのかわかりません。また、周りの子どもたちもその子が言っていることを理解したうえで、次の指名を求めているのかも不明です。みんなの前で勇気を出して発表してくれたのに、「はい、次」というように次に移られたら、「私の発表は何だったのか」と、発表した子は思うと、私は思います。もっと発表した子の気持ちをくみ取り、一つ一つの発言を大切に扱ってほしいと思います。せめて、「なるほど、君の考えは・・・なの?」と、反応するなり、板書するなりしてほしいと思います。できれば、さらに詳しく問いただして、発表者の意図を具体的に聞いてほしいと思います。特にあまり学習のできない子の発言だと、教師には最初から違うと決めてかかる傾向はないでしょうか。私はそうでした。なぜなら、表現は稚拙な場合が多いので、その時点では教師の立場からすると間違っていると判断しがちです。しかし、後でその意見が復活する場合もあるのです。私は教師として、そういう経験を何度かしてきました。ですから、この時点で教師が間違っているなと思っても大切に扱うようにしてほしいと思います。子どもたちが「発表してよかった」と、思えるように対応しなければならないと思います。

 少し横道にそれますが、中学生の時、私は次のような経験をしました。私はとてもやる気のある生徒でしたので、中学生だというのに先生からの質問に対してはいつも手を挙げて発表していた記憶があります。国語の時間も発表していました。しかし、私が発表すると、先生はすぐに「他に」というような反応をしますので、次の友達が発表します。そうすると、先生は「そうですね」と、「正解です」というような反応をされ友達の意見を板書します。私はその時点で自分の意見が間違っていたことを自認するのです。このように粗雑に扱われながらも、その後も発表し続けました。しかし、さすがに私も自信を無くして、あまり発表しなくなったと思います。そして、国語に対して苦手意識を持つようになったと思います。教師になり、授業実践の力が高まるにつれ、この場面を思い出すようになりました。そして、同時に苦々しく思うようになりました。私が中学校で受けたような授業を自分は決してしないようにと心がけてきました。私が当時の国語の授業に対して不満に思う一つ目は、私の考えはあっていたのか、違っていたのかはっきりしてほしいことです。次に、違っていたとするとなぜ違っていたのか、理由を知りたいです。そのことが分からないままでは、何のために頑張って発表したのかわかりません。発表して恥をかかされただけだと思います。さらに、教育者としての今の私は、ひょっとして私の意見はあっていたかもしれないと思っています。その時、「君はどうしてそのように考えたのか。もっとくわしく」と言うように、私の発言の意図、思いを聞いてもらえていたら、もしかすると正しかったかもしれないと思うようになっています。先生の考える観点だけで、○、×を判断するのは危険だと思います。今、私はつくづくそう思います。今さら、その時の先生に不満を持つつもりはありません。教師主導の授業で、当然の時代だったのですから。しかし、今は、「一人一人の個性を育てる」というのが国の方針ですし、教育で育てるべき子どもたちの資質はまさに「意欲的に学ぶ」子どもの育成ですから、私が受けたような授業からの脱却は絶対だと思います。

 話を元に戻しますが、3S学習を本当に実現しようと思い、あらゆる場面でこのような努力や工夫をしてきた私は、やがて、次のような思いを強く持つようになってきました。授業とは「1+1」を指導しながら、同時に子どもの心を形成することだと。よくよく考えてみれば、3S学習は、「主体的学習態度の育成としての3S学習」と言われています。ですから、私は今、3Sとは子どもたちが主体的に、意欲的に学ぶように手立てされた授業方法なのだと理解しています。そして、3S学習を実現するためには、主体的、自主的に学ぶのを阻害している原因を取り除くように授業を改善すると同時に、さらに主体的に学びたくなるように授業を創造し、子どもたちに提供することなのだと思うようになってきました。また、このような取り組みを通して、主体的に学ぶ子どもたちを育てるって、それは学力だけでなく子どもたちの人格を同時に育てることなんだという思いに行きついています。授業を通して人格を育てる授業が実践できれば、初めに述べた中学校の問題行動やへき地の学校の問題事象なども、多少なりとも未然に防ぐことができるのではないかと思います。若いときから、教育理論的な著書を読んできて、教育とは「学力と人格の一致」の授業を実現することだという表現にしばしば出会ってきました。その頃は、実際のところどう具現化するかは見えていませんでした。今、私は68歳です。いつまで、このような持論を主張し続けられるかわかりません。小浜市の先生方が、私が獲得してきた授業観を参考に実践していただけたら、小浜市の子どもたちは今まで以上に生き生きと学習に向かってくれると確信しています。今後も3S学習が、「学力と人格の一致の授業」として理解され、実践されることを願っています。今後、ブログで実践事例をできる限り提示していきたいと思います。興味のある方は、ぜひ、続けて読んでみてください。ただ、多忙なので、新しい原稿をなかなかアップできないことをご承知ください。

平成28年9月1日

子どもたちの指導に当たる者の心構え

 今から46年も前に教壇に立ち始めた私は、試行錯誤を繰り返してきました。その間、子どもたちと保護者の皆様には行き過ぎた失敗ばかりで、多くの迷惑をかけてきたと思っております。今なら、教壇から放り出されるのではないかと思います。若気の至りで、反省するばかりです。しかし、常にやる気満々で取り組んできて、今日に至っています。

 いつの頃からか、子どもたちの前に立つときには、自分に言い聞かせている言葉があります。

「子どもたちには敬意の念を持って指導しよう」

 若いときはクラスの秩序を保つのに必至でしたので、自分のやりたいことに有無を言わせず従わせるという姿勢で臨んでいました。「自分が子どもを抑え込めるか、子どもに混ぜかえされるか、戦いだ」という緊張した思いで教壇に立っていた時期もありました。子どもたちの気持ちを忖度するなどということに思いめぐらせる余裕はありませんでした。

 しかしながら、指導に余裕ができ、自分の指導を大局的に反省することができるようになった時、「ああ、この子たちは数年後には体力も知力も自分を上回るのやなぁ。そして、将来の日本を、自分たち年取ったものに代わって担っていくんだ」ということに気づきはじめました。このことを実感したいくつかの機会がありました。

 私自身、質の高い授業が実践できるようになるにつれ、子どもたちの能力は飛躍的に向上し始めるという事実に直面しました。子どもたちとプールで泳ぐ競争をしょうものなら、子どもたちに負けるのです。話し合いの学習をすると、わずか十年前後しか生きていないのに、私が予想もしていない意見を発言する子が出現するようになってきました。「子どもたちの能力はすごいなぁ」と思わざるを得ませんでした。さらに、子どもたちの年齢に自分自身をおいて振り返ってみた時、「自分は目の前の子どもたちほど、できなかったなぁ」と思うようになってきました。この状況を冷静に受け止めた時、子どもたちに投げかける言葉は、「OOちゃんの考えはすごいねぇ。先生もそんなこと思いつかなかったわ」、「OO君の方が先生より上手に泳げる。先生の負けや」というほめことばを子どもたちに投げかけることができるようになってきました。指導者と指導されるものの関係は不思議なものです。教師に指導力がない時には、子どもたちは不満に思ったり反抗したりするのです。その事実を理解しないまま、何とか抑え込み自分の意のままに指導しようという思いから、子どもたちを叱り飛ばし、グチグチ小言を言うようになっていました。しかし、自分の指導力が高まるにつれ、子どもたちの能力も飛躍的に高まってきます。そうなると、小言を言う必要はなくなってきました。子どもと自分の関係も、良好になってきます。このようになるまでには、10年以上の格闘は必要だったと思います。

 以前、5年生の国語の教材に、『石臼の歌』坪井栄 著 が掲載されていました。あらすじは次の通りです。

 祖母と孫が石臼を引いています。あまりやる気のない孫の様子を見て、祖母は孫を励まし励まし、二人で回しています。ある時、広島に原爆が投下され、離れて暮らしていたお母さんが亡くなります。自分の娘を亡くした祖母は落胆し、回す気力をなくします。その様子を目にした孫は自分の役割に気づき、まわし始めるという内容です。若いときにはこの物語を読んでも、「つまらない物語だなぁ」と、何も感じませんでした。しかし、ある時、「あ!そうか」と気づきました。これは世代交代の物語なんだと、次の時代を担うのは若い人たちなんだと気づきました。若い人たちに期待をかけていく思いが年配者には求められているんだと気づきました。その時から、子どもたちを見る目が変わったように思います。学校で子どもたちに教えるという仕事は単に教科書を理解させていくことだけではなく、日本の未来を背負って立つ人材を育てているんだということに気づかされました。それ以降、子どもたちの前に立つときはいつも心に、「日本の未来を背負ってくれる子どもたちだ」という思いを胸に、授業に臨んできました。このような視点で子どもたちを見ますと、子どもたちは一層輝いて見えます。残念ながら、時々輝きを失っている子や少し落ち込んでいるクラスを見かけることがありとても悲しくなります。と同時に、次のような強い思いがこみ上げてきます。教壇に立たれている先生方へ、「すべての子、すべてのクラスが生き生きとなるよう、自分の力量を高める努力をしてほしい」。これが今の私の切なる願いです。

平成28年5月20日

「焦点化 → 追求」の授業の実現に向けて ― すっきりした指導案を構想するための教材研究のあり方について

 毎年、小浜市教育委員会では、指導主事がすべての学校へ出向き、「指導訪問」と称して授業参観を実施しています。以前、自民党と社会党が対決していた数十年ほど前までは、文科省は、教育現場が指導要領通りに授業を実施しているかどうかのチェック機能として指導訪問を実施していたように思います。しかし、ソビエトが崩壊し自社対決の50年体制が崩壊すると、そのような規制が必要でなくなり、指導要領からはみ出していないかどうかのチェックはあまり意味を持たなくなりました。それよりは新しい時代の求める人材育成を実現する質の高い授業が実践されているかどうかに、力点がおかれるようになってきたと、私は理解しています。本市でも、近年この視点に立って指導訪問を実施してきました。その結果、時代に即応した授業も実践されるようになってきましたが、課題にも直面しています。今、直面している課題は、授業の計画である「指導案」がゴチャゴチャしていてわかりにくいことです。ゴチャゴチャしているということは、授業者がどんな授業をしたいのか、子どもに何を理解させようとしているのか、はっきりしていないということです。それでは子どもたちに、「わかる授業、できる授業」が提供されません。すっきりした指導案はよい授業をするための基本です。そこで、今年度、市教委は学校現場に、「どんな授業をしたいのか、明確な指導案の作成」を求めています。ここでは、どのような手順を踏んでいけば、主旨の明確な指導案が作成できるのか、具体的な教材をもとに述べてみたいと思います。

 まず、教材研究の手順を述べます。これまで市内の学校現場で実施されてきた指導案作りの手順は、おそらく授業者に指導案を書かせたうえで、その指導案をもとにその学校の教員みんなで検討をするものであったと思います。この手順だと、指導案はすでに多くの時間を使って書かれています。指導案に欠点があったとしても根本的に批判するわけにもいかず、まあまあで終わっていたのではないかと思われます。また、教材の見方も授業者一人の分析ですので一面的であり、不十分であることは否めません。そこで、私は今、指導案作成手順を以下のようにしたらと、先生方に提案しています。授業担当者が指導案を作成する前に、その学校の教員みんなで教材分析をすることから始めようと提案しています。授業の大筋を授業担当者一人ではなく、みんなで分析・確認することを求めています。

 それでは、みんなで教材をどのように分析していくのか、具体的に述べてみたいと思います。ここでは算数でします。算数は内容が単純なので分かりやすいからです。教科書を使用することを前提にします。説明に使う教科書は「算数2上 啓林館」P58を使います。この教科書を準備してくださるとありがたいのですが。

 それでは、はじめに「教材研究の手順」を提示します。

教材研究の手順
@ 本時の問題を確認する
A 本時の問題を前にして、
既習事項は何か、既習の能力は何かなどを確認する
他方、新しく習得させるべき内容、または能力は何かをはっきりさせる
B 子どもたちがつまずくところは?つまずく子は?
C 本時の問題を子どもにどのように提示するか
全部提示か
手ほどきしながらか ← クラスの実態を踏まえて
D 子どもとのやり取りを頭の中で思い浮かべながら、本時の授業の流れを詳細に確定していく。
E ひとりしらべの仕方はどうするか
F 指導案に落としていく(以上の分析を文字化する。)

この手順に従って、実際の教材分析をしてみたいと思います。

問題1 はじめに こどもが 24人 あそんで いました。
そこへ 友だちが 来ました。
みんなで 35人に なりました。
何人 来ましたか。

教科書ではこの問題をテープ図に書きながら解答することを求めています。まず、問題1とP58以前のページを見比べながら、この問題の既習内容と新しい内容を確認します。(教材研究の手順A)簡単にわかると思います。「そこへ 友だちが 来ました。」というくだりをテープ図に置き換えることが新しい学習内容だと思います。それ以外の部分は既習内容だと考えられます。そこで、「そこへ 友だちが 来ました。」がなぜ新しい学習内容であるかを確認することが必要です。具体的な数字が出ていない文章が、途中に来ることは今までの学習ではありませんでした。ですから、子どもたちに理解させるべき本時の内容、育成すべき能力はこの部分にあると、教材を分析します。

 上記のことを踏まえて、次に、問題にそってテープ図に表現していきたいのですが、(教材研究の手順D)その前に、問題1の場面の様子が正確にイメージできていなければ、正しくテープ図を書くことはできません。たとえ、全員できなくても、できた子ができない子に説明できればそのまま進んでいっていいのですが・・・。そこで、イメージができない子が多いようだと、問題文を読ませた後で、「問題の場面の様子を説明してください」と、うながします。そして、黒板の前で、黒板に必要なことを記述させながら、具体的に説明させます。具体例を以下に示すと、

(子どもの板書の様子)

 もちろん、文章の正確なイメージが持てない子どもたちもいるわけですので、このような正解をスムーズに述べられる子ばかりではありません。そこで子ども同士でやり取りをさせて、理解できていない子に理解させなければ、テープ図に移ることはできません。ところで、「文章 → イメージ」の能力は算数というより、国語の能力だと思われます。だとすれば、このことが苦手な学級、子どもたちには国語の授業で配慮する必要があると思われます。国語の授業改善についてはここでは割愛します。機会があれば、別項で展開したいと思います。

 イメージが正確にできたとして、テープ図の書き方に移りたいと思いますが、テープ図に移る前に、二つほど配慮すべきことを述べておきます。一つは、子どもが説明に使ったイメージ図の板書はそのまま残しておくと、テープ図を書かせるとき、イメージ図どおりのテープ図かどうか検討する手立てになると思います。すなわち、イメージ図をたてにテープ図の正誤考えさせたいと思います。二つ目は、○アの「図の書き方」の図は、私たちが実践しようとしている授業では見せない、使わない方がいいと思います。最初から解き方を全部みてしまうと、自分の頭で考えないからです。教科書はこういう部分が丁寧すぎると思います。ではテープ図に移ります。

 「はじめに こどもが 24人 あそんで いました。」のくだりを読ませて、「テープ図に書けるかな」と問いかけます。既習事項なので大半の子どもは、書けるのが当たり前、この時間までに書けるようにしておくべき内容だと思います。ですが、もし、書けなければ話は違ってきます。もちろん、どのような紙、罫線があるか、メモリがあるかなどによって、難易度は異なってきます。また、どのように発表し答えを確認していくかも具体的に想定しておかなければなりません。

 次に、「そこへ 友だちが 来ました。」のくだりの部分ですが、先生が、「どのように書くかな?」と質問すれば、30人ぐらいの学級であれば、おそらく、何人かは「24人のテープの横に適当に伸ばせばいい」くらいのことは発言すると思われます。この「適当」と言う表現は「新しい学習内容」の理解の仕方ではないかと思います。数学的に表現すれば、「仮に」という言い方をすると思います。中学校の方程式にもつながる発想ではないかと思います。「仮に」aやbの文字を使って式を立て答えを出していく発想です。とは言うものの、大半の子どもが正解を考えつくことはありえないことです。そこで、教師が取り組まなければならないことは、一部の理解できた子がそれ以外の理解できていない子に対して、理解できるように説明をさせていくことです。わからない子にわかるように説明させることで、分かる子はよりよく理解できるようになります。また、分からなかった子は友達に教えてもらってよかったと思うと思います。このように授業を通して教え合いを意識的に仕組むことで、子どもたちに学び合いの心が育成できると思います。学び合いのできる協調的な学習集団を形成することは、主体的学習の実践にあっては最も重要なことです。私が常々主張している「学力と人格の一致の授業」です。子どもにさせていると非常に歯がゆいですが、教師が直接指導して理解させたのでは値打ちがないことを理解してほしいと思います。もちろん、子どもたちの手に負えない場合は別ですが。

 ところで、だれも発言してくれない場合はどうするか。また、そのような場合、授業の状況をどのように理解したらいいでしょうか。私の経験から言えば、その学級の子どもたちは忍耐強く学びに対峙させられてこなかったのではないかと思います。少し抵抗のある問題だと考えようとしないのではないかと推測できます。すなわち、授業で「あーでもない。こうでもない」と、考える訓練を受けてこなかったのではないかと思います。子どもたちにとって、この程度の問題は難しいのではなく、「考える学習集団」、「忍耐強い学習集団」の形成がなされていないところに原因があると、私には思えます。とは言うものの、実際に誰も発表してくれない場合はどうするかです。子どもたちの状況にもよりますが、先生からスパッと答えを言う方が子どもたちにはわかりやすいのではないかと思います。たとえば、答えを導き出すためにあれこれ誘導質問をしても、ますますわかりにくくなるように思います。

 他方、できる子にはさらなる能力向上を、どのように求めるべきかも重要です。「24人のテープ図の横に適当に伸ばせばいい」という答えだけで、教師は満足してはいけません。それでは上位の子の能力は伸ばせませんし、後々の難しい問題に対しても立ち向かっていく能力を育成することはできないと思います。そこで、私は、答えを簡単に考えられた子には追い打ちをかけて迫る質問を投げかけます。例えば、「具体的な数字が出ていないのに、なんでテープ図に書くことができるのか?」、「適当に書けばいいって、どういうこと?」と、教師の子どもへの厳しい迫りによって、子どもたちはさらに頭の思考を働かせます。その訓練が数学的な考え方・発想を深化させると思います。この場面の指導はかならずしも正解を求めようとは、私は思っていません。子どもたちの思考の限界をつつくといったイメージで想像しています。ですから、発想の仕方が複数出た時に、一つにまとめ上げなければならないとか、全員に理解させなければならないというようには考えなくてもいいと思います。教師と子どもの、このようなやり取りが将来のより高度な算数・数学を学んでいく下地になると考えています。ですから、授業で大事なことは眼前の問題解決だけでなく、将来の高度な問題処理の発想に関係するのではないかと予測しながら授業を進めていきたいものです。

 次に、「みんなで 35人に なりました。」のところでは、「ここのところはどうする?」と問いただせば、テープ図に記入することを大半の子は容易に処理できると考えられます。

 「何人 来ましたか。」は「どうですか?」と聞けば、「11人です。」と、答えは言うと思います。しかし、ここで大事なことは答えと同時にテープ図を使って、厳密な説明をさせることが必要です。なぜなら、発表した本人が完全に理解しているかどうかと、周りの子に理解させていくことが求められているからです。残念ながら、私は厳密な説明をする授業をあまり見たことはありません。なぜか。それは、教師があらかじめ厳密な説明を考えていないからです。教師があらかじめ考えていないことを、子どもには指導できません。さらに、答えは頭ではわかったけれど、きちんと式にも書かせるしつけをすることです。

 さて、指導者は大概、ここですぐに次の問題に移りますが、その前にしておかなければならないことがあります。一問一答で理解させてきたことのすべてをもう一度、最初から子どもたちに説明させることです。この訓練をどこかで徹底してやることが必要です。手順通りに正確に説明させることが話し合い学習では必要です。教師はどういう説明をさせるのか、あらかじめ紙に書いてみるか、口ずさんでおくぐらいの努力はしてほしいと思います。教員研修で授業者に、「先生が100点と思う説明をやってみて。」とやらせてみると、子どもの説明レベルしかやらない方に時々出会います。テープ図を指さしながら、厳密に手順を追って、分かりやすく端的に説明できることが必要です。100点の説明が教師の頭にあれば、目の前で説明している子どもの説明と比べて、不十分なところを指摘し、(かならずあります)言い直させることができます。全体を通してうまく言えるまで、しつこくやり直しをさせます。一人目の子がほぼ合格点であれば、他の子どもたちにも言わせます。徹底することで、次の場面からはだんだん上手になってきます。

 次に、「教材研究の手順」Cです。さて、ここまでで、教材分析は終わりましたが、振り返ってみて、Cを問い直すことが求められます。非常に訓練されているクラスなら、「全部提示」となります。全部提示とは、「1の問題をひとりしらべしてください。」という課題の出し方で、何も手ほどきはしません。このようなやり方を選択する場合は子ども自身の力で解答できる能力が、この時間までに育成されていると判断できる場合です。全員できなくても、大半の子がある程度できそうだという教師の見通しがある場合です。現実には、P58の1の問題においては大半のクラスでは無理でしょうから、一問一答で上述したように解き方の手ほどきをした方が無難だと思います。

 次に、この問題における課題の出し方です。すでに述べたように「全部提示」の選択であれば、

T 「一番の問題を読んでください。」
P 問題を読む
T 「やれますか?」
P 「はーい」
T 「何か、質問ありませんか?」
P ・・・・(質問がある場合は答える)
T 「では、次の時間のひとりしらべはP58の1の問題をやってください。」

という課題の出し方になります。この場合、@子ども自身でテープ図を書くこと、A書きながら新しいポイントがわかること、B式に書くこと、C全体を通して説明できることなど、不十分であっても自分でやれる、やろうとする能力があると推定できることが前提となります。横道にそれますが、私としては中学校での学習においては、家での予習が絶対必要と思っていますので、小学校高学年の子どもたちには教師の手ほどきなしで解いていく学び方を身につけさせたいと思っています。

 他方、「手ほどきしながら」であれば、

T 「次の時間はP58の1の問題を先生と一緒に考えます。問題を読んでください。」
P 問題を読む
T 「質問はありませんか。」
P ・・・・(質問がある場合は答える)
T 「では、次の時間はP58の1の問題を先生といっしょに考えます。」

となります。

 1の問題はこれで終わりにし、次に進みます。

 次の時間はP58の2の問題に移ることになりますが、2の問題は1の問題と形式的にはまったく同じです。基本的には既習問題ですので、「全部提示」という課題の出し方で取り組ませることになります。このように主体的学習であっても、初めて習うこと(1の問題の場面)については手ほどきしてやることが必要ですが、一度学習したことは既習学習としてできる限り手ほどきなしで子どもの力で解かせるようにします。

 以上から、実際には非常に単純な形式の授業を繰り返していくことで、説き方の方法を習得をさせ、自ら学んでいく技術と意欲をはぐくませるよう仕組んでいきます。40年以上にわたって授業を考え続けてきてつくづく思うことですが、授業というものはその日の1時間をうまくやりこなそうと願い、努力・工夫をすることは大切なことですが、その時間のみで質の高い授業を創出することはできません。何日も、何か月もの積み重ねの中から、質の高い授業が構築されてきます。このように長期的、計画的に形成される能力こそが主体的に学ぶ能力なのです。

 さて、次はF 指導案に落としていく(以上の分析を文字化する。)についてです。
すべてを述べていくと膨大になりますので、最小限にとどめておきます。

 一つ目に言いたいことは簡潔明瞭な指導案を書いてほしいと思います。たとえば、目標を取り上げて述べてみます。

 P58の1の問題の分析から、自ずと端的な目標が導き出されると思います。指導すべきことは「そこへ 友だちが 来ました。」のくだりの部分だけだと考えられるからです。それ以外は附属的なことで、思い切って捨象すればいいと思います。このように考えた方が、読み手にわかりやすい指導案が作成できると思います。ちなみに、私が考えた目標を提示します。

本時の目標(森下の考えた目標)
「そこへ 友だちが 来ました。」のくだりの部分をどのようにテープ図に書くかを考える。
・なぜ、24人のテープ図の横に適当に伸ばせばいいのか、考える。

 表現の仕方は多少修正されてもいいとは思いますが、これだけでいいのではないかと思います。ちなみに、多くの先生方が必ず参考にされるであろう指導書の指導目標を列挙しますので、比較してみてください。

本時の目標(指導書の目標)
・増えた数を求める逆思考の問題を、テープ図に書いて考え、解くことができる。

 自ずと、私の意図がわかってもらえると思います。明快な教材分析こそが、指導者に何を指導しなければならないかを気づかせてくれると思います。

 二つ目に、よく先生方から聞かれる問題ですが、「子どもたちからいろんな意見が出るような課題の作り方を教えてほしい。」というものです。しかし、今まで述べてきた教材分析の結果から見えてくることは、「課題は必要ですかねぇ」ということです。教材の範囲を子どもに示してやることと、その教材をどのように一人調べするのかを理解させておくことで、ひとりしらべはできます。(P58の1の問題で手ほどきして、説き方を指導したこと)

 以上のことを踏まえていただきながら、読み手にも自分にもわかりやすい指導案の作成に努力していただきたいと思います。

追記
 この原稿の点検のため、市教委の指導主事に見てもらったら、目標のみでなく他の項目についても知りたいと言われました。書きたいのはやまやまですが、実際のところ、この原稿も3月ごろから取りかかっています。言い訳をして申し訳ないとは思いますが、私の能力不足や時間的余裕などから今になっています。機会があれば、書いてみたいと思います。

平成28年5月20日

 保幼小連携と小中連携をどう考えるか

 先日、嶺南教育事務所主催の「教育実践交流会」に参加しました。研究発表の中で、「保幼小連携の取り組み」を聴講しました。自分の考えていた「保幼小連携」や「小中連携」の考え方を明確にするのにとても参考になりました。そこで、その報告をしたいと思います。

 発表者は市外のT小学校の先生方、そして、T小学校区の保育園・幼稚園が協力した実践報告です。小学校入学時に不登校や先生の指示に従えない不適応児をなくすためにはどうしたらいいかの取り組みです。「『段差からスロープへ』〜園から小学校へのスムーズな接続を目指して」というテーマで報告されました。このテーマはとても素敵な表現で、実践内容を端的に言い表していると思いました。段差をなくし、連続的にスムーズに小学校に入学できるようにという工夫が報告されました。

 たとえば、園児と児童の交流では

5月 体育大会の練習の様子を見学
6月 生活科「こうえんへいこう」で交流
7月 生活科「なつのあそびをたのしもう」で交流
12月 生活科「むかしのあそびをたのしもう」で交流
1月 児童が園を訪問して交流
園児体験入学で交流

 保育者と教員の交流もなされていて、

園から学校へ
4月 入学後の朝の様子を参観
6月 オープンスクール参観
学校から園へ
6月 公開保育参観
7〜8月 保育園での保育参観

などを取り組んだと報告されました。このように入学前から園児と児童、保育者と教員が交流することで、幼保と小との「段差」を「スロープ」にできるのではないかという提案でした。段差を乗り越えられない子がいるからスロープにしてやれば、より多くの子が抵抗なく小学校生活になじめるのではないかという発想は妥当だと、私も思います。小浜市でも以前から幼保小の連携として類似のことに取り組んできました。ただ、今の私の考えは、連携の中身を、「スロープ」を工夫すると同時に段差を乗り越えられる子を育成することではないかと思うようになっています。今回T小の先生方の報告を拝聴していて、その思いを強くしました。その時、私の頭の中には次のような出来事が駆け巡っていました。

 数年前に、市内の中学校で10名あまりの子どもたちが「問題行動」を起こしました。授業をボイコットするわ、先生に手を出すわ、トイレのものは壊すわで、大変な思いをしました。治めるのに2〜3年ほどかかり、学校全体の学力も低下しました。暴れている子、暴れていない子全員が大事な中学校生活で損をしたと思います。私は教育長として、とても責任を感じています。今、治まっているからという問題でなく、「なんであんな問題が起こったのだろうか。防ぐことはできなかったのだろうか」と考え続けてきました。まずは中学校で発生したことですから、中学校の先生方に責任があると考えています。しかし、暴れていた子の多くは、特定の小学校から入学しています。その小学校は常に学級がみだれていて、きちんと先生方の指導が行き届いていませんでした。

 あるとき、5年生のクラスが学級崩壊状態でした。いろいろ努力をしたのでしょうが、立て直せなかったように思います。その学校の校長が私の所に来て、「もうだめです。私の言うことも聞きません。」と、さじを投げてしまいました。私はこの言葉を聞き愕然としました。「校長先生、貴方がさじを投げては困る。子どもたちの人生が台無しになる。あなたに学校の運営を任せているのですよ。もう一回、体を張って立て直して来てくれ!教育長に『もうだめです』ということは『校長をもうやめます』ということだと、私は理解しますよ。そんな無責任なことは許されんでしょ!」と激怒しました。ただ、一方では私の脳裏には先生方の指導を聞き入れず、授業を受けようとしない児童たちの様子が目に浮かびます。先生方の注意を無視して私語を続ける子どもたちを前にして、ギリギリの精神状態で奮闘する先生方の心情を考えた時、私にも責任がある、教育長として何とかしなければという思いと、どう手を打つべきかを考え続けてきました。その小学校は一年生の段階でも立ち歩く子が多いのは以前から知られていました。教育委員会としても手をこまねいていたわけではありません。何人もの生活支援員を配置し、先生方の支援をしてきました。それでも毎年のように適応できない子に手を焼き、先生の指示なんか聞かなくてもいいという経験をしてきたまま中学校に進学するのです。ですから、中学校で先生方の指示を素直に聞けるはずはありません。自分の気に入らないことがあれば、反抗してくるのは目に見えています。一方、小学校一年生に入った時に先生の指示に従うようになっていないのは、保育園、幼稚園の保育の問題です。そのように考えないと、この問題は解決していきません。もちろん園で預かる段階では、家庭教育が問題なのは当然です。そこで、私は今、保育園、幼稚園の先生方には、「学校に入学した時、きちんと席について先生の指示に従って授業が受けられるように育ててくれ」、小学校の先生には「特に高学年では、きちんと先生の指示に従い頑張って勉強しようという子にしておいてくれ。全員宿題などきちんとしてこれるようにして」。中学校には「学力をつけて、高校入試の平均点を上げてくれ」というような具体的に指示をしています。すなわち、スロープで上級学校にスムーズに適応させるのも一案ですが、同時に「段差」を「段差」として乗り越えていける子を育てることも必要だと思っています。

 小学校に上がって、特に目につくのは体育です。できる、できないがはっきりしています。跳び箱や縄跳び。難なくできる子とできない子、この違いをどう考えるか。九九がすぐ覚えられる子といつまでも覚えられない子。学校は勉強のできることを目指しています。勉強ができないことが先生の指示に従わない子を産み続けていると考えています。中学校の授業参観に行くといつも思います。中学校の教科書の分厚いこと、小学校である程度の能力のある子でも習得するのに苦労するだろうと思います。ましてや、小学校で困難であった子はなおさらです。子どもたちにイライラした気持ちが湧き上がってくるのは想像できます。そこで、私は今、先生方には授業の質の向上に努力してほしいと呼びかけています。質の向上とは今流行の「アクティブ・ラーニング」の授業と、他方、もっと単純に能力をとらえて、(本当は単純ではないかもしれませんが)例えば、暗記力などを高める工夫をしてほしいとお願いしています。教員をしていた経験から学習の習得力の高い子は新しいことでもすぐ覚えられますが、学習の苦手な子は漢字にしても社会科の語句にしてもなかなか覚えられないようです。何回繰り返し練習しても覚えられないと、子どもたちは立ち向かう意欲をなくします。娘が大人になって、ふっとしゃべったことが心に残っています。

「お父さん、私、数学の計算遅かったので、テスト不利やった。計算早いと考える時間や見直しできたのに。」

「あんたら、小学校の2・3年で百マスせんかったん?」

「全然、せんかった」

 このような教師の指導では、子どもたちに計算力つかないのは当然だと思いました。戦後70年、日本の教師たちが編み出してきた指導法の一つである百マスでさえ取り入れられないようでは・・・。そこで、暗記力、体の巧みな動きなど、「脳トレ」などと称して、市内の学校で取り組み始めています。中学校で英語の嫌いな子も多いと聞きますが、単語を覚える暗記力がないからだと、私は考えています。その訓練を適当な学年で取り組めば、きらいにはならないと思います。同様に、今小浜市の保育所では「運動あそび」と称して、体を巧みに動かす取り組みをしています。体を巧みに動かせるようになることで、脳の発達と心の発育を可能にすると考えています。また、「山へ行って自由に遊ばせてくれ」と言っています。仲間と一緒に自然という状況のなかで自主的に遊ばせることで、意欲的な子を育成したいと考えています。近隣では、福井市の岡保保育園が自然体験に取り組んでいます。そこで、ここ2〜3年間は保育士さんに見学に行ってもらっています。岡保保育園はたびたび山へ遊びに行き、自発的な園児の育成を実現しています。今後も、まだいっていない保育士や保護者、そして小学校の低学年の教員に見学に行ってもらうつもりです。保育園は保育園でやるべきことを、小学校では小学校で育てるべき能力を育て、中学校へつなげたいと願っています。質の高い保育・教育、その実現無くして子どもたちの荒れをなくすことはできないでしょう。

 他方、先生方の力量にも差はあります。指導の難しい学校や保育園にはある程度の割合で力のある先生を配置しなければ、子どもたちに立ち向かえません。人事異動で配慮しつつあります。近年、市内の指導困難な小学校には数名力量のある教員を配置しました。この学校も、何とか上向きになりつつあります。学力テストの結果も県平均に近くなってきました。

 幼保小の連携や小中の連携で、現実を直視し確実に結果にたどり着くためにはスロープだけでなく、それぞれの段階の指導の質と指導者の質が求められていると思います。報告を拝聴し、自分の中で連携の意味が明確になった気がします。今後は「スロープへの配慮と同時に、段差を乗り越える子を育てよう」と、先生方に呼びかけていきたいと思います。

平成28年3月15日

「焦点化 → 追求」の授業の実現に向けて ― ひとつひとつのことを考えてやらせる

 ほとんどのクラスでは四月の始業式が終わって2〜3日すると、担任の先生から完成した授業の時間割表が配られます。子どもたちはその時間割表を見て、明日の教科書の準備をしてきます。しかし、いつの日からか、私はそういうふうにしなくなりました。なぜなら、子どもたちには先生から出された課題を、とにかく終わらせればいいという後ろ向きな考えでなくいろいろ工夫しながらとりくませたいと思ってきたからです。そこで、四月当初には次のようなことを実行します。

 始業式の日、子どもたちに、「家で、来週までに時間割の枠を作ってきなさい。」と、A4ぐらいの大きさの画用紙を配ります。(もちろん、自分で紙も都合して作らせるのも面白い。)一週間ほどたったショートタイムで、「時間割の枠を机の上に出しなさい。」と言います。子どもたちは机の上に出します。四月当初で緊張しているので、忘れる子はほとんどいません。しかし、必ず、1~2名はいます。わたしは内心、この子たちは要チェックと判断します。「OOくんとOOさんはしてこなかったのですね。明日迄にしてきなさい。」と注意します。他方、机の上に出された時間割表を見て回ります。サッと見てもすぐにわかりますが、心を込めて丁寧にしてきた子、イヤイヤやってきた子があります。イヤイヤの子は最低の枠だけ書いてあります。他方、心を込めて楽しんでやってきたなと思う子の時間割表は、色鉛筆を使い周りをきれいなお花などで飾ったりしています。私は丁寧に考えてやってきた子の時間割表をかかげ持って、「OOちゃんのとってもきれいで素敵でしょう。はい、拍手」と、努力してきた結果をほめたたえます。そして、「こんなふうにいろいろ考えてやってきてくれるといいですね。先生もとてもうれしいです。」と言います。先生が何を子どもたちに望んでいるか、どういうふうに学習してほしいかを、具体的な場面を通してひとつひとつ理解させていきます。先生が望んでいることを明確に子どもたちに提示することで、素直に努力しようとする子は教師の意図通りに努力し始めます。そして、上記の枠に一日ずつ教科名を記入させていきます。一週間すると完成しますから、「表が完成したから、家に持って帰りなさい。」と指示します。全員作れたか心配なら、この時点でチェックを入れますが、だれとだれはできていないかだけは把握しておき、どうするか見守っていて自分から作ってくるよう駆け引きをすることも必要です。決して、教師から必要以上の援助の手を差し伸べることはしません。「自分でできることは自分でする。」というしつけをしていくことが大事だと考えているからです。四月当初は先生に寄り添ってくる子を早く増やしていくことが必要です。教師がクラスでリーダーシップをとるということはこういうことなのです。

 このように指導の仕方を聞けば実に単純なことで、実行するのも簡単なようですが、私自身ここまでたどり着くのに相当な年月がかかっています。なぜなのでしょうか。それは、多くの教師は、時間割表は教師が作成して子どもに配布するものだという固定観念にとらわれているからです。このように教師が思っている限り、「時間割表を通して、子どもの成長を。」とは考えられなかったと思います。しかし、学校で行うすべてのことを見直し、「子どもたちのやれることはやらせたらどうか」という発想に立った途端、子どもたちを大きく育てていく材料に使うことができるようになりました。子どもをどう育てるかを明確にし、日々の教育活動を作り出していくことがとても重要です。

 次回は、別の側面である授業そのものをどのように仕組んでいくかについて考えてみたいと思います。

平成27年11月10日

「焦点化 → 追求」の授業の実現に向けて  ― みんながのびのびと発言できるクラスを作る

 話し合い学習を始めるとすぐにわかりますが、子どもたちが自由にのびのびと発言してくれるクラスと周りを気にして発言しないクラスがあります。のびのびと発言してくれるクラスは人権意識も高く、民主的な学習集団として育てられてきています。このようなクラスでは、「焦点化→追求」の授業をすぐに展開することができます。しかし、民主的な学習集団に育てられていないクラスでは子どもたちの意識変革から取り組まなければなりません。授業やクラスづくりのうまいベテランの先生方は自分の経験を踏まえて、自分なりの民主的なクラスづくりに取り組んでおられると思います。ここでは、私が取り組んできたことを具体的に述べ、参考にしていただけたらと思っています。

 民主的な学習集団というと難しく聞こえますが、だれでも自由に発言できる雰囲気のクラスであること、わからない子がいたら周りの子が気軽に教えてあげるなど、「勉強はみんなで考え、みんなで分かるようになろう」の精神が浸透しているクラスです。しかしながら、現実のクラスは学習の遅れがちな子、のろまな子に対して、冷たくあたろうとする差別的な意識が漂っています。また、クラスを裏で牛耳っているボスみたいな子がいて、周りの子どもたちに無言の圧力をかけている場合があります。こういったいやな人間関係を取り払って、すべての子が居心地の良いクラスに作り直しながら、授業に取り組んでいくことが求められています。一週間もすれば、だれがこのクラスでいじめられているか、みんなから疎まれているかはわかります。たいてい、勉強のできない子、運動のできない子、また、家庭的に不遇なおとなしい子がその立場に立たされています。そういった子どもたちはクラスの中で発言することもなく、いやなことをされたり言われたりしても笑って済ませたりして、ひっそりと我慢の日々を過ごしています。日本全国で、いじめ防止、人権尊重と言っていても、必ずしもこういった類の問題にうまく対応できる教師ばかりではありませんので、いつまでたっても、いじめ→自殺は完全にはなくなりません。新しくクラスを持ち、こういった子どもたちがいることがわかると本当に悲しくなります。「誰がこんなクラスにしたんだ!」と。そして、「一年かけて、かならず、この状況を変えてやる!」という思いで学級経営をしてきました。

 四月に学校が始まってから一週間ほどすると、子どもたちに取り組ませることがあります。校庭の隅にある上り棒を使った取り組みです。登り棒とは3メートルほどの鉄の棒を垂直に10本ほどたてたものです。その鉄の棒にしがみつき、登っていって、一番上の支える場所に立つように指示します。これを4〜5人の座席のグループで取り組ませます。体育の時間にやり方を説明します。グループみんなで協力し、休み時間に練習します。「全員上段に立てたら、先生(私)を呼びに来なさい。」と指示しておきます。1〜2日すると、ぽつぽつ、「先生、みんなできました。見に来てください。」と言ってきます。わたしは「できた!?」と受け答えしながら、登り棒の所へ行き全員上に立つのを見守ります。すぐに呼びに来るグループだけあって、スルスルと全員のぼります。下から、「ばんざーい。みんなできた。合格!」と、叫んでやります。子どもたちはうれしそうな表情を見せて、鉄棒をつたってスルスルと降りてきます。毎日、次々とできるグループが増えてきます。私に合格をもらったグループは体育の時間にクラスメート全員の前でやって見せます。そして、全員から拍手をもらいます。しかし、グループの中に一人でもできない子がいると、そのグループは大変です。

 ある時、グループの中に5年生で60sを超える男の子がいました。学習も得意ではありませんし、宿題もあまりしてきません。肥えているので運動も苦手です。緩慢な動作です。周りから冷たくあしらわれているのがすぐにわかりました。今までの先生もおそらくどう指導したらいいか手をこまねいてきたと思います。案の定、この子のグループはいつまでたっても、「先生、できました。見てください。」とは言いに来ません。しばらく待っていると、「先生、OO君、全然できません。もうだめです。」と言いに来ました。わたしは「やっぱり」と内心思いながら、登り棒の所へ行きました。そうすると、OO君がやる気なさそうにいました。「OO君。やってみ」というと、OOは鉄の棒にぶら下がったきり、上へ登ろうとはしません。鉄棒には何べんもぶら下がって疲れてはいるのでしょうが、両手で鉄棒を握ったままぶら下がっているだけです。どうして取り組ませようかしばらく考えたのち、「どちらかの手を外して、ぱっと上へもっていくんだ!」と、見本を見せながら教えました。「やってみ!」というとやり始めました。少しコツがわかったのか、しばらくすると一回手を上へ持っていき、棒を少し上の方で握れるようになりました。「やれた!やれるやん。」と喜んでやりました。グループのほかの人に向かっては、「一回だけだけど、いったやん。な。」と、同意を求めました。「これを何回かやればできてくる!パッパと手を交互にするのを一日百回やれ。グループの人は応援してやれ!しっかりやらせてくれ。」と、指示しました。一週間ほどして練習の成果を見に行くと、ずいぶん容易に取り組めるようになっていました。それで、今度は、「パッパッパ」と、手を交互に3〜4回変えられるよう、練習しな」と指示しました。こういうことをやらせているうちに、ある時、「先生!OO君、一番上の所に手がつくようになりました。見に来てください。」と、グループの友達が息せき切って知らせに来ました。わたしは「そうか!」と言いながら、上り棒の所に行きました。OOくんは汗びしょびしょでいます。「OOくん。だいぶいくようになったって?やってみて」というと、本人はやり始めました。すると、一番上の横棒の上に立つことはできませんが、一番上の所にタッチすることができました。わたしは、「OOくん。ばんざーい。いった!いった!」と、小躍りして喜んでやりました。グループの友達もニコニコ顔で一緒に万歳をしてくれました。「上まではいかなかったけど、頑張ったので合格だ。」と取り組みに終止符を打ちました。一か月以上かかった取り組みでした。もちろん、体育の時間にクラスメートの前で実演させました。当初は誰もがここまでいくとは思っていなかったと思います。彼の努力をみんなの前でほめたたえました。今まで見せたことのない笑顔を見せながら恥ずかしそうにしていました。おそらく、こんなふうにみんなの前でほめられたことはなかったのではないかと思います。しかし、だれでも頑張ればできる、できない子には手助けするなど、クラスに人間社会として当然あるべき価値観が芽生え始めたのではないかと思います。もちろん、この一つだけの取り組みで、すべてが変わるわけではありません。1年2年かけて、「学校で勉強するとはどういうことか、友達とはどういう付き合い方をしなければならないか」、具体的な場面を通して徹底的に訓育していきます。

 教室の学習においてもそうです。自分のひとりしらべが終わったらどうすべきか。隣にわからない子がいたら教えてあげる。このことを徹底して指導します。当初は教えることを嫌がる子もいます。なぜなら、隣の子に教えるより、自分の課題を進めたいからです。しかし、私はそういう子に対して、「君は先生に教えてもらってできるようになっているのだから、隣にわからない子がいたら教えてあげるのが当たり前だよ。」と諭します。そして、教えてもらった子には、「OO君に教えてもらって分かってよかったね。ありがとうといいな。」と教えます。本人ははにかみながら、「OO君。ありがとう」。教えてあげた子はうれしそうに微笑んでいます。ありがとうと言われて怒る人はいません。私は、「OO君教えてあげてよかったね。次も教えてあげてね。」と。このように人間として当然すべきことを日々の授業を通して実行します。先生(私)が何を子どもたちに求めているのか、具体的な場面を通してわかるようにしつけていきます。数か月もすると、クラスはがらりと変容を見せます。クラス全体が明るく、活発に、気持ちの良い雰囲気が満ち溢れてきます。教師の指示もスムーズにとおるようになります。もちろん、子どもの世界ですので、その後も問題が生じないことはありません。しかし、このようなクラスの状態になると、教師がクラスの指導権を握っているので、問題が生じても正当な考えが通じるようになります。このように秩序ある学級集団をベースにしながら、話し合いの学習は実を結んでいくことになります。秩序ある学習集団をどのような方法で作っていくかは人それぞれ、いろんなやり方があると思います。今回は一つだけお話ししましたが、自分なりに創意・工夫していけばいいと思います。とにかく、先手を打って子どもたちを変えていくことが必要だと思っています。徹底して子どもたちのあるべき行動の仕方、生き方を訓育していきます。何となくの学級運営では子どもたちは健やかに成長していきません。

 次回も、四月当初のクラスの意識変革の取り組みを紹介したいと思います。

平成27年10月30日

「3S学習」の新たな展開 −「焦点化 → 追求」の授業実現に向けて

 先生方に「焦点化 → 追求」の授業を実践するよう求めますと、「追求」どころか、「焦点化」あたりの話し合いをうまく組織することができず行き詰っているようです。「話し合いが深まらない。友達同士の話し合いになりません。話し合いが一部の子にかぎられる。どうしたらいいですか。」という質問をよく受けます。そこで、どのように話し合いを訓練していけばいいかを考えてみます。

 先生方が話し合いをさせている場面を見ていると、次のような話し合いで終始しています。ひとりしらべが終わって、「はい、発表してください」と、先生が発言を促すと、発表したい2〜3人の子が手をあげます。先生は手を挙げている子(Aとします)を指名します。Aは立ち上がって、「OOOです」と答えだけの発表で座ります。ほとんどの先生は正解であれば、「そうですね」くらいの愛想のない反応で板書します。もし、先生からみて間違った答えなら、「ふう?・・・」という反応で、「他にありませんか?」と、他の子の発表に移ります。Aの発表はいろんな角度から検討されることはありません。ところで、このようなやり取りをさせていて、一年後に深まる話し合いができるようになるのでしょうか。先生方には深まらないことをまず理解してもらわなければなりません。では、どのように取り組むべきでしょうか。

 私は新しい学級を担任すると、四月当初から毎時間、子どもたちに次のような話し合いの訓練をします。Aの発表が終わっても着席させないで、私が「OOはどういう意味ですか?もっと詳しく言って」、「君はなぜ、そう思ったの?」とか、再度詳しく話をさせます。そのうえで、「ああー、そうなの。君の考えはOOOなのですね。」と、この間のやり取りしたことも含めて確認します。そして、「今、先生とやり取りしたことも含めて、もう一度くわしく発表し直してください。」と、再度Aに発表を言い直させます。このような訓練をしていくと、子どもたちは詳しく発表をするようになります。

 では、どういう意図があって、このようなやり取りをするのかを考えてみます。子どもたちは自分の思っていることの半分も言葉として発言していません。(元宮城教育大学学長で、ソクラテス・プラトン研究の哲学者、林先生の主張ですが)そこで、私が聞きだし役として詳しく聞き出します。A本人がより詳しく言葉として表現することで、自分の考えがより正確に深く認識できるようになります。また、Aと先生(私)のやり取りを周りの子は聞くことになります。Aが「OOO」と一言二言言っただけでは彼の真意は十分わかりませんが、詳しく話させると、聞いている周りの子どもたちには、彼の思いが具体的にわかってきます。例えば、当初自分と同じ考えだと即断していたが、詳しく聞いてみると、「少し違うな」と思うようになったりします。また、訓練がなされていないクラスでは、多くの子どもたちは聞いているふりをして聞いていません。残念ながら、聞いていないということに気づいていない教師も多いのです。ですから、私は四月当初Aとのやり取りの後、手をあげていない子にも、「A君の言っていること、分かった?」と、しつこく確かめます。問い詰められると、当座しのぎで、「わかりました」と言いますが、本当にはわかっていない場合が多いのです。それで、「じゃ、君、A君はどう言う考えですか、言ってください。」とダメ押しします。私が引き継いだほとんどのクラスではここまで厳しくしつけられていない場合が多いので、問い詰めると答えられない場合が多いです。私は「ちゃんと聞いていませんでしたね。」と叱責します。「友達の発表は真剣に聞いてね。」と指導します。そして、A君に再度言わせるか、「他にだれか言える人いませんか」と、言える子に言わせます。そして、さっき詰め寄った子に再度言わせます。このようにしつこく、厳密に友達の発言を聞くようにしつけていきます。そうすると、子どもたちは真剣に聞くようになってきます。教室にはピーンはりつめた緊張感が漂ってきます。以上から、まずは詳しく話させる指導をします。その役を、当初は教師が担わなければなければなりません。

 こういうやり取りをしてから、ようやく「他の人、どうぞ」とA君以外の人(B)に発言を求めます。B君は発言をしますが、たいていは自分の思いを発言するだけです。そこで私は、「あなたの意見はA君とどんな関係にあるの?A君の意見と同じ考えなの?それとも違う考えなの?そのことを最初にはっきりさせてから自分の意見を言って」と指導します。A君がすでに発言しているのですから、A君の意見を踏まえて発言することは友達同士の話し合いをさせるための基本なのです。次に発言するCは当然A、Bの発言を踏まえて主張することになります。そうすると、Cの発言はAか、Bか、AでもBでもないということになります。さらに、AまたはBと自分の主張のどこが同じで、どこが違うのかなど、Aに対して、私がしつこく再質問したように問いただします。それを他の子どもたちは聞いています。「他の子どうかな?」と周りの子に意見を求めます。手が上がればその子を指名しますが、上がらなくても、こちらから指名して発言を求めます。当初は、このように強制して発言を促さないと、発言する子はするが、しない子は人まかせになってきます。発言が一部の子に固定しないように手立てすることが必要です。ですから、「手を挙げなくても意見を求められますよ」という授業のスタイルを理解させることが必要です。挙手しない子の多くは理解力の遅い子ですので、その子の気持ちを考慮して、発言内容には高度なことは求めません。「OO君の意見と同じです」くらいの発表で、「よし」と思ってやります。当初は「そうなの、貴方はOO君と同じなの」と同意の態度を示してやります。しかし、当初はそうでも、慣れるに従いだんだんと詳しい発言を求めていきます。自分から発表しない子をそのまま許していては発言の輪は広がっていきませんので、日々ゆさぶりをかけていくことが必要です。

 さて、こういうやり取りを進めながら、子どもたちの意見に方向性をつけていきます。(焦点化)明らかに間違いだとわかる意見は、「OO君の考えはOOなので、間違っていると思います。」と、他の友達から指摘され消去されます。消去されない残りの意見が1個に収斂され、それが正解であればいいのですが、多くの場合複数の意見が残ることになります。もちろん、教師から見て誤答もあるでしょうが、教師の一言で否定することは基本的にはしません。その意味は二つあります。一つは子ども同士で議論させ、考える力をつけさせるためです。もう一つは教師が誤答と思っていても、子どもたちと議論していくと、「まてよ、子どもの意見の方があっているかも」と、思うときが往々にしてあるからです。さて、方向性を明確にしていくときには板書をうまく使っています。子どもたちが理解しやすいように、議論しやすいように板書を整理することが必要です。たとえば、Aの意見、Bの意見の根拠を分けて書くことにより、「A対B、どちらがいいかな」と、板書を手掛かりに議論させやすいと思います。

 このような時点に授業が到達したとき(焦点)には、私はたいてい子どもたちに態度表明をさせます。「あなたたちは、Aの考え、Bの考え、それともその他? 態度表明して」と挙手を求めます。そして、挙手の数を黒板に板書します。当然のことですが、数が多いのが正しいとは限りません。この後、この三つの立場のどの意見が最もいいか、再度議論させます。そこで、今一度各自が議論に臨めるように考える時間を与えます。(「小さなひとりしらべ」と言っています。)各自で考えるか、グループで考えるか指示します。数分間のひとりしらべののち、話し合いに入ります。(追求)追求の議論を通して、授業の目標に到達させます。もちろん、一つの答えに到達することもありますが、まとまらないでオープン・エンドに終わる場合も多々あります。まとまらない場合は再びどの考えを自分は支持するのか、意思表明をさせておきます。なぜなら、往々にして後々の学習にかかわってくる場合があるからです。

 ところで、「焦点化→追求」の話し合いはどのような意味を持っているのでしょうか。話し合いを通して、授業内容を理解させ、授業の目標を達成することが目的ですが、できる限り質的に高度な話し合いをさせることで、子どもたちの「思考力」が育成できると考えています。私は話し合いをさせるとき、「比較、具体⇔抽象、矛盾、分類、分析→総合」という論理的操作を意識しながら話し合いを組織しています。相手は小学校、中学校の幼い子どもたちですので、それらの言葉のイメージからくる難しいことを考えているわけではありません。例えば、「比較」で言えば、二つの物事を比べさせるように仕組むことで子どもたちは発言しやすくなりますし、答えがわかりやすくなります。「男の特徴はなんですか。」、「女の特徴はなんですか。」と別々に聞くより、「男と女を比べて、どう違いますか」と聞く方がそれぞれの特徴の本質に迫りやすいと思います。比べる(比較)ことによって、物事の本質が理解できるのです。また、比べるという操作ができるということが思考力なのです。「具体⇔抽象」ではどうでしょうか。たとえば、「植物にはどんなものがありますか?」と聞いた時、「松、杉、菊、コスモス・・・」と答えます。逆に「松、杉、菊、コスモス・・・」と言われた時、「それらを一言でいうと・・・」というように、言葉の上位概念と下位概念を行き来させることです。抽象的に言った時は「もっと詳しくいって」と聞き出しますし、具体的に言った時は、「ひとことでいうと、どういうこと?」というように問うてやります。「矛盾」は、ある子が今日発言したことと以前発言した内容に一貫性が欠けていたら、「今日の意見と前に君が発言した内容とはちょっと違わない?」と聞いてやります。慣れてくれば、「君の今と前の意見、矛盾していない?」とズバリ指摘しますが。そのように問い詰めることで、本人の考えに一貫性を求めるのです。「分類」は複数の事柄を2〜3に分けさせます。さらに、なぜそんなふうに分けたかの理由も考えさせます。「分析⇔総合」は一時間ごとに学習していき、単元の終わりになった時、「結局、この単元で学んだことはなんですか?」と、問いかけることで、分析→総合の操作をさせることができると考えています。私は、教師がこのような論理的操作を意識しながら話し合いをさせることによって、子どもたちの思考力が伸ばせるのだと考えております。また、このような論理的思考力が体得されることによって、話し合いはより尖鋭に厳密に追求され、深い話し合いができるようになると考えています。

 基本的には、以上のような指導の手立てをしながら話し合いを進めていくのですが、それに伴って生じてくる課題を一つ一つ取り上げ、どう理解し対応したらいいのか、稿を改めて述べていきたいと思います。

平成27年8月25日

「主体的学習」の体得に向けて −池田欣一先生との出会い

 4年間の岬小学校での勤務を終え、二つ目の学校は自分の母校である小浜小学校でした。当時の小浜小学校は一学年3〜4クラスあり、先生方の人数も多くベテランの先生方ばかりで活気に満ち溢れていました。毎年、秋には自主的に研究発表会をしていました。先生方はその日に向けて、常日頃から子どもたちを鍛えていました。一貫した研究テーマは「主体的学習態度の育成 3S学習を通して」でした。主体的ということで私の思いにぴったりの学校に来たとは思いましたが、3Sとは初めて聞く言葉でしたので、「3Sとはなんじゃらほい」という思いを持ちました。

 授業観や実践力が確立できていない自分が、大きな学校で勤めることにはとても不安でした。当初は新採用一年目と同じく大変不安な気持ちで新しい学校に通ったと思います。教職が他の仕事と違う最も大変なことは、年齢や能力に関係なく担任や教科の指導を一人で任され20〜30人(当時は一クラス40名ぐらいいましたが)の子どもを統率していかなければならないことです。表現は悪いですが、サルの集団の親分になれないと統率できません。授業のうまい、へたもありますが、それ以上に統率力のない方は教員向きではないと思います。

 さて、私は3年生の担任でした。3年生は3クラス、他のお二人はベテランの女性教員でした。四月当初から秋の授業研究発表会に向けての授業研修が始まりました。時々、授業公開があります。私も自分の学級を自習にして先輩たちの授業を何度も見に行きました。ほとんどのクラスで、子どもたちは手を挙げて自分の意見を述べ議論しあっています。今までに見たことのない光景に圧倒され、「うわー、すごい。自分の求めていたものが目の前にあるぅ!」と思いました。「どうやったら、こんな授業が実践できるのだろうか」と思いました。それで、研修会には前向きに臨み始めました。すぐにわかりました。先輩たちは「3S学習」という学習法を全校で取り組んでいました。われわれ新しく赴任してきた者に対する説明もあり徐々にわかってきたことですが、「3S学習」は以前小浜小学校の教頭をしておられた池田欣一先生の発案で取り組んできたものでした。私にとってはとても幸運なことでしたが、一年後に池田先生が小浜小の校長に赴任してこられました。5年間部下として直接指導を受けることになりました。先生は後に私の四代前の小浜市の教育長をされた方で、お会いして以来、私はずっと教えを受けてきました。池田先生や「3S学習」と出会わなかったら今の自分の授業観や授業実践はありませんし、教育長という役職にもついていることはなかったと思います。ですので、後輩には「人生が開けるかどうかは人との出会いだ。」と、最近先輩面して言っています。

 そこで、この話を進めるために、「3S学習」について最低限の説明をしなければなりません。また、現在小浜市の先生方には「3S学習」を実践するよう、教育委員会として指導しています。

「3S方式」の学習について

 教授法は一般的には、「導入 → 展開 → 終末」と理解されています。しかし、この手順ですと、チャイムが鳴って授業が始まると、まず教師がしゃべりださなくてはなりません。子どもたちは受け身の意識で授業に臨むことになります。また現実的な話ですが、教師が授業をする教室にいればチャイムとともに授業が始められますが、実際は職員室から来ることも多く数分間遅れて始まることになります。その間、子どもたちは待っていることになります。そこで、池田先生はどうすればチャイムとともに授業が始められるかと考えました。前の時間の終わりに、「チャイムが鳴ったら、こんなことをし始めなさい」と子どもたちに理解させておけば、チャイムとともに子どもたちの手で授業が始められるのではないかと考えられたのです。また、先生が質問して子どもが答えるという教師主導の話し合いでなく子ども同士で話し合いができないかと考え、課題を与えた後10〜15分程度のひとりしらべ(一人で考える=個人学習)をさせたのちみんな調べ(みんなで考える=集団学習≒話し合い)をさせれば、子どもたちの主体的な発言が可能になるだろうと考えたのです。

 3S学習のキーワードは5つです。@ひとりしらべ、Aみんなしらべ、Bチャイムが鳴ったらする仕事、C新しい仕事、D次時の計画です。このキーワードを45〜50分の授業時間に当てはめると、「チャイム → 新しい仕事 → 次時の計画」となります。そして、新しい仕事の中身は、「新しい仕事」=「ひとりしらべ→みんな調べ・次のひとりしらべの課題」で構成されています。

 そこで、今一度、5つのキーワードを詳しく説明します。

 まず、「次時の計画」ですが、ここでは次の時間の授業の概要を子どもたちと共通理解します。「チャイムが鳴ったら」何をするか。新しい仕事では何をするかです。私は「チャイム」は先生がいなくでも差支えのない内容、かつ前の時間の授業とは間が空いているのでウォーミング・アップと考えています。たとえば、国語の物語教材であれば、本読み。算数ならば、計算ドリルの答え合わせ。体育であれば、準備体操などです。「新しい仕事」は、算数ならば「教科書OOページの1番の問題を読み、ひとりしらべをします。できたら、OOさんとOOさんが黒板に答えを書きます。OOさんから発表で話し合いをします。」と、ここまで子どもたちと約束します。このことが数か月で身につけば、授業時間の半分ぐらいは、教師はほとんどしゃべらなくても自主的にやれます。時々行き詰れば、助けてやればいいのです。

 話し合いは数か月かけて子どもたち同士でできるように訓練していきます。軌道に乗れば、教師は話し合いのコーディネーター役に徹していきます。子どもたちの発言をうまくからめながら話し合いを深めていくことで、学習内容を理解させます。話し合いが進み結論に至って、目標が達成できたら、次の「ひとりしらべ」の課題を与えます。そして、再び、「次時の計画」となります。この繰り返しとなります。しかしながら、この展開例は基本であって、多様な展開例が考えられます。「チャイム」と「次時の計画」にはあまり変化はありませんが、「新しい仕事」はいろいろな展開例が予想できます。「新しい仕事」=「ひとりしらべ→みんなしらべ・課題」とは限りません。たとえば、ひとりしらべが一時間中続く場合もあります。そうすると、次の時間の新しい仕事は「みんなしらべ」から始まることになります。そのように考えていくと、

@ あたらしい仕事=「ひ → み・*」・・・「ひ → み・*」・・・ 

(基本形)(*は課題とする)

A あたらしい仕事=「ひ」・・・「み・*」・・・ 

(ひとりしらべが一時間中続き、次の時間みんなしらべ)

B あたらしい仕事=「ひ→み・*→ひ」・・・「み・*→ひ」・・・

(特に低学年などの場合、小刻みにひとりしらべ・みんなしらべが入る)

C あたらしい仕事=・・・「み・*」・・・「み・*」・・・
          「ひ」    「ひ」 

(「ひとりしらべ」を家庭でする。教材量が多い中学校用)

 これ以外にもいろんな展開が考えられます。そこは基本形にこだわらず、子どもの能力、教材の特性に応じて融通を聞かせて展開すればいいと思います。

 先にも述べましたが、小浜小学校の3S学習に接して子どもたちの活発な話し合いに驚愕した私でしたが、いくつもの先輩の授業を見学し、また「3Sとは」という講義や授業案検討会などに参加していくうちに先輩たちの授業の限界が見えてきました。当時、小浜小学校の「3S」はCの展開でした。「ひとりしらべ」=宿題でした。「あたらしい仕事」の展開をよく見ていると、子どもたちは次々と発表しますが、発表が終わると先生が授業の目標に沿うようにいくつかの追加質問をし、教師の主導でまとめて終わりという展開でした。端的に言えば、ひとりしらべの発表で終わりということです。何のための「みんなしらべ」か、授業における教師の役割は何?という疑問を胸に抱くようになりました。それからは先輩たちの授業を冷めた目で見るようになってきました。また、「ひとりしらべ」=宿題でいいのだろうか。習ったことの復習・ドリルなら、どの子にも「やってきなさい」と言えるけれど、遅れがちな子に対して教師の指導下でない所で「ひとりしらべ」をさせるのはどうかなと思うようになってきました。その結果、私自身30歳頃から9年間授業研究の推進役を担うなかで、これらの問題を解決してきました。Cの展開は否定はしないものの、小学校での「ひとりしらべ」は授業の中でやろうと教員全員の同意を取り付けました。また、「ひとりしらべの発表でおわり」の授業については数年間の苦闘の研究を通して、「焦点化 → 追求」という授業過程の構想を確立しました。まずはひとりしらべを発表させながら話し合いをさせますが、ひとりしらべはあくまで個人の意見です。クラスメートとの話し合いを通して、あらためてクラス共通の追求課題を確認します。ここまでが「焦点化」です。焦点化の過程で浮き彫りになった課題について、今一度、「小さなひとりしらべ」をさせて、「追求」の話し合いに入ります。私はこの追求の過程があってこそ、クラス集団で学習している意義があるのだと考えています。教師の指導のもと話し合いを練り上げ共通課題を明確にし、さらに追求の話し合いをして本時の目標に近づける質の高い話し合い学習が展開できてこそ、子どもたちには「考える力」が形成されると考えています。

<みんなしらべ 「焦点化」→「追求」の話し合いの構造>

 こういう視点で先進校の授業を見ると、華々しく活発な授業が展開されていても表面上の華々しさに目を奪われることなく、「ああ・・・、この授業も私が初めてであった小浜小の授業と基本的には同じだ」と、その授業の限界を見抜けるようになりました。

 「焦点化→追求」の授業展開がなされてこそ、「3S」の価値があると考えています。今、小浜市では市教委指導で、「3S」の授業理論に基づき授業を実施するように先生方に要求しています。熱心に取り組んでくれていますが、初期の小浜小の授業から脱皮し、「焦点化→追求」の3Sが実践されるには今後も努力し続けなければならないと考えています。今後、アクティブ・ラーニングが展開されるにあたって、必ずやこの観点は早晩議論になってくると思います。

 では、「焦点化→追求」の授業をどのように具現化するか、稿を改めて述べてみたいと思います。

平成27年7月20日

教壇に立つ −苦闘の日々

 私は昭和45年3月に大学を卒業し、その4月から福井県若狭町(当時は三方町)の海辺のへき地の岬小学校に配属されました。その小学校には中学校の分校が併設されていて、今でいう小中一貫校みたいなものでした。全校児童・生徒数50〜60人程度だったと思います。中学校は学年一クラスの三学級でしたが、小学校は1・2年、3・4年、5・6年の複式でした。私は5・6年の学級を受け持ちました。今から振り返ると、今の新採用の先生方の指導とは比べようもないほど失敗や非常識な行動で、子どもたちや保護者の方には大変な迷惑をかけたと思います。保護者の方から見れば何とも頼りなく見えたのではないかと、今となっては反省し恥じ入るばかりです。しかし、根はまじめなので、教壇に立ってからは必死な思いで一途に子どもたちの指導にまい進しました。この学校には給食がありませんでした。昼になると隣の部落の子は弁当、学校のある地区の子は自宅に食べに帰っていました。実は私たち男性教員5〜6名は校庭横の教員住宅に住み、食事は朝、昼、晩と三食、学校近くの地域のおばさんのところに行き食べさせてもらっていました。今から思うと、甲斐性のない私が超多忙の勤務のなかで三度の食事までつくらなければならなかったらおそらく途中で挫折していたのではないかと思います。なぜなら、大学生の時も生活していた学生寮には賄のおじさん・おばさんがおられて、朝、晩食事を作ってもらって食べていただけでした。ですから、それまで一度も自炊をしたことなどありませんでした。

 ところで、教壇に立った当初から私はとても張り切っていました。私たちが過ごした大学時代は学生運動が華やかだった時期でした。全国のほとんどの大学では学生たちは安保条約反対のデモだ、大学封鎖だと暴れまくっていて活気に満ち溢れていました。学生運動だけでなく、多くの学生は勉強にもそれなりに勤しんでいました。私は教育学部社会学科でした。友人たちは「サルトルがどうだ。ニーチェは?マルクスは?」と哲学、思想関係の会話をしています。当初、私は会話についていくことができませんでした。みんなすごく勉強しているんだと思いました。それで私も、そういった類の書物を読まないといけないと思い、毎日図書館によって帰る日々が続きました。読んでもあまり理解できませんでしたが、当時思想界の流行語である「主体的」という哲学用語は頭に刻み込まれました。「主体的に生きる」「主体的に育てる」、教育分野もこの思想の影響を受けていました。今では考えられないぐらい、欧米思想がすべてでした。美術、音楽なども、欧米が主流でした。そのような大学の風潮の中で学んできた私は、学習も「子どもが自ら学ぶ、主体的学習」を実践しなければならないと信じ切って学校現場に入っていったのです。

 岬小学校はへき地の学校ですので、地元の先生はほとんどいません。多くは嶺北から新採用の若い先生が2〜3年ごとに入れ替わります。中には十年以上勤務されていた「古だぬき」と言われたベテランの方もおられましたが、多くは新採用の先生ばかりです。最低限の授業をすることさえ困難、そのうえ、常識も知らない私みたいな者もいて、管理職は大変だったろうと、今になって反省しています。

 四月当初、3・4年の担任の先生も新採用3年目の方でした。その方に聞きました。「子どもたちは自分らで学習を進められるのですか?」「もちろん自分たちで進められますよ」という返事です。私はそれを自分なりの解釈で真に受けて、「ああ、自分たちですべてやるんだ。」と思いこみました。それで課題をちょろっと与えリーダーに「授業すすめて」と言えば、授業は進むものだと思い込みました。時々行き詰ったら支援の助言や説明をすれば、授業は成立するんだと思いました。そこで、次の日即実行しましたが、子どもたちはポカンとして一向に授業を進めてくれる様子もありません。「なんや、君ら自分らで学習すすめられるんと違うんか」と、子どもたちのせいにして子どもをなじりました。今、思い出して反省しています。その後、その担任の先生の言った意味はおそらく一部分のみをまかせたか、授業の流れを十分理解させたうえで自主的に動けるという意味であり、私のように全く丸投げしてできるものではないとわかったのです。しかしながら、教師中心の学びは本当の学びではないという思いは、私の心の中から消えることはなかったと思います。その後も「本当の学び」を求めて「主体的学習」を実践するため、この40年間追求し続けてきました。今はできる限り子どもたちに任せ切る授業の構想が自分の中にほぼ確立しています。後輩の教師たちに自分の学習観、授業観を理解してもらいたい思いが沸々とわきあがっています。私のイメージで授業が展開できれば、子どもたちの能力は飛躍的に伸ばせられるという自負心があります。残念ながら、今の私には教壇に立ち授業を実践する権限はありません。

 子どもに任せても授業が進まないことを理解した私は左から右にかじを切り、今度は教師主導で教科書の切り売りのような授業を始めました。時間通りに進みますし、とても楽でした。このような授業を1〜2年ほど続けたと思います。ある時、授業をしていると、子どもが「ホワ〜ン」と大きなあくびをしました。その態度から私は「授業、面白くないなぁ、早く終わってくれんかな」という抗議の声を聴いたように思いました。と言いますのも、私自身も教科書の切り売りみたいな授業に飽きてきていたからです。「教科書を教えるだけなら、教師はいらないじゃないか」という、「学び」のあり方に対しての根本的な問いを自分自身に対して発し始めていました。「こんな授業をしていてはだめだ」という思いが日々ますます強くなり始めました。しかし、「これではダメだ」と思っても、すぐに理想とする授業ができるようになるわけではありません。歯がゆい思いで過ごす日々が続きます。先輩から教えてもらったり書物を読みあさったりしました。ただ幸いにも私の性格として、ほどほどの生き方には組することはできませんでした。常に前へ進みたい性格ですし、大学で実存主義思想と出会っていたからです。実存主義思想は自分が対峙している状況に対して常に立ち向かっていけ、乗り越えていけと教える思想だと理解してきました。日常に埋没して何となく生きることを否定する思想だったからです。この状況を乗り越える明確な見通しはありませんでしたが、子どもが意欲的になる授業を実践するためがむしゃらに思いついたことを実行し始めました。前の晩、教科書や指導書を丹念に読み、頭の中で想定した授業の流れや目標をノートに書きました。複式学級でしたので子どもに提示する課題などもあらかじめ考えておかなくては、授業はスムーズに進みません。

 例えば、理科の授業は大変でした。「外でOOの観察をしよう」と課題を設定していたとしても、当日雨になるとできなくなります。特に一年目は全く余裕なんてありませんでしたから、雨の場合の予定まで考えてもいませんでした。朝になって雨が降っていると、慌てて何をするかを考えなければなりません。無理やりテストをさせたり、図書館で本読みといったいい加減なことをせざるを得ませんでした。それでも、1年たち2年たつと、少しずつ余裕が出てきました。雨の日の用意も準備しておくことができるようになりました。5・6年の理科の実験のある前日はとても大変でした。単式であるならば、授業中に実験器具を用意することもできますが、複式ですと前日中に二学年分の実験用具や実験材料をきちんと準備しておかなくては授業にはなりません。教科書や指導書を読み終え指導する内容を把握すると、すでに夜の12時を回っています。それから、真っ暗な学校に行き理科室で実験器具と材料を探します。必要な器具の本数がなかったら悲劇です。材料もあるとは限りません。ある時、金属のアルミを使う実験がありました。理科室には、「はい、アルミお使いください。」と揃えられているわけではありません。教科書に載っているアルミ片が見当たりません。どうしたものかと思案したすえ思いつきました。「物知り博士の教頭先生に聞くのが一番」と気づき、宿舎に行きました。もう、夜中の1・2時です。寝ておられるのは当たり前ですが、起こして聞くのは悪いなんて言ってはおられません。必死な思いですから。「教頭先生。起こしてすみません。アルミの物って何ですか」、小言も言われず教えていただきました。「バケツなどもアルミがあるし、そうやなぁ、1円玉もアルミや」。平身低頭、「ありがとうござました。助かったー」との思いで準備を終え、ようやく床に就いたのは3時を回っていました。ここまで追い詰められると大概の教師は板書実験で済ますと思いますが、私は妥協しませんでした。昼間、朝から働きずくめでくたくたの毎日、このような生活を続けた数年間でした。生まれ変わっても、このようなつらい日々を送るのは嫌だと思っています。無理を重ねた結果、三年目の9月ダウンし1か月ほど休むことになりました。

 生まれつき虚弱な体質の私でしたが、このような厳しい状況に屈することなく、子どもたちが少しでも喜んでくれる授業をと努力し続けました。この学校には中学校の分校が併設されていました。社会が専門の私は中学校の歴史の授業を受け持っていました。この頃、スライド写真が流行っていました。スクリーンに写せば大きく映り子どもたちの興味を引きます。それで、その日の教材場面にあたる写真を毎日数枚ずつ教室で写して見せていました。子どもたちは喜んでくれました。当初は、私が授業中に機器をセットしていましたので、その時間がかかりました。しばらくして思いつきました。「社会科係の子どもに教えておけば、休み時間中にやっておいてくれるな」と思いつきました。即実行、放課後教えました。それからはチャイムが鳴って教室に行くと、きちんと忘れずセットされていました。映写機のピントも合わせてあります。私は必要な場面が来たら映し出すだけです。あとかたづけも喜んで子どもたちがやってくれました。子どものやれることは子どもにやってもらえばいいんだということを学びました。この経験は、現在私が考えている授業観の重要な視点となっています。

 すでに述べてきましたように、この学校は私と同じ若い年齢の方ばかりでした。私は遅くまで努力しました。周りの同僚の中には余裕しゃくしゃくの日々を送っている人もいました。10時前には床に入っておられるようでした。しかし、そのような人の中には、子どもが先生の言うことを聞かず授業にならず、毎日大きな声で叱ってばかりいる方もいました。私は、「私が子どもに負けるか、私が勝つかだ。戦いだ。」くらいの意気込みで日々の授業に臨んでいました。そして、思いつく限りの授業改善に努めていましたので、やがて子どもたちも私の指示に従ってくるようになりました。

 クラブ活動は4年生以上中学生も含みます。ある時期、私は、「ものづくりクラブ」を受け持っていました。トーテム・ポールを作らそうと思いました。校庭の横の高台にコンクリートでつくらせました。直径30、高さ40cmぐらいの円柱を6つほど積み重ねて作りました。中心に鉄柱を立て積み重ねます。1、5メートルぐらい地面を掘り、海から小石を運びコンクリートを流し込み土台をつくりました。子どもたちには、「朝学校に来たら、全員5杯ほどスコップで土をかき出せ」と指示しました。当初はやる気のない子もいましたが、だんだん深い大きな穴が掘れくると楽しくなり全員で穴掘りをしてくれました。クラブの時間、赤ん坊の頭ほどの石を下の海岸から何回も運ばせました。子どもたちは大変だったと思いますが、出来上がるとみんなで万歳をして喜び合いました。10年ほど前に家族で見に行きました。学校は廃校でなくなっていましたが、子どもたちと苦労して作ったトーテム・ポールは海の方を見て悠然と立っていました。今振り返ってみますと、がむしゃらに取り組んだこの取り組みを通して子どもたちを動かしていくコツみたいなものを体得したように思います。しかしながら、単調な日々の授業をこなしていくのは苦痛でした。子どもたちに満足してもらえる授業を実践することはできませんでした。

 ある時、隣の町で研究発表会があるというので参加させてもらいました。わたしは「研究しているぐらいだからすごくいい授業がみられる」と思い、期待しながら参加しました。その学校の先生方は私から見ればベテランの先生ばかりでしたが、私の抱えている課題に応えてくれる授業を見ることはできませんでした。今でも時々脳裏に浮かびます。期待していったのにベテランの先生でさえあの程度の授業しかできないのかと、学校の廊下を暗澹たる思いで帰宅する自分の姿を思い浮かべます。廊下が実際より大層暗く感じられました。

 その後も改善できない自分の授業どうしたらいいか、悩み続けました。授業の手本は見えてきませんでしたが、教頭先生と「古だぬき」と言われた年配の先生の子どもたちへの指導力には注目していました。

 教頭先生は小学校高学年と中学生に対して部活動で剣道の指導をされていました。剣道の時間になると、子どもたちは講堂の所定の場所に正座しテキパキと武具の装着をします。私語するものは一人もいません。やがて、教頭先生が来られて正面に座られます。全員が装着できたのを見計らい、部長が「正座!礼!」と号令をかけると、一糸乱れず全員が礼をします。教頭先生はその間一言も言葉を発することはありません。「かまえ!」と、教頭先生が初めて号令を発します。「はじめ!」で始まります。実に見事です。指導者としてのオーラーが感じられました。ある時、「森下先生、わし、出張でおらんし剣道部見てくれや」と言われました。内心「いややなぁ。教頭先生みたいにピシッとできんしな」と思いながら部活に臨みました。案の定、緊張感のない部活指導になりました。

 5・6年女子は郡内のポートボール大会に出るということで、「古だぬき」の先生が指導されていました。どんなふうに指導されるのかなと思いながら、時々練習風景を見に行きました。練習が始まるまでは子どもたちとチャラ、チャラとじゃれあっている様子です。「私らがあんなふうに子どもと冗談を言いあったら、収拾がつかなくなるなぁ」と思いながら見ていました。ところが、その先生が「ピーッ」と笛を吹き、「始めるぞー」と言ったとたんに、子どもたちはピシッと態度を切り替えて先生の指示に従い練習を始めだします。子どもたちの練習は教頭先生の剣道と同様、緊張感にあふれる指導でした。

 私はこのお二人の先輩の見事な掌握力を身近に見て、「自分もいつかはあのようになれるのかな」という憧れと不安な気持ちを抱いていたと、今思い出します。今はお二人とも亡くなられましたが、お二人の指導のお姿から、私がこのような思いを持っていたことはご存じないと思います。後輩が先輩から目指す目標を与えられたことはよい出会いだったと思っています。

 このように若いときの指導では子どもたちには十分なことをしてやれなかったと思います。保護者の方も苦々しく思っておられたと思います。

 学期の終わり、通知簿を保護者に渡す時です。一人一人個別に渡していました。A君のお母さんだと思い、通知簿を前にしてA君のことを説明しました。そろそろ話し終わる頃になって、そのお母さんが、「先生、うちの子のことではありません」と言われました。「えぇ!」と思いましたが、後の祭りです。平身低頭謝りました。わかっているつもりで名前を確認せず、話し始めたのが問題でした。5・6年全員で15名ほどでしたし家庭訪問も済ませていて分かっているつもりでしたが、今だったらもっと大事になっていたと思います。今思い出しても保護者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、世の中はうまくできていると、この年になるとつくづく思います。誠実に努力していると、困ることばかりでなく助けてもらえることにも出くわします。

 子どもって本当に心優しいと思う時があります。私の授業の進め方がまずくて、子どもたちが騒ぎ出すと、女子のリーダー格の子が「みんな静かにせぇーやー、せんせーこまっとるやん」と言って、世話をやいてくれる場面もありました。彼女の一言で静かになりました。内心「どっちが先生かわからんなぁ」と思った時もありました。

 このへき地の学校には四年間お世話になりましたが、何をやっていたのかわからないぐらいのいい加減な指導だったとは思いますが、人一倍誠実に努力し何とか治めていこうと思いながら取り組むことで学級もくちゃくちゃにならずに無事乗り越えられたと思います。

 さて、このような未熟な私がどのようにして、実践力を体得していったかを別稿で述べていきたいと思います。

平成27年6月20日

主体的学習とは −アクティブ・ラーニングの提唱を受けて

 いろんな外部の会議に出ると、時々、「教育長さんのブログ見ていますよ」と言われます。ほとんどが教育関係者です。「忙しいので、なかなかアップできなくってすみません」と、いつも釈明しています。家族からは「お父さんの文章へた」と、いつも切り捨てられています。そのようなへたな文章を読んでいただいて恐縮しています。教育関係者がほとんどですので、ここ何回かは教育実践について述べてみたいと思います。専門的な主張になりますことをお許しください。

 今、教育界で流布している言葉として、「アクティブ・ラーニング」があります。指導者が一方的に授業を展開するのでなく、双方向的に展開する授業です。このような授業は長年小学校の教壇に立っていた者からすると、昭和の時代から取り組まれてきたものなのに。「今更なんで?」と言う思いを持ちながらネットで調べてみました。そうしましたら、ほとんどの項目が大学での授業改革として取り上げられていることがわかり、ある意味納得いたしました。戦後、授業の研究発表をするぐらいの学校なら、ほとんどの学校が「自ら学ぶ・・・」というような研究主題で「主体的学習」=アクティブ・ラーニングを公開してきました。しかしながら、一部の中学校を除いて、中学校へいったとたん、教師が一方的にしゃべりまくる授業が現在でも展開され、高校・大学と子どもたちはまさに「忍」の時間を強制されてきました。中学校の先生方に「授業改善できないか」と聞くと、入試があるから、部活で時間がとられるからとの理由で真正面から向かい合ってこなかったと思います。

 ところが、時代が変わり、世の中の求める人材が変わりました。アクティブ・ラーニングで教育された人材でなければ有用でないと言われはじめています。さらに、大学入試が今までのような単純な暗記の再生問題でなく、思考力を要する問題に切り替わると言われだしています。当然、高校入試も遠からずそのようになってきます。中・高・大学の授業は変化せざるを得ないでしょう。私は子どもたちの能力開発にはとてもいいことだと思っています。しかし、今まで長年にわたり教師が一方的にしゃべり、それを生徒たちが受動的に聞く授業で終始してきた中・高・大の先生方の指導が一気に改善できるとも思えません。さらに、中学校では放課後も部活動の指導があり、先生方にとっては教材研究の時間も保証されていません。アクティブ・ラーニングの流れを定着させるためには、まずは部活動を学校教育と切り離し社会教育として取り扱うように処理していかなければならないと思っています。国の取り組み方次第だと思います。外国ではそうなのですから。

 次に、主体的学習=アクティブ・ラーニングをどう理解すればいいか考えてみたいと思います。

 私は小浜市の先生方に、「今、文科省が私たちにどういう授業をしてくれと言ってきているかは指導要領に書いてあります。」と、事あるたびに紹介してきました。「学習指導要領」とは文科省が告示しているものです。それには、全国の教員が学校で児童・生徒を教えるにあたって、遵守すべき内容が述べられています。この方針にのっとり授業をすることが義務付けられています。また、教科書会社はこの方針にのっとって教科書を編纂しています。ですから、教育現場では絶対守るべき憲法みたいなものです。その中の「第1章 総則  第1 教育課程編成の一般方針」(中学校編)には、次のような記述があります。(小学校編は「生徒」のところのみが「児童」となっています。)

 「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で、基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を養い、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。そのさい、生徒の発達の段階を考慮して、生徒の言語活動を充実するとともに、家庭との連携を図りながら、生徒の学習習慣が確立するよう配慮しなければならない。」と述べられています。ここには全国のすべての学校が実践すべき教育活動のあり方が述べられています。あまりに端的に表現されているので、読むたびに感心しています。戦後の教育実践の到達点が十分踏まえられた文面になっていると思うからです。また、「主体的に学習に取り組む態度を養い」などの表現から、当然「アクティブ・ラーニング」としての授業が展開されることを求めています。ですから、私は機会あるたびに校長先生方に、「この文章の言わんとすることを各学校で具現化し、実践してください」と呼び掛けてきました。しかしながら、長年教育現場に携わってきたものからすると、この文章の求めている教育活動を具現化することは容易ではありません。先生方には今まで以上の努力が求められると認識いたしております。なぜなら、凡人の私にとっては30数年授業研究の苦闘の日々を送ってきて、退職近くなった頃にようやくそれらしい実践が理解できるようになってきたなぁという思いをしているからです。

 では、稿を改めて、私自身がどのような教員人生の中でこの文章の内容を自分なりに具現化できるようになってきたかを述べていきたいと思います。

平成27年6月10日

雲浜小学校の統合問題について

 雲浜小学校の統合問題の検討に、この二年間尽力してきました。3月で方向性が確認できましたので報告したいと思います。

 小浜市教育委員会が推進しています四校案(平成16年度に市教委案として公表)によれば、雲浜小学校は南川・北川で二分し、小浜小側は西部小学校として、小浜小、加斗小学校と統合するとしています。他方、川より西津小側は北部小学校として、西津小、内外海小学校と統合するとしています。

 私が教育長に就任して、この7年あまり東部小学校(遠敷小・松永小・宮川小・国富小)の統合に全力をささげてきましたが、常に、雲浜小学校の統合も気になっていました。なぜなら、統合予定の西部小学校はすでに、小浜小学校として平成20年に新しい校舎が完成しているからです。もし、雲浜地区の住民の皆様のご賛同が得られて、四校案で統合することになったとしたら、一日も早く、統合しないと新しい校舎は日々古くなっていきます。古くなってから、「小浜小学校との統合はどうですか」と進めても、地域の皆様は今頃なんだということになると思ってきました。しかしながら、市教委が進める四校案は、地域住民の立場に立って考えると簡単には賛成できないものであると、私自身認識してきました。まず、地区を二分することに反対だという方は多くおられると思います。今まで、雲浜地区として祭りを実施し、地区体育祭などを実施してきました。「地区住民の絆や文化を壊すのか」という主張がなされることは予想できます。二つ目に、川より小浜小側が、小浜小に統合したとすると、残りの子どもたちの人数は少なくなります。(現在、雲浜小は全校生190名、うち北川より西津側で124名、城内は21名、南川より小浜側で45名)それじゃ、残りの児童は「今、西津小へ通われますか」ということも難しいと思います。西津小は新校舎ではありませんから。このように、すでに四校案が出されていますが、いざ進めようとすれば、現実的にはかなり難しいと思い続けてきました。しかし、市教委としては以前から、四校案で進めると公言してきているので、四校案として進めなければなりません。そこで私としてはとてもつらい思いをしてきました。

 この二年間、このこんがらがった状況をすっきりさせなければと、雲浜地区の皆様にお世話になり、勇気を振り絞って話し合いをさせていただいてきました。お陰様で、雲浜地区の皆様の冷静な対応によってこんがらがった現状を清算し、今後の方向を共通理解できました。結論的に言えば、

 今すぐ、地区を二分して、統合することはしない。
 当面は、雲浜小単独で運営する。
 次回、北部小学校の統合問題が持ち上がった時、再度検討する。

 として、実質持越しの形で、合意を見ることができました。ことが前進したわけではありませんが、私自身としては、のどに詰まっていたものが取れてほっとした思いがしています。二年以上にわたっておつきあいしていただいた雲浜地区の役員の皆様にはとても感謝しています。

 また、加斗小学校も同じように取り組んでまいりましたが、いまだ結論を出すに至っていません。雲浜小と違って、小浜小に統合するのなら地区全体で統合できますが、早くしないと、小浜小の校舎は古くなります。内心は焦っています。するか、しないかはっきりさせるよう、今後、住民と話を進める必要があります。

平成27年5月20日

人口減少問題と学校教育の役割

 一年ほど前、人口問題研究所が日本の人口の長期予測を発表しました。その発表内容があまりにショッキングなので、ずいぶんマスコミで取り上げられてきました。小浜市の人口は現在、3万ちょっとですが、平成50年頃には2万3千人ぐらいになるといわれています。行政ではこの問題が今一番大きな課題になりつつあります。なぜなら、人口が減れば、地域から活力がなくなります。税収が減り、いろんな施策を実行することができなくなります。すべてのものが縮小となります。教育委員会のことで言えば、児童数が減っています。それで、小学校の統合を進めています。統合せざるを得ませんが、統合を進めるということは地域から学校がなくなるというジレンマに陥ることになります。できれば、学校を存続させたいのですが、こんなに急激に児童数が減少すると如何ともしがたいです。小学校だけでなく、二校ある中学校も手を打たないと教育活動に支障をきたす時が来ると思っております。報告によれば、全国各地で消滅する自治体が出現すると言われています。そうならないように小浜市もみんなで知恵を絞って努力しなければなりません。

 ところで、なぜ小浜市で人口が減っているのでしょうか。その原因は二つあると思います。一つは歴史的経済的な要因だと思います。地球規模のグローバル化が根本原因だと思います。地方に人があふれていたころは、経済がそれぞれの地域内で回っていたと思います。戦前戦後、昭和40年ごろまでの町の様子を想起してみたいと思います。たとえば、小浜の町の中には、何軒もの豆腐屋さんがあり、醤油屋さんがあり、豆腐や醤油を地元で作っていました。しかし、今は、大手の企業が全国的規模で豆腐や醤油を作っています。その方が経済的に合理的だからです。その結果、豆腐や醤油を作る商売は小浜から追放されたわけです。ご飯を炊き風呂を沸かすのも、その頃は薪や炭を使用していました。市民は薪や炭を市内の山間地から入手していました。ところが、石油エネルギーを使うようになると、海外から輸入します。今までの薪や炭を作っていた仕事はいらなくなります。このように、市内で働く場がなくなれば、人々は生活できませんから、小浜で住めなくなります。人口が減るのは当たり前です。このような変化が今日の日本で起きているのです。

 二つ目に、学校を卒業した子どもたちが都会へ出て行ったまま、その多くが帰ってこないことにあります。特に、女性のUターン率が低く、その結果として、市内の男性の結婚率も低いと考えています。それは子どもの出生率の低下につながっていると考えています。では、なぜ子どもたちは都会に出ていきそのまま帰ってこないのか、いろんな理由があると思います。働く場所がない、都会のように遊ぶ場所がないなど考えられますが、専門家じゃないので、客観的な根拠のある主張をここでするつもりはありません。ここでは。私の身近な経験を教育の観点からから考えてみます。

 今、偶然次女が自宅に帰ってきていますが、長女と三女は県外に出たまま、故郷に帰ってくる様子はありません。次女との会話で、「そうなのか。そんなふうに思っていたのか」と、今になって反省させられます。ある時、私が次女に「あんたら、一人もまともに帰ってこないなぁ。お墓などどうする?」と、聞きました。彼女の言うには「私らの小さいときから、『お父さん、どこでも好きなところ行けばいい』と言っていたやんけ」と言われました。私は、確かに彼女らの小学生ごろから、そのように言っていたと思います。今になって反省です。振り返ってみると、私の頭の中は、戦後教育の成果(?)である個人主義=個人の尊重こそが大切という価値観で彩られていたように思います。その反対の考えである家族主義なり、家庭が大事ということや結婚して子供を産み育てることも大事ということは戦前の反動で、主張することがはばかられてきたのではないかと思います。そこで、今の教科書を少し調べてみました。そうすると、中学校の家庭科の教科書には家族のことには触れてはあるのですが、価値観レベルではふれない編集になっていると思いました。ただ、一社だけ、家族主義的な家庭の復活が必要だという価値観に触れている教科書がありました。私は今、単純に戦前の家族主義復活を主張するつもりはありませんが、戦後の個人主義=個人の尊重だけで日本が突き進んでいっていいのか、懐疑的になっています。一人一人の人権や個人の尊重なども保障しながら、家庭や結婚の大事さも唱える家族観や人生観の新たな確立が求められていると思います。個人の尊重は大切だが、個人の尊重のみでは人類の継承は途絶えてしまいます。哲学者や思想家の研究に期待したいと思います。同時に、自分の経験の反省から、今の子どもたちに学校や家庭で、教員や親が、「機会があれば故郷に帰ってこいよ」「結婚して、子どもを産み育てることは大事だよ」と、呼びかけることが大事なのではないかと思います。また、この観点で教科書の改訂もしてほしいと思います。

 そこで、今準備しつつあることですが、市長に若狭高校と若狭東高校に行っていただき、卒業間近の3年生に対して、「故郷に戻ってきてほしい」という呼びかけができないかと考えています。高校側と交渉しています。7月ごろに実行する予定です。やれることからやっていくことで、次が見えてくると思います。今回、市長が生徒に呼びかける行動をとれば、生徒からも何らかの反応があると思います。生徒の意見も聞きながら行政としてできることをしていくことで、Uターンしてくる生徒も増えてくると期待しています。

平成27年4月30日

子どもたちに夢と人生を直視できる教育を

 平成23〜24年ごろ市内の中学校で発生した生徒の問題行動は、長年教壇に立ち、そして、今、教育長として学校管理に携わっているものとして大変な屈辱でした。この事件について、当該学校は完全には回復致しては居りませんが、先生方や保護者・地域の関係者に助けられながら徐々に落ち着きつつあります。小・中学校を通して、8年、9年と子どもたちを教育してきたにもかかわらず、先生方に反抗し学校の秩序をかき乱し、自分たちの人生と友達の学習権をかき乱すような子どもたちしか育てられなかった責任を痛感しています。時々、ふっと何が問題であのような状態に陥ったのか、考え込んでしまいます。どういう教育をすれば、子どもたち一人一人を「一人前の人間として、育て上げられるのか」と自問自答を続けています。本来、教育は「人格完成」を目指しています。学ぶことが人として一人前になることだと思います。義務教育では教科書が基本的にありますから、教科書を中心に学ばせながら、どう人として一人前に育てるかが学校教育の役目だと思っています。ですから、私たち教育者は教科書の内容を子どもたちに理解させることと人間として一人前になることを教えなければなりません。これがうまくできていなかったから、問題行動に走ったのだと思っています。

 そこで、こんな授業をすれば一人前に育てられるであろうと、予想される教育実践の一例を述べてみたいと思います。

3年ほど前、市内の中学校で参観した授業です。夏休み中に行う職業体験の事前学習が行われていました。職場に行ったら、どのように振る舞ったらいいか、考える授業でした。子どもたちは「朝、会社に行ったら、挨拶をする」など、当然の答えを発表します。私は授業を見ながら、このような授業は必要だとは思いますが、中学生の子どもたちにはつまらないだろうなと思いながら見ていました。こんなことは小学生でもわかりきっていることですから。一時間もかけて話し合わせなくても、さっさと模擬練習でもやればいいのにと思ってみていました。

 その後、職業教育でもっと夢のある授業ができないものかと、ずっと考え続けていました。フランスの有名な詩人が、「教育とは夢を語ること、学ぶとは感動することだ」と言っています。私は長年この言葉をイメージして教育実践を追究してきました。

 最近のテレビの番組には、子どもたちに教室で見せてみんなで話し合い共感させたい、いい番組が放映されています。たとえば「プロフェショナル」、「がっちりマンデー」とか・・・です。先日も見ていましたら、確か福島だったと思いますが、ITを駆使して温室でイチゴ栽培をし、一個千円のイチゴを売り出している起業家の話でした。彼は東京でIT関連の仕事をしていました。しかし、東北大震災の被災地復興の一助になればと考え、イチゴ栽培を一から研究し事業を軌道に乗せつつあるとのことでした。イチゴ栽培はまったくの素人です。東北のイチゴ栽培農家の第一人者に教えを乞い、自分の特技であるIT技術を結びつけ成功にこぎつけたそうです。温室は温度、湿度、空気の循環、水やり、肥料など完全自動制御です。また、50人ほどの地元の人を雇用しているとのことです。自分の金儲けのためだけでなく、地域社会への貢献に役立つ企業のあり方です。夕飯の後、ポケーッとみていましたが、見ているうちにだんだんとこれはすごいと思うようになりました。私が、今、学級担任であったら、クラスでテレビを視聴して子どもたちと夢を語りあい、子どもたちに千円イチゴの社長に直接電話をさせ、500円ぐらいに負けてもらってみんなで食べてみるなぁと思っていました。皆さんはどう思われますか。子どもたちはきっと自分たちの人生に夢を思い描くと思います。このような素敵な社長さんの生き方は子どもたちの人生に大いなる示唆を与えてくれます。東北復興の熱い思い、自分の得意能力の有効利用、先輩農家への教えを乞う姿勢、地域社会への貢献、消費者への素敵な商品の提供など、21世紀の仕事の仕方だと思います。

 先生方には、21世紀を生きる子どもたちが生き生きわくわくする学びを提供してほしいと願っています。問題行動等を未然に防ぐ、処方箋になると思っています。

平成27年3月3日

国の「学力調査」はこれからだ

 過去、何回かの学力調査が行われ、全国で常にトップに位置する本県では、現在、次のように言われだしています。「A問題はこれくらいでいいだろうから、B問題をどう伸ばすか、考えよう」と。この方向性は、数か月前に福井で開かれた「教育フォーラム」でも指摘され、県内の教育関係者の合意になりつつあります。しかし、私は同意できる部分と同意できない部分があると思っています。

 そこで、ここではとりあえず、二点ほど私なりの思いを述べたいと思います。

 一つ目は、A問題への取り組みはもうこのあたりでいいのではという理解の仕方です。確かに福井県の子どもたちのA問題への正答率は高いです。しかし、A問題への取り組み方を深く考えてみる必要があると思います。A問題は知識・理解の学力を問う問題で、能力的には暗記力が問われています。子どもたちを学校で指導していて、暗記力が子どもたちの学びの姿としてどのような状態を見せるのか、私は時々体験してきました。当然のことながら、教員以外の方々は想像をしたことはないでしょうし、教員であってもすべての方が想像をめぐらせていないのではないかと思います。

 私の最後の勤務校の今富小学校での様子です。校長でしたが先生方にお願いし、常にどこかのクラスで授業をさせてもらっていました。6年生の国語の教科書に、宮沢賢治の有名な物語『やまなし』が掲載されています。この教材を指導しました。授業と並行して、授業外で賢治の詩を覚えることに取り組ませていました。このようなことは以前からもたびたび取り組んできていました。まず、『雨ニモマケズ』を覚えるよう、子どもたちに指示しました。覚えられた子から一人ずつ校長室に来て暗唱するテストをしました。この詩はそれほど長くはありませんし、リズムもあるので覚えやすいのです。それでも、一人ずつ私に相対して暗唱するのですから緊張します。早い子は一時間ほどしてテストを受けに来ました。遅い子でも1〜2日で、全員が暗唱できたと思います。スラスラと言えると、「はい、合格です」と言われます。子どもたちはほっとした表情を浮かべ、「フッー」と一息つきます。そして、満足そうな笑みをたたえながら校長室を出ていきます。次に、子どもたちに与えたのは詩集『春と修羅』の中にある「永訣の朝」という詩です。ものすごく長文です。頭の衰えてきた私では覚えきれません。しかし、生き生きとした活性状態にある子どもたちは、早い子では次の日に暗唱してきて間違わずに言えました。ですが、なかには暗記力がなく一週間かかっても覚えきれない子がいます。次々とクラスメートが合格する中で、おそらく「なんで自分だけ覚えられないんだろう」と、悩んだと思います。時々、試しに校長室に来て暗唱しますが、途中で詰まります。私もその子の悲しそうな顔を見ると、甘くして、「合格」と言いたい思いに駆られますが、「もう一度頑張ってきて」と突き返します。しかしながら、このような子どもに「もう一度、がんばってこい」と突き放しても覚えられないのはわかっています。それで、途中から特定の友達に頼んで覚えるお相手をしてもらいます。また、私が直接援助もします。たとえば、いっぺんに全部というのは無理なので、部分に分け少しずつ覚えさせます。最後に全部言わせるような方法をとります。遅い子では一週間から、二週間かかる子もいました。させる側にも忍耐力がいります。もし、一人、二人の子だけでも合格しなかったら、その子は自分自身をどう思うでしょう。「自分はみんなよりだめだ」と、敗北感を味あわせることになります。それでは子どもを育てることにはなりません。私は心の中で、「頑張ってできてよかったね」と、言ってやれるかどうかだと思い続けています。こんな単純な取り組みが実は教育の本質だと思えます。このような経験から、すぐに覚えられる子、なかなか覚えられない子、この暗記力の差をまざまざと思い知らされてきました。何とかできないのかと考えてきました。現在のA問題への取り組み方は過去問や問題集をさせることに終始しています。ですから、暗記力そのものには全く手を付けていないと思っています。子どもたちの能力を機械にたとえて申し訳ないとは思いますが、パソコンソフトに例えれば、暗記力のある子はXPのWindowsなら、ない子は98のような差があると想像しています。98のこの暗記力を鍛えて、XPにしてやればもっと容易に知識の習得ができるのではないか。私は、今この研究・実践に取り組まなければと思っています。

 二つ目の課題は、B問題の力を伸ばすためにはどのような授業をすればいいか、学力向上を推進している人たちも、あまりわかっていないのではないかと思われます。それはその人たちがB問題向きの授業実践を経験してきた人たちばかりではないからです。そこで、B問題対応の授業の推進について述べてみたいと思います。

 実は戦後の教育現場では、日本の優秀な教員たちは知識を習得する教育方法にも力を注いではきましたが、それ以上にB問題を解くための「思考力」を育成する授業にこそ、多大な情熱を注ぎこみ研究実践に努めてきました。戦後取り組まれた「主体的学習」と称される学習方法です。そういう意味ではすでに見本があるということです。私たちは若いときからずっと取り組み、質の高い授業を追求してきました。私と職場を同じくした同僚も、それぞれ自分なりの質の高い授業を習得し、現在校長になっているものは後進の指導に当たってくれています。ですから、戦後日本の最先端の授業を学べば、自ずと理解されると思いますが、教育現場は「多忙」だとか言われて、我々の後輩は習得が遅れているように思えてなりません。ぜひ、夜を徹して、子どもたちのために努力を惜しまないように願っています。さらに、私自身が心配していることは、大学の教員養成の授業です。近年、新しく教員になった方々でこういった教育の知識を持ち合わせている方に出会ったことがありません。授業の仕方がきちんと指導されていないのではないかと思っています。私の大学生活は昭和40年代半ばでした。「OO科指導法」というような科目の講義ではほとんどが「指導要領」の解説程度で、眠たくなる講義ばかりでした。具体的な授業構想や授業内容を教えられることはありませんでした。しかし、付属小学校の教育実習で、子どもたちが意欲的に学習する姿を目の当たりにし、授業のイメージを目に焼き付けたように思います。その後、教育現場で日々授業に追われながらも、先輩から教えてもらって入手した全国レベルの高い教育実践の情報に心躍らせながら、自分もいつかはそのような授業をしたいと願って今日まで努力を積み重ねてきました。ですから、私たちの大学時代は、大学の遅れた体制とも相まって、学生に先進的な教育現場で実践されていたレベルの高い授業が具体的に教えられることはありませんでした。しかし、多くの素晴らしい実践事例が大量に存在し、情報体制が飛躍的に発達している今日の日本で、それらの実践を教えられていることは当然だと思っていましたが、若い先生方はほとんど知らないのです。戦後の日本における一流の実践家の名前や成果を知識としてだけでも習得してきていないのはなぜか、気になっております。

 ところで、どうやって「思考力」などの高度な能力を伸ばす授業を進めるかですが、福井県は、「授業名人」などの制度があり、質の高い授業をする人を選定しています。名人になっている人の多くは「思考力」などに対応する授業を実践していると思っています。このような方々を集めて、さらに研究させ実践を広げていくことができると思います。また、福井県で先進的な授業を行うべき使命を担っている福井大学付属小・中学校の教育実践に期待することが求められています。小浜市では、私が教育長になって7年、「授業力向上」をかかげて質の高い授業づくりを目指してきました。先生方はこの間、熱心に研究・実践をしてくれました。残念ながら、明確な結果に結びつくまでには至ってはいませんが、授業を変えなければという気持ちは先生方に醸成されつつあると思います。何十年もかかって学び獲得してきたであろう優秀な先輩たちの授業を、数年で少しかじったぐらいでは習得できるものではないと、私は思っております。今、国の方では主体的に学ぶ児童・生徒を育成するべく、次回の指導要領では学習方法にまで立ち入ると言われています。専門家は「アクティブ・ラーニング」とか、外来語を使って、いかにも新しいものに取り組むようなことが報道されていますが、すでに何十年も前から実践されていることです。先輩たちが命を削って実践してきた成果を、後輩たちが習得していない現実に苛立たしさを覚えます。

 小浜市教育委員会としては学力テストをこのように受け止め、今後もすべての学校で研究を進め、教員の授業力が向上するよう求めていきたいと思っています。これからが本当の勝負だと思っています。

平成27年2月10日

福井教育フォーラムをどう理解すべきか その2

 10月16〜17日にかけて、「福井教育フォーラム」が福井県教育委員会主催、日本教育新聞社共催で開催された。ここでは2日目、教育現場視察についてコメントしてみたいと思います。

 福井市周辺のいくつかの学校の中から、自分の希望する学校が見学できるようになっていました。私は以前から、県の市町教育長会でも話題になり、テレビなどでも取り上げられ注目されている永平寺町の永平寺中学校を見学しました。全校生徒数176人、中学校としては小さな学校です。当日は100人近くの見学者がいました。

 まず、最初に当校の教育活動の概要及び特色などの説明がありました。この学校は落語家、鶴瓶の『家族に乾杯』で取り上げられ、一躍全国的に有名になりました。朝・夕校門を入る時、全員が黙礼して敷地内に出入りします。授業のはじめや掃除のはじめに、一日八回ぐらい数分間の黙想があります。黙想をすることで集中力やこれから授業だという心の切り替えをさせているそうです。また、掃除は黙動といって、しゃべらないで行います。掃除終了後は廊下に正座し反省をします。 次に、授業参観、掃除参観がありました。このような取り組みというか、しつけは1960年代ごろから実践されているとのことでした。

 数学、社会、音楽の授業を参観しました。授業のはじめ、生徒は1分ぐらい黙想していたかと思います。子どもたちは落ち着いて授業を受けていました。その後、養護教諭に、「授業中保健室に、逃げ込んでくる生徒はいませんか」と聞きましたが、そのような生徒はいないようでしたし、不登校の子どももほとんどいないようでした。本市とはずいぶん違い、秩序が保たれていると思いました。授業では周りにわからない子がいると、サッと教えてやるというクラスづくりができているなと思いました。ですが、グループ学習の時間がとられているぐらいで、授業はどこの学校でも見られるごく普通の授業でした。子どもたちは静かに授業に集中していましたし、先生の指示に従っているので、授業はやりやすいのではないかと思いました。

 掃除は、半分はクラスごとのグループで、半分は1〜3年までの縦割り班で行っていました。縦割り班のグループに属すると、先輩のテキパキとした掃除の態度を見て、後輩として感化を受けるそうです。スピーカーから掃除の始まりの音楽が流れ、掃除が始まりました。廊下に正座し黙想します。しばらくして、音楽が変わり掃除を始めます。実にテキパキと動きます。トイレの洗面所を掃除している生徒の様子をしばらく見ました。実に丁寧にやります。しかも手早くです。雑巾で洗面所の洗面器の所を拭きながら、もう一方の手で排水溝にかぶさっている止水弁を開けたり閉めたりして、ごみを取り除いています。単なる掃除なのですが、見ていて実に考えながら掃除に取り組んでいる様子がわかります。後で、本人に聞きました。「君はテキパキと掃除していたけど、なんでそんなふうにできるの」と聞きましたところ、「きれいにしたいと思っているので、こんなふうにしてやろうと考えてやっています。」との返答でした。私は掃除の様子、質問に対する答えを聞いて、この生徒、いや全校生徒のすべてが日常の生活を実に考えながら、心を込めてやろうとしている姿勢に感動を覚えました。日常生活の平凡な行動を丁寧にさせていくことがとても大事なことだと教えられました。われわれの市の中学校ではここまでできていないと思います。聞いたところによれば、小学校ではこのような取り組みはしていないようです。中学校入学後、先輩の態度を見て後輩として見習っていくそうです。また二年生の時、曹洞宗の本山永平寺に二日ほど、体験学習をするようです。そこで、僧侶のテキパキとした掃除の態度を目の当たりにし、良い感化を受けるのではないかと思いました。こんなに、品行方正な生徒ばかりなのはどうしてなのかと思い、「もともとそうだったのか」と教員に聞きただしたところ、この取り組みをやり始めたころは、生徒の問題行動がありこのようなことに取り組んだとのことでした。また、生徒に、「先生に反抗する子はいないの?」と聞いたところ、「そんな生徒はいません」との答えでした。でも、今の時代ですので、「スマホを遅くまでしたり、ピアスなどおしゃれすることないの?」と聞いたところ、「スマホしている人はいます。日曜日に化粧して、福井へ遊びに行く人はいますが、学校にはしてきません。」との返答でした。一応学校と家との区別をつけているので、学校では秩序が保たれているのだと思いました。

 ところで、私の記憶に間違いがなければ、永平寺中学校は昭和の時代にこのような取り組みを「日教組教育研究集会」(日教組主催の先生方の授業研究会、毎年全国のどこかで開催される)で報告したのではないかと思います。そして、マスコミで騒がれたと思いますが、宗教教育ではないかとぼろかすに批判を受けたと記憶しています。そのような学校が、今日再び脚光を浴びるのは時代の状況がそうさせたのだとつくづく思います。そのきっかけを作ったのは「学力調査」です。その意味でも、今回の見学を通して、学力調査の持つ意味を考えさせられました。何十年も前、子どもたちの問題行動をきっかけに、教師たちが工夫し取り組んだ黙礼、黙想、掃除の黙動。この方法は子どもの成長に役立つと考え、批判を浴びながらも今日まで黙々と取り組んできた永平寺中学校の教師たち。決して、今日のように全国から注目を浴びるなどということは全く考えもしなかったことでしょう。しかし、学力調査を契機に、全国の教師、教育委員会関係者たちは一気に注目し始めました。学校の秩序が保たれ、学力は全国最高レベルだからです。宗教教育だと一瞥した当時の教研集会参加者はどう思うのでしょうか。この取り組みを宗教教育といって一瞥するのは簡単ですが、この方法で子どもたちを育てようとした永平寺中学校の取り組みから学ぶべきことは多いと思います。永平寺の教育方法は道元禅師の教えを参考にしていると思います。今日、道元の教えは宗教だといえばそうですが、修養方法は極めて科学的で理にかなっているのではないかと思います。行から入って、自己を修めていく、宗教というより、精神医学的に科学的なのです。子どもたちの精神状態を訓育するのに、心の状態が混とんとする思春期の中学校時代には適切なのではないかと思いながら見ていました。

 ただ、一方では永平寺だから成功しているとも思っています。地域も家庭も、道元の教えと一体ですし、永平寺の体験もできるという地の利もあります。先日、大阪市の隣の市の市会議員さんたち数名が、本市の学力調査の取り組み状況の視察に来られました。いろいろやり取りをし、帰り間際になって、「実は去年は永平寺中学校に行ってきた」と言われました。わたしは「何か参考になりましたか?」と問いかけましたが、あまり明確な返事はありませんでした。「永平寺中学校は学力も全国最上位校ですが、あの学校の方法を取り入れるのは難しいでしょう?あの学校はきちんと結果を出していますが、あの地域だから、ああいう方法がとれると思いますよ。都市部の問題行動の多い学校で右から左に取り入れられるとは思えませんが…。むしろ、お宅のような大きな市なら、数千人の教員がいると思います。その中の数パーセント、100人ぐらいの教員はやる気もあり優秀です。そのような教員を束ねて、お宅の地域に合ったやり方を工夫させた方がいいのではないかと思います。」というようなことを助言しました。本市の状況を見ても、「永平寺方式がいいから、取り入れたら」というようなことはかなり難しいと思います。学校のおかれている地域性があるからです。ですから、永平寺と状況がよく似ている学校は大いに取り組んでみると結果につながってくるかもしれません。学校運営、生徒指導はそんなに単純ではないと思います。類似しない学校は今後も自分の学校に合う方法を工夫していく以外に結果を出すことはできないと思います。ただ、私は、校長会でも申していますが、ある偉大な政治家の言葉ですが、「一点突破、全面解決」という戦略で学校運営をすることが必要だと思っています。永平寺の成功は、黙想、黙動、その一点で、先生方が結束し、子どもたちを指導してきた結果が実っているのだと思います。ある方法でやると決めたら、教師集団が一丸となって取り組むことが大切だということを永平寺中学校の実践から学ばせていただきました。教師集団が子どもたちに何を指導したいのか、子どもたちに明確に伝わることが、教育活動では大事なのだと思いました。

平成26年11月25日

福井教育フォーラムをどう理解すべきか その1

 10月16〜17日にかけて、「福井教育フォーラム」が福井県教育委員会主催、日本教育新聞社共催で開催されました。テーマは「福井から変える 日本の教育 −これからの学力向上の方策を探る−」というものでした。福井のフェニックスで開催されたが、700人を超える参加者で会場に入りきれず、別室のテレビモニターでの参加という盛況ぶりでした。

 一日目は知事のあいさつの後、大阪大学教授の志水宏吉氏の「福井県の学力・体力がトップクラスの秘密」と題しての講演がありました。その後、「考えよう、これからの学力向上に大切な視点」でシンポジウムが行われました。シンポジストは志水氏、文部科学審議官 前川喜平氏、東京大学教授 秋田喜代美氏、福井大学教授 松木健一氏、茨城県朝日中学校教諭 高柳弘子氏、福井県教育委員会教育長 林雅則氏でした。また、コーディネーターは日本教育新聞社編集局長 矢吹正憲氏でした。

 夕刻、簡単な立食での交流会が持たれました。こちらも、満員の盛況で、200人はいたのではないかと思います。

 さて、このフォーラムのメインテーマ、志水氏の講演のテーマ、シンポのテーマを通して、このフォーラムで主催者が参加者に訴えようとしていたことは何かを、まず考えてみたいと思います。一つは福井県の学力・体力が高いのはなぜか、二つ目にこれからどのような努力をすべきか、です。

 なぜ、学力・体力とも高いかは講演、シンポジウムを通してほぼ明確にされたと思います。結局、福井県の学力・体力が上位なのは、先生方の熱心で、きめ細な指導の結果であること、家庭が健全で先生方の指導を真面目に聞き入れる子どもたちであるということかと理解いたしました。宿題は大量に、しかも毎日出されています。それを丁寧に先生方はチェックしています。放課後、理解の遅れている子どもたちを特別指導しています。子どもたちも多くの宿題をきちんとやってくるという生真面目さを持ち合わせています。テストのために学力調査の過去問をすべての学校でやる努力しています。こういった実態を踏まえ、講演者やシンポジストから要約的に表現された言葉は印象的でした。「教育委員会→校長→先生方と、方針がスッーと入る」という言い方でした。良くも悪くも、物事が上意下達で実行されるということです。「学力テストに取り組んでほしい」と、教育委員会が校長先生方に言えば、校長は「わかりました」と、自分の学校の先生方に「頑張ってくれないか」「はい、頑張ります」と、先生方は本気で努力してくれます。では、なぜ、校長を中心にみんなで取り組めるのでしょうか。このことでの突っ込んだ追求はありませんでした。内部の人間でないとわからないことかもしれません。地域性もあるのでしょうが、私は教職員組合のあり方が大きいと思っています。いろいろさしさわるところもあるのでしょうが、あまりおおっぴらに語られてはきませんでした。福井県教職員組合は日教組に加盟しています。日教組段階では管理職は加盟できませんが、県段階では実質、管理職と一般教職員は一つの組合を作って活動しています。それでは、組合として教育委員会に物申せないじゃないかと言われればそうかもしれませんが、現実そうなのです。いいように解釈すれば、教育委員会と組合はあいまって本県の教育向上や職員の勤務条件の改善に努力してきたと考えられると思います。こういう状況ですから、各学校で、管理職と一般教職員の間には対立関係は存在しません。教員として同一の立場で学力向上についても取り組めるのです。もし、対立関係にあったら、本県のように先生方は熱心に子どもたちのことを思って指導しないのではないかと推測します。

 ところで、いろんな場で学力問題を話し合っていると、「そんなに点数にこだわらなくても」とか、「いろんな教科がある中で、算数と国語だけの結果なんやし」と、重要視されない方がおられます。その方の考えは一見、一理あるように思えますが、私は国の学力調査への取り組みを、そのようには受け止めてはいません。「たかが学力テスト、されど学力テスト」と考えています。たとえ、子どもたちの能力の一部分しか測定できなくても、一部分は測定できているのですから、悪ければ、できる範囲で一生懸命改善に努力すればいいのではないかと思っています。ほんの一部の教科ですが、その教科がよい悪いとはっきりしているのですから、悪ければ改善を考えるべきだと思います。おそらく、多くの保護者、市民は私のように考えるのではないかと思います。学力テストの結果を見て、漢字ができなかった。それで、先生が放課後子どもたちを残して漢字の練習をさせる。その結果、全部丸になれば、子どもも保護者も喜ぶと思います。自分の学校が周りの学校より悪かったら、周りの学校以上に努力したらそれでいいのではないかと思います。自分の学校だけを見ていて、いい、悪いはわかりませんし、努力しなければと思う教師は少ないと思います。他と比べて、やっぱり自分のクラスは悪いなぁ、自分たちの学校は悪いなぁと気づき、努力しなければいかんなと自覚できるのだと思います。一つでも二つでも子どもの知識が増えれば、子どもにとっていいことではないかと、私は単純に考えています。

 また、この調査をすることによって、点数を取らせることのできる先生、点数の良い学校がはっきりしました。逆にとらせることができない先生、できない学校もはっきりしました。点数を取らせることができる先生はおそらく、授業が上手なのだと思います。熱心にノートを見、きめ細かく指導し、しつけもきちんとできているのではないかと思います。今まではあの先生に習うとよくできるようになりそうだとわかっていても、数字で客観的に示されることはありませんでした。しかし、学力調査の結果を見てみると、特定の先生が担任する年だけ、平均点が上昇している場合があります。そうであるなら、その先生のプロとしての能力ですからもっとたたえられてしかるべきだと思います。今までは、そこをボヤッとさせて、何となく勤務させ全員に同じ給料を支払ってきたと思います。能力による競争社会になりつつある日本社会において、私たちの考え方を変容させていかなければならないと考えています。逆に、点数を取らせられない方は事実を自覚し、教員としての指導力を伸ばすべく自己研鑽すべきだと思います。学力調査をこのように受け止めれば、指導力不足の教員に努力を求めるいい機会になると思っています。ところが、次のような場合もありますので、単純に比較され努力せよといわれても、妥当でない場合もあります。それは、あるクラスやある学校の子どもたちの学力のレベルがもともと非常に低い状態であった場合、どんなに優秀な教員が担任になっても、優秀な校長・教員がいたとしても、他と比較されて対等に戦えるはずはありません。その場合は引き受けた時のスタートラインが同じではないと理解し、その学級、その学校として以前よりどこまで伸ばすか、伸ばしたかという考え方で、先生方の取り組みを評価しなければならないと思います。小浜市内の学校は大半が、県・国の平均点数以上なのですが、県平均以下の学校もあります。私は、そのような学校には、「今まで以上に平均に少しでも近づけて」と要求してきました。

 次に、B問題について考えてみます。B問題は、問題文を読み込んでいく力が求められる内容です。子どもたちの「考える力」を育成する授業を日々実践していなければ、そのような力は育ちません。教師の本当の実力が試されています。考える力を育成する授業は計算をできるようにさせる、漢字を覚えさせるというような単純な指導法ではありません。小浜市では以前から、そのような授業ができる力を体得するようにと先生方に求めてきました。ペーパーテストであっても、いい問題は子どもたちの本当の実力、考える力を測ることができるのではないかと思っています。B問題に解答できるような実力を子どもたちにつけるためには、単純な暗記能力を育成する知識習得型学習でなく、思考力を育成する課題探究型の授業が求められています。実は、教育フォーラムでは、今後福井が学力向上で努力すべきこととして、志水氏は「探究学習」への取り組みが求められると、発言されました。この日の集いは「福井県の学力はなぜ高いか。その秘密を探ろう」が目的であったため、今後の課題についてはどの講師も詳しくは発言されませんでしたが、このことこそが最も大事だという含みの発言がなされていました。

 ところで、「探究学習」とはどういう学習なのでしょうか。「探究学習」と言われる学習は特別なもの、目新しいものではなく、以前から研究・実践がされてきています。私自身も若いころから、先輩の手ほどきを受け、習得に長年努力し続けてきました。20〜30年と教職に携わってきて、ようやくその学習の本質がわかってきました。教育長になって6年、当初から先生方に求めてきたことはただ一つ、「授業力向上」その中身はいわゆる「探究学習」です。先生方は努力をしてくれてはいるものの、なかなか思うような授業レベルには到達できないでいます。もし、私の構想通りの授業を実践することができれば、子どもたちの学力は飛躍的に伸びると確信いたしております。それゆえ、後輩たちの研究・実践を教育長職の最重要課題と位置づけ努力いたしております。

 最後に、「教育フォーラム」を次のように理解いたしました。今後、福井県の教育関係者が努力すべきことは、きめ細かな指導だけで学力テストに取り組むのでなく、過去の教育実践者がいのちをけずって研究実践してきた到達点を先生方が習得し、時代に合わせて実践することです。学力調査はその入り口、出口と考え、学力調査を生かすことが求められています。

平成26年11月20日

なぜ、公民館をコミュニティセンター化しなければならないか

 いま、市役所では市民協働課が音頭を取り、公民館をコミュニティセンター化にする取り組みをしています。現在の公民館は教育委員会所属ですが、この事業は市民協働課が中心になって進めています。しかしながら、教育委員会の責任者である私にも、市民から時々聞かれます。先日も、ある学校の運動会に顔を見せたところ、市民の方から、「教育長、どうして公民館をわざわざコミュニティセンター化しなければならんのや?」と、聞かれました。私は、この事業が庁内で持ち上がってきた当初から、「市民に対して、この質問にわかりやすく説明していかないと市民の協力は得られない」と、発言してきました。残念ながら、市民の皆様に十分ご理解願えるところまではいっていないように思っております。なぜ、理解していただけないか。行政的なレベルで説明がなされているからです。具体的な事例を挙げて、もっと平易な言い方で説明することが必要です。

 今の公民館は次のような活動をしています。

社会教育を目的とする本来の公民館の活動 趣味の講座や地区の体育祭など
市長部局から、区長さんに降りてくる事務的な書類などの処理
地域づくりの取り組み。まちづくり委員会などの活動です。地域によっては酒を造り販売。ひまわり畑を作り地域外からも見学者を招くなど

本来の公民館活動は①だけなのですが、②③も実際はどうしても必要になっています。現在は三つをひっくるめて、公民館活動として無理やり機能させています。

 さて、話は少しとびますが、今、地域の現状はどうなのでしょうか。先ごろ、国の方で20〜30年後の日本の国の人口について発表がありました。ものすごく人口が減るショッキングな報告でした。小浜市も、平成50年頃には今の人口3万1千人が2万3千人ぐらいになると言われています。もし、この人口が予測通りになると、市内の多くの地域が今まで通り機能するか心配です。また、減少する人数の多くは若者人口ですので、地域から活力がなくなり、小浜市そのものが消滅の危機をむかえます。人口減少の主な原因は昔のように一人の女性が多くの子どもを生まない、さらに、地域に若者が定着しないことです。大学などを卒業しても、故郷に戻ってこないことが原因です。なぜ、多くの子どもを産まないのか、なぜ、戻ってこないのか。多くの子どもを産み育てる経済的余裕や小浜に戻ってきて働き、お金を儲け生活を成り立たせることができる保証がないからです。ですから、地域で小浜市全体で、お金を儲ける仕組みを作ることです。このことは行政だけでできることではありません。まず、地域の皆さんが考え実行していただかなければなりません。私がよく説明に出す事例ですが、中名田地区などでは、戦後30年代ごろまでは、山の木を切り出し、材木として、また薪や炭に加工し、生活を成り立たせてきたと思います。しかし、今は地区でお金を儲ける経済活動がなくなりました。そうすると、中名田地区に住んでいる理由がありません。そこで、病院、買い物、通勤に便利な市の中心部に移住します。その方が生活するのに便利だからです。跡取りも戻ってくる必然性がありません。町の旧中心部でも、同様の現象が生じています。旧小浜の駅通りあたりも、シャッター通りになっています。郊外に大きなショピングセンターができ、そちらで買い物をする方が便利なので、わざわざ駅通りなどの旧商店街に買い物に行く必要がありません。私はつい十年前まで、駅通りに住居を構えていました。往年の賑わいが脳裏に浮かびます。買い物客が減少し、商売ができなければ駅通りで生活することはできませんから、当然跡継ぎも帰ってきません。年寄りだけではお店を続けていくことはできませんし、客も来ないので店を閉めてしまうことになります。ですから、地域、地域でお金が儲からない所には人は住まない、住めないということです。

 二つ目に、最近、大きな災害が多発しています。他方、一人暮らし老人が増えています。もし災害にあった時、このような人たちをどうするか、すべての一人暮らし老人を、市が避難させるなんてことは出来っこありません。隣近所で助け合って、このような老人も引き連れて安全な場所に逃げることを考えていただかなければなりません。行政ができるのは、そういった助け合いの仕組みを作ってくださいと、呼びかけることだけです。このような事柄は待ったなしです。地域で、みんなで考えてもらわないとできないことです。

 このように、行政頼りでなく、自分たちで解決していただかなければならない課題が私たち市民に降りかかってきていると思います。自助、共助、公助と言われますが、まさに共助の部分を機能させていかないと、地域の再生・存続はありませんし、地域の人々の命を守ることはできません。「市で何とかしてくれ」という時代は終わったと思います。このような時代の状況をご理解願えれば、公民館の役割の③の部分がますます肥大してくると考えられます。

 次に、地域のことは、まず自分達でする、そうなったとき、市から配布される資金も、あらかじめ、使途が決められたものでなく、一括して自由に使えるお金として欲しいという要求になると思います。自分たちが必要と思えるものに有効に使えるからです。また、社会教育という狭い枠の公民館でなく、広く地域づくりの場としてのセンターに変身させた方が活動しやすいのではないでしょうか。当初は今のままの仕組みで③の部分を取組んでいけばいいとは思いますが、公民館を発展的に解消し、コミュニティセンターとして地域づくりのしやすい仕組みに変革していきたいというのが市の考えです。この取り組みは地域の生き残りの取り組みです。そうでないと、地域は消滅の途を歩むだけです。行政は皆さん方に支援はしますが、中心になって取り組んでいただくのは地域の方々です。

 市民協働課では、すべての地区で一斉に取り組むのは困難だとの認識の下、平成27年度からモデル地区を選定し取り組みをしようとしています。この取り組みを注視していただき、是非、私たちとともに新たな時代に向かって前進しようではありませんか。

平成26年10月15日

図書館の行財政改革にどう取り組むか

 市の財政が以前にもまして厳しい時代になってきました。支出をどう減らすか。支出を抑えながらも市民の期待に応える行財政運営をどう構築するか、常に私たちにつきつけられている課題です。市役所では毎年、行財政改革と銘打って取り組んできました。無駄な支出を減らすこと、民間でできることは民間でしてもらうこと、結果として、地域が活性化することが求められています。

 国鉄がJRに民営化される時、多くの国民は大変な心配をしました。また、反対運動もおこりました。しかし、大満足とはいきませんが、ほぼ、今の時代に合ったサービスが国民に提供されているのではないでしょうか。人員も大幅に削減されました。小浜線などでは、電車は運転手一人で運転されています。多くの乗降者がいない駅は無人化されています。民営化という改革に踏み切らなければ、赤字がかさむだけだったのでしょう。郵便局も改革途上にあります。これらの改革に対して、私自身は不都合に感じていませんが、皆さん方はどうお思いでしょうか。

 市役所も、このような考え方で改革を進めてきました。400人以上もいた市の正規職員は現在290人台まで削減されています。正規で雇用するほうがいいのですが、財政的にそうせざるを得ないのです。もし、削減がなければ、毎年、何千万円ずつ増加し続けている社会保障費などの支出を生み出すことは難しかったでしょう。先を見て、思い切った改革をしていかなければ、北海道の夕張のように公共団体の破産という事態に直面すると思います。そうなったら、有無を言わさず、すべての行政サービスはカットせざるを得ないでしょう。私たちはそうなる前に時代に合った行財政改革を進め、小浜市の生き残りを模索しています。

 私たち職員は市全体の方針にのっとり、すべての部署で改革を進めるよう求められています。保育園なども、新しく建て替える場合はすべて民間委託をしています。今富保育園もそうですし、平成27年4月開園の雲浜・西津の統合保育園も新しい園舎を建て、民間に運営を任せます。住民票や戸籍の書類を発行する市民課なども外部委託する予定になっています。教育委員会でも、考えられるところは全て検討するよう求められてきました。すでに、口名田の総合運動場は管理をすべて民間に任せています。しかしながら、今後教育委員会として取り組まなければならない所がいくつかあります。給食調理、図書館、文化会館、体育館の管理などの民間委託です。それぞれに特殊な事情もあり、一気に進めることはできません。給食の民営化については、「食のまちづくり」を標榜し地域食材の導入など地域の人たちとの関係もあり、今の時点で民間にすべてをまかせるには不安もあります。そこで、調理員の人材派遣のみできないかと取り組んでいます。ここ1〜2年の内に実行する予定です。図書館についても、九州の武雄市のような外部委託による大胆な前例もあります。「公設民営のブックカフェ」と称されるような事例で、全国的に注目されています。このように民間が図書館経営を手掛けるようになってきました。試みに委託費を試算してもらいましたが、本市ではとても頼める金額ではありませんでした。公営より多額の費用がかかるということです。そこで、現在模索していることは、市民の中にボランティアとして読書活動をしておられるグループがあります。その方々に、「図書館運営をするおつもりはないか」と交渉している最中です。このような方々は、まず本が大好き、そして本好きを増やしたいという強いお気持ちを持っていらっしゃると思います。それ故、仕事としてやっている行政職員と違い、いろんな活動をしていただけるのではないかと、私は期待しています。幸い、図書館前の広場=椿回廊跡地に、旧旭座が復元されます。そこで、例えば、その劇場などを利用して読み聞かせや紙芝居活動などがやれるのではないかと思って期待しています。市民による手作り図書館として変身させることができればと思っています。もし、この手法がうまくいくようだと文化会館もこの手法でやれると思います。

 外部の力を借りることなく、市民の自力で町の再生・活性化が実行されれば、市民の活力ある町づくりができると思います。成功するかどうかはわかりません。市民の皆様のご理解を得て、是非実行したいと思っています。

平成26年10月11日

国の学力調査の結果について

 すでに、マスコミで報じられていますのでご存知かと思いますが、今年、4月に実施された全国学力調査の結果がこの8月末に発表になりました。小学校は国語・算数を、中学校は国語・数学を検査しました。毎年実施しています。秋田県、福井県が平均点で全国一位、二位をキープし続けてきました。今年も変わらずの結果でした。そのため、どうしてもこの位置を維持したい県教委はとても力を入れております。

 さて、小浜市はというと、先生方の努力の結果、小・中学校とも全国平均以上です。しかし、県平均と比較すると、小学校は毎回県平均を上回っていますが、中学校はなぜか、平均以下なので残念に思っています。先生方に、「すべての学校が県平均を上回ろう」と、呼びかけてきました。残念ながら、小学校は12校の内4校が平均以下、中学校は2校とも平均以下でした。

 なぜ、中学校になると学力が下がるのか、はっきりした原因は私にはわかりません。関係者に聞くと、高校入試で嶺北と比べるとあまり頑張らなくても何とか入学できるから、若狭地域の子どもたちはまあまあの勉強しかしないからだと聞かされてきました。しかし、最近この理由は怪しいと思うようになってきました。小浜と同じ高校に入学するであろう隣の若狭町やおおい町の中学校は県の平均以上の点数を取っているからです。

 では、なぜ隣の町は平均以上で、本市は平均以下になるのでしょうか。若狭町やおおい町の中学校に見学に行くとわかりますが、誰一人として教室から飛び出し、うろうろしている生徒はいませんし、授業中に寝ている生徒もいません。きちんと宿題をし、授業中も真剣に授業に臨んでいます。教師の指示にはきちんと従うそうです。少なくとも、30〜40年以上前の日本の学校の姿が今も見られます。では、教師の指導力がよいのでしょうか。見学する限りでは、特段小浜市の先生方より上手だとも思えませんし、教員の人事異動もありますので教師の指導力の差とは考えがたいと思います。やはり、安定した家庭生活で育てられ、先生方の言われることをしっかり聞くようにしつけられていると思われます。

 ところで、小浜市は長年食のまちづくりに取り組んできています。だとすると、いろいろな健康数値がよくなるはずなのに、県下のほかの市町と比べてあまりよくないのです。健康保険や介護保険の費用がかかりすぎ、寿命などの数値も特段よくありません。そこで、なぜなのかが市役所内で問題になり、大学の先生に調査してもらったことがあります。その結果、小浜市は「都市型の地域」だそうです。小浜市と真反対の町は越前町などです。越前町のような「地方型」は若夫婦が働きに出てある程度の現金収入があり、老夫婦は田畑を耕しほぼ自給できる生活をしています。先祖代々の家庭なのでそれ相当の財産もあり、いざというときの蓄えもあります。ですから、家庭は精神的にも物質的にも安定しています。特段食育に取り組んでいなくても、健康な食事をし、生活も安定しているということです。この視点で学校教育も考えれば、少しは納得がいくかと私自身言い聞かせています。

 ところで、家庭でしっかりしつけられてきていないんだから平均以下でも仕方ないかということですが、家庭の責任にして、われわれ教員の努力や工夫をなおざりにすることは許されることではありません。ですから、毎年、努力や工夫をしようと教育委員会として先生方に呼びかけてきました。

 まずは、学力テストの過去問などに取り組むこと。テストを受けるにあたって取り組むべき当然の努力事項だと思います。

 二つ目に授業改革をすること。学力テストは基礎的な問題であるA問題といわれるものと、B問題といわれる応用的な問題からなっています。A問題は暗記的な問題ですので、単純に覚えればできるような問題です。学習があまり得意でない子にも時間をかけ、熱心に指導を続ければ、一つでも二つでも丸が増えると思います。一方、B問題を解くには思考力が求められます。単純な暗記では対応できません。出題の意図は今の時代に求められている「自ら課題を見つけ、解決する能力」を試す問題です。ですから、このような問題を正解するには思考力を伸ばす授業が求められています。私たち教育委員会は以前から、課題に対して「ああでもない、こうでもないと、先生を中心に友達同士で話し合いをして、本当の答えを自分たちで見つけていく授業」をしてくれるよう先生方に求めてきました。先生方も努力をしてくれています。少しはそのような授業が展開されつつあります。しっかりと暗記の授業をし、話し合いの学習を軌道に乗せているいくつかの小学校は点数を獲得しています。しかし、一部の小学校、及び中学校では依然として教師中心の授業が行われています。教師がしゃべり、子どもたちは黒板を写すだけという66歳の私が50年前に受けた眠たくなるような授業が平成の今も展開されている場合があります。子どもたちはうんざりしていますし、学力テストができるようになることはありません。子どもたちが生き生きするような楽しい授業が求められているのです。

 三つ目に、特に中学校は教科書を開いてみてもらえれば分かりますが、字がぎっしり並んでいます。学習内容が小学校と比べて格段に難しいのです。余程、気合をいれて学習に臨むようにしなければ、理解していくことは難しいと思います。昨年ごろから、教育委員会として、言い続けていたことは、「予習をさせよう」です。盛り沢山の内容を授業ではじめて聞いても、多くの生徒は完全には理解できません。数学なら、一時間で進む2〜3ページを家で読み、問題を一度解いてみる。そうすれば、分かったところ、分からない所がはっきりします。学校の授業ではわからない所を先生や友達の説明を聞いて分かるようにすることなのです。また、授業後、家庭で復習させることが必要です。このような学習の仕方を教師は生徒にしつけること、生徒は自分の意志を強く持ち、毎日実行することです。そうすれば学習は定着し、学力テストの点数も上がってきます。このような学習のしつけは中学校からでは遅いのです。小学校高学年から努力してほしいと呼び掛けています。

 「点数だけで子どもたちの能力は測れない」とよく言われます。私もその考え方は一理あると思います。しかし、この考えを盾に取り、「学力テストへの取り組みなんてほどほどでいいんだ」というような後ろ向きの姿勢になることだけは避けなければならないと思います。そうではなく、学力テストの結果を踏まえて、子どもたちの全体的な能力向上につながる授業の実現に向けて努力しょうというきっかけにしていかなければならないと思っています。今の指導要領が求めている授業が実際に実現されれば、国の学力テストの点数ぐらいは獲得できてくると思います。まずは、漢字の一つでも二つでも覚えさせ、テストで丸を取らせること、そして、子どもたちに「よく頑張りました。」たたえてやれる学校・授業にしてほしいと思います。国の学力テストを後ろ向きにとらえるのでなく、子どもたちに挑戦させ、乗り超えさせていく小浜市の教育委員会と先生方の気概が試されていると、私は思っています。

平成26年9月20日

空き家対策、むずかしい

 平成26年6月議会の一般質問で、何人もの議員さんが質問されたテーマは空き家対策でした。「空き家が増えているが、何とかならないか」という議員さんからの質問です。小浜市でも空き家が目立ってきています。ひどい場合は崩れたままでほったらかしになっている場合もあります。なぜこんな現実が出現してくるようになったのでしょうか。また、私の所属する教育委員会とは関係がないようですが、実はあるのです。

 まず、話は我が家に関係することから始めます。私の家内の親元は敦賀でした。どういう縁があってか、現在、娘三人とも小浜にいます。義父がなくなり、義母が一人になりました。一人で敦賀にいてもらうのは心配なので、親元の跡を継ぐことになった次女の敷地に離れを建て住んでもらっています。そこで、敦賀の親元の家はまだ新しいのですが、処分したいと考えました。旧の部落の中なので、外部からの人に買ってもらうことは無理です。つまるところ、隣の人以外には売れません。隣人は、土地90坪90万円なら買ってもいいとの返事です。しかし、建物を壊して、更地にして譲ってほしいといわれました。値段的にはそんなもんだと思いますが、解体業者に問い合わせたところ、壊し賃が350万もかかると言われました。当初は「そんなにかかるんか」と、躊躇しましたが、私たちはそのままにしておいても周りの迷惑になるし、これからのことを心配し、とにかく処分を第一に考えて持ち出しもいとわず清算に踏み切りました。通常、このような状況で持ち出しまでして処分しようと思う人はほとんどいないだろうと思います。昔のようにブルトーザーで壊して全部いっしょくたで捨てられる時代なら、もっと安く家屋を壊せたのですが、分別が厳しくなり、処分代が非常に高くなっています。しかも、とりわけ地方はさびれてきて、土地の値段が低下し続けてきました。そうすると、多くの土地は壊し賃の方が高くつきます。壊して、更地にして処分しようという決断がつかないまま、代替わりが始まります。息子、孫は空き家のある故郷に住んでいません。遠く離れた都会にいることが多いのです。如何ともしがたい現実になっているのです。

 ここからは教育委員会に関係する話になります。実は、さらに難しい場合があるのです。小浜市の西組といわれる重要伝統的保存地区にある空き家です。保存に賛成する印鑑を押した場合、古い家を保存していく法律的義務が発生します。しかし、代替わりなどしてくると、放置したままになってきます。朽ちてくる家もあります。保存に賛成すると同意していますので、壊して更地にさえできないという現実に直面しています。更地にできれば売却することもできますが。そこで、「印鑑押したけど、事情が変わってきたんで壊させてもらえんか」という人が出てきました。気持ちや事情は十分理解できるのですが、市としてもそういうことを了解するわけにはいかないのです。にっちもさっちも行かなくなっている場合があります。もし、これでも西組にどんどん観光客が訪れ、古い家を買い取り修理し、喫茶店でもしょうかという状況を作り出すことができていれば、空き家になることもないし壊させてという相談もないと思うのです。結局、経済状況が変化し、人々が住まなくなり、地方が廃れていった結果がこういった難題を生み出しています。では、単純に考え、「行政で解体費を補助して手助けしたらどうか」という考えもありますが、個人の財産に公の税金を使ってもいいのかという疑問もありますし、みんながみんな補助を使うようになると、予算は膨大なものになることは目に見えています。本当にどう解決したらいいのでしょうか。市議会の議員さんと理事者のやり取りを議場で聞いていて、本当に難しい問題だと思いました。

平成26年7月20日

知覧の特攻平和会館と八百津町の杉原千畝記念館を訪ねて

 5月のゴールデンウィークには岐阜県の八百津町の「杉原千畝記念館」を、また、5月23日には全国教育長会の後、特攻隊基地のあった知覧の特攻平和会館を見学しました。以前から絶対訪問しなければと思っていた場所でした。二か所とも命についてのあり方を深刻に考えさせられる場所で、私の心の中で平和を願う原点となると思われます。

 杉原千畝は皆さんもご存じとは思いますが、第二次世界大戦中、外交官としてソビエトの西側に位置する欧州リトアニア国日本領事館に領事代理として赴任していました。当時、 ヨーロッパではナチスが政権を掌握し、ユダヤ人への弾圧が始まっていました。ユダヤ人たちはナチスの弾圧から逃れるため、自由の国、アメリカなどへ逃げ延びようとしていましたが、そのためには一刻も早く、ナチスの支配地域から出国する必要がありました。その方法の一つが、ソビエトの国内をシベリア鉄道で横断し、ウラジオストクから船で日本の敦賀港にわたり、日本経由で逃げ延びるというものでした。そのためには、ソビエト、日本を通過できるビザが必要でした。リトアニア国日本領事館がそのビザを発行するといううわさを聞きつけ、ユダヤ人が連日わんさと領事館に押しかけました。少人数なら、領事の判断で発行できたのでしょうが、大人数に発行するということで、領事も本国政府に了解の打診をしていましたが、なかなか思わしい返答がありません。杉原はユダヤ人の命がかかっていることを知っておりました。その後本国から返答が来ましたが、それは了解できないとの返答でした。おそらく、当時日本は日・独・伊で軍事同盟を結んでいましたから、ドイツのやろうとすることに邪魔をすることなんて考えられなかったと思います。しかし、杉原は本国の返答を無視して、連日、ビザを発行し続けたと言われています。結果的に、約6,000人ものユダヤ人の人々の命が救われたと言われています。

 先日も新聞に「命のビザ」で生き延びたというシカゴ在住のメラルドさんのことが掲載されていました。彼は敦賀を訪問して、敦賀市民にお礼を言いたいという思いで訪日するそうです。ナチスの迫害から生き延びたユダヤ人は着の身着のまま逃げてきたのです。しかし、敦賀の港に到着して殺される危険はなくなったものの、生き延びるのにやっとの状態でした。そのユダヤ人に、敦賀市民は食べ物やふろなどいろいろと世話をしてあげたそうです。苦しいときに助けてもらった恩は人間だれしも身に染みて忘れないものです。メラルドさんは当時子どもでした。両親と敦賀に上陸したのです。その後アメリカにわたり、米国金融先物市場の礎を築いた大人物だそうです。

 このように杉原の行為はユダヤ人から見れば命を救った神様みたいな人と思われたと思いますが、本国政府の方針に反した行動をとった杉原はその後処分され、退職することになります。しかし、平成13年この行為がようやく再評価され、名誉回復されたそうです。

 「杉原千畝記念館」は杉原の生誕地ということで、八百津町が市内の山を切り開いて建設しました。私が行ったときは霧雨で周囲の風景は見えませんでしたが、晴れた日にはきれいだろうと思います。見学者は数名でした。残念ながら、こういった種類の記念館はわんさと人が押し寄せるものではありませんので、他にも見学者がいたのでほっとしました。館内には杉原の経歴や業績、当時の現地の写真、執務室が復元してありました。また、生き延びたユダヤ人からのお礼の手紙など丁寧に読み進んでいくと、涙がにじんでくるのを禁じえませんでした。

 一方、知覧の「特攻平和会館」の方ですが、鹿児島の中心からは相当な時間を要するにもかかわらず、おおぜいの人であふれていました。大型バスが何台も駐車していました。戦争中、隊員たちは全国から集められていますが、何十年も昔、乗り物も不便な時代、どうやってここに集まったのか、知覧に来るだけでも大変だったろうと思いました。

 館内には飛び立つ直前に家族に向けて書いた手紙などが多数展示されていました。当時の特攻基地全体の模型、隊員の着ていた服装、それに突撃した時に乗った飛行機と同じものが数機展示されていました。また、ボランティアによる直接講義などもあり、関係者の力の入れようが感じられました。私が一番印象に残ったのは飛行機です。遺書については以前から、いろんな書物で見聞きしていたので、それを改めて実物で確かめたということになりますが、隊員たちが搭乗して米国の戦艦に突入したという飛行機には興味をひかれました。一言、あまりにちゃちであったので、思わず隊員たちがかわいそうと思わざるを得ませんでした。羽のところの鉄板の薄さ、ブリキの少し厚め程度しかありませんでした。運転席の狭いこと、「えぇ!こんな飛行機で、沖縄近くまで飛んで行って、命を落としたのか」と、悲痛な気持ちになりました。帰路、鹿児島空港で飛行機に乗る時、入り口で思わず飛行機の鉄板の厚さを直視しました。ずいぶん厚かったのでちょっと安心して乗り込みましたが、それでも、以前飛行機に乗った時、乱気流に巻き込まれた時がありました。主翼が上下に揺れていたので、ポキッと折れないのかと心配しながら窓の外を眺めていたのを思い出しました。ましてや、戦時中の飛行機のちゃちさには驚きました。

 突撃命令が下された隊員の、数日前からの生活の様子も映像で放映されていました。突撃、数時間前というのに7〜8人の仲間がいるためか、飛行機の前ではみんな笑顔で写っています。飛行機に乗り込む直前、水杯で健闘を祈る時間になると、さすがに、表情には緊張感がみなぎり始めます。乗り込む直前、仲間に敬礼をし乗り込みます。その時の隊員の気持ちを想像すると、涙を禁じえませんでした。おそらく、生きるという希望を捨て切り祖国日本を守るという理念を信じて、戦闘機に乗り込んだと思います。飛行機が離陸します。残った隊員や奉仕隊の女子学生が手を振り、最後の別れをします。そして、最後には飛行機に向かい、だれもが頭を下げてありえない無事を祈り、敬意を表する場面が映し出されました。隊員は、数分間、日本本土の姿を目焼き付けた後は突撃するだけに一点集中して海上を進んだのだと思います。

 さて、ここで、二つを比べてとらえ直してみることにします。杉原千畝の場合は本国政府の指示に従わず行動することにより、多くの命を助けた行為ですし、他方、特攻隊の場合は国の命令に従い、自分の命をなげうって国の存亡を守ろうとした行為です。ある意味、関係者の行為に対する価値規準は真反対のように思われます。しかし、後世の我々がこれら二つの行為をどのように理解すべきかと考えた時、どちらも今後将来にわたって継承し、教訓とすべき、偉大なる生き方ではないかとおもいます。なぜなら、二つの違う事実が、われわれに発しているメッセージは平和な日本、平和な地球にしてほしいというメッセージではないかと思います。

 最後に、私の立場を考えると、どうしても子どもたちの教育と関係づけて考えなければならないと思います。道徳教育の重要性が以前にも増して叫ばれています。日本の子どもたちには世界の平和に貢献する教育が期待されていると思います。これらの材料を教材とし、教室の中で子どもたちに考えさせるといいのになぁとおもいます。子どもたちがどのように理解してくれるかに興味があります。

平成26年6月25日

鹿児島県人の努力に脱帽

 5月22〜23日に鹿児島市で全国教育長会が開催されました。毎回、文科省から、担当者が来て、その時、中央で話題になっているホットな事柄を直接説明してくれるので、出席する値打ちがあります。今年は教育委員会制度の改革の話で終始していました。

 また、よその街に行くと、立場上、どうしても我が小浜市と比べてしまいます。宿泊したのは鹿児島の新幹線駅前でした。福井市と比べても活気にあふれていました。いつも市長さんが、「新幹線を小浜に!」と言っておられる新幹線効果かと思いました。会議終了後、鹿児島の繁華街を歩いてみました。明治維新の原動力になった偉人の郷土だけあって、西郷隆盛、大久保利通など、そうそうたる人物の遺跡、足跡に出くわしました。市内電車が大通りの中央をでぇ〜んと走っています。線路の周りは土のままで、芝生が植えてあり、灰色のくすんだアスファルトやコンクリートの中にあって、芝生の緑がとてもきれいに生えていました。3kmほど適当に散策しましたが、道路にはゴミ一つ落ちていないのに驚きました。たばこの吸い殻も見られませんでした。町の真ん中の川にもゴミらしいものは見られず、とても清潔な町でした。タクシーに乗った時、運転手さんにこのことを話しかけましたが、「そうですか?」というような無反応でした。住んでいる人は自分の街の良さに気づけないのかもしれません。火山灰が降り積もるので、そのたびにみんなで掃除をするのできれいなのかなと思ったり、鹿児島人の気質や地域性かなと思ったりしています。でも、町が清潔なのはとても気持ちのいいものです。

 わが故郷小浜はどうでしょうか。時間があると、時々、小浜の海岸道路を夜歩いています。紙コップ、ジュースの空き缶、弁当の殻、たばこの吸い殻など、歩道の両脇に散乱しています。家内と歩いているときは「汚いなぁ」とついつい口から出ます。教育長をやめて、時間の余裕ができたら歩きながらゴミ拾いをして、町の美化に貢献したいと思っています。鹿児島人はみんなで街をきれいにしようという、そんな気持ちを持っているのではないかと思いました。

 二つ目に思ったことは、町の活性化に努力しているなぁと思いました。食べ物の売り出し方ではずいぶん張り切っている様子がうかがえました。鶏、黒豚肉、カツオのたたきなど、小浜の食材の多様さと比べると数は少ないのですが、「にわとり!これでもか!」、「黒豚!黒豚!」という感じで売り出していて、こちらに迫ってくるほどの勢いであふれていました。しかし、毎日食べているものをよくよく思い出してみると、小浜の方がおいしく、多様な食材に恵まれているのに気づかされました。ある時、知人から次のようなことを聞きました。「日本中を回って、いろんなものを食べ歩いている人が、若狭小浜は魚の種類も豊富で、日本で一番おいしい」と言っていたということを聞きました。そのときは「そんなもんなんか?」と軽く聞き流していましたが、よそへ行って食べ比べますと、小浜の良さに気付かされます。最近つくづく思っていることですが、小浜産のごはんはおいしいと思います。市外でレストランや旅館でご飯を食べても、おいしいご飯に出くわすことはないなぁと思います。鹿児島県は火山灰の土地なので水捌けがよく、農地はどこも畑で、田んぼは少ないように思いました。良いコメが取れなければ酒が作れないのは当たり前で、畑で採れたサツマイモや麦で焼酎ということになります。私たちの若いときはアルコールの中では焼酎のランクは1ランク下のように思われていました。今は日本酒を敬遠して誰もが焼酎です。やはり商売上手、熱心に工夫と努力をして、焼酎の地位向上をはたしたのではないかと思います。

 大会終了後、絶対見学したいと思っていた特攻隊基地のあった知覧に行きました。知覧のことは別稿で述べたいと思いますが、そのため、指宿に一泊しました。帰りは指宿から、鹿児島中央駅まで、特別列車「玉手箱号」という予約列車に乗りました。この路線は電化されていないので、ディゼルカーです。どんな列車なんだろうと思って、ホームで待っていました。そこに、派手なはっぴを着た年配の女性が誘導役、案内役、お見送り役として現れました。ホームに列車が到着しました、普通のディゼルカーを改造したものでした。地域に残る「竜宮城伝説」になぞらえた列車でした。玉手箱を開けた途端におじいさんが白髪になるということで、電車は縦に、左右黒白に塗り分けられていました。玉手箱を開けた煙ということで、列車の屋根の何か所かから、停車中に蒸気を吹き出す仕組みになっていました。十分間も停車するので、観光客は次々と列車の前で写真を撮ります。その手助けをはっぴのおばちゃんたちはしてくれます。車内に乗り込むと、車内は木材を多用した室内に改造されていました。海側の席は一席ずつ窓向きに作ってあり、海がみられる工夫がしてありました。30〜40cm幅のテーブルが設置されていて、飲み食いするのに便利になっていました。ほぼ満員で出発です。はっぴのおばちゃんたちが手を振って、愛想よく見送ってくれました。一応特急列車並みなので、途中鹿児島中央駅までの停車駅は一か所、一時間ほどの旅です。しばらくすると、若い女性が地元の食べ物や土産物を売りに回ってきました。愛想を振りまいて、いろいろ気遣いをしながら立ち去って行きました。しばらくすると、「玉手箱号O月O日乗車記念」と記した看板と駅長さんらしき帽子を持ってきました。「看板を持って、帽子をかぶって写真を写してあげます。」と言ってきました。私はのせられ易いので写してもらいました。三世代の家族旅行者らしき人たちもおじいさんを中心に楽しそうに写してもらっていました。

 後でよくよく考えてみると、この列車、何のことはない子どもだましみたいな仕掛けですが、それでも満員になるのです。車窓からの風景も、小浜線のほうがきれいだと思いましたが、お客さんに対するサービス精神と工夫への努力には見習うところがあると思いました。一応特急並ですので、列車は一生懸命走ります。しかし、小浜線同様、ものすごく左右に揺れます。カーブで「キューキーュー」と、車輪と線路の摩擦音が苦しい音を立てていました。線路から飛び出さないか心配でした。九州各地で、今いろいろ工夫された人気列車が走っていますが、この路線は電化もしてない中で、ちょっとした伝説に引っ掛けて、いろいろ工夫して観光客を楽しませる努力をしていることに頭の下がる思いがいたしました。

 鹿児島はみんなで力を合わせて、「頑張っているね」という思いを強くしました。

平成26年6月20日

子どもたちのための「学力・学習調査」の生かし方について

 先ごろ、ある県の知事が「自分の県内の学校の学力調査の結果を公表せよ」と教育委員会に迫って問題になっていました。何か事情があってのことだと推察します。文科省も今まで公表しないという姿勢から、公表は各市町村の教育委員会の判断に任せるという考えに変化してきました。県下の市町の教育長会議でもこのことで話し合いをしました。話し合いの結論は、私たち福井県では公開の必要はないとのことでした。あの学校が一番だった、あの学校がビリだったなんて情報を公表しても、子どもたちにいい影響を与えるわけではない、また、少人数の学校では個人の順位などが特定される恐れもあり、プライバシーの問題もあるのではないかということでした。さらに、私が思うに、特段、多くの市民が公表せよといっているわけではありません。よくよく考えてみると、マスコミなどの報道にあおられ、教育関係者だけが、気を病んで、どうしたものかと内輪でわいわい言っているような気がしてなりません。どっしり腰を落ち着けて、もう一度教育の原点を振り返り、学力調査の結果の正しい扱い方を考えることが必要かと思います。

 全国学力調査は何十億のお金を使って毎年実施してきました。そのデーターには日本の子どもたちの学習の修得状況が読み取れます。また、学校関係者や行政がすべき多くの課題を提起していると思います。私が思うに、大事なことは学力調査の結果を見て、できなかったところ、できない子へのさらなる丁寧な指導をどうするかです。できない子に丁寧に指導することが本来の教育であり、その指導をしないで放置したままでいることが、劣等感やいじめの助長になるのかなと思います。漢字の一つでも、計算問題一つでもできるようになり、またできるようにして、教師と子どもがともに「できてよかったね。」といえる状況を作り出すことだと思っています。国レベルで言えば、何回かの実施で、どの県がよくて、どの県が悪いか。県下で言えば、どの市町村がよくて、どの市町村が悪いか。市町村で言えば、どの学校がよくて、どの学校が悪いか。学校単位で言えば、どの先生の指導がよくて、どの先生の指導が今一つかなど、はっきりしてきたと思います。全体的に先生方に頑張ってくれとプレッシャーをかけることも必要ですが、現時点に至っては自分達でどうしても改善できない県、市町村、学校、教員に対して支援をして、改善を働き掛けることが求められていると思います。点数が改善できない学校には、優秀な教員を配置する、加配するなど具体的な支援をすることが学力調査の本当の生かし方ではないでしょうか。特に、中学校の学力調査の結果では、かなりの割合で、全く中学校教育についていけない子どもたちが存在していることを認めざるを得ないでしょう。そういったデーターもこの調査からわかるはずです。事実を直視したら、今の中学校の体制や学習内容をそのまま続けていいのだろうかという深刻な結論になると思います。ぜひ、教育現場の実態を踏まえた改革の資料になるように利用してほしいと願っています。

平成26年3月25日

「道徳の時間」のあり方について

 「道徳の時間」について、いろいろと取りざたされています。いじめ問題などが、なかなか解決せず、「道徳の時間」などに、その効果を期待しているところがあると思われます。関係者は、今の体制でいろいろ努力はしてきましたが、今一つ道徳教育の効果が見られないという見方に立っての改革議論であると思われます。論点は二つあります。

 一つは、「道徳の時間」を教科化したらどうかということです。今までは週1時間、年間35時間実施することになっています。しかし、算数や国語のように、教科でないため、また、高校入試の科目でもないため、何となく、軽く見られてきたと思います。

 二つ目に、週1時間、年間35時間の授業を実施することになっているにもかかわらず、「心は評価できないし、すべきじゃない」というような関係者のほわ〜んとした思いから、評価の研究や評価はなされてきませんでした。しかしながら、教科に位置付けるとなると、評価せざるを得ないという考えもあり、評価をどうするかが重要な問題として浮上しています。

 もう10年も前のことになりますが、私の娘たちが高校生ぐらいの時でした。夕食後に、小学校や中学校時代の「道徳の時間」のことが話題になったことがあります。

「道徳の授業、1年間にどれぐらいした?」
「さあ?2〜3時間ぐらいかなぁ。」
「道徳しなかった時、何していたん?」
「テストや受験勉強、それに説教などや。」
「ふ〜ん、そうなんや。道徳の授業てどうや?」」
「副読本を読むのは面白いけど、授業受ける前から先生の言いたいことわかっているから、授業は面白くないわ。」

 娘の話は、私にとっては驚きでもなんでもありませんでした。教育現場の状況を知ってい る者としてそのとおりだと思いました。一方、以前から文科省は子どもたちの道徳教育の 不十分さを認識し、教育現場にその充実を求めていました。しかし、私は道徳の位置づけ、 入試中心の授業体制、戦前の修身道徳へのトラウマなどから、教育現場はまあまあでやってきたと思います。

 さて、私と娘の短い会話の中に、道徳教育の現状と問題点が含まれていると思い ます。

 道徳の授業が決められた時間実施されていないこと。もちろん、文科省があれほど強く実施するように指示していたのですから、熱心に実施してきた先生方がおられることも事実だと思いますが。かなりの割合で、時間通りには実施されていなかったと思います。私は35時間の、せめて20時間ぐらいは取り組んでほしいと思ってきました。
 「副読本読むのは面白いけど」、おそらく娘は授業と関係なく、図書館で借りてきた本と同様の感覚で、すぐに読み終えたのだと思います。しかも「面白い」という反応を示しているのです。道徳は、「本来、人間はどう生きるべきか」を考える授業ですから、もともと、学習の中でも最も必要かつ興味深いものであるはずです。娘が「面白い」といったのは当然のことです。
 しかしながら、「授業受ける前から、先生の言いたいことわかっているから、授業は面白くないわ。」という反応は道徳の授業に対しての痛烈な批判ですし、それは的を射ていると思います。道徳の授業を評価する事に対する疑問として、「成績化されれば、子どもたちは本心ではない、大人が好む答えを意識して発表するのでは」というような主張を聞くことが多くあります。しかしながら、私が、教育現場で見てきた道徳の授業の多くは、道徳の授業を評価するしないにかかわらず、「授業受ける前から、先生の言いたいことわかっている」授業しかなされてこなかったということです。ズバリ、先生の教えたい価値観だけを子どもたちに押し付けるような授業しかしてこなかったということです。「押し付ける」という表現が、引っかかるなら、「先生の教えたい価値観だけを子どもたちに理解させるような授業」といってもいいと思います。道徳の授業を評価するかどうかの以前に、子どもたちの多様な価値観が保証されるような授業がなされてこなかったということです。

 そこで、私としては、このような教育現場の実態と道徳教育の必要性を踏まえた時、①道徳の教科化 ②評価をする ③多様な価値観を引き出す授業の実践 が必要だと思ってい ます。

について
 学校教育の中心には、「本来、人間はどう生きるべきか」という生き方を考える道徳の授業が最重要な学習として位置づけられる必要があると思います。かっての日本人が儒教で自分たちの生き方を考えていたようにです。本当に重要だと考えるなら、教育課程の中で、きちんとその位置づけをすべきと思います。そのことで、教員は決められた35時間を実施してくれると思います。ある程度の時間数を実施しないことには、子どもたちの道徳性は育つはずがないと思います。
について
 道徳教育の関係者や研究者は「心は評価できない。すべきでない。」という思い込みで、一歩踏み込んで道徳の評価を考えることを停止してきたように私には思えます。道徳は評価できないのでなく、評価することをためらってきただけだと思います。私は教師として、道徳の授業を実践してきたものとして、35時間の授業をして、子どもたちが理解してくれたのかどうかを評価するのは当たり前だろうと考えてきました。評価しないでおこうという考えは、評価することでいろいろややこしいことが起こるから、そっとしておこうという研究者・教育者の怠慢だと思ってきました。というのも、授業をしていて、自分が実施している授業をA君は理解していそうだ、B君は理解していないなということなど手に取るようにわかります。理解している、理解していないということがわかるのに、なぜ評価できないのか理解に苦しみます。もちろん、授業の内容のレベルは評価できるかもしれないが、価値観のレベルについてはどうかと言う異論もあるかと思います。しかし、価値観レベルのことについても、一人一人の子どものおかれた立場や性格などを考慮し、そういう価値観をその子なりに精いっぱい導き出してくるなら、よしとすればいいのではないかと思います。多様な価値観を許容する授業観実践力があれば、道徳であっても評価は可能ではないかと思います。もちろん、算数や国語のように数字化は困難でも、その子の道徳性の評価を文章で表現することは可能だと思います。
について
 ある学校で校長をしていた時、道徳の授業を6年の担任に頼んでさせてもらいました。以前からぜひやってみたいと思う教材があったからです。それは『木を植えた男』(ジャンジオノ著  フレデリックバック イラスト)という絵本の物語です。ビデオ化にもなっています。
 フランスのある地方で、戦争があり、自然が破壊されました。山からは木々がなくなり、人々の心は荒みました。争いが絶えませんでした。そのような荒廃した高原を主人公は巡り歩いていました。その時、偶然目にしたのは、荒廃した大地にたった一人で、黙々と木を植える男に出会ったのです。気の遠くなるような日々の行いに感動するのです。すでに植えられた多くの木々が自然を回復しつつあります。そして、何年か後、大きな戦争が終わり、ふと、以前の体験が気になり山に入っていくと、以前見た光景とは違い、豊かな自然が目の前に広がり、人々は歓喜しながら生活をしていたのです。主人公は、一人の年終えたちっぽけな人間がやり遂げた偉大な事業に感動するという物語です。もちろん、私も感動しました。しかし、私はこのような極端にストィックな老人の生き方を、今の子どもたちはどのように受け止めるだろうかということに興味がありました。ただ、多くの子どもたちはこの老人の行為をすばらしいと肯定的に評価すると予想していましたし、授業の目標もその方向で考えていました。結果は案の定、多くの子どもたち、実際はたった一人を除いてはそのような常識的な理解を示しました。
 授業の終わりに近くになって、ある男の子が手を挙げて発表しました。
 「俺は、そんなこと、一人でやる気はせん。」「一人でコツコツなんてつまらん。」
 みんな老人の行為を感動を持って肯定している中で、一人だけクラスの流れをひっくり返すようなことを言い出したのですから、授業の雰囲気は凍りついてしまいました。私は一瞬、この子に負けたと思いました。と同時に、即座に自分の脳裏には、砂漠地帯の植林活動の様子が浮かびました。今の社会で砂漠地帯の植林をする場合、一人で植えるなんてありません。みんなで楽しく地球の将来を夢見て取り組んでいます。授業の終わりの時間が迫っている中、これ以上授業を続けることができず、「なるほどなぁ」と、彼の意見を確認して終わらざるを得ませんでした。もし、続きの授業ができれば、彼の問題提起をとりあげ、現在の砂漠地帯の植林活動の様子などをヒントとして、二つの見方について、子どもたちと議論できると思いました。
 ところで、異論を言った子がどのような子かに触れなくてはならないと思います。保護者の価値観もあり、4年生の時は髪を染めてくる、「ぼくは」でなく「俺は、俺は」という口調から、ごく普通の子でないことがわかります。私の家庭では決してこのような子は育たないと思います。教師の権威を意に介しない、肝っ玉の据わった堂々とした態度です。他の子どもたちを従えることのできる気性を兼ね備えています。また、物事の本質、問題点を見抜く能力を持っています。私はこんな子こそ、頑張って勉強して知的能力を兼ね備えれば、「鬼に金棒」大きな仕事をやり遂げる人物に育つと思いました。この道徳の授業の経験は私の脳裏に印象深く残り続けています。

 民主主義社会の今の日本で、日本人として世界に羽ばたける人生観を持った子どもたちを道徳の授業で育てていかなければならないと思います。子どもたちも先人の苦難の人生や喜びに満ちた人生の歩みから学びたいと思っていると思います。私は教育現場にいた時、「生き方を考えよう」「人生観の確立を急ごう」と、子どもたちに呼びかけてきました。その年齢なりの生き方がないことが中学校あたりの問題行動の基底にあると思っています。過去の日本人も、どう生きるかを考えることが学問の中心だと考えてきました。今こそ、本当の学びを子どもたちに教え、厳しい世の中を堂々と生き抜く子どもを育てたいと願っています。


平成26年3月20日

老化と教育

 お年寄りの方が横断歩道を渡るとき、全く左右を見ないでわたり始めるのをよく見かけます。また、自転車に乗って道路の真ん中をふらふらしながら走っている光景を目にします。周りに気を配らないと危ないのに、何で左右を見ないのだろうと思ってきました。自分が年を取って体力がなくなってきて、その理由がわかってきました。周りを見る、周りの状況を察知するのは、とてもエネルギーがいると感じるようになってきました。若いときには何らの抵抗なくやってきたことが、「よっこらしょ」と自分に言い聞かせなくてはできなくなってきていることに気づきました。それで、ついついまあ、周りが注意してくれるだろうと思って周りに気をめぐらせることなく、進んでいくように思います。

 最近、次女が自宅にいるので、機会があると外出に連れて歩きます。特に都会を歩いているときは非常に便利です。自分の行先を探すのに、今の自分だと、「さぁーて、どっちにいけばいいのかな」と、かなりの時間思案しないと判断がつきませんが、娘は周りの情報をパッパと察知し、必要に応じてスマホを使い、「おとうさん、こっちやで。」と、私が考える暇もなくリードしてくれます。若者はみんなこうなのかなぁと思います。頭の回転が鈍くなるというのはこういうことだとあきらめの境地です。ついこの間まで、免許取りたての娘はどこへ行く時も、自分が運転するといって運転していました。しかし、最近は「たまには、お父さんに運転させないと頭ぼけるし、運転しな!」と言われます。乗っているほうが楽だとは思いつつも、娘の言うとおりだとハンドルを握ります。頭や手足は使わないとますます鈍っていくような気がします。

 50歳ぐらいの時、しばらく脳の体操をしていました。それは朝学校についたら、簡単な計算と漢字の読み書きをするのです。できるだけ早く正確にします。計算は1桁+1桁、2桁+1桁程度の簡単な計算です。小学校一年生で習うものです。漢字は10〜20個ぐらいの読みと書きを覚えるものです。十分〜二十分程度で終わりますが、しているときは頭の中が熱くなってくるのを感じます。終わると頭がサッとさえて、目覚めた感じがします。この体験をしてから、日々、いろいろ頭を使っているように見えて、フル回転では使ってはいないんだなぁと思いました。授業中の子どもたちも同じではないかと思います。頭を一生懸命使っている子ども、逆にボケーッとしている子どもがいます。頭を使わなければならない授業を45分間みっちりやると、子どもたちは「ああ、疲れた」という反応をします。頭を使っている証拠です。子どもも年寄りも同じですが、使わないと衰えてくると思います。上記のような経験をしてから特に思うようになってきました。子どもたちはこれから何十年も生きていかなければなりません。頭を使って生きていかなければなりません。子ども時代から頭を使う訓練をしておかないと、頭の老化が早まるのではないかと思います。暗記など、単純なことが年を取るととても苦手になってきます。単純な頭の使い方がかなり大切だと思います。国語の全文暗記など、あまり意味のなさそうなことが実は頭の訓練になったりしているのかもしれません。昔の寺小屋では論語などの暗記もさせていたようです。それもある意味、理にかなっているのではないかと思います。「授業を通して、とにかく子どもに頭を使うように訓練してほしい」と、先生方には呼びかけています。

平成25年12月20日

全国学力調査の結果について

 全国学力調査はここ数年毎年実施されています。実施され始めたのは平成19年度からですが、当初は対象学年全員に調査を実施していました。途中、22〜24年度は抽出ということで、全国の学校数の何割かだけ調査を実施しました。その後また、全員を対象に実施されています。政権政党の影響でこのような変動がありました。福井県では、抽出実施の年度も、県予算で全員調査を実施してきました。調査対象学年は小学六年と中学三年です。調査科目は、小学校は算数と国語、中学校は数学と国語です。それぞれの内容は基礎的な内容のA問題と応用的な活用問題といわれるB問題からなっています。また、学習状況調査と称して、子どもたちの生活実態調査も同時に実施しています。家庭学習に関すること、生活習慣に関すること、自分の内面に関すること(夢や希望があるか)、休日の過ごし方、家族との過ごし方などです。

 すでにマスコミ等でご存じのように、福井県は秋田県に次いで、毎年二番手にいます。その中で、小浜市は、小学校はほとんどの年度で常に県平均以上、上位をキープしてきました。中学校は、残念ながら県平均を少し下回る年が多いように思っています。ですから、本市の学力は全国的に上位に位置していると思っております。教職員の尽力のたまものと思っております。ただ、小学校で上位をキープしているのに、なぜ中学校に行くと低下するのかを毎年問題にしてきました。中学校の担当者に、そのあたりを聞きました。関係者の言い分は次の通りです。嶺北と異なり高校の学校格差が少なく、ほとんど全員が若狭三校(今は二校ですが)のどこかに入学できるそうです。それで、必死に勉強しなければという気概がないのではないかというのが一般的な状況理解だそうです。それは生活実態調査にも表れています。家庭学習の時間が学力のレベルに比べて全国平均よりも少ないという結果になっています。小学校の実力を踏まえて、中学校でも頑張ってくれればもっと伸びるのにといつも残念に思っています。また、中学校の成績は高校の成績につながっていきます。高校入学時の成績が良ければ、より良い大学に進学可能となります。良い大学即、良い就職、良い人生とは言えませんが、いい大学に進学できるにこしたことはありません。そういった意味でも、中学校のレベルアップを実現することが、私たちの責任だと考えて努力しています。

 県内の中学校で、結果のいい地域は、都市部より農村地帯の町が毎回上位に位置しています。学校の秩序が保たれており、教職員の指導が行き届いていると考えられます。おそらく宿題などもきちんとこなし、先生方の指示を素直に聞き、授業にも熱心に取り組んでいると考えられます。そのような学習姿勢が生み出されてくるのは経済的にも人間関係的にも安定した家庭生活にあると思われます。逆に、都市部の中学校の子どもたちはきわめて不安定な家庭生活を強いられています。今日、離婚家庭も多く、子どもたちへのしつけの欠如や経済的困窮により、子どもたちの心は不安定にならざるを得ないと思います。このような家庭的な問題が子どもたちの学力に影響していると考えられます。しかしながら、私たち教育関係者が、成果が十分でないのは地域や家庭の問題だといっていても、一歩も前に進みません。現実を直視つつ、私たち自身の努力で解決できることを見つけ出し、取り組んでいくことが求められていると考えています。

 次に、ここ何回かの学力テストで、学習についていけないレベルの子どもたちがどれぐらいいるか、明確になっていると思います。その対策は第一に手をつけるべきことです。いわゆる落ちこぼれといわれる子供たちの学力保障に取り組むことが求められています。問題行動を起こすほとんどの子どもたちは学習の遅れが原因だと考えています。最低のことをしっかり習得させる努力を、私たちは実行していかなければならないと思います。小学校で遅れを見せている子どもたちにとって、中学校の学習はとても難しく理解しがたいと思います。現実を直視し、子どもたちが生き生きと学校生活を送ってくれるように、対策を講ずることが求められています。

平成25年12月20日

山川登美子の末弟・亮蔵に関する資料の寄贈について

 若狭小浜が生んだ薄幸の歌人 山川登美子のことはご存じだと思います。小浜市が運営します「山川登美子記念館」、千種区にあります。訪問してくださっている方も多数あると思います。歌集『みだれ髪』で有名な与謝野晶子の影のような存在です。「奔放華麗な晶子に対して、あまりにも自己規制の強い女性」だったようです。与謝野鉄幹に恋心を持ちながらも、晶子にその道を譲ってしまうという運命の人です。

 その末弟に亮蔵さんという方がいました。山川家に生まれ、のちに茨城県で生活されていました。早稲田大学を卒業し、会社勤めの傍らプロレタリア思想の観点から小説を書いていました。その作品は、現在も初期の時代のプロレタリア文学として、プロレタリア文学全集(新日本出版社)に掲載されています。戦後も日本共産党の活動をされていたようです。

 亮蔵さんの長女に眞代(みちよ)さんという方がおられます。眞代さんが昨年、読売新聞に掲載された「山川登美子記念館」のことを目にし、ご自分が所蔵されていた父・亮蔵に関する資料を本市へ寄贈しようと思いつかれました。以前から勤めていた会社の社長さんに相談されました。その結果、眞代さん自身、老齢であることもあって、これを機会に寄贈を決意されました。平成25年7月5日正式に寄贈してくださいました。寄贈資料は写真、書簡、新聞、雑誌、書籍など計128点です。先ごろまで寄贈を記念して、特別企画展「登美子と亮」と銘打って資料の一部を山川登美子館で展示してきました。

 それからしばらくして、市や文化課の対応が誠実であったと思われたのか、さらに残りの資料も寄贈したいとの申し出があり、自宅まで見に来てほしいと言われました。遠方でもあり、予算の関係で旅費なども厳しい状態でした。また、登美子そのものの資料ではないように思われましたので、文化課の職員も行こうか、行くまいか、悩んでいました。その話を聞いて、私は「無理してでも行ったほうがよい。あげるといわれたら、とにかくもらってきたほうがいいよ。」と、助言しました。私は歌のほうはあまりわかりませんが、晶子と比べて、対照的な登美子、そのような自己規制の性格の上に立って歌われている歌だとすると、そのような人格がどのように形成されてきたのか、今後研究課題になることは目に見えています。当然、登美子の家庭の家風、家族の人間関係など問題にしていかなければなりません。登美子そのものの資料は少ないかもしれませんが、亮蔵を取り巻く資料であっても、家庭の状況を知る手掛かりになると思われます。弟 亮蔵が自分に得にならないであろう自己犠牲的な共産党の活動に従事されていたことは、姉、弟ともに自己抑制的な人格であると考えられます。その要因は家庭にあったのではと推察されます。それ故、登美子そのものの資料でなくても、亮蔵の資料であっても、登美子の歌風の根源を探っていく補完資料になると思ったからです。

 8月の末に文化課の職員が茨城まで行ってきました。夜になって、携帯に電話がかかってきました。「教育長さん。今ホテルに資料を持ち帰って、少し調べているのですが、いろいろ面白い資料がたくさんあります。」と、弾んだ声が聞こえてきました。「それはご苦労さん。よかったね。いただけるなら、全部もらってきなよ。すぐに宅急便で送るといい。」と、返答しました。

 職員が帰庁し、荷物も到着しました。父・亮蔵は娘に「これは大切なものだから」と、告げていたとのことです。きちんと種類別に整理されていました。山川さんにとっては遺族の大切な品かもしれませんが代替わりしていくと無用の品物として捨てられるかもしれません。研究者や資料館でもない限り、そういった資料は輝き続けることはできないと思います。私は、文化課が資料を引き受けてよかったと思います。これから、担当者が丁寧に調査・整理し、市民の皆様に見ていただいたり、研究者の方々の研究資料になればいいなぁと思っています。旅費も十分でなかったので、私も餞別をあげました。「一番安いホテルを選んで泊まりました。」と、言っていました。今回の仕事は職員の誠心誠意の仕事でしたので、(うちの職員はいつもそうですが)それに見合う喜びを神様が与えてくださったように思います。

平成25年10月15日

市内小学校統合問題の現状

 ここ数年間、市内小学校12校を4校に統廃合したいという考えを市民の皆様に伝え、ご理解を得るために努力してきました。

 その結果、平成22年9月15日田烏地区より、田烏小学校は内外海小学校と統合する旨の要望書が市長と教育長に提出されました。平成23年4月より田烏小学校の子どもたちは内外海小学校に登校しています。

 また、東部四校(遠敷小、松永小、宮川小、国富小)の統合につきましても、精力的に取り組み、地区の皆様に苦渋の選択をお願いしてきました。お陰様でご理解をたまわり、平成24年8月、四校で統合する旨、合意がなされました。今後、建設用地の決定、校舎を建てる準備など、多くの仕事があります。地区の皆様の意見を取り入れながら話を進めるために、「東部地区小学校統合準備委員会」を立ち上げました。現在、遠敷の合同庁舎・県立歴史民俗資料館北側鉄道線路と梅街道の間の農地の一角を埋め立てて建設することで同意を得ています。また、通学方法は松永小、宮川小、国富小と遠敷小の一部の地域はバス通学でということで話がまとまっています。今後、建設場所の確定や農振除外の手続き、土地を譲っていただくために土地所有者との交渉など、重要な局面をむかえています。関係者の皆様のご理解やご協力をたまわり、何とか、この局面を乗り越え、子どもたちのために平成31年開校を実現したいと思っています。

 次に、今、私たちは小浜小学校を中心とする仮称西部小学校(小浜小、雲浜小の一部、加斗小)の統合問題にも取りかかりつつあります。実は、平成20年に小浜小学校が開校した時、本来なら「四校案」にのっとり統合をして開校すべきだったと思うのですが、(私は当時、まだ教育長でなかったので、なぜ実現できなかったのか、具体的な状況はわかりませんが)おそらくうまく段取りする余裕のないまま開校に至ったのではないかと思っています。そこで、一日も早く西部小学校の統合を地区の皆様に説明し、決断をお願いしなければならないと思っています。

 西部小学校の新しい校舎は、すでに小浜小学校として建設されています。加斗小学校、雲浜小学校の一部(南川・北川より南、すなわち駅側の地域)が小浜小学校と統合していただけるかどうかです。統合していただけるとすると、あくまで統合ですので、小浜小という校名や校歌なども改めて作り直すことが必要であるとの認識をいたしております。私たちの考えを地区の皆様に説明し、了解していただくつもりです。この件で同意され難いことは、加斗小学校の場合は地域から学校がなくなること、雲浜小の場合は校区が二分されることです。私たちは地域の多数の方々の賛成がなければ、無理に推進しないといってきました。ただ、一方では、子どもたちの数が減ってきます。複式学級になったりします。また、新しい校舎を建てたいと思っていますが、統合によらなければ財政的に厳しいのです。そういったことを全体的に勘案し判断していただくつもりでいます。結論を引き延ばすと、小浜小の校舎はどんどん古くなります。統合するのなら早く結論を出していただいた方がいいと思っています。統合をしないのならしないということで、教育委員会としても考えていかなければならないと思っています。

 市民の皆様には、いろんな機会をとらえて、統合問題の情報を提供させていただくつもりです。

平成25年10月15日

小さい町の悩み

 「市長と語る夢トーク」では「もっと観光客が来るようにしてほしい」、「働く場所が少ない、工場誘致に努力してほしい」などという要望が、毎年のように、市民の皆様から寄せられています。

 観光客の場合で言えば、小浜市の受け入れの器に見合った客数が継続して来訪してくれるのならいいのですが・・・。小さい小浜市では困ることになるのです。平成30年度には国体が福井県で開かれます。県外から多くの人が訪れます。選手や関係者だけでも相当な数です。ホテル、旅館、民宿など足りるのか微妙なところです。国体規模とまで行かなくても、少し人数の大きい集会などを開催しようとすると、小浜のホテルだけでは足りません。

 工場誘致についてもそうです。最近は市では、「誘致の話があっても、適当な工場用地がありません。遠敷の竜前の工業団地のみです。いい土地があったら情報をほしい」と言っているぐらいですから、難しいです。どんどん工場用地を作ればいいじゃないかと思いますが、すぐに誘致できるか否かわからない広い土地を準備したとしても、買い手がつくまでの利子など相当なお金の持ち出しになります。それに、小浜市はよくよく考えてみると、嶺北などと比べても、土地も狭く、いざ工業団地を作ろうとすると田圃を埋め立てなければなりません。これ以上農地を減らさないという国の方針もあり、なかなか厄介です。

 このような話を横で聞いていて、私は工場誘致もいいですが、すでにある地元産業の育成も、より現実的なのではないかと思っています。水産業や箸産業です。すでに運営しているので、市が援助して、ボツボツ就業人口増加につなげるのもいいのではないかと思います。水産関係の人に聞いたところ、川崎の水産関係の仕事に従事している人だけで、500人以上おられるとのことです。すごい規模だと思います。

 ところで、このような産業のことが、なぜ教育委員会に所属する私に関係するのかということです。すでに皆さんも、テレビなどの情報や「市長と語る夢トーク」などでもお聞きになったと思いますが、市長さんの話によれば、日本電産は平成25年7月に操業開始しました。現在350人あまりの方々が働いておられます。しかし、電産の社長さんは「将来、1,000人規模に増やす」と明言されておられます。さらに、「半数は地元から採用したい」とも言っておられるそうです。これからの若い人たちの地元での働く好機だと思います。しかし、世界一のモーター企業の研究機関です。ハイレベルの技術者や研究者が求められていると思います。地元高校を出て、大学や高等専門学校を卒業した理工系の頭脳の人材が求められていると思います。地元でそういった高度な人材をいざ何百人も、供給できるのかなぁと思っています。一人でも多く地元から採用してもらうにはやはり、小・中・高校の学力を伸ばさなければならないと思います。「大学を出ても、地元で働く場所がない」と言われてきましたが、いざ、需要ができた時、本当に人材が供給できるのか心配です。日本電産の社長さんから、「なんや、おらんのか」と、言われないように努力することが必要だと思っています。1,000人規模の会社といえば小浜にとってはとても大きな規模の会社になると思います。

平成25年10月15日

インクルーシブ教育を考える

 インクルーシブ教育とは「障害の有無によらず、だれもが地域の学校で学ぶことが重要」という考え方です。昨年7月、改正障害者基本法で、インクルーシブ教育の理念が盛り込まれました。そこで、私たちも、県教委の指導を受けながら、障害児の就学指導のあり方を改善しつつあります。

 障害をお持ちのお子様には障害の程度に応じて、特別支援学校か、特別支援学級か、通常学級かのいずれかの場で学んでいただいてきました。より具体的には、今までは市教育委員会の立場で子供さんたちの状態を調査させていただき、特別支援学校(以前は養護学校と言われていました)か、特別支援学級(以前は特殊学級)か、通常学級かを決定し、その子に適していると思われる学習の場を保護者の皆様に進めてきました。かなりの程度で、行政主導の就学指導であったと思います。しかし、今後はインクルーシブ教育の理念で、就学を決定していくことになりました。保護者の方々の希望が最優先されることになりました。もちろん、現時点でも特別支援学校や学級の選択肢もあるわけで、教育委員会としては、お子様の障害の状態を今まで通り検査させていただき、どこに就学されるのがいいか、参考意見を述べるように変わってきました。したがって、どんなに重度な障害を持っておられるお子様であっても、保護者の方が地域の通常学級への就学を希望されれば、保護者の方の希望通りになります。

 ところで、そうなってくると、例えば身辺自立的な介助の必要な障害を持っておられるような場合、通常学級を希望したとして、その子の学校での生活、学習はどうなるのかが問題になってきます。今までのように特別支援学校に通学されていれば、児童生徒、1〜2人に一人の教員がつきましたが、通常学級に入学されても、そのお子さんに一人の教員が配置されてくるわけではありません。身辺の自立ができていれば、問題は学習の支援に限定されてきますが、身辺の自立もできていないとなると、どのように学校生活を成り立たせるか、率直に言って、担任の先生方にとっては大変な負担となります。私たち教育長の全国研究会大会でも、参加者からはそういった問題点の指摘がありました。講師として参加された文科省の方々に、「インクルーシブの理念は理解できるが、重い障害のある子どもたちを通常学級の教員が引き受けるにはその子専任の教員の加配が絶対必要である」と、幾人かの参加者から発言がありました。しかし、今のところ加配されるような動きはありません。そこで、教室できちんと席について授業に参加できない児童生徒が通常学級を希望し入級してきたとき、市教委としても担任の負担を考え、生活の介助をする「生活支援員」を配置してきました。基本的には勉強を指導することはできませんが、立ち歩いたら座るようにうながしたり、あとかたずけをするよう声掛けをしたりして、担任の先生の授業がスムーズに進められるように協力してくれる人を配置しています。平成25年度は市内小・中学校14校に対して、17人1,800万円ほどの支援しています。

 ところで、私は教員時代、県の特別支援教育センター(当時は特殊教育センターといいましたが)で数年、障害児の就学指導の仕事をしていました。そのため、障害を持っておられる幼児が親子で通所し、指導を受ける「母と子の家」(後瀬町)にも出入りさせてもらっていました。お母さん方の相談に乗ったり、子どもたちの保育をさせてもらったりもしました。

 ある時、かなり重度の自閉症のお子さんがいました。年長になっても発語はなく、また人間関係を取ることを極度に嫌がりました。ですから、近づくと逃げていきます。手も握らせてくれません。関わらせてくれなければ指導はできません。養育がとても困難な子どもさんでした。それで、養護学校に就学を進めました。もちろん、保護者はその助言に従ってくれました。入学してしばらくたち、お母さんに出会いました。「先生、うちの子も何にもしゃべれないけど、周りの子もしゃべらないんで、しゃべるようにはなりませんわ。」と、言われました。あまりに単純明快な話で、なるほどなぁと納得させられました。もちろん、だからと言って、通常学級で学べるかというと、全く無理だということは母親も理解してくれています。しかし、就学指導をした責任者として、この母親の話はいつまでも私の頭に残って忘れることはできません。

 二つ目の事例になりますが、以前は、養護学校に入学してもらうのが適切であると考えられるお子さんがおられるとすると、保護者の希望云々の前に、県主催の就学指導委員会(現在は就学支援委員会)で、就学先の判断をしていました。就学指導委員会は障害児教育の専門家で構成されており、それぞれの専門的な観点から、子どもたちの状態の資料を精査し、養護学校に就学してもらうことが適切かどうかを判定します。ある時、全く歩けない、車いすで移動しなければならない脳性まひの障害のあるお子さんの資料が提出されました。もちろん、身辺の自立もできません。私たちのような立場の者は、このような重い障害があるのなら、当然、養護学校判定がなされるものだと思って、専門の先生方の発言に耳を澄ませていました。ところが、結果は通常学級でよいとの判断でした。主張はこうです。まず、「養護学校へ入学してもらって、リハビリでもすれば、肢体不自由な状態は改善されるのか。」と、問いかけられました。生まれながらの障害で、その状態は改善できなかったのです。そこで、資料提出者は「肢体不自由の養護学校に入学しても改善の見込みはありません」と、答えました。すると、「それでは、養護学校になぜ就学させるのか、意味がないではないか。知的には遅れはないのだから、教室の学習には適応できる。肢体不自由だから、手がかかるからということで、養護学校という判断は不適当だ。移動やトイレの手助けをすればいいだけだから、通常学校で学ばせるべきだ。」と主張されました。その場に居合わせた者一同は、見事な解釈と意外な判断に、「なるほど」と納得させられました。養護学校に就学して、その子の能力が伸びるのなら、地域や地域の友達と別れて、養護学校に就学する価値もあるでしょうが、それがなければ、わざわざ地域や友達から離れる必要はないということです。この経験もいつまでも忘れることはできません。

 今年、ある病気で、歩行困難な子どもが市内の小学校に入学しました。今までなら、特別支援学校を進められるお子様です。しかし、保護者は地域の学校を希望しました。市教委と話し合った結果、当然のこととして学校施設を改善することで、地域の学校に入学していただきました。設備の改善、トイレの洋式化、階段の手すりの設置、支援員の配置などお金はかかりましたが、関係者の理解や努力のおかげです。先日、その子の通学する学校へ様子を見る機会がありました。特別仕立ての椅子でしたが、座って勉強していました。先生の質問に対しても、手を挙げていました。私は心の中で、「よかったね。」と呼びかけました。保育園からの友達と一緒のところで勉強できて、私もホッとしました。もちろん病状が進行し、通常学校での学習が困難になったら、支援学校へ就学していただかなければなりません。

 さて、ここまでお話し分かっていただけたと思いますが、1+1の勉強だけでなく友達関係なども含めて総合的に判断して、学習環境がその子供の成長にとって、特別支援学校がいいのか、特別支援学級がいいのか、通常学級がいいのかを判断することが求められています。保護者の見栄や世間体、教員の指導の困難さでなく、あくまで子供を中心に据え判断すべきであるということが現時点でのインクルーシブ教育の本質であり重要な観点だと、私は思っています。そのためには、学校の設備・施設の改善や補助員の配置などは行政として努力していかなければならないと思っています。

平成25年8月16日

特に、幼児期には体を動かすことが大切

 私は以前から、学校の先生方に、「学校近辺の自然を利用して遊ばせて」と言い続けてきました。また、幼稚園、保育園の先生方にも、「小学校の真似事みたいなことをするより、外で体を使った遊びをしてほしい」と言ってきました。特に、乳幼児期や小学校低学年では体を動かしながら、いろいろなことを体験させたり、学ばせたりすることがとても大切だと思ってきました。体を器用に動かせるようになれば、外界に積極的に働きかけるでしょう。その結果として、脳の発達も促され、知的な能力も体得されると考えられます。また、体力の獲得もなされます。さらに、活動は個人的ではなく、集団的に実施されますから、社会性も獲得することになります。友達との微妙な駆け引き、やり取り、そういった人間関係の基礎を自然な形で学ぶことになります。このように、知的な能力や社会性を、体を動かしながら学ばせることができるのです。発達上大切なことを獲得させず、教室での机のお勉強に偏ることは、子どもたちの将来においていろいろな問題を引き起こすことになりかねないと、私は危惧しています。

 そこで、平成24年度は自然活動を重視した保育を実践している 千葉県木更津市の「木更津社会館保育園」の宮崎栄樹園長さんに来ていただき、講演をいただきました。保育園・幼稚園、小学校の先生方、保護者の皆様に聞いていただきました。この保育園は以前、テレビでもその様子が放映され、注目されてきました。

 今年は、長野県松本短期大学幼児期養育学科教授 柳澤秋孝先生に来ていただき、「幼児期の全身運動が脳を育て、心を育てます」で、講演していただきました。

 この先生に来ていただくきっかけは、私たち、嶺南の教育長の研究視察で兵庫県豊岡市に行った時のことです。豊岡市はコウノトリの飼育、繁殖で有名です。豊岡の教育委員会を訪問し、教育方針を聞きました。小浜市では保育園は民生部が管轄していますが、豊岡市の保育園は教育委員会管轄です。最近は、「子ども課」と称して、教育委員会が管轄している市町村がボツボツ増えています。その時、取り組み説明と何冊かの冊子やパンフレットをいただきました。幼児教育・保育や低学年の子育てにとても工夫が見られました。

 『豊岡市親子運動遊び  運動好きな子どもは「心」も育つ』
 『とよおか  すくすくメッセージ 〜赤ちゃんといっしょ〜』
 『3歳からのすくすくメッセージ 〜子どもが伸びる5つのポイント〜』
 『6歳からのとよおかはばたきメッセージ 〜家庭で身につけたい生活習慣・学習習慣〜』

 その場で、ちらっとみましたが、専門家の指導が入っていると直感しました。発達理論が踏まえられていたからです。今年になって、担当者に、「これらのパンフレットや冊子の作成を指導した先生はどなたか、きいて」と、指示しました。それで柳澤先生を知ることになりました。

 先生は講演で幼児期に体得させておきたい運動能力を具体的にお話しくださいました。 跳び箱、鉄棒などの基礎的な運動遊びです。巧みに体を動かせることで、前頭葉が活発に動き出し、脳が発達するのだということです。その裏付けを医学的に研究されています。落ち着かない子、切れる子の未然防止にも効果があるということです。私も教員時代、体を動かす活動を取り入れることで、気がかりな子どもたちが落ち着いてくる感触を感じていました。講演終了後、何人かの保育士さんから、「いい講演でしたよ」という、好評の声を聴きました。小浜市でも、秋澤先生の考えを一部でも実践することができればと思っています。

平成25年8月16日

子どもたちを教育するとはどういうことか

 大学の授業で、おそらく「教育とは」という問いかけの授業はあったと思うが、全く記憶にはありません。何となく教員になった自分には、こんな質問に興味もなかっただろうし、考える素地もなかったと思います。教壇に立ち、3〜4年ほどして、教科書通りに教えることに疑問を感じ始めました。「教育とは」に自問自答してきたように思います。それ以降は、「明日の授業をどうするか」と「教育とは何か」の両輪で考え続けてきました。教員生活の後半になって、ようやく自分なりにこの問いの答えを持つことができるようになってきました。もっと早く理解できていれば、子どもたちによりよい教育を提供できたのにとつくづく思っています。そこで、私が今、理解している「子どもたちを教育するとはどういうことか」を考えてみたいと思います。

 一つは、子どもたちの学びの姿が素晴らしいと思えるかということです。教育現場にいた時、若いときは全く気が付かなかったのですが、年齢がいって、子どもと運動や学習で競争しますと負けるようになります。ある時、校長として授業を参観しに小学校3年生の教室にいきました。「百マス」を始めるところでした。(百のマスの縦横に0〜9までの数字をランダムに並べ、縦横の数字をたしたりかけたりして、百マスを早く埋めることで、計算力をつけます。) 担任の先生が子どもたちに、「百マスをやります。準備して。」と指示しました。「校長先生もやってもらっていいですか。」内心、えぇ!やるんけと思いましたが、いやとは言えずやることになりました。結果は悲惨でした。マスが埋まった子どもたちから「できました。」、「できました。」の声が発せられます。焦っても進みません。子どもたちは毎日訓練をしてきています。こちらは年がいって頭がパッパッと動きません。あぁ、年だなぁと思い知らされました。後ろから数えて早い順番で終えることになりました。かけっこをしてもそうです。あれもこれも子どもたちに負けてきます。もちろん、教室での話し合いの授業では私が優位に立っていますが、それでも、例えば自分が、「小学校の4年生の時、こんなに立派な発言をしていたかなぁ。」と、思い浮かべることがあります。そうすると、子どもたちの学習への取り組みが素晴らしく輝いて見えるようになってきました。「今の発言すごいね。よく考えているね。先生でも思いつかなかったよ。」などと、子どもたちを褒めることができるようになってきました。若いとき、先輩の先生から、「子どもたちは褒めて育てることが大事ですよ。」と聞かされてきました。しかし、その時はその意味を深くは理解できていなかったように思います。わずか10年たらずしか生きていない子どもたちが、このように多くの知識や技を身につけていることのすごさに気づいていなかったのだと思います。自分が年齢を重ね、そのことに気づかされたのです。先生方の授業を拝見する機会は多々あります。参観するたびに、「もっと褒めてあげて、あそこもあそこも褒められるでしょ。」と、内心思ったり、言っています。徐々にこの思いを理解していただき、実行されつつあります。

 子どもたちの成長のすごさに気づき、その努力や能力を賛美することができれば、子どもたちは自分に自信を持ち、ますます頑張ってやろう、先生の言われることを素直に聞いて努力しようという心になってくると思います。たまに学校に行くと、子どもたちの姿は若々しく、生き生きしています。年を取った私には輝いて見えます。

 二つ目には学びのあり方です。かなりの先生方は教科書の内容を一生懸命しゃべって教えようとしています。そのような授業を実践している先生方は、子どもたちには教えてあげなければ学ばないという授業観に囚われていると思います。今の私は違います。子どもたちが自分で学んでいけばいいじゃないかと思うようになってきました。自分で学べることを、なんで先生が教えなければならないんだろうと思うようになってきました。子どもが自ら学ぼうと思えば、学べる教科書があります。本来、教科書には学ぶべきことが遺漏なく掲載されているはずです。自分で読んで理解していけばいいのではないかと思います。そして、理解できないところ、分からない所は先生に聞くなり、友達と話し合って分かっていくようにすればいいのではないかと思うようになってきました。教育するとは、先生が学ばせるのでなく、自分で学んでいこうとする意志、能力を育てることであると思うようになってきました。というのは、今の世の中、高校や大学、そして一生涯にわたって、自ら学んでいくという学習能力が求められているからです。

 私が中学生の時、授業を受けながら思っていたことがありました。特に社会の授業においてです。「教科書に書いてあることを先生はなんでわざわざしゃべり、さらに黒板に板書するのかなぁ。教科書に書いてあるんだから読めばわかるのになぁ。」と退屈に思っていました。「それより教科書のこんなところもこんなところもわからないんで聞きたいんだけど。」と思いながら授業を受けていました。

 今、次のようなことを思っています。中学校の数学を例にとって考えると、明日の授業で進む範囲、教科書2〜3ページだと思いますが、自宅で予習をし、理解できたところと分からなかったところをはっきりさせ授業に臨ませるといいと思います。そして、自分がわからなかったところを先生や友達はどう説明するか、注目して聞く、そういう姿勢で臨まなければ難しい中学校の授業は理解できていかないのではと思います。そのためには、小学校の中学年あたりから、まず自分で教科書を読み、自分で分かっていくという学習方法を体得させる必要があると考えています。しかしながら、教師が「さあ、やりなさい」といっても、どうやって自学するのか、年齢が低い子どもたちほど分かりません。教師がやり方を手ほどきしてやる必要があります。教科書を読み、書いてある内容を理解するためにノートにまとめさせなければなりません。どのようにまとめるのか、学び方を、当初は丁寧に教える必要があります。すなわち、学習内容を教えるのでなく、学び方を教えることが大事なのです。よく言われますが、「魚を与えるのでなく、釣り方を教えよ。」です。

 「教育するとは」、結局自分で学ばせておいて、よくできたところが見られたらほめます。ほめられることで、子どもはやる気と自信を持ちます。その気持ちがさらに学習に向かっていこうとします。そのように成長させ、一人前の人間に育て上げるのが教育の役目だと思います。その手助けを、教師は学校という場を通して適切に実行することです。

平成25年8月16日

「へしこ・なれずしの製作技法」の無形文化財指定にあたって

 皆さん、「さばのなれずし」食べられたことおありですか。小浜の伝統食です。発酵食品として、超一級品だそうです。食べられたことのない方はぜひ食べていただきたいと思っています。教育委員会の担当者に学校給食で年に一回ぐらい出したらどうかと、検討をお願いしてあります。

 先日、田烏さばへしこ・なれずしの会代表の森下佐彦さんが教育委員会を訪れ、さばのなれずしをくださいました。一口サイズに切ってあったので、昼休みにみんなで一口ずついただきました。とても、甘みがあっておいしかったです。

 森下さんは、先月、3月21日の教育委員会の会議で「へしこ・なれずしの製作技法」を小浜市の無形文化財として指定したお礼に見えたのです。へしこ・なれずしは小浜の内外海地区や若狭地域の伝統食です。特に田烏地区では代々どこの家でも作られ続けてきました。私の祖父も田烏生まれでしたので、子どもの頃、祖父に連れられて毎年のように田烏祭りに行きますと、へしこやなれずしがご馳走として並べられていました。その頃は当たり前の食べ物として、なんとも思わず食べていました。

 先月、文化会館で開催された「伝統文化フォーラム」に、コメンテーターとして招かれていた、民俗学研究の第一人者である神崎宣武氏は女優の浜美枝氏との対談で、終始「なれずし」の素晴らしさを絶賛されていました。特に、小浜のなれずしはへしこにつけてから、へしこのぬかを洗い流し、再度麹とご飯をさばの腹に詰めて作る方法が素晴らしいとのことです。小浜市だけの独特の製法だと絶賛されました。このことを田烏の森下さんにお話しすると同時に、会の皆さんが伝統を営々と守ってこられたことに敬意を表する旨をお伝えしました。また、「いよいよ光が当たってきましたね。この機を逃さず、へしこ・なれずしで地域を活性化してください」と、激励させていただきました。たいそう喜んでくださいました。

 森下さんからは廃校になった田烏小学校の「給食室をへしこ・なれずしの調理場として、利用させていただけないか」と、申し出がありました。廃校になって、もう教育委員会の管轄から離れ財政課の管轄なので、すぐにはっきりした返事はしようもありませんでしたが、私は廃校後の利用として、以前から地域の人たちに、へしこの生産工場として再利用されたらどうかと思っておりましたので、個人的には大いに賛成ですと申しました。今回、指定を受けられて大変意欲的になられていたので、市としても支援できるところはしていくといいのではないかと思います。

 市では、市長さんの公約でもある六次産業の育成に全力を挙げて努力しているところです。四国の馬路村が、わずか千人の人口の村で、ゆずの産地であったことから、その材料をジュースやポン酢、化粧品などに加工し産業として大いに成り立っているとのこと、とてもうらやましく思っています。売り上げ32億円、村人の一割にあたる100人の雇用があるとのことです。小浜市もへしこ・なれずしに焦点を当てて、集中的に販売先の開拓や宣伝、素敵なパッケージ作成を援助すれば、地元産業として育成できるのではないかと思っています。折しも、日本の伝統食の世界遺産指定の動きもあります。日本だけではなく、世界への売り込み、フランスやイタリア料理の材料として、使っていただけるのではないかと思います。文化財指定が指定だけで終わるのではなく、小浜市の活性化に結び付く動きが期待されると思っています。

平成25年4月25日

学校教育における食育の最終目標は

 小浜市は食のまちづくりに長年取り組んできました。食育の取り組みについても、先陣を切って進んできたと自負しています。この実績は関係者の絶え間ない努力のたまものと感謝しています。その結果、小・中学校の領域で言えば、子どもたちにはいろいろな知識が身についていますし、毎日安全でおいしい給食が提供されています。その積み重ねを踏まえて、今「学校教育のもとで、食育の到達すべき目標は?」と聞かれれば、私は即座に、「自分で料理をして、食事を作ることができること」と、答えるでしょう。

 一昨年あたりから、学校の先生方に呼びかけてきました。「子どもたちに、『月に一回でいいから、家族の食事を作ろう』に取り組んでください。」と。「食文化館のキッズ・キッチン」や学校の授業で多くの知識や技術を教わってきました。その知識や技術が本当に身についているかを試されるのは学校を卒業し、都会に出て独り暮らしを始めるときです。自炊ができるかどうかです。一日の一度でもいいから、おっくうがらずに食事が作れるようになってほしいと願っています。その練習を今、小・中学校の間に体得させることで、食育を推進してくださった皆さんのご努力を実らせることができると考えています。

 基本的には、材料の調達から、調理、あとかたづけまでをきちんとさせることです。まず、家族の健康や好みを考え、どんな料理を作るか、雑誌などで調べさせます。材料が決まったら、買いに行きます。ラベルを見て安全かどうか、値段を見て妥当かどうかなど考えなければなりません。そして、調理にかかります。手早くできるか、キッチンをあまり散らかさずにできるかが試されます。どのような食器を使い、きれいに盛り付けができるか。次に、家族に食べてもらいます。料理がおいしいかどうか、頑張って準備したことなどがきっと話題になるでしょう。最後に、あとかたづけです。お皿を洗い、残飯を処理し、ビニール類など再生ゴミや燃やすごみの選別処理ができるかです。この一連の取り組みは大人にとってもおっくうなことですが、ましてや子どもにとっては大変な仕事です。しかし、今、私はこのことに取り組んでくれるよう学校に求めています。子どもと保護者に働きかけてほしいと呼びかけています。もちろん、この一連の取り組みが、一人でできるのは高学年から、中学生の子どもたちを念頭に置いてお話しています。低学年や中学年の子どもたちには、当初お母さんと一緒にお手伝いをする感覚で、料理作りに取り組ませていただきたいと思います。そして、徐々に一人でできるように指導していただくといいと思います。三年生ぐらいなら、おみそ汁だけ任せる。どんなおみそ汁を作るか。おみそ汁の本で調べて、材料を調達し、料理をするなどです。すべてがきちんとできれば、その子どもの生活能力は素晴らしいものがあると思います。

 このように、発達段階を踏まえながら取り組ませていくことが求められます。料理は相当な能力、段取りや手の器用さなど、総合的な能力が求められます。ですから、料理を作らせることで、勉強にも反映していくことは十分考えられます。料理の本を見ることで、読書になじみます。段取りを立てることはテスト勉強の取り組みにあたっても計画を立てて勉強することにつながります。さらには、おいしく作れた時の家族の反応は子どもたちの心の発達に自信をつけさせますし、家族との心のつながりを実感させます。すなわち、最も大事なことは他人の喜びを自分の喜びと受け止められる心が育つことです。

 「『料理というものは、食べる側の幸せ以上に、作り手側が幸せなのである。』。つまり、誰かのために料理を作るという行為は、幸せなことであるというのです。誰でも食事作りを面倒に思うことがあるかもしれませんが、大切な人のために料理を作ることが、実はとても幸せなことであるという感覚を持ってほしいのです。」(『元気食生活実践ガイド』より 小浜市食のまちづくり課発行)料理家・随筆家の辰巳芳子氏の思いだそうです。

 いじめ、不登校や問題行動への解決が求められている昨今、最も大切なことに思えます。食事づくりをとおして、社会性の基礎が育てられるからです。保護者の方々には、食事づくりの意義を理解していただき、各家庭で取り組んでいただきたいと思います。

平成25年4月25日

続 研究者が注目する町―若狭・小浜 嶺南は大学の研究者にとって宝の山

 教育長になってから、講演会などに参加していろいろな情報を知る機会が多くなりました。会に出席する中で、嶺南地域は学術的に貴重な多くの自然・文化が眠っていることを知りました。

 先日、文化会館で、「若狭小浜伝統文化フォーラム」が開催されました。この催しは、消滅の危機にある「小浜の伝統行事と食文化」を何とか維持、保存しなければならないという危機感から、教育委員会文化課が市内に残る伝統文化の調査を、平成24年度、市民の皆様の協力を得て取り組みました。担当者によれば、600本あまりの資料が集められたそうです。小浜は日本でも有数の民俗文化財の宝庫だと言い聞かせられています。その一部が舞台発表として、文化会館で報告されました。報告内容は今後、専門家の指導を受けながら研究する方針です。

 実は若狭小浜にはこのほかにも、研究者の間では非常に注目されていることがいくつもあります。

 毎年、「県立大学小浜キャンパスを育てる会」の講演会が開かれます。私も立場上、必ず出席します。県立大学の先生方がご講演されます。平成24年度は小浜の地下水が小浜湾の水産物の豊かな生育に寄与しているというお話でした。川から流れてくる水だけではなく、地下を通って、小浜湾の海底に吹き出ているとのことでした。自然環境が良好に保たれている証拠です。ですが、私はこんな小浜のようなところは日本全国だったら、いくつもあるだろうと思い皮肉っぽい質問をしました。「川があって、湾になっているところって、小浜以外にも近くでは、舞鶴や、敦賀もあるでしょうに、偶然、県立大があるから研究対象になっただけではないのでしょうか。」と。先生からは、「小浜のように地下水もよくて、湾も「ハ」の字の形の半島で囲まれているところは少なく、とても研究しやすいのです。」と、聞かされました。

 現在発掘が進んでいます旧小浜小学校跡地の武田氏遺跡も、福井市にある戦国時代の朝倉遺跡に匹敵する可能性があると見込まれています。このように、小浜市には前回(平成22年9月30日付)述べました中世・近世の大量の古文書、ユニークな古墳、川と海を行き来する回遊魚の多様さも含めて、いくつもの貴重な文化財、自然環境が保存され、存在しています。

 範囲を広げて見ていくと、若狭町の三方五湖の湖底の地質も世界的に貴重なのだそうです。私も研究者のボーリング調査報告を聞きに行きましたが、湖には水の流れがなく、堆積した植物や土砂が何十万年分きちんと地層になって堆積してきたため、世界の地層の標準として使えるとのこと、世界的な価値を持っているそうです。

 敦賀の中池見の湿地も貴重な動植物の生存が確認されており、世界的に価値が認められるようになってきました。少しタイミングが悪ければ、破壊されていたところでした。

 このように若狭地方、嶺南地域には貴重な自然や文化が存在していることにあらためて気づかせられています。ただ、三方五湖のボーリング報告会の席上でも、若狭町長さんは「この貴重な自然を観光に生かせないか」と、発言されていました。関係者は地域が疲弊する中で、これらを観光資源として何とか観光客を呼び込むきっかけにしたいと考えるのは当然です。しかし、小浜で言えば、前回述べた中世の古文書や古墳に興味関心を持つ人は研究者かごく一部のマニアでしょう。古文書が読めるか、解読して知らせないことには興味の持ちようがありませんから。勝山の恐竜のようには一般向けしません。若狭の文化・自然遺産は世界的な価値があるのに、どうも観光素材として生かしにくいところに問題があります。何とか工夫をして、多くの人の興味関心を引くようになれば、さらに保存の意識が高まると思います。

 先日、散髪屋に行きました。散髪屋のおやじさんは80歳前後の方です。名田庄村出身です。戦前戦後ブナの大輪をバンバン切り倒して運び出していたという話を聞きました。ブナの木は木材として、あまり使い道がないとのことですが、自然環境保全の最重要の樹木であり、残念なことだと思って話を聞いていました。今まで述べてきた遺産も、ブナのような憂き目にならないように、早く一般大衆に価値が理解されるような工夫をしていく必要があると思っています。たとえば海と川の回遊魚をもっと増やす環境を整える、そのためには、川の各所にある堰をなくす、堤防や岸壁を自然な状態に戻すなど、魚が繁殖しやすいように作り変えていくという自然環境に対する理念を持つことが求められていると思います。いろんな種類の魚が増えれば、その魚をうまく利用して、食のまちづくりにつなげられると思います。今こそ、市民が小浜の貴重な資源を保存するという方向性で、理念を一致させ、町の活性化を図っていくことが求められていると思います。

平成25年4月20日

中学校の問題行動を未然に防止するためには

 本市の中学校における生徒の問題行動については、今、私にとってもっとも頭の痛い問題です。非常に残念・無念な事態です。ときどき、市民の方が、「教育長さん、大変ですねぇ」と声をかけてくださいます。ご心配をおかけして申し訳なく思っております。数十年ほど前の小浜市では考えられない事態とも言えます。一年ほど前から、校内の秩序を乱す一部の生徒たちに大勢の大人が手をこまねいているのが実態です。私たち、教育委員会も当該校の先生方と一生懸命努力しているのですが、なかなか、スカッと解決できずにいます。いつの時代でも、中学校ぐらいになると、教員にはむかったり学校の施設を壊したりするやんちゃな子どもはいました。しかし、対応すれば、すぐに治めることができましたし、学校の秩序が長い期間乱されることはありませんでした。では、なぜ治まらないのでしょうか。ここ一年ほどの学校現場の様子を見聞きして思うことなんですが、以前とは学校を取り巻く状況が違うからです。

 まず教員の立場から考えてみます。

 一つは彼らにとって、学校の先生方がまったくこわくないからです。以前なら、秩序を乱す子どもを教員は力で抑えてきました。私たちも若い時分はそうしてきました。しかし、市民の人権意識の高揚を背景に、ここ20年ほど、「子どもたちへの体罰は絶対いけない」と、教育委員会は教員たちに徹底してきました。教員は問題行動を起こす子どもたちに対して、ことばで説得するしかなくなりました。もちろん、ほとんどの子どもたちはことばの注意で従ってくれますが、ことばで注意して聞いてくれる子どもたちばかりではありません。例えば、授業中、教室から出て行こうとする生徒に対して、ことばで「教室から出てはいけない」と言っても聞かないので、教員が体を盾にして静止しようとするともめることになります。しかし、生徒が聞いてくれないかぎり、無理やり教室にとどめておくわけにはいきませんから、結局教員側が負けてしまうことになります。このようなことが重なれば、先生ってこわくないと思われ、次々と行動がエスカレートすることになります。パトカーの前を自転車で二人乗りをして警察官を挑発するという行動さえ見られました。手の施しようがないと思います。

 二つ目に、保護者がこのように秩序を乱しているわが子をしっかりといさめてくれないことが事態を長引かせています。昔の保護者ほど、わが子のこのような行動を恥だと考え毅然と立ち向かってくれないように思います。一部の保護者からすれば、教員の指導にも問題があって、子どもたちは反抗していると思われています。うちの子が悪いばっかりではない、むしろ先生の方がと・・・思っておられるのです。

 問題行動の生徒の立場にたって考えてみます。

 秩序を乱している大半の生徒には以前から学習の遅れが見られます。このため、教室で一日座っていろと言うのは彼らにとっては大変な苦痛です。このことは教員はもとより、我々大人は理解してやらなければならないと思います。理解できるように指導するのは教員の役目です。勉強がわかるようになれば、問題行動も減少するのではないかと思います。しかし、中学校の教科書を見ていただければわかりますが、ものすごく難しいのです。教員が一生懸命指導していても理解していくのが困難な生徒は大勢います。さらには学習内容の理解だけでなく、教室で一時間我慢して座っている忍耐力そのものがなくなっていると思います。

 二つ目に、教師の生徒への侮辱的な言動があると思います。もめていると、教師も人間です。感情が高ぶってきます。彼らに対して好感を持てずにいます。そうするとついつい、彼らの感情を逆なでするようなことばを投げかけます。彼らは教師のそのような見下した言動に敏感に反応します。「火に油」ということになります。私も当初から、校長をはじめ学校関係者に何度もこういうことを指摘し自制を求めてきました。小学生ならまだしも、中学生に対しては一人の人間として接する気持ちがないといけないと思います。

 このように、両者にはそれぞれの事情があって解決が長引いているのです。

 さて、ここまでお話してきて、「じゃ、教育長、どうやっておさめるんや」という発言が投げかけられそうに思います。このような質問に対して、私たちは今、「社会で許されないことは学校でも許さない」という方針で臨み、解決をはかっていこうとしています。力ではなく、ことばで、話し合いで治めようと努力しています。そのためには、保護者・地域の人々のご協力・ご支援が必要です。地域全体の願いで学校の秩序の回復を図っていかなければならないと思っています。心ある市民の方からは「教育長、できることあったら手伝うで」と、温かい申し出をいただいています。

 とは言うものの、いじめ−自殺もそうですが、お話してきました問題行動も日本全国で次々と発生しています。こんなにワアワア言って取り組まれ、関係者が多大な精力をつぎ込んでいるにもかかわらず、沈静化しません。もちろん、一部の有能な教員による解決はなされているかも知れません。しかし、全体的に見て、平均的な教員が取り組めないようでは、問題は解決できません。事態をこのように理解していくならば、事の根本的な解決は中学校の教育のあり方を改革する以外にないと、私は考えています。現場の教員だけに解決を求めるのは酷だと思います。今の中学校の教育は高校入試に向けて段取りされています。教員もいろいろ配慮はしていますが、どうしてもテスト勉強のできる子の取り扱いを優先する雰囲気があることはゆがめないと思います。教室での勉強がわからない子は萎縮して授業中を過ごさざるを得ないと思います。ここに根本的な問題点があると思っています。ですから、思い切って教科書中心の座学から、校外での仕事体験みたいな学習を取り入れれば、たとえ、テスト勉強で劣等感を持っても、仕事体験の学習などでは優劣の順位は変化し、子どもたちのより多くが自己有用感を持つのではないかと推察します。子どもを一人前に育てる育て方は教科書の内容を学ばせることだけではないと思います。体で学ぶような学習も子どもを一人前に育てるのではないでしょうか。もちろん、教科書的な知識もこの世の中を生きていくうえで大変大切だとは思いますが、今のように難しい教科書内容では理解でない子どもたちも多いと思います。2〜3割程度の子はあんまり理解できないのではないかと思います。国のほうでも、「全国学力テスト」をここ数年実施してきています。子どもたちの何割が理解できずにいるのか、把握しているはずです。教員も今の教科書をわかりやすく指導できるように努力すべきですが、どんなに努力しても無理なことは無理です。国のレベルで、子どもたちの学力の実態に沿った中学校改革に取り組んでほしいと思っております。

 とは言うもののすぐにどうなるわけでもありません。秩序ある学習環境を保障するために、学校関係者と協力してできるところは努力しなければなりません。騒々しい学習環境で迷惑するのは生徒たちです。秩序回復のため、陰に陽にご支援をたまわりたいと思っております。

平成25年3月30日

子育てしやすくなっていませんか

 先頃、小浜市の連合婦人会の年賀会に出席しました。懇親会の席で、お隣に居合わせた方にお聞きました。

「お子さん大きくなられました?もう、一番下のお子さん、高校生ぐらいですかね。」
婦人 「いゃ、一番下はまだ小学四年生です。」
「へぇ!何人さんでしたけ?」
婦人 「五人です。」
「五人もいらっしゃると、子ども手当てなんかどうですか?」
婦人 「助かりますわ。それに中学生までの医療費無料化になってありがたいです。・・・」

 ここ数年で、子育て支援はずいぶん充実してきました。高校の授業料無料化。そして、小浜市でも中学生まで医療費の無料化になりました。通学費については小学校での保護者負担が通学距離4km以上の場合は無料、4km未満の場合は月額1,000円の上限制としています。中学生については通学距離に関係なく保護者負担を月額1,000円の上限制としています。財政がきびしいなか、松崎市長さんも議会の賛同を得て努力されてきました。

 医療費は7,400万円余りを支出しています。

 通学費助成制度は平成23年4月から実施されています。一年間総額1,700万円余りを支出しています。例えば、中学生で中名田地区など遠方からの通学となると、バス代負担はお子様一人ならまだしも、二人、三人と重なれば月数万にもなります。今回の助成でひとり月額上限1,000円ですから、保護者の方は本当に助かると思います。今、東部地区の小学校の統合を進めていますが、国富、宮川、松永地区からの通学にはバスを使用する予定で話がすすんでいます。

 以前より子育て環境は改善されてきていると思います。ぜひ、この方のようにたくさんのお子さんを育てていただきたいと思います。また、このように喜んでもらえる市民の皆様の声を聞くと、職員の一人としてうれしく思います。

平成25年3月27日

「杉田玄白賞」10年からのメッセージ

 本市は平成14年に「杉田玄白賞」を創設しました。杉田玄白とは皆さんご存知の江戸時代の医師で、日本で初めて西洋医学の解剖書『解体新書』を翻訳・発刊した人物です。教科書にも登場してくるので、日本人なら誰でも知っている方です。玄白は藩医であった父とともに小浜に赴任し、子ども時代を小浜で過ごしています。また、玄白は、健康に生きるためには医療だけでなく、食事を大切にすることが大事であるという医食同源の考えを持っていたそうです。そのため、食のまちづくりを標榜しつつあった本市の前市長 村上利夫氏はここに目を付けられ、「杉田玄白賞」を創設されました。以来、10年間、毎年全国から三分野「食と医療」「食と健康増進」「食と地域活動」の主旨の論文を募集してきました。そして、今頃(12月頃)になると、杉田玄白と彼の同志である中川淳庵の顕彰祭と優秀論文の表彰式を実施してきました。今年も11年目の「玄白賞」の表彰式を実施しました。同時に10年の総括をするべく、記念冊子『「杉田玄白賞」のあゆみ』を教育委員会文化課が作成しました。市民の皆様も、ぜひ一読していただきたいと思います。私も、原稿段階で目を通しました。また、この5年間、末席で賞の審査にあたってきました。毎年採択のたびに論文を読ませてもらっていたにもかかわらず選ぶことだけに意識がいき、創設の意義との関係で考えてみることにまで十分思い至らなかったと気がつきました。しかし、改めて十回分の授賞論文の概要を読ませていただいたところ、これらの論文が私たち市民に明確なメッセージを投げかけていると痛感いたしました。私なりに端的に言うならば、「体に良い食事を工夫して食べよう」です。

 今、松崎市長さんは食のまちづくりの今までの成果を、街の経済活性化に生かせないかと主張しておられます。そのためには、我々が市民の皆様と一緒になって、メッセージを共通認識することが必要であると考えています。

 最近、あるホテルで懇親会がありました。来賓を送り終え、一息ついていたとき、近くにホテルの従業員がいました。ああ、ちょっと聞いてみようと思い聞きました。

「このような冬場、どんなお客さんがいらっしゃるの?」
従業員 「お年寄りの方が多いですかね」
「こんな寒いなか、お寺を観光することもできないし、何のためにこられるの?」
従業員 「食べるのが目的でこられますわ」

私は − ああそうなんだ − と、自分なりに納得しました。食べるのが目的なら、しかも、お年寄りなら、なおさら長寿食で研究し、小浜の食のまちづくりを方向づけるのもいいのではないかと思ってきました。本市は御食国といわれていると同時に、人魚の肉を食べて長寿になった八百比丘尼伝説が語り継がれている町です。10年分の論文は「長寿食を小浜市の食のまちづくりで実現せよ」と言われているように、私には思えてきました。例えば、

  • 新鮮な魚と海草を使った食事
  • 塩分を控えてもおいしく食べられる工夫をした食事
  • 白米でなく、いろいろな雑穀をおいしく食べる工夫をした食事
  • へしこなど日本的発酵食品を取り入れた食事
  • 薬膳料理をヒントにした料理の開発
  • 薬草茶やお酢ジュースの喫茶店
こういった視点で、長寿食を研究開発し、レストランを開店させるといいのではないかと思っています。また、料理に使う食材を新たに栽培するのもおもしろいのではないかと思います。私たちは食育のノウハウも持ち合わせています。落語も定着しつつあります。食育を落語に乗せて、こういった観光客に聞いてもらうのもいいのではないでしょうか。

 『あゆみ』の出版を機会に、「玄白賞」の総括と方向性を皆さんと共通認識できるといいなぁと思っています。

平成25年1月10日

健全な食生活を実行するのは難しい

 健全な食生活とは、体に良い食材をできるかぎり家庭で健康を考えて調理し、家族団らんの中で食べるという人間生活にとって基本的で、かつ重要な行為であると考えています。人類誕生以来、食べるという行為やそれにまつわる文化が、一時の特異な状況を除いて、粗相に扱われたことはないのではないかと思います。

 先日、市内の「食文化館」で福井県立大学主催事業として、「食文化とまちづくり」という講演会がありました。五人の講師が次々と、30分ずつ「食」をきり口にした講義をされました。そのあと、パネルディスカッションももたれました。いろいろなことが話されましたが、その中で、いつものことながら、小浜が取り組んできた「食育」が講師の方々から絶賛されました。キッズキッチン、チャイルドキッチンを始め、男性対象の食育講座など多彩な「生涯食育」が関係者の努力によって精力的に実施されているからです。すべての小学生や中学生が受講しています。学校給食は地産地消の方針のもと、ご飯中心の完全自校炊飯で実施しています。授業の中では食の教育がきちんとおこなわれ、朝ごはんをしっかり食べようなどかなり徹底して指導されています。このような全体的な取り組みを講師の方々も認知されたうえで、他地域と比べて評価を与えてくださっているのだと思います。

 ところで、講師の方々の中には大学で勤務されている方もおられました。学生たちの食事の状況を話題にされました。朝ごはんを食べてこない者はざらにいるとのことですし、なかにはお菓子を頬張って、朝食べたということにしている者もいるとのことです。きちんと自炊をして、正しい食事をしている者のほうが少ないと話されました。私自身は、それはそのとおりだろうと思って聞いていました。先生方にしてみれば、だからこそ、小浜の取り組みは意義があるのだとおっしゃりたいのだろうと、私は話の展開を理解しました。

 しかし、私の心の中には、次のような思いが渦巻いていました。娘は今、福井市で生活をしていますが、仕事がとても多忙です。たまに帰ってきたときにその生活の様子を聞くと、そんな食生活で体を壊さないかと思う生活ぶりです。朝ごはんはコンビニのおにぎりだけ、朝ごはんだけでなく昼ごはんもどうしているか、忙しいときにはお菓子をつまんで終わりというときもあるそうです。ですから、キッチンなどもあまり使っていないようです。

 私たち夫婦は以前から食事に関心が深く、普通以上にきびしく食事に気をつけてきました。朝ごはんをきちんと食べさせ、農薬や添加物の少ないものを選んで食べるようにしてきましたし、家族の団欒の中でもそのようなことを話題にしてきました。まったく農業と無関係な我が家ですが、わざわざ田んぼを購入し無農薬米の栽培をしてきたのです。しかし、娘の生活の様子を聞いていると、残念ながら、現在、そのような親の願いは実行されていないようです。たまに帰ってきたときには、親心で、野菜や魚中心の日本食をたっぷり食べさせようとします。家内が忙しくていないときでも、私が下手な料理を必死で作ります。私はこのような娘の生活を見ていると、頭ではわかっていてもきびしい仕事の現実が正しい食事のあり方を阻んでいると思わざるを得ません。また、同時に、それを補うように、気軽に外食できるレストランやコンビニが整備されているのが今日の日本です。乱れた食生活はうちの娘だけではなく、かなりの日本人がこのような生活を余儀なくされていると思います。食事を正そうと思っても、個人の力ではどうしようもない大きな社会のゆがみに押さえ込まれていると、私は最近思うようになってきました。難しいことはわかりませんが、正しい食事の推進は個人にとってだけでなく、日本の国全体にとっても非常に重要なことです。なぜなら、正しい食事で、国民の健康が維持できれば健康保険の費用が減るからです。反対に、国民の多くが不摂生な食事をして、健康を害すれば費用がかさみます。さらには、経済面だけではなく、家族でゆったりと食事をすれば心も豊かになると思われます。食育の実現が直ちに日本国民の健全さを回復すると思います。そのためには食事を家で作る時間が保証される働き方の実現が求められていると思います。どんなに私たちが懸命に食育指導をしようとも、国民の仕事の仕方が変わらないことには、ザルに水を注ぐような気がしてなりません。しかし、今の日本の現状ではとても難しいことです。

 時々、ふっと思い浮かべる光景があります。その光景は私を幸せな気分にさせてくれます。若狭町の縄文公園に復元されている縄文時代の住居です。材料は丸太と稲わらでできています。中に入ると、稲わらと囲炉裏の混ざった匂いがふっと漂ってきます。日本の原風景のにおいです。私たち、茅葺住居が日常であった時代を生きてきた者にとっては心安らぐにおいです。日が傾けば、昔の人々は当然ながら、自宅にもどりました。囲炉裏のふちに座りながら、ゆったりとした気持ちで食事をしている幸せな情景です。「食育・・・」なんてことをいわなかったのに、「食育」が実現できていたのではないかと思います。

平成25年1月10日

二期目を務めさせていただきます

 平成20年10月から、一期目4年間をこの9月で、何とか無事終えることができました。市長さんや市役所の職員の方々、そして、議員さん、仕事を通して市民の皆様に助けていただきながら、何とか責任を果たさせていただけたように、自分では思っております。

 ところで、二期目にあたって、市長さんから引き受けてくれと言われました。私的な事情もありためらいましたが熟慮のすえ、自分の定めだと思いお引き受けいたしました。引き受けたからには教育委員会の方針を貫きつつも、市長さんの方針に沿って、市民の皆様に喜んでもらえるように仕事を進めていかなければならないと思っております。教育長という役職は教育委員会事務局の長ですが、市の三役として位置づけられていますので、副市長さんと呼吸を合わせて、その役割を果たさなければなりません。教員上がりの私ですので、行政の仕事には疎く大変ですが、以前より、仕事を処理していくコツも少しは理解できるようになってまいりました。前向きに仕事に取り組んでいきたいと思っております。また、私と教育部長で教育委員会部局の職場の雰囲気を作っていくと思っていますので、職員が意欲を持って、仕事に専念したいと思ってくれるような職場にしていきたいと思っています。

 さて、二期目も処理しなければならない仕事はたくさんあります。大きなものとしては、

1. 統合にともなう東部小学校の建設です。四地区(遠敷・松永・宮川・国富)の皆様の同意を得ました。一日も早く完成すること。
2. 市内の学校の耐震化、エアコンの設置。
3. 公民館を地域のコミュニティの中核として機能させ、地域の再生を図っていくこと。
4. 30年国体の小浜市分担分、ウエイトリフティング、ラクビ―、軟式野球の開催地として、無事成功させること。
5. 文化会館、市民体育館などの耐震化をどうするかということ。
6. 旭座の保存・活用をどうするかということ
7. 小浜西組の重伝建地区の整備を推進すること。

 などです。いずれも多額のお金が必要です。また、市民の皆様のご理解とご協力が求められていると思います。

 具体的推進には部長をはじめ、事務局職員が動いてくれますが、私も教育委員会事務局のリーダーとして、その役目を果たさなければなりません。どうか今まで以上のご支援をたまわりますよう、よろしくお願いいたします。

子どもたちを自然の中で育てよう

 先ごろ、ある新聞に、「裏山 児童の遊び場に 小浜 内外海小」の記事が掲載されました。「裏山を児童の遊び場にしようと、地域住民が山道を整備した。休み時間などには児童が山道を駆け上ったり、・・・津波災害などを想定した避難場所としても」と、説明されていました。

 三年ほど前から、『小浜市 学校教育方針』(小浜市教育委員会)に、重点施策として、「学校周辺の自然や立地条件を利用した体力づくりの実践」を掲げ、学校に実行を求めてきました。しかしながら、実際はなかなか取り組まれていないのが現実でした。幾つかの学校はこの主旨を理解し、取り組みを進めてくれていますが、すべての学校が取り組むにはいたっていないなぁと思ってきました。

 内外海小では今まで、毎朝、校庭の木登りなどにも取り組んできました。「全国体力テスト」で、本県は全国一位だったのですが、握力が少し悪かったのです。この事態に対して、県教委は「うでをのばして、手をグー・パーする運動を毎日取り組むように」と、指示してきました。それに対して、私は「まずはそういう運動に取り組んでほしいが、できれば、子どもの気持ちを考えて、もっと楽しく体を動かしながら、自然に握力が強化されることを工夫してほしい」と、校長先生方に指示してきました。それに対して、この学校では木登りに取り組んだのです。この校長とは、以前同じ職場で仕事をしたこともあり、子どもを教育する考え方も、私と共通するところが多々ありました。山登りのことも機会あるごとに、その意義などを話題にしてきました。

 「十数年前にテレビで見た、『比叡山千日回峰行』の修業僧が山を鹿のように走り回る姿が、私の頭の中に鮮明に焼きついている。子どもたちにもそのような快活な動きができるようになってほしい」
 「テレビ、ゲームづけの子どもでなく、自然の中で体を動かすことで不登校やいじめの問題が半減する」と。

 彼は以前、遠敷小でも山登りなどに取り組んできました。私も奉職した学校で山登りや川遊びなどに取り組み、楽しい生き生きした学校になるよう努力してきました。精神状態を健全に保つには体が健全でなければなりません。机に向かっての勉強ばかりでなく、今一度、子どもたちの生活に自然体験を取り入れたいものです。もちろん、自然体験だけすれば、すべてが解決するとは思っていませんが問題を克服する一助になると信じています。

 私が中名田小学校の校長をしていたときには、年に数回、全校児童を連れて近くの山登りに行きました。上りは道のあるところを歩きます。山頂で準備してきたおにぎりを食べさせます。下る時は道のない雑木林を動物のように走り降ります。私が先頭にたってやって見せます。「ついてこい!」と指示します。元気な男の子からついてきます。途中、転げまわります。速いスピードで下るスリルは子ども達にとっては爽快です。山を降りた子どもたちは私に言います。「こんなおもしろいことしたのはじめてや」と、しゃべりまくります。 心がパッと解放されたからです。昭和30〜40年代以前に子ども時代を過ごした我々は、こういった体験はかなり日常的でした。「かしこうしとったら、またこんなおもしろいことしてやるからな」と言う私に、子どもたちは満足そうな笑顔を返してくれました。秋から春は山へ連れて行く。夏場は近くの南川で泳がせる。こういった自然体験から受けるすがすがしい感覚が子どもたちの心と体を健全にします。

 他の学校の校長は海でシーカヤック20kmに取り組ませています。さば街道80kmを歩かせ、京都まで走破している学校もあります。海辺に面した学校は海で数百mの遠泳に取り組んでいます。こういった自然体験を通して、子どもたちが健やかに成長してくれているという感触を、取り組んでいる先生方は実感してくれているようです。

 しかしながら、机の上での勉強が増え、パソコン、英語・・・と、先生方も忙しいし、あまり危険なことやわずらわしいことは・・・と言う気持ちが働くのか、みんながみんな、このような活動に取り組んではくれません。残念なことです。

 内外海小の校長から報告を受けています。「学校を休む児童が少なくなった。保健室に来る子どもも少ない。」、「学力テストや体力テストもきっといい成績やろ?」と。自然の中で鍛えられた子どもたちは馬力がついています。頭がスカッと鮮明です。先生が、「この漢字全員覚えよう」と言ったら、前向きに取り組む気持ちができています。校長に、「きちっとデーターで示せるようにしてくれ」と言っています。

 小浜市のすべての学校がこのような教育観にたって、子どもたちを育ててくれるよう期待しています。

平成24年10月20日

若者達の町づくりへの参画を

 10年、20年後の小浜市を背負って立つのは今の20、30代の若い青年たちです。私は生涯学習課をかかえる教育委員会の立場から、若い青年たちの考えや思いをもっと市政に反映するため小浜の町づくりに参画してほしいと願ってきました。

 そうしたところ、六月議会で、ある議員さんから、「青年団活動の育成に努力せよ」という提案が教育委員会にむけてありました。その議員さんには、今の小浜市で活躍されている多くの人材は過去、青年団活動を通して育てられてきたという事実認識がおありなんだろうと、私なりに理解しました。若者たちをどのように組織し育成するかは、市としては重要なことですが、組織されることを嫌う今の若者の心情を踏まえると、すぐに、今までの青年団活動のようなイメージで組織できるのかどうか、私には見通しがありません。しかしながら、行政として、若者達に協力を願うことはとても重要なことだと思っています。

 今、市内でも散発的に若者がチョコチョコいろんなことをやろうとしています。私もそのような前向きの若者達には以前から関心があり、ぜひ直接接触して関係を持ち、彼らが どんなことを考え、何をしたいと思っているのか知りたいと思ってきました。我々とは時代感覚も違うと思います。我々の感覚で彼らに接触するのでなく、彼らの感覚を理解しながら接点を作り上げていくことで、我々昭和の時代の者との対話も可能になってくると思っています。彼らの新しい時代感覚を壊すことなく、育てる方向で手助けしていくことが求められていると思っています。彼らが、この小浜市で生活することに喜びを感じつつ、できれば、小浜市の担い手として、積極的に活動してくれるよう働きかけていく必要があると思っております。まずは市内の若者に集ってもらい、市長さんとの対話集会でも開催できないかなと思っています。生涯学習課の担当者に取り組みを指示しています。きっと何か、新しい動きを作り出すことができてくると思っております。将来的には市のいろんな審議会などへも、20代の若者達が参加できたらいいなぁと夢見ています。

平成24年7月30日

農業の変貌と公民館活動

 平成24年度小浜市一般会計の中に、「戸別所得補償経営安定推進事業」9,098,000円が計上されていました。そこで、先日の平成24年度3月市議会において、ある議員から次のような質問がありました。「事業の中で、『農地集積協力金』が交付されるが、これにより、多数の農家を締め出すことが考えられる。このことによる農村集落全体の影響をどう考えるか。」という質問がなされました。私にとっては公民館活動との関係で、とても興味・関心があります。私なりに考えを述べてみようと思います。

 農地の担い手の高齢化などで、多くの農地が放棄される危機が起こっています。他方、TPPに関係し、外国との農産物の価格競争が農地の集約を後押ししています。この苦境を乗り切るため、農地を集約し、広い農地を借り受け、やる気のある若い人たちが大型機械を使い、少人数で日本の農業をやっていこうとする政策だと考えています。そのための誘導補助金が「農地集積協力金」だと思います。私は以前から、農地の集積の結果は現実問題として、地域のコミュニティの崩壊を促進すると思ってきました。すなわち、今日までは、その地域に住居を構えている家は必ず農地を持ち、農業を営んでいました。隣近所全員が農業排水路の修理など共同作業に参加してきました。地域全員が同じ生活をする中で、どの家も喜びも悲しみも同じくし、コミュニティを形成できてきたと思います。しかし、地域で農業を営む人が数名の特定の方にゆだねられると、地域に住んでいても農業を営まない家庭が出現してくると、自ずと多様な思いや考え方が生まれてきます。意識の変化はコミュニティの崩壊を招きます。コミュニティの崩壊は即、公民館活動の衰退や形骸化につながっていきます。では集積しない方がいいのかと言えば、各家が今後それぞれ農業を続けていけるかというと、現在耕作しているのは高齢者であり、儲からない農業を若い人が続けることはありえませんし、遊休農地が増えるばかりです。集積を選択しても問題あり、集積しなければしないで農業は崩壊します。日本の農業はどうにもならない袋小路に突入していると思います。

 このように考えていたところ、先日ある新聞に『農業の選択 福井の現場から』の記事が掲載され、「集落営農」の取り組み取材が掲載されていました。「集落営農組織は過疎・高齢化が進む本県の農業を支えている。」、そして、ある老人(81)が、「自分で機械買って田んぼなんて、もうできん。集落営農でみんながやってくれるから維持できる。」「『集落営農では配当金まで当たる。ありがたい』と目を細める。」と、記述されていました。しかし、記事の後半には「家庭で農業をやっていたときは、子どもに農作業を手伝わせた。だが、集落営農になると、・・・子どもや若者が農業に触れる機会はなくなる。今の若者は自分の田んぼの場所すらわからない状態・・・我々が引退する10年後には組織は崩壊する。」と、男性(60)が語っています。そして、記事の最後は「水田で人と人がつながり、支えあってきた村社会もまた崩壊する。」と、暗い将来予測の発言で締めくくられていました。

 村社会の崩壊は今までの公民館活動の崩壊です。新たな公民館のあり方を目指さなければ、村の再生に寄与することはできません。再生のためにはかつて、水田が人と人とのつながりを作り出していたように、水田にかわる人と人のつながりを作り出す新たな経済活動を創造する以外にはありません。今こそ、公民館という地域住民の学習・集いの場を使って、そのような活動の創造が求められています。

平成24年5月12日

家族のあり方と教科書 ― 孤独死をなくすために

 最近、再び孤独死がマスコミで話題になっています。特に今回の事例では障がいを持つ子どもを養育していた年老いた母親が倒れてしまい、その場に子どもはいるのだが、どうしていいかわからなくて自分も餓死するという悲惨な結末が報道されています。先日もテレビを見ていましたら、東京あたりの大きな団地では老人の割合も多いので、独居老人の数も多くなります。団地の自治会は見回りなどしているようですが、あまりに大人数でお手上げだという様子でした。先進国日本として、豊かな国づくりを目指してきたのではなかったのかと、反問したくなります。昔の日本では、貧しいけれどこういった悲惨な人生の結末はなかったのではないか、と思います。大きな家族集団で生活していたからです。狭い家に5〜10人近くの大勢の人間が肩を寄せ合い、一丸となって生活していたでしょうから、どの家庭でも介護施設に預けるのではなく、家族で最後まで面倒を見てあの世へ送り出したと思います。今はそうではありません。親の面倒を見ることができない社会的な仕組みの中で、生活をしなければならなくなっています。子どもたちはふるさとから遠くはなれ、大都会へ、さらにアメリカへ、ヨーロッパへと自分の活動の場を求めて活躍しています。世界がグローバルになればなるほど、ふるさとに残る親の面倒は他人の手にゆだねられます。なぜ、こんな非情な事態にならざるを得なくなってしまったのでしょうか。道徳的に考えて、悲しいことです。

 ひょんなことから、私自身、家族のことを考える機会がありました。平成22年4月から23年9月頃まで、次女が大学を卒業して自宅にいました。これまで、私は子どもたち個人の考えを最優先に考え、子どもたちに、「学校卒業したら、自分で住みやすいところに行ったらいい。家にもどってこなくてもいい。」とそれとなく言ってきました。個人尊重の考え=個人主義の考えで、親は親、子どもは子どもの人生だと、割り切って考えてきました。

 日がな一日、次女は家にいますので、当然昼ごはんの準備ぐらいはしてくれます。市役所に近い自宅にいつも帰宅して食べるようになりました。次女は今まで一人暮らしをしていましたし若者ですから、妻とは違って、ときどき若者向けの変わった料理を食べさせてくれます。「○○ちゃん、料理じょうずや」とか、「お母さんと違って、またいいわ」と言うと、大変喜んでいました。高校を卒業して6年も勉強や生活をしてきました。ですから、高校時代とは比べものにならないぐらい、成長した姿を毎日見ることができました。たとえば、医療費控除の申請をするのに、数字を言ってやるとパソコンでパッパと処理してくれたので、さすがだと感心してしまいました。また、毎日、夕方は家族で生活することになります。夕食を食べながら会話に花を咲かせます。すると、今まで気がつかなかったことがわかってきました。子どものときに親からしてもらったことで、誤解があったことがわかってきたのです。「私だけ、入学式や卒業式、お母さんに来てもらったことなかった。おばあちゃんばっかりやった。私だけ冷たくされているのではないかと思っていた。」と言われました。私たち親はこのように言う次女に対して、「その時、お母さんはOO小学校の一年担任で・・・」と、きちんと説明したら納得したようでした。他にもこのような誤解があり、大人になった今、大人同士で話をすると一つ一つねじれていた紐がほどけていくようで、今更ながら、親子の気持ちが通じ合う思いがしました。さらには、親が毎日忙しく仕事をして、多くの悩みを抱えながら生活をしている様子を、成長した大人の立場で理解できることは彼女の人生にとっても大いにプラスになると思いました。

 今の世の中の子どもたちは昔の子どもたちと違って、大人になってから、親と生活しないまま人生を送る人が多いと思います。そのことは目には見えないけれど、とても大切な家族のことを考える機会を失っているような気がしてならないことに気づかされました。子どもがいるにもかかわらず、介護の必要な親の面倒をまったく他人にゆだねざるを得なかったり、孤独死が日常化するような社会は国民にとって好ましい状態ではないと思います。今、日本の社会は科学技術の発達と経済効率を求めるあまり、人々の思いとは逆に、家族の絆を断ち切る方向ばかりに進んでいます。科学技術の発達や経済効率を放棄することは難しいと思いますが、今一度、日本国民の幸福、特に家族の問題について突き詰めて考え、日本の国づくりのあり方を再考することが必要だと思います。その重要な鍵の一つが義務教育の教科書だと思っています。実は、今、その義務教育の教科書が問題だと、私は思っています。

 義務教育の教科書はすべての国民が学びます。国民の価値観に与える影響は限りなく大きなものがあり、日本の将来を底辺から左右する力を持っていると思います。中学校の社会科の教科書が歴史観の違いで、今までの価値観とは違う教科書が検定に提案されており、マスコミで取り上げられていることは市民の皆様もご存知だろうと思います。ところで、この流れは社会科だけではなく、家庭科の教科書でも価値観が大きく違う教科書が提案されています。戦後の日本の個人主義の家族観に立った教科書(あるいは読みようによっては没価値観かもしれません)と戦前からある家族主義重視の教科書です。どちらの教科書で子どもたちが学習するかによって、学習される家族観がずいぶん違ってくるなぁと思っています。ただ、二種類の教科書の家族観には開きがありすぎます。この開きは、日本の国づくりとして、国民にどのような家族観をもって家族生活を送ってもらうのか、明確な家族像を今の日本の国の指導者は持ち合わせていないという現実を、教科書の実情が言い表しているのではないかと思います。今後どのように家族を作っていくべきか、教科書が果たす役割は大きいのではないでしょうか。家族を問題にするのならば、今こそ、教育に、教科書に目を向け日本の将来を考えなければならないと思います。
 子どもたちが勉強する教科書は図書館にありますので、是非、手にとって見てください。

平成24年5月10日

うれしい出来事

 小浜市には学校へ登校できない子どもたちが学ぶ「ふれあいスクール」があります。 ふれあいスクールは廃校になった元阿納尻小学校で開設しています。元校長の井上先生以下、数名の退職教員が指導に当たっています。登校する子どもたちは数名ですので、一人ひとりの状態にあった指導をしています。学校へ通学できないと、すぐに問題になるのは学習の遅れです。心が登校したいと思うようになったとしても、長期間登校しなかったことによって勉強がわからなくなり、結局登校できないという事態に直面します。この問題を克服するため、ふれあいスクールでは主として学習を中心に指導されています。そのためか、進学を控える中学生がほとんどです。最近は数名の生徒が通学しています。

 一昨年度、高浜の中学生から、「ふれあいスクールに入れてもらえないか。」と、申し出がありました。率直に言って、この申し出は私にとって複雑でした。小浜市の財政はとてもきびしいのです。きびしい予算の中から、500万円ほどのふれあいスクール運営費を毎年四苦八苦して捻出しています。閉鎖も話題に上るほどです。ですが、関係者で話し合うと、最後には例え数名の生徒であっても残すべきだということになっています。こんな内輪の微妙な思いで何とか経営しているふれあいスクールに、市外から「生徒を受け入れてくれないか」と言われても、教育委員会事務局の長として複雑な気持ちがしました。結局その生徒の学校へ行けない苦しい胸のうちや将来を考慮し受け入れました。

 そうしたところが、先日、その生徒の在籍校である中学校の校長が私に面談にきました。「ふれあいスクールでお世話になっていた本校の生徒ですが、おかげさまで、無事、舞鶴の○○高校に合格しました。親御さんもたいそう喜ばれています。」と、御礼に来てくれました。ごちゃごちゃみみっちく考えていた私が情けなくなりました。複雑な胸の内はそっとそのままにして、「校長先生、それはよかったですね。」と、外交辞令を口にしてしまいました。そのとたん、「あぁ、一人の生徒の人生が救われたんだなぁ。ふれあいスクールの先生方のお陰だ。」と思うと同時に、自分の心が小さかったかなと反省しました。しかし、財政がきびしいのは変わりがありません。でも、よかったよかったと自分に言い聞かせています。

 二つ目は、三月十三日は田烏小学校の卒業式でした。私は教育委員会の代表として、参列しました。「式次第」の中に「別れのことば」という項目がありました。子どもたち一人ひとりが卒業に当たっての思いを述べます。卒業生四人の中に、福島から田烏の親類を頼って転校してきたS.S 君がいました。彼も他の友達同様、卒業にあたっての思いをとうとうと述べました。この中で二つ印象に残っている彼の主張があります。一つは、「3.11以前は毎日あまり考えて過ごしていなかったけれど、以降は毎日考えて生きてきました。」という主張です。教員として一生を送り、今このような仕事をしている私にとっては、考えさせられる発言でした。教育の究極の目的は子どもたちをその年齢に応じて、如何に自分の人生と対峙させるかであると考えているからです。日々の教育活動ではそういった意識を持たせることは至難の業です。しかし、大震災という人間にとっての悲劇はすべての人びとにそういった問題を突きつけたと考えられます。そして、未だ6年生のS君に対しても、そのような作用を一瞬にして強制してきたのです。震災を受け、避難しなければならないきびしい現実が発生しなければ、それに越したことはありませんが、彼はきびしい現実から多くのことを学び、そして、この苦難を乗り越え大きな人物に成長してくれるであろうと確信しています。

 もう一つ、彼は私たちに対して、とてもうれしい発言をしてくれました。「福井県の先生方は一生懸命、勉強を教えてくれました。」という発言です。田烏小学校をはじめとする彼が関係した先生方へ子どもから見た評価がなされています。私は本心「あぁ、よかった。」と思いました。先生方の献身的な努力が彼の口を通して確認できたからです。

 私たち、教育の仕事は子どもたちが生き生きと成長することです。上記の内容は小さなことかもしれません。しかし、一人ひとりの子どもにとってはかけがえのない人生にかかわることです。これからも、小浜市の先生方が、一人ひとりの子どもたちを大切に育てていってくれることを心から願っています。

平成24年3月24日

活気あふれる小浜の町を思い浮かべて

 六十歳を過ぎると、他人の話を聞いていてもあんまり頭に残りませんが、ときどき、「へぇー、そうなんだ。」「なるほどなぁ〜。」と、いつまでも頭に残り、反芻して思い出す内容があります。自分にとって気持ちがいいからかもしれません。

 ある講演会での講師の話です。小浜の文化財の豊かさに触れて聞いた話です。「鎌倉、室町時代の昔、小浜に多くの寺社が建設されました。小浜の町には、それほどの経済力があったということです。」と言われ、そうなんだと納得しました。その後は私なりに想像をめぐらしました。考えてみれば、明通寺さんを建てるだけでも大変なお金がいるのに、小浜には、羽賀寺、万徳寺・・・と数限りなく立派なお寺が建てられてきました。今で言う「公共事業」にあたるのかなぁと思いました。そう考えると、今の小浜市の財政力以上に、財力があったかもしれません。その財力を生み出していたのは当時の小浜に住んでいた人々の経済活動です。作家じゃない私では具体的なイメージを作り出す能力はありませんが、小浜湾は国内外行きかう船でにぎわっていただろうし、街中は多くの荷物を背負って運ぶ人々や荷車でにぎわっていただろうと思います。

 別の会議で、おおい町長さんの話は心に残っています。町長さんのお母さんは小浜出身だそうです。子どものころ、秋の放生祭りには母親に連れられ、祭りを見にこられたそうです。当時は小浜の祭りは若狭地方の最大のイベントですから、多くの人たちが集まってきました。近隣の人たちは公共交通である汽車やバスに乗ってきました。帰宅の時間になると、みんなかち合うので大変だったそうです。あるとき、定時の汽車に乗れず、次の汽車にも乗れず、結局、貨物列車に乗り合わせて帰宅されたそうです。この話を聞いて、私は小浜駅にあふれる人びとの光景を思い浮かべ、心がうきうきしました。

 こういった話を聞くと、私の記憶からもすぐ、活気あふれる小浜の町の記憶がよみがえってきます。かつて、小浜芝浦工場が繁栄していたとき、工員が二千人ほどいました。当時、昭和30年ごろ私は駅通りに住んでいました。芝浦で暮れのボーナスが出た日などは、夕方の薄暗い駅通りは会社帰りの人でごった返していました。「お金もあるし、必要なものを買って帰ろうか」という人や「いっぱい呑んで帰ろうか」という人たちです。子どもながらにこの活気あふれる雑踏の記憶はなんとも言えず、心うきうきさせるものがあったと思い出します。

 もう、二度とこのような光景を小浜の地で再現することはかなわないのかなぁと、ときどき、郷愁に浸っています。いゃいゃ、小浜市の総合計画は、「夢無限大、感動小浜」を掲げています。過去じゃなく、未来にこの光景を再現するのが総合計画の目標だと、希望を胸に、「がんばらなくちゃ」と自分に言い聞かせているこの頃です。

平成24年3月20日

ふるさとをになう子どもをどう育てるか

 現在、高校再編の検討が進行しています。取り組んでいるのはもちろん県教育委員会ですが、私も立場上、関係者と話し合いに臨むことがしばしばあります。話し合いの中で、必ず話題になるのはどのような目的で再編するのかということです。話し合いに参加していて、私自身はその目的を三つぐらいに集約できると思うようになってきました。

できるかぎり、一流大学へ進学させる。将来、日本や世界でその役目を果たす人材を育てる。
ふるさと若狭をになう人材を育てる。
高校教育に適応できそうにない生徒を、支援し、育て上げる。

ですから、これらの目的が達成されるよう高校に再編されることを願っています。

 ところで、小・中学校を管轄する私たち教育委員会はその前段階として、よくよく考えてみれば、これらの目標に対しても取り組んでいると思っています。

 そこで、今回は②のふるさとをになう子どもをどのように育てるか、考えてみたいと思います。

 以前から、小浜市教育委員会は「ふるさと教育」と銘打って、ふるさとに愛着を抱く子どもの育成を目指して先生方と努力してきました。梅田雲浜などの歴史上の偉人の学習や遠足などを利用してふるさとの自然や文化財に触れるなど、それなりに取り組んできました。しかし、私自身は成果とともに不十分さもあったと総括しています。

 昨年度、小浜小学校の五年生の児童が自分達の校下を対象に、まちづくりの研究をしました。「必ずおもしろい結果が出るから取り組んでみませんか」と、私が小浜小の先生方に持ちかけました。先生方から色よい返事をもらい取り組んでもらいました。

 その授業は次のようなものです。まず、市長さんに取り組むきっかけになる授業をしてもらいました。「小浜の町に他所から来た人に小浜の町を楽しんでもらえるような工夫をしてほしい」と、子どもたちは課題をいただきました。この課題を受けて、先生方の指導を受けながら、旧小浜のどんなところに見る物があるか、どんなふうに工夫すれば、喜んで観光してもらえるかなどを研究しました。滋賀県長浜市なども見学・調査に行ってくれたようです。その研究結果を市長さんや保護者・市民の方々に聞いてもらいました。最後に市長さんから、コメントをいただきました。「これから町づくりをしていく上で、いろいろ参考になった」と、おほめの講評をいただきました。地域の人びとも子どもらしいユニークな報告に拍手を送りました。授業終了後、市長さんを囲んで写真を写したり、握手やサインをしてもらいました。子ども達にとっては身近でない市長さんと親しく接する機会があったことも心に残ったと思います。また、授業に一枚加わっていただいたというのも、子ども達にとっては学習意欲の喚起になったと思っています。

 今年度は、市制六十周年記念の一環行事として、小浜中学校と第二中学校の一年生に取り組んでもらいました。市長さんがそれぞれの学校に出向き、「小浜の町づくりを工夫してほしい」と、生徒に持ちかけられました。数ヶ月の研究の後、両校の代表、それぞれ2グループが保護者・市民・同級生などが見守る中、議場を使って報告しました。おみやげ物の工夫や観光客に楽しんでもらえるような大人では気がつかない子どもらしい発想に立った研究内容が報告されました。最後に議長さんと市長さんがコメントを述べられ、盛会裏に終了しました。

 さて、私はこの2つの取り組みを通して、次のような教訓を得ました。

 若い子どもたちに、将来、この小浜市をになってもらわなければなりません。そのためにはただ単に偉人を学習する、文化財を見るという消極的な学び方でなく、積極的にまちづくりにかかわらせていくことが必要ではないかと思うようになってきました。小浜の町を調査し、どう町づくりをしていくのか考えさせる中で、子どもたち自身がまちづくりの形成者として、主体的な自覚を育んでほしいと思うようになってきました。すべての学校で次々と取り組んでほしいと思っていますが、学校現場は忙しいので、必ずしもよい返事ばかりもらえるとは限っていません。主旨には賛同されても、「忙しいので、ちょっとむずかしい」と言われそうです。取り組んでもらえそうな学校から取り組んでもらい、若者達に小浜市の未来の形成者になろうとする気概を育んでいきたいと思っています。

平成23年12月20日

台風時下校のあり方を通して、市教委と学校の関係を考える

 私が教育長になってから、「小浜市学校教育方針」の中に「教育委員会は学校に対して『校長を中心とした自主的・自発的な運営』を期待する」と、明記してもらっています。この意図を簡単に説明すれば、校長は校長登用試験をパスし、県教育委員会から校長の資格ありと認定され、校長として登用されています。すなわち、学校運営ができる能力ありと認められているわけです。また、すべての校長は30年以上の学校勤務に携わり、実際的にも学校運営のプロだと考えられます。そして、その職務能力に見合った多額の給料をもらっています。私からすれば、そのような能力・執権を兼ね備えた一人前の人物に、教育委員会・教育長がいちいち口出しする必要はない、まかせるからうまくやってほしいというのが私の本音です。このような思いを込めて、上記のような一文を明記してもらっています。しかし、往々にして、校長は今まで教育委員会の指示を待って学校運営をしてきた傾向にありました。あるいは教育委員会が指示をするから、それに従うという関係を作ってきたと思います。以前から、私はこういった関係性で学校運営をすることは「やばい」と思ってきました。なぜなら、各学校は地域性があり、児童数の大小があり、状況が違うからです。学校で日々生じる出来事の処理は、現場を目にしている校長がよくよく考えて処理するのが一番妥当だと考えてきたからです。校長は自分でいろんな情報を集め、部下と相談し、時には地域の人たちの意見も聞きながら学校運営上の問題を処理すべきと思ってきました。どうしても自分たちで判断できないことだけは市教委の判断を仰げばいいと思ってきました。

 先日、ある新聞に、「下校児童流され死亡」の記事を見ました。県外のある市の出来事です。9月の台風のときです。「児童ら二、三十人と集団下校中に発生。OO君は増水した側溝に流され、18日後、下流の河川敷で遺体で見つかった」そうです。記事によれば、「同日は台風の影響で、市内に朝から大雨警報が出されており、同市教育委員会は午前8時20分ごろ、給食後に下校するよう市内の小中学校に指示を出し、学校は午後1時すぎ、各学年の児童らを下校させた。だが、市内には昼前に洪水警報が出されたばかり。雨の勢いが強く、普段は水も流れていない側溝は『ウォータースライダーみたいだった』(近所の人の話)という。学校は下校させた理由を『市教委の判断に従った』」と記されていました。さらに、この事件を受け、「市教委は、登校後に災害警報が出た場合、児童らを下校させず学校で待機させ、迎えに来た保護者に引き渡すことに決め、保護者に文書で通知した」そうです。一転、保護者に児童を直接引き渡すという処置は、児童の命をなくした状況を前にして、そういう処理もやむをえないとは思います。しかしながら、この事件の関係者の対応については、私にはいろいろ思うところがあります。

 事実はどうかわかりかねますが、記事を前提に自分の考えを述べてみたいと思います。まず、根本的な問題はすでに述べましたように、市教委の指示をそのまま学校関係者が鵜呑みにして処理する姿勢です。朝8時に出た指示を、その学校の校長が時間の経過や状況の変化も考慮せず単純にそのまま処理したことです。校長が自分で考えていなかったからだと思います。もちろん、校長だけの責任でなく、考えなくてもいいような関係を市教委と学校で作り上げてきたからだと考えられます。

 小浜市でも以前、次のようなことがありました。私も校長をしていた頃のことです。台風がきました。ニュースで台風が近づいているというのに、ある学校は児童を早く帰宅させなくてはと判断し、12時ごろ暴風の中を帰宅させました。私の学校は、「台風は近くにいる時間が数時間、すぐ通り過ぎるよ。」と職員に言い聞かせ、そのまま授業をしました。「万が一、いつまでも雨、風が強かったら、保護者に迎えに来てもらえばいいし、子どもを早く返して、子どもだけで家におらすより、鉄筋の頑丈な学校の方が安全ですよ」と、説明しました。案の定、早く帰宅させた学校は後で保護者から、「なんで、暴雨風のなかを」と、小言を言われたようです。的確な判断をした私の学校は風の治まった午後4時頃、何もなかったかのように帰宅させました。

 私はこのような経験を踏まえて、今更ながら、各学校の校長が状況を自分で考え抜き、的確に処理することが必要だと思うようになりました。校長は大事なお子様を預かっているのだから、教頭や職員と相談し真剣に考えて的確な判断をくだすよう常日頃から努力してほしいと考えています。

 また、事件の起きた市の教委を批判するようで申し訳ないが、一転、「保護者に引き渡す」という処理の仕方についても疑問に思います。この件については引き渡せば、もはやこの種の悲惨な事件は起きないと思いますが、依然として、市教委の指示で一律に動く学校の運営の仕方には変わりありません。できれば、校長が考えて判断せざるを得ないような処理の仕方をしてほしかったと願わざるを得ません。なぜなら、学校は、「市教委の判断に従う」と考えているかぎり、「やばい」ことだと私は思うからです。たとえ、市教委の指示があっても目の前の状況を踏まえて、もう一度自分たちで考え、市教委に「雨が激しくなったから、学校に引き留めておいた方がよいと思うのだが」と言える校長・学校であってほしいと思います。

 私は常日頃、繰り返し、小浜市の校長先生方には「自分でよく考えてくれ」と言ってきました。「自分で考えられないようなら、他の人と相談して、よく考えてくれ」と言ってきました。「教育委員会は学校に対して『校長を中心とした自主的・自発的な運営』を期待する」という一文には、こういった思いが込められていることをご理解いただきたいと思っています。

平成23年11月20日

コウノトリの保存活動を考える

 新聞紙上で、しばしば、越前市白山地区のコウノトリ繁殖地形成の取り組みが掲載されています。しかし、野生で誕生したコウノトリが、日本で最後までいたのは小浜の国富地区であることをご年配の方々はご存知でしょう。昭和40年頃まで生存していたそうです。新聞記事を見るたびに、うちの方が本家なんだけどなぁと思い続けてきました。

 昨年度、遠敷にある「歴史民俗資料館」から、「もう今年度しか、お宅のコウノトリの剥製、預かれないんですが」と、連絡があった。話を聞くと、国富にいた3体を保存施設の整った「資料館」にお願いし、預かっていただいていたようです。しかし、資料館の収蔵庫が手狭になったとのことから、返却したいと申し出があったのです。このとき以来、どうするか時々考え続けてきました。個人的には、現在の国富小学校の一室をコウノトリ保存ミニ博物館として利用できないかなどと考えています。国富小学校にも1体あり、全部で4体もあります。それに、地域の方々がいろんな写真や資料なども保存されていると思われます。そういったものすべてを集めて保存できないかと思い巡らしてきました。しかし、保存するにはお金もかかります。私一人の願いではどうしょうもありません。教育委員会は文化財保存の仕事もしています。担当者に知恵を貸してもらいながら何とかならないかと思ってきました。また、地域には保存会として、活動している方がおられるとの情報も耳にしました。早く接触したいと思ってきました。

 今年の10月に嶺南地区の市町の教育長全員で、兵庫県豊岡市に視察研修に行ってきました。豊岡は現在、コウノトリの野生繁殖を目指して取り組んでいます。興味を持って見学をしてきました。現在、豊岡には148羽ものコウノトリがいます。うち100羽は囲いの中で人工飼育され、残り48羽は自然の中に放たれています。すでに、兵庫県が100億円程度の費用を支出しているそうです。立派な見学施設やおみやげ物販売施設ができていました。繁殖地一帯の野山を購入しているとのことでした。これだけの頭数がいると、えさ代だけでも大変です。コウノトリは肉食ですので、昔であれば自然のカエル、ヘビなどを食べていたのでしようが、今はほとんどいません。冷凍の海の魚も使っているとのこと、大変な取り組みに思えました。しかし、豊岡と聞けば、コウノトリ、環境保全に取り組んでいる町として知名度も上昇してきています。それを売りにしたい企業も進出してきていると聞きました。軌道に乗りつつあるとの印象を受け、うらやましいなぁと思いつつ帰宅しました。

 先日、国富地区の「ふるさとまつり」に行ってきました。展示物の一つに、コウノトリについての展示がありました。そして、待ち望んでいた保存会の会長さんとも接触できました。展示品の説明も受けました。コウノトリが生存していた時、国富小学校の子どもたちが毎日、観察記録をつけていたようです。一羽だけいた最後のコウノトリが、ある日を境に、姿が見えなくなりました。子どもたちの筆で、「コウノトリの姿が見えない」と何日間か綴られていました。観察していた子どもたちの心境を想像して、ジーンと胸打たれるものがありました。加えて、観察者の名前に、現在、市内で教頭先生をしておられる方の名前が書いてあり、一層切実感を持ちました。会長には「文化財保存の立場からできる限り支援していきたいと思っています」と。この運動を絶やさず継続していってほしい旨を伝え、「お互いがんばりましょう」と言って別れました。

平成23年11月20日

小浜市の食教育や学校給食をこんなふうにしたい

 市内の小・中学校の学校給食は食のまちづくりの精神をふまえ、十数年かけて、校区内型地場産給食の実現に努力してきました。できる範囲で地域の人たちの協力の下、野菜、海産物、米などを納入してもらい、子ども達にとって、安心安全な給食を実現してきました。給食関係者や地域の人々の熱い思いの結実だと常々感謝いたしております。

 その後、私が教育長になってからも、中心部の大きな学校はご飯を業者に外注していました。議員さんからの後押しや市長さんのご理解もあって、市内すべての学校に数千万円をかけ炊飯施設を導入してもらいました。その結果、自校炊飯による完全米飯(毎日という意味)給食を実現することができています。子どもたちからはあたたかいご飯給食はおいしい、給食調理員からは残飯が少ないと聞いています。

 先日も、ある新聞に、内外海小学校で「アワビご飯」、小浜中学校では小浜水産高校生考案による「アマダイのガーリックフライ」に舌鼓をうつ子どもたちのにこやかな写真と、記事が掲載されていました。このような地域の食材を生かしたユニークな給食が実現できるのも自校炊飯による完全米飯自校給食を実現してきた成果だと自負しています。

 そこで、このような仕組みを利用し、小浜市の食教育や学校給食を今後どのようにグレードアップさせるか、私なりに考えてみたいと思います。

 まず、お米の購入先です。お米そのものはすべての学校が小浜産だと報告を受けています。中名田小学校や松永小学校のように校区が農村地域である学校は直接地域の方々から、お米の供給を受けています。しかし、小浜小学校や雲浜小学校のように商業地域である学校はいまだに県の学校給食会という組織を通して、小浜産といわれるお米を購入しています。給食会は牛乳の一括購入なども手がけており、現時点では給食運営にはなくてはならない仕組みです。しかしながら、校区には田んぼがなくても、となりの校区には田んぼがあって、すぐにお米の提供が可能と思われるのですから、校長は生産者からの直接購入に努力していただきたいと思っています。特に、山間地域のお米は水がきれいなので、とてもおいしいと言われています。子どもたちには地の利を生かした生産者の顔の見えるおいしい食材で作った給食を提供してやりたいと思います。

 二つ目に、子どもたちの健康な体つくりを考えたとき、食材や調味料はできるかぎり、無農薬有機栽培の農産物、調味料などは無添加にこだわってほしいと思います。微生物やミミズが生きている土から生まれた、生命力をひめた食材を食べさせてやりたいと思います。また、できる限り添加物などの化学薬品は体に摂取させたくはありません。無添加食品は少し値段が張りますし消費期限も短くて使いにくいとは思いますが、将来、子どもを生み、育てなければならない若者達には気になる化学物質は極力減らしたいと思います。

 三つ目に、このような理想的な給食を提供する一方で、健康な食事、健康な食べ物などの知識を、先生方は子どもたちに指導してほしいと思います。見た目だけ華やかでおいしそうな食べ物、しかし、その中身は油ごてごての欧米風の食事は生活習慣病の予備軍を生み出すだけです。日本には日本の風土で生み出してきた健康食の遺産があります。残念ながら、今は廃れつつありますが、沖縄や山梨県棡原(ゆずりはら)の長寿食は有名です。子どもたちには日本人の体質にふさわしい日本の健康食を食べさせ、正しい食の知識を体得させてやりたいと思います。

 四つ目に、正しい食の知識を、子どもたち一人ひとりが将来にわたって継続実践できるかが課題です。たとえば、私が、一番気になるのは大学時代やその後の一人暮らしの時代の食事です。健康食をできるかぎり自炊できる能力を体得させなければなりません。市内の子どもたちは全員、食文化館でキッズ・キッチンと銘打って料理体験をしています。その貴重な体験をそのときだけに終わらせるのではなく、それを契機に食事を作る能力を育成することが大事だと思ってきました。そのため、来年度から先生方にお願いしようと思っています。子どもたちに「月一回以上、家族の食事を作ろう」という取り組みをさせていただきたいと。教員、保護者の方々へのご理解とご協力をお願いしていきたいと思っています。

 以上のような取り組みを通して、小浜市の食教育や給食の質の向上を実現したいと思っています。しかし、現場の方々からは、「今でも大変なのに、このうえ無理です!」というお小言を頂戴しそうです。ですが、私は使命感を持って実現に努めていきたいと思っています。

 ところで、先日、以前校長をしていたときに一緒に仕事をしていた仲間と飲み会をしました。その時、今はある中学校に勤めている教員が次のようなことを言いました。「教育長さん、聞いて。うちの給食すごいんです。人数ものすごく多いのに、いつも給食あたたかいんです。よほど段取りよくしないとできっこありませんよ。だから給食の方たちピシッとしていますよ。作っているとき必死です。給食室もいつも片付いていますよ。驚きです。特にリーダーの○○さんがしゃんとしているからかもしれません。」と。私は○○さんの顔や整然と働く給食調理員の方たちの様子を頭に浮かべて、目頭が熱くなりました。そして、彼はさらに続けて話しました。「校長先生といたときの学校では教室が給食室と近かったので、昼ごろになると、おいしそうな匂いがしてたまらなかったです。」と。この話を聞いて、私はあらためて小浜市の今の学校給食方式に自信と誇りを感じると同時に、このような給食を日々支えていただいている給食調理員の方たちや関係者の献身的な努力に感謝しなければならないと思っています。機会を見て、子どもたちに調理員の方々の熱い思いを伝えたいと思っています。また、私もこのような前向きで誠実な人たちと一緒に子どもたちのために誠心誠意がんばろうと思っています。

平成23年11月8日

高校再編問題を考える−現時点での課題は

 市民の皆さんは、若狭地域の若狭高校、若狭東高校、小浜水産高校の三校の再編問題が議論されていることはご存知だと思います。県教育委員会は生徒数の減少や行政改革による予算削減の考えから、「三校を二校に出来ないか」と、私たちに理解を求めてきています。それに対して、小浜市民の一部の人たちは、「小浜水産高校を考える市民の会」をたちあげ、県教育委員会の提案に問題提起をしてきました。「福井県高等学校教職員組合」も新聞広告で自分たちの主張を宣伝しています。また、県会でも、地元選出の議員さんが何度も質問をされています。このように、ここ1〜2年ああでもない、こうでもないと議論がされてきました。私も議会で議員さんから、「もっと積極的にかかわれ」と言うご指摘を受けてきました。しかし、「私たち市教育委員会の立場は微妙です」と言い訳してきました。なぜなら、県教委とは人事その他で密接な関係にあります。どちらの肩を持つわけにも行きません。議会では、「このような微妙な立場をご理解願いたい」と消極的な態度に終始してきました。市長さんにも、私のこのような心情・考えをご理解願い、対応をご相談してきました。市長さんからは、「難しいけれど、いろいろ、動いていくことが必要ですよ。政治の世界では」と、適切な助言もいただいてきました。

 この間、県教委は若狭地域のいろいろな立場の人たちを集めて、三回の検討会(若狭地区高校教育懇談会)を実施してきました。また、専門家を集めて、「今後の水産教育に関する検討会」を開催し、小浜水産高校の将来像を模索するなど、市民の意見に対応すべく、努力をしてきたと思います。

 しかし、このような状況を側面から見ていて、次のようなことを思ってきました。
① 今後入学する子どもたちの保護者に対しての説明が不十分ではないか。
② 三校案、二校案のメリット・デメリットを具体的に想定することが必要。
 ※三校案=現在の形
  二校案=基本は普通科系と職業系の二校。もちろん、この変形も考えられます。
③ 若狭地域の高校の実態を最も熟知されている三校の先生方はどんなお考えを持っておられるのか。
④ 三校案と二校案の立場をこえて、方向性を求める動きを作り出すことが必要。
⑤ 県教委任せにするのでなく、地域の者で県教委の方々にも納得してもらえる原案を作成することが必要。
私が、今まで個人的に考えてきたことですので、間違っているかもしれません。しかし、高校再編問題を一歩前進させるためにもあえて、踏み込んだ発言をさせていただこうと思い、列挙してみました。

①について
 実施するには大変熟慮を要しましたが、小浜市PTA連合会の協力を得て、市内小・中学校の保護者の代表の方々、教員に集まっていただき、県教委の方から直接話を聞く機会を持ちました。(若狭地区高校再編問題保護者説明会)十分とは思っておりませんが、努力はさせていただきました。(平成22年9月9日実施)

②について
 三校案もしくは二校案で推進していった場合、具体的にどのような問題が生じてくるのか、具体的な状況を想定してどちらがいいかを、市民が判断できる情報を提供しなければならないと思います。

 例えば、若狭地域の生徒数が減少する中で、三校を維持していった場合
 一校あたりの生徒数が減るということは教員の数も減ります。高校は小・中学校以上に専門的に分化しています。たとえば、社会科で考えます。日本史、世界史、地理、現代社会、倫理、政治経済とあります。6分野の教員が配置されるためには一校あたりの生徒数が多くいて、教員の全体数が多くなければそうはなりません。そうでなければ、掛け持ちや軽視される科目が出てきます。例えば、大学進学するとき、倫理で受験したいと思っても、履修時間が十分とれなかったり、専門の先生でない場合もあるとおもいます。そうなると自学で試験に臨むか、倫理での受験をあきらめなければなりません。不利です。

 逆に、二校に編成した場合
 一般論として、基本的には普通科系と職業系の学校の二校になるのでしょうが、特に職業系を一校にまとめた場合、全体の人数が減るでしょうから中身が具体的にどうなるか、想定してみなければなりません。現在の職業系をすべて列挙すると、商業・情報処理・産業技術・生活科学・電子機械・電気・海洋科学・食品工業・水産経済の9分野があります。すべてを盛り込むのか、精選するのか、いろんな場合が想定できます。いろんなケースで検討してみないと判断できません。
 このレベルまで掘り下げて具体的に想定し情報として発信しないと、二つの案のどちらがいいか、市民は判断できないと思われます。

③について
 高校の先生方はどう考えているのか、私は知りたいと思います。今の若狭地域の高校教育の実態や将来像について、一番情報を持っているのは子どもたちを指導している先生方だからです。しかし、水産高校の一部の教員を除いて、沈黙されています。知人の高校の教員、数名に話を聞くと、実際は高校再編に関していろんな考えを、先生方はもっていらっしゃるようだと理解しました。全教職員対象のアンケートでも実施すると面白いと思いますが。
また、②のような作業をしようとすれば、高校の先生方の協力は不可欠だと思います。高校の教員がもっと前面に出て、この問題の解決に尽力すべきだと、私は思います。

④について
 現時点では、立場の違う者がお互いの主張をしているだけで、それをどう乗り越えるかの知恵の出し方が足りないように思えます。②で述べたような作業をしていくことで、方向性が見えてくると思います。

⑤について
 行政の内部にいる私は、行政の限界がわかっています。市民の皆さんから批判や指摘を受けて、理屈としてはそのとおりだと思っても、そこまでの仕事をするのは無理だと思うことがよくあります。私は、若狭地域の高校をどのようにしたいのかは行政任せにするのでなく、自分たちで具体案を立てて臨まないと、実効性はないと思います。

最近の状況について

 その後、「小浜水産高校を考える市民の会」は独自に検討を進める中で、水産高校の問題は若狭地域の高校全体の問題であるとの認識にいたったようで、「若狭の高校教育を考える会」として活動を発展させてきています。若狭三校の先生方からも意見を聞きながら、県教委提案の二校の問題点を具体的に検討しています。さらに、自分たちの願いを少しでも実現するべく、自分たちの構想案を作り出そうと努力しつつあります。
 一方、県教委も、小浜地区、大飯地区、若狭地区の三箇所で、主としてPTA関係者を集め、県教委案について理解を求めるべく説明会を開催しています。(平成23年7月実施)
 こういった動きの中で、先日、小浜商工会議所会頭である上野清治氏(若狭地区高校教育懇談会のメンバーです)が若狭三校を一校にしたらどうかという「一校案」を独自に発表されました。

結局、現時点での問題は何か

 現在、「考える会」の人たちをはじめ、市民の一部の方はこのまま二校案で押し切られないかと心配しています。しかし、「若狭地区高校教育懇談会」や市民の世論の状況をつぶさに読み取るなら、県教委が拙速に決断を下すのは適切でないと思います。県教委にはここはどっしりと構えて、たとえ私的な一部市民の会とはいえ、「若狭の高校教育を考える会」と直接会って意見交流などを積み重ね、意思疎通をすることが打開点を見出すことになると、私は思っています。県教委が提起してきた問題を、どのように若狭地域の住民が受け止めるかが今問われています。出来れば、私どもや「考える会」、高校の教員など意欲ある人々を結集し、市民が判断できるように情報を整理し、判断できるようにすることが今求められていると思います。十分な情報のもと多数で判断した結果なら、私たちはその選択結果を引き受けることができると考えます。

平成23年10月7日

病院のベッドで思ったこと−中学校教育の改革を願う

 個人的なことで申し訳ありませんが、五月末に、体調をくずし20日間ほど岐阜市民病院に入院していました。出張先の岐阜のホテルでえらくなったので大変でした。胸にたまった水を抜いて、毎日点滴をしていました。はじめての入院です。再起できるかなと思ったりして、気弱になっていました。

 入院していて、医師や看護師、それ以外のいろんな方々が忙しく働いています。いろんなことを思います。たとえば、一日三回の点滴です。同じ方法ですることになっていると思うのですが、看護師さんによってやり方が微妙に違います。経験年数の多い少ない、性格の違い、急いでいるときなどによって違うのではないかと考えながら、毎回看護師さんのようすを見ていました。薬を落とす速さをセットするときの仕方が違います。経験の少ない方は薬に添付してある注意書きを見て、時計できちんと測りながらセットしていきます。時間がかかります。年配の方は薬の落ちるスピードを見て、適当にセットしていきます。しかし、見た目なので毎回見ていると、早い遅いがあります。それでいいのかなと思ったりします。

 点滴は抗生物質の薬なので、しばらくすると薬のせいで、肝臓の値が悪くなりました。そのため、点滴の前に肝臓を保護する薬を注射されました。以前にも肝臓の薬を注射したことがあり、注射されると顔や喉のあたりがスーッとしたりカッと熱く感じたりして不快でした。今回もそういう感じがします。何回か注射しているうちに気がつきました。あるとき、ものすごく早く、注射液を血管に注入されたときがありました。普通は喉の辺りだけがスーッとするだけなのですが、顔がカッと熱くなってとても不快でした。逆に、ゆっくり注入されたときはまったく不快な感じはありませんでした。それからは看護師さんに、「ゆっくり入れて」と頼みました。私の場合のように意識や判断力のある身体状況の患者であれば、こういった訴えはできると思うのですが、意識のない方や痴呆症を患っている方だったら困るなと思いました。

 この様な体験一つでも、仕事柄すぐに教育と関係づけて考えてしまいます。教育現場では、指導しなければならない内容は『指導要領』によってきちんと決められています。また、教科書も一律に採用されています。しかし、実際の教室での授業は先生方の経験年数や人柄によって、ずいぶん違うのではないかと思いました。そして、子どもたちは担任の先生によって、気持ちよく毎日を過ごせたり、ストレスをためながら過ごさざるを得なかったりしたりしているのではないかと思いました。大人の私と違って、いろいろ考えて、自分に不都合なことを先生方に訴えることもできません。ですから、教師は子どもたちの意見を聞く機会や子どもたちの立場で考えてみることがとても重要だと改めて思いました。

 さて、そのほかにもいくつも思ったことがありましたが、最も心に残っていることは若い20代の男性看護師が寝たきりの老人たちの世話を甲斐甲斐しくしていたことです。オムツの取替え、食事の世話など真夜中でも、淡々と使命感を持って働いている姿には感動を覚えました。男女平等という価値観については当然だと理解していても、団塊の世代の私にはそういう身の回りの世話は女性という感覚から逃れることはできません。そのため、なおのこと印象深く受け止めたと思います。一方、夜になると病院の外からは暴走族を取り締まるパトカーのけたたましいサイレンが鳴り響きます。同じ世代の若者が、一方では、地道に社会の役割を担っている。他方、社会の秩序を乱している。この状況に直面して深く考えさせられました。この様な日本の若者を育てたのはとりもなおさず、学校教育がその一端を担ってきたのです。

 今までにもこういったことに気づかされる体験をしたことがありました。それは毎年、中学校の卒業式に行くたびに目にし、私なりに悩んできました。卒業証書をもらうため、担任の先生から名前を呼ばれます。中には、返事をせずに立ち上がる生徒や、返事をしてもほとんど聞こえない程度の生徒、また、立った姿勢が背中を丸めて、実に弱々しいのです。これから何十年と生きて、日本の社会を担ってもらわなければならないのに、義務教育9年間かかって、この様に気概の感じられない若者にしか育てられなかった私たち教職員としての責任を感じて、自責の念に駆られてきました。病院のベッドで、この印象を一層強く持ちました。立派に社会適応を果たした若者を育ててきた日本の学校教育と、社会にうまく適応できるように育てることができなかった学校教育の光と闇の二面の現実を考え続けていました。先生方は一生懸命努力してくれてはいますが、問題はエンドレスです。このような状況をもたらしている日本の教育をどうするか、中学校教育を大きく変えることが必要だと、私は思ってきました。

 小学校の間は学級担任がほとんどの教科を受け持っているので、大方は子どもたちの行動や心を掌握できていると思われます。また、小学生は子どもですので、先生方に頼っています。学ばなければならない内容、教科書も薄いのでなんとか大多数の児童たちは適応していると思っています。しかしながら、中学校に行った途端に、教科担任制になります。担任の持ち時間は少なく、自分のクラスを掌握することが困難になります。思春期になり、心も複雑で大人に対しての反抗心も高まります。そして、もっとも大変なのは授業です。教科書は分厚くなり、内容は大変難しくなります。今、私が見ても、「えぇ!こんな難しいこと習うんや。三分の一ぐらいの子どもたちにはきついだろうな」と思います。わからない、できない授業を毎日、毎日受けなければなりません。その上、放課後は部活動が毎日びっしりありますから、小学校みたいに放課後残して丁寧に指導することができません。たとえ十分理解させられなくても、先生が一人ひとりを見てやることが子どもの心を落ち着かせることになると思いますが、中学校ではそれがかないません。その結果、物事がわかる十四・五歳にもなって、授業放棄や不登校の増加はいかに中学校教育が難しいかを如実に物語っていると思います。先生方の努力や工夫の限界を超えています。私は文部科学省レベルで、子どもたちの実態にあった中学校教育の制度改革をした方がよいと思っています。ずばり、言語や数字による教室での座学でなく、もっと実学、体を通して学ぶ学習も取り入れたら、子どもたちは意欲的に学んでくれると思います。小学校の学習が十分体得できない子どもたちに、さらに難しい学習を求めることは適切でないと思います。人間にはそれぞれ持ち味があります。座学の向いていない子どもたちでも、実学や体を通して学ぶことなら、能力を発揮してくれるかもしれません。いつも思いますが、若者達が路上で飽きもせず毎日ストリートダンスに興じたり、秋葉原発のファッションを見ていると、すごい能力に感心させられます。今の若者は自己肯定感が低いと言われます。できないことを毎日毎日させられていたら、そうなるのは当然です。その延長線上に、反社会的なことに駆り立てるものがあると思います。今までどおりの学習に適応できる層はそれでいいのですが、困難な層は思い切って、学びの中身を変えたら、彼らもきっと生き生きとしてくるに違いありません。社会に参加する直前の中学校教育を大胆に改革してほしいと思っています。

平成23年8月25日

地域の再生を考える

 私はNHKで毎週土曜日に放送される『世界ふれあい街歩き』を欠かさず視聴しています。今まで、ケンブリッジ(イギリス)、ジェノバ(イタリア)、カディス(スペイン)、トリポリ(リビア)、アテネ(ギリシャ)、西塘(中国)・・・などを見てきました。見られないときは、娘が気を利かせて録画してくれます。ときどき、他の番組との関係で、放映されないと、「何で放映ないんや! こんなに楽しみに待っている人がいるのに」と、一人でぶつぶつ言っております。

 毎週見ていて、いろいろ思うことがあります。
 まず、多くの町は、日本と違って石造りなので、とても古いです。インタビューされた住民は「1400年代の建物です。」とか答えます。「1700年ごろです」というのはざらにあります。大切に修理しながら使っていることがわかります。不便なところもあるだろうに、そういうことは、住民の口から聞いたことがありません。

 二つ目に、その多くは、ごちゃごちゃ入り組んでいて迷路みたいな街並みです。もちろん、道路の多くは自動車など通れそうもありません。坂や階段のある苦労する細道ばかりです。その細道に面して、昔からのお店屋さんが並んでいて、日時用品を買うことができるようになっています。日本のように、旧市街地を壊して広い道路を作り、買い物は郊外の大型ショッピングセンターという町づくりとは対照的です。

 三つ目に、番組のガイドさんが、そこに住んでいる人たちに毎回質問しています。「あなたはこの街をどう思っていますか?」、そうすると、十人が十人とも必ず、「とても気に入っている。世界一素敵な町だと思っている」と、返事が返ってきます。町もきれい、人びとともみんな昔から知り合いで、安心して暮らせるということかなぁと、思います。

 日本でもそのことに気づいて、街並み保存に力を入れ始めています。小浜でも、西組などでその取り組みを始めています。テレビ番組からのメッセージは、「そこに住む人びとに住みたいと思わせる町とは古い街並みを壊して、車にとって走りやすい道を作ることではない。昔からの街並みをそのまま残すこと、そして、街並みを残すことがそこに住んでいる人々の絆を残すことになる」ということかなぁと、私は思わされています。小浜で言えば、西組だけでなく、私の住んでいる東部地区、今宮、塩釜、生玉、鈴鹿などもそのままで磨きをかけていかなければなりません。以前から、遠敷地区の街並みも素晴らしいと、私は思ってきました。池田・中村の市街地から田園風景に点在する神社仏閣、鵜の瀬を経て、根来の山間部にいたる変化に富んだ鯖街道は丁寧に整備していけば、外国では見られない、素晴らしい日本的な情緒あふれる街並みに創造することができると思います。もはや壊すのでなく、古人が築き上げてきた日本的風土に、いっそう磨きをかけることが求められているのではないかと思います。小浜の町が、『世界ふれあい街歩き』で放映され、喜んで見てもらえるような町にできるといいと夢見ています。

平成23年5月30日

世界一周した小包

 我が家では誰も世界一周なんてしていないのに、アメリカに送った美術全集の小包が世界一周して戻ってきました。

 昨年、一昨年と、小浜西組に、アメリカ人芸術家が二人、ムサさんとグレゴリーさんが住み込んで、小浜市内各地で芸術活動をしていました。昨年4月に帰国しましたが、その直前に、鹿島の丹波屋酒店の酒倉で作品の展示がありました。私もその作品会を見学に行きました。以前から、彼らが小浜に来ているのは知っていましたが、まったく関係を持っていませんでした。偶然話しかけ、意気投合しました。「うちの家も古いし、ものすごく大きいし、見にきて」と誘ったら、次の日来てくれました。昼食を食べながら美術について話しました。縄文土器のことを話題にしました。大学でも講義しているという彼らのことですので、これくらいの知識はあるのではないかと思ったのですが、まったく知らなかったので驚くと同時に、この機会に是非知ってほしいと思い、集英社の『日本美術全集 原始美術』を見せながら、縄文の美術が、その後の芸術観とはまったく異なることなどを話しました。非常に興味をしめしたので、その本をプレゼントすることにしました。喜んでもって帰ってくれました。

 次の日、「明日、帰国します。」と、昨日のお礼に来てくれました。そのとき、全集の他の巻も見せました。江戸時代のものとかを。反応もよかったし、大学にもこの種の全集はないとのこと、20巻ほどある全集を、「全部あげる」と言ったら、喜んでくれました。かさばるので船便で送る約束をしました。

 しばらくして、段ボール箱4箱分を、郵便局から船便でムサさん宛てに送りました。私はこういう手続きに疎いので、自宅に運よく帰ってきている次女に手伝わせ、やっとの思いで郵送を終えました。宛名などを書くのも、英語の出来ない私では大変でした。次女がいて助かったと思いました。重いので、郵送料も全部で3万7千円もかかりました。これもまた、日本を理解してもらういい機会だし、彼らの芸術活動に日本美術が影響を与えられればと思い納得しました。

 一ヶ月二ヶ月、もう着いたかな。着いたら、彼から、「受け取った」というメールが来るはずだと待っていましたが、一向に期待するメールは来ません。もう9月になってしまいました。心配している私たち夫婦を横で見ていて、娘が、インターネットの小包追跡の情報ネットで調べてくれました。私たち夫婦だけだったら、こんな知恵も回りませんが、このときばかりは、(いや最近はしばしばですが)若い者はすごいなぁ、本当にこんなこともできたり、知っているんだとつくづく思わされました。その結果は大変なことになっていました。アメリカのワシントンD.C.の彼の事務所に届いたのですが、彼がいなかったのでいったん取次店に戻されまた。一定期間保管されていたのですが、その期限がきてしまい、国際交換支店(こういう仕組みがあるんだぁ・・・)に戻され、帰宅の途についているとのことでした。後からわかったことなのですが、彼はしばらく他の場所で活動をしていてかなりの期間留守だったこと、それに、日本のように、「荷物を持ってきましたが留守でしたので持ち帰ります」との不在連絡票みたいなものも投函されないのではないかと思いました。こういった国による微妙な違いを知らなかった私の失敗や、それならそれで、もっと頻繁に彼にメールで連絡すればよかったのに、英語が苦手なため、そういったことも億劫な気持ちになっていたことも一因したと思いあきらめました。

 さあ、次は、荷物がいつ我が家に帰ってくるかの期待に気持ちを切り替えました。
 それからというもの、荷物が船に載せられるところや船室で何日もがまんしているところなど想像しながら、わが子が帰宅するような気持ちで荷物を待ちました。一ヶ月たち、二ヶ月経っても帰ってきません。娘が、私の要領の悪さに痺れを切らせて、また、ネットで調べてくれました。しかしながら、もう期限切れで、ネットで追跡できなくなっていました。あわてて、郵便局に駆け込みました。「しばらく、時間をください。調べさせてもらいます。」とのこと。待つしか仕方ないと観念し待っていました。しばらくしたら、郵便局から返事がありました。「郵便物は日本へ向かう船に乗っているので、もうしばらく待っていただきたい。」とのことでした。

 年末までには帰ってきてくれるだろうと待っていました。12月になり、ようやく配達されてきました。包みを見ますと、ダンボールは相当くたびれていて、私がかけたビニール紐も緩んでいました。どこで巻かれたかわかりませんが、もう一本新たに紐が巻かれていました。また、ダンボールにはマジックでJapanと書かれていて、日本へ戻すという業者の決意や心遣いが伺えました。ダンボールのくたびれは、「大変な長旅ご苦労さんやったなぁ。疲れたやろう」という思いを、私に想起させました。荷物が帰ってきたことを妻に話すと、「あんたの手元から離れるのいややったんじゃない」と、慰めてくれました。しかしながら、この時点で帰ってきたのは4箱じゃなくて、3箱のみでした。もう1箱はどうしたのかな? 荷物を持ってきた人に聞くと、すげなく「3箱です。」と言われました。それに、無料なのかと思いきや1箱6千8百円、3箱2万円余りもかかりました。

 残りの1箱はどうなったか、気が気でなりません。また、郵便局に行って調べてもらいました。その結果、「残りの1箱は大西洋経由の船便に載っています。」とのこと。先の3箱は太平洋経由なので早かったのです。

 それからも1箱はいつかなぁと待っていました。暑い熱帯地方を周ってくるのだろうなぁと、気遣っていました。2月に入ってようやく運ばれてきました。帰りの分のお金を払い、私の手元に置きました。先の3箱も荷物を解いていません。この1箱も解かずそのままにしておこうと、一瞬思いました。世界一周してきた美術全集の物語をそのまま残しておきたいと思ったのかもしれません。ムサさんには渡らなかったものの、我が家で誰も経験したことのない、世界一周をしてきたくたびれた小包が、私たち家族に不思議な思いをもたらしてくれました。

 お金も使ったし、心配もさせられた。相手にも渡らなかった。でも、どちらか言うと、幸せな気分にさせてくれたかな?
 一年間にわたる小包と我が家の物語はこれでおしまいです。

平成23年5月20日

三月議会で承認されました

  今回の三月議会で承認された予算のなかで、高額な支出を要する事業の多くが教育委員会のものです。主なものを書き上げます。

1 小浜中学校北館改築  4億7,800万円
 今、小浜市では市内の学校の耐震補強を実施しています。しかし、小浜中の校舎は補強をしても基準に満たないので、壊して建て替えることになりました。63歳の私が中学校にいたとき建てられたものです。中学校へ行くたびに懐かしく感じていました。建て替える用地に余裕がないので、技術家庭科室やプールも壊して作り直します。小浜中は今、体育館横に武道場を建てていますので、ここ数年で、施設はずいぶん新しく、充実します。総額10億円ぐらいになる予定です。

2 中学校エアコン導入    1,900万円
 昨年の夏の暑さは大変でした。市長さんや議会でも「財政的にはきびしいけれど、子どもたちのためだ」と、決断していただけました。数年かけて、市内の学校全部に導入します。エアコンは設置するだけならいいのですが、今後電気代も数百万単位でプラスになります。事務方としてはそこが頭の痛いところです。校長会で話し合い、浜中には改築時に設置しますので、第二中学校から導入することで同意しました。夏の補修も含めて、ぜひ、有効に利用してほしいと思います。子どもたちも喜んでくれるといいなぁと思っています。

3 通学費助成   1,300万円
 「通学費を無料化しないか」と言う議員さんからの提案で、検討してきました。いろんな事情で、完全に無料化することは出来ませんでした。しかし、通学距離、小学校は4km以上は無料、4km未満は保護者負担の上限を月額千円とします。中学校は通学距離に関係なく、保護者負担の上限を月額千円とします。また、JR列車の利用負担は六ヶ月定期の20%を保護者負担とします。このような改善により、今まで多額の通学費がかかっていた家庭の負担軽減になるものと思っています。特に、お子さんの多い家庭の方は助かると思います。

4 弓道場   6,400万円
 健康管理センター横にある弓道場は老朽化していました。敷地は借地で、契約終了が迫っていました。検討の結果、口名田の総合運動場内に新築するのがベターとの結論になりました。総合運動場内に、また、一つ施設が増え充実します。

5 重伝地区保存修理事業補助金    2,600万円
 小浜西組の古民家の修理の補助金です。平成23年度は6棟を修理する予定です。すでに、岩本邸、尾上邸、今嵐邸(飛鳥区)播磨邸、河野邸(香取区)、松宮邸、河原邸(鹿島区)の8棟がきれいに改修されています。補助については、改修費用の1/2を国で、1/4を県と地主で負担しています。かつ一棟当たり上限800万円です。

 上記以外にも、ちょっと皆さんの目に触れないですが、市立図書館所蔵の「酒井家文庫」の修繕費に250万円ほど当てられています。(これは一月の臨時議会で承認されました。)『広報おばま 3月号』に掲載されています。虫食いでぼろぼろになった古書が見事に修復されます。

平成23年3月27日

日本の将来を担う子どもたち

 今は卒業式のシーズンです。他の四人の教育委員さんと手分けして、卒業式に参加させていただきます。小・中学校だけでなく、高校や特別支援学校(養護学校)にも行かせていただきます。

 私は小学校二校、中学校一校と若狭東高校に行きました。数年前、若狭東高校に行ったとき、卒業証書授与で名前が呼ばれると、一部の生徒は椅子の上に立ち、わかったようなわからないようなことをわめき目立とうとしていました。小学校でもそんな幼稚なことをしないのに、大変なことだと思っておりました。最近はそんな生徒もなくなり、特に今年は落ち着いて、しゃっきっとしていて、気持ちよかったです。「先生方のご努力の賜物だ」と、帰り際、校長先生にお話したら、喜んでおられました。

  さて、式に参加した時いただいた式次第などと一緒に、生徒会が編集した小冊子『彦姫 第24号』を帰宅してなにげなしに読んでいました。子どもたちの書いたものだから、たいしたことはないだろうと読み進めていくと、これはすごいという文章に出くわしました。是非、市民の皆様にも読んでいただきたいと思い、長くなりますが、全文掲載させていただきます。(再掲するにあたり、校長先生の了解をいただいています。)

「死ぬ瞬間」
−私の目指す看護婦−
3L 前野 恵美子
 私は将来看護師になりたいと思っています。幼いころから、漠然と人を幸せにする仕事に就きたいと思っていましたが、人は生きていないと幸せを感じることはできないのだと思ったとき、命を救い、生きる手助けをする仕事に就きたいと思い始めました。そして、患者の一番身近な存在だということに魅力を感じ、看護師を志すようになりました。だから、少しでも医療に関する知識を身につけようとこの本を読みました。
 この本にはおもに、筆者が医者という立場で実際に経験したことが書かれてします。末期患者の死とその家庭について、詳しく解説しながら読者に伝えてくれるとともに、医療従事者として、患者として、患者の家族として、それぞれがどうあるべきかを語りかけてくれる本です。
 死の宣告を受けた患者には五段階の感情変化があります。その五段階とは、否認・怒り・取り引き・抑鬱・受容です。初めは「まさか自分が死ぬなんて」と宣告を認めず、「なぜ私が死ななければならないのだ」と怒り、「努力するから治して」と取り引きし、「努力しても報われない」と落ち込み、やがては死を受け入れられるようになるのです。しかし、それにはもちろん個人差があり、受容にたどり着く前に死を迎えてしまう人もいます。私は、患者にはそうした感情の変化があり、医療従事者はそれを理解し、患者に接することが大切であると知りました。
 一番印象に残っているのは「たとえ返事ができなくても、家族や友人がそばにいてくれるだけで患者は孤独でないと思えるのです。」という一文です。私は、自分から働きかけても返事がなく、笑うこともない患者に対して寄り添い続けることに意味があるのだろうかと疑問を抱いていました。患者に反応はないのだから、そばにいても何も変わりはしないだろうと思っていたのです。しかし、それはまったくの誤解であり、見舞い客側からの視点でしかないということにこの一文を読んで気づくことができました。様々な機器に繋がれ、一人でいるときはただ機器の音だけを耳にしている孤独な患者。話したくても話せない、いつ死ぬのかもわからない、そんな日々を過ごしている患者にとって、誰かがそばにいることはそれだけで勇気づけられることなのだと気づくことができました。話せない患者がいても、一人にせずそばにいたい、そう思うようになりました。
 私には、転落事故により身体を自由に動かせなくなった祖母がいます。畑仕事も家事もできなくなった祖母は「早く逝ってしまいたい。何の役にも立たない自分は、生きていても仕方ない。」と自分を責めていました。その言葉を聞いた時、私は、祖母がそんな気持ちを抱いていたことに驚き、その一方で、そんな気持ちにさせていたことに気づきました。それまでの私は、祖母と同じ空間にいてもたいした会話もせず、必要以上にかかわろうとはしませんでした。そこに祖母がいることが当たり前だと思っていたのです。
 しかし、祖母は、事故の後遺症による不自由な生活で、生きがいも生きる意味も見失っていました。私は、祖母の言葉を聞いて初めてそのことに気がついたのです。そして、今までそのことに気づけなかったことを恥じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
もっと早く気づいて、声をかけたり一緒に何かをしたりしていれば、祖母をこんなに追い込むことはなかったと思います。改めて、祖母の大切さを感じた瞬間でした。それからの私は、祖母に対し、生きていてくれるだけでありがたいことを伝え、なるべく祖母を気遣って過ごすようになりました。祖母も次第に弱音を吐かなくなり、会話も弾むようになりました。
 自分自身のこうした経験から、私は患者の気持ちに寄り添える看護師になりたいと思うようになりました。患者の気持ちは、自分が実際にその立場にならないと理解することはできません。しかし、想像することはできます。だから、常に患者の立場に立ち気持ちを察するとともに、何をなすべきか、何ができるかを考え、行動する看護師になりたいです。そのためにも、筆者のような鋭い洞察力をもてるようになりたいと考えています。私は、自分の考えや思い込みで物事を考えがちです。筆者のように、その場その場を観察し、絶えず学び続け、様々なことを見抜く力を養うことが私には必要です。
 医療従事者として、看護師として、患者やその家族の言動にどのような感情が込められているのかを察し、それに寄り添っていける医療をめざし、「あなたの看護を受けられてよかった」と言ってもらえるような看護をすることが、私の目標です。
    『死ぬ瞬間−死とその過程について』
エリザベス、キューブラー・ロス 著(中央文庫)

 この読書感想文は、平成二十二年度 第五十六回青少年読書感想文全国コンクール 福井県審査〈最優秀賞・県一位〉になった作品です。読まれた市民の皆様はどのような読後感をもたれたでしょうか。私は、賞はともあれ、この作品を一読し立派に成長されたお子さんだなぁと思いました。学力だけでなく、それ以上に人格的にも人間として成長されていると思いました。
  本に書いてあることと身近な祖母のことを結びつけ、気づき、実際に行動に移しています。また、それら一連の体験の中から、自分の将来の職業を見定めています。私たち教員の間では「どんな力を子どもたちに体得させてやるべきか」と問いかけあいますが、ここには、私たちが目指してきた教育の到達点が具体的に結実しているように思います。おそらく、家庭と学校教育が、このようなりっぱなお子さんを育て上げたのだとうれしく思いました。日本の将来を担う若者がこのようなしっかりした考え方を持って、高校を巣立っていかれようとしていることを誇りに思います。
 校長に聞いたことによると、大学の看護学部に進学されるとの事、将来看護師のリーダーとして、きっと活躍されるであろうと思います。機会があれば、地元の小浜病院あたりで勤務していただきたいなぁと、切に願うものです。

平成23年3月20日

うちの市長さん

 教育長の仕事をするようになって、二年と数ヶ月たちます。松崎市長さんと一緒に仕事をさせていただいて、「やはり市長さんの器でいらっしゃる」と思うことがたびたびあります。

 教育長に就任直後、小浜のあるお店に行きました。いつも親しくしているご年配の店主が、「森下さん、市長さんどうや?」と、質問されました。「どうやって、どういうこと?」と聞き返すと、「松崎市長さん、やさしいやろ」と言われました。さらに、「そんで、わしは前から応援しているんや」。なるほどと思いました。教育長として、お付き合いさせていただいて、確かにやさしいお人柄であるなと思ってきました。人の意見を全面否定や悪く言われることはありませんでした。職員に対しても非難めいたことは口にされません。事がうまく運ばないときでも、私のように愚痴ることもありません。そして、いつも「市民のみなさんに喜んでもらわないと」と御自分に言い聞かせるように言われます。お人柄が違うと気づいていました。

 昨年度、口名田にある陸上競技場の「第3種公認陸上競技場」の認定期限がきましたが、土地の地盤沈下で、コースに落差ができました。多額の費用をかけて修繕しないと、再度公認競技場として認められない事態に直面しました。最低でも、8,000万円ほどかかります。体育課の仕事ですので、教育委員会が中心です。ただ、お金の工面は財政課や市長さんにお願いしないことにはなんともなりません。私たちも困っていましたが、市長さんも大変お困りのようでした。そのような事態の中で、市民の皆様も心配してくださり、陸上関係の人たちを中心に署名運動もされるようになりました。
 ある日、ある新聞に、小浜市の競技場の公認が切れること、そしてお金の都合がつかないので改修できないでいること、行政は何らかの対応をすべきであるとの主張がでかでかと掲載されました。私はこの記事を読んで、内心「市長さん、追い詰められて大変だ」。私どもの責任の部分もありますので、何とかしなければと思いましたが、すぐにはなんともなりません。私も還暦を過ぎた男ですので、あんまり、弱音な会話はしたくありません。しかし、お会いしたときに思い余って、「市長さん、新聞の記事、どうしましょう?」と、おずおずと切り出しますと、私の思いに反して、「いいんや、みんなに知ってもらえれば・・・」と。意外な返答に驚くと同時に、度胸があると言うか、状況をきちんと読まれていると言うか、「そうなのか」と即座に納得しました。市長さんの受け止め方、考え方を学ばせていただきました。そして、私なりに、よくよく考えてみました。この新聞記事が市民の皆様に読まれることで、「そりゃ大変だ。市も早く対応してくれんと」と言う世論が沸きあがります。議会でも前向きな賛同が得られるであろうと、判断されていたのではないかと思います。そして、タイミングよく、宝くじのTOTOから、約6割助成が得られることになり、修理のめどが立ちました。もちろん、議会でもすぐに賛同が得られました。私たち教育委員会もほっとしました。

 最近も、小浜市の上下水道料金の値上げのことが、新聞記事に載りました。「載りましたね」と、話題にしましたら、「実情をどうやって市民の皆様に知ってもらおうかと思っていたところや。それでいいんや」と、言われました。行政のトップに立つ人たちはこのように状況を前向きに受け止めていかなければ、前進できないんだと、今、私は理解しています。

 なんとか、市長さんの選挙公約を少しでも多く実現して、「市民のみなさんに喜んでもらえる」よう、教育委員会の職員と一緒にがんばっていきたいと思っています。また、市民の一人としても、松崎市長さんをたよって、この小浜市を活気ある町にしていただきたいと思っています。

平成23年3月10日

群馬県桐生市小学6年いじめ・自殺問題を考える

 10月に小学6年、上村明子さんがいじめを受け、自殺したとの新聞報道があった。(現時点では、学校や市教委はいじめと自殺の因果関係については調査中として、認めてはいません。)いったい何人の子どもたちがいじめを受けて自殺したら、このような痛ましい事件が無くなるのでしょうか。長年教壇に立ち、今、教育行政に携わっている者の一人として絶対見過ごしには出来ません。もちろん、その場に居合わせていない第三者が具体的な状況もわからず、批評するのはどうかと思いますが、それでもあえて言いたいと思います。なぜなら、私が思うに、阻止できなかったのは、さらに自殺にまで追い込んだのは担任やその学校の教師たちに、何をさておいても「絶対いじめをやめさせる」という心の底からの決意がなかったからだと思います。私は、私の経験からそう思います。

 いじめの発生を防止する第一の方法は、先生方、一人ひとりが「いじめてはいけない」と、子どもたちにはっきり宣言することです。二つ目に、いじめられている子の立場に立つことです。弱い立場の子の肩を持つことです。いじめの行為に対しては「やめなさい。ゆるさない」と主張することです。教師は大人で、かつ権力者です。その力をいじめられている子どもたちの擁護のために使わなければなりません。

 桐生市の小学校では、校長は先生方、子どもたち、保護者に向かって、「私は、いじめは絶対に許さない」と宣言していたのでしょうか。直接聞かないとわかりませんが、私はそういう主張や姿勢がはっきりしていなかったのではないかと思います。新聞報道によれば、当初、学校は「学級内の人間関係に問題はあったが、いじめがあったとは認識していない」として、いじめを否定しています。その後の詳細な調査で、市教委として「いじめがあった」と報告しています。その理由として、「市教委は明子さんが普段から一人でいることが多く、他の児童から明子さんを拒否するような発言があったことを学校が把握していなかった、と説明。見解を転じたのは、全校児童を対象にアンケートや聞き取りをした結果、複数の児童から明子さんに心無い言葉が投げかけられていたことが判明したため」とされています。ここには学校関係者のいじめ問題に対する無理解と真剣さの欠如が伺えます。それはどういうことか、考えて見たいと思います。

  まず、学校関係者の「人間関係に問題はあったが」という認識の仕方は明らかに当の子どもに責任を負わせているように思えます。私に言わせれば、本来、逆でしょうと言いたいです。子どもは誰でも、みんなと一緒にワイワイやりたいものなんです。「普段から一人でいることが多い」こと自体、教育的にどう理解すべきか、わかっていないのではないかと思います。みんなから、のけ者扱いにされているから、一人でいるのであって、自分から好き好んで一人でいる小学6年生なんていないと思います。給食を一人で食べざるを得なかったり、しかもそのことを教職員に訴えていたようです。両親に言わせれば、「くさい」と言われていたそうですし、5年の時には「フィリピン国籍の母親の容姿をからかわれ」ています。そして、「どんなに遠くても歩いていくから、転校したい」とまで親に訴えています。これらの事実をいじめとして把握できていないから、いじめでなく「人間関係の問題」というわけです。いじめに対する理解のなさもはなはだしく、教員としての基本的な資質にかけているといわざるを得ません。

  ところで、ある新聞の時評によれば、文科省はじめ、関係機関がいろいろ手を打っているにもかかわらず、再発防止ができていないことについて、「そんな取り組みとは裏腹に、水面下の実態を把握できない教員がなお多いというのが実情」だとし、「担任が学級経営のスキルを磨き、異常に目を光らせれば防げる事件は多いに違いない」と、指摘しています。その指摘はかなりの部分で的を得ていると思いますが、私は内部にいたものとして、別のきびしい指摘をしたいと思います。想像に過ぎませんが、これほど、教育界あげていじめ防止を訴えているのですから、桐生市の学校の先生方は、いじめはいけないと理解していたのではないかと思います。また、いじめの実態も認識していたのだろうと思います。ではなぜ、いじめ解消に立ち向かえなかったのか。これは私の私論ですが、実は人間は本来残酷な部分を持ち合わせていると思われます。教育者なら、弱い立場の子どもがいじめを受けていたらかばわなければならないはずですが、不条理なことに、いじめられている子どもが疎ましく思えてきたり、邪魔者に思えてくるのです。そして、教師自身がいじめの輪に加わる場合があるのではないかと思います。もちろん、さすがに積極的に加担することは控えると思いますが、無視する態度をとるのです。見て見ぬふりをするのです。人間はデモーニッシュで、サディスト的なのです。この考えの真偽の程は心理学者に確かめて見なければならないと思いますが、もし、妥当性があるとすれば、これでは、いじめが無くなるはずはありません。おそらく、彼女は、そういう状況のクラス・学校に失望し自ら命を絶ったのではないかと思います。そんな教師に担任をしてもらう子どもたちは不幸です。そんな学校に登校しなければならない子どもも不幸です。

 そこで、このような最悪の事態を回避するにはどうすればいいのでしょうか。自分自身では処理することが出来ないのですから、周りとの関係で阻止する以外ありません。それぞれの先生方が、子どもたちに対して、大きな声ではっきりと、「いじめはいけない」と表明することです。そうすることで、子供たちに真正面から、いじめ防止に立ち向かっていけるのではないかと思います。また、一人でなく、同僚と協力して対応できると思います。このような学校運営のあり方を理解し、まず、実行に移せるのは学校運営を任されている校長です。校長の態度如何で、いじめ防止は左右されると、私は思っております。ですから、私は小浜市の校長先生方に言ってきました。せめて、ギリギリのところで、リーダーである校長の責任として、「いじめは許さない」と、はっきり言い続けてほしいと。担任の先生方はその意を受けて、子どもたちに「いじめは許さない」と、子どもたちに訴え、弱い立場の側に立って、毅然とした態度をとるようお願いしたいと思います。教育者としての誇りを堅持するためにも、ぜひ、そのようにやって欲しいと願っています。

平成22年12月27日

教育委員会がかかえる主な課題

 平成22年11月末現在、私たち教育委員会が解決を迫られている主な課題を述べてみます。ほとんどは、多額のお金をともなっております。

  1. 小浜中学校北館・給食室及びプールの解体・新築
    校舎は、補強では耐震性がないと判断されたため、新築建て替えします。今の校舎を使用しながら建築します。老朽化したプールの場所も含めて建設地とするため、プールも解体し、新築します。総事業費 約8億9千万円、市の現金の持ち出しは約8千万円となる予定です。 
  2. 小浜市内小・中学校エアコン設置計画
    今年の夏は大変暑く、学校の教室、特に上階は40℃を越えると報告があり、市長さんともども、頭を痛めています。市長さんは内心「設置してやりたいなぁ」と思っておられるようです。お金の都合がつくかということです。
    小学校全教室 94室のエアコン機器及び設備費、中学校全教室 35室のエアコン機器及び設備費で数千万円単位のお金がかかるようです。
    電気代は、夏季(28℃)7/1〜7/20  9/1〜9/20、 冬季(23℃)11/20〜2/28で、年間5百万円ぐらいかかるようです。               
    設置したいという方向で決心しつつありますが、一度に全部設置できるお金の都合がつくか、思案しているところです。電気代は毎年かかります。校長会とも相談中です。一度に出来なければ少しずつということになります。
  3. 三井家御殿復元計画
    平成13年に京都 三井家から寄付された御殿の建築部材が市の倉庫に保管してあります。平成15年から部材の詳細調査を始め、平成23年度に終了する予定です。44坪程度の平屋建ての建物ですが、正確に復元すると、建物だけで8千万円ぐらいかかるといわれています。すでに調査費やその他諸経費でかなりのお金を使っています。どうするか頭を悩ましています。
  4. 今富公民館新築計画
    現在の公民館は昭和53年度建築。老朽化と今富地区のその後の人口増加もあって手狭になっています。地区民の立替要求は当然だと思っていますが、今富地区の人口と同程度の小浜や雲浜地区の公民館を基準に建設すると、5億円程度かかります。補助制度が見当たらず、なかなか計画が前に進みません。何とかしなければと思っています。
  5. 高校再編問題
    これは県教育委員会の問題です。小浜市教育委員会が中心として取り組んでいるわけではありませんが、地域の問題として重要な課題です。県教育委員会としては普通科中心の進学校として若狭高校、若狭東と水産高校を統合して、総合職業系の高校の二校に再編したい意向を持っています。それに対して、この問題に関心を持っている市内の人たちや「市民の会」の意向は三校存続を希望しているようです。私たちは間に立って微妙です。頭を悩ましています。
  6. 市内小学校の統合・再編問題
    ここ1年半で、統合問題の説明に市内全地区を回ってきました。残すは、小浜地区のみです。近日中に実施する予定です。
    その結果、ご理解いただけた田烏小学校が、平成24年4月から内外海小学校と一緒になります。また、東部地区(遠敷小・松永小・宮川小・国富小)には、平成22年12月中に統合の話し合いに参加するか否かの決断をしていただけるようお願いしています。その話し合いの場で、校舎の建設場所や通学方法など具体的なことを話し合い、新校舎の建設計画を固めていきます。その他の地区につきましても、東部地区が固まり次第、話を進めていきたいと思っています。

どれをとりましても容易なことではありません。市民の皆様や議会関係者のご理解、市長さんをはじめ、市長部局の関係者の協力なくしては出来ません。私たちも努力いたしますので、よろしくお願いします。

平成22年12月5日

福井県の学力はなぜ高いか

 ときどき他県から、本市の教育事情の視察にこられます。その時、必ず聞かれる質問に、「福井県の学力はなぜ高いのですか」と、言われます。今、福井県の小・中学校では福井県独自で実施している「福井県学力調査」と国が実施している「全国学力・学習調査」があります。「福井県学力調査」は小学校5年と中学校2年で、「全国学力・学習調査」は小学校6年と中学校3年で実施しています。「全国学力調査」では確かに福井県は秋田県についで2位あたりにいます。我が小浜市はというと、二つのテストとも、毎回、県内ではまあまあという順位に位置しています。ですから、全国でも、一応上位に位置するのではないかと思っています。

 では、なぜ本県の学力は高いのか。それぞれの見識ある立場の人がいろいろと分析し主張をしていますので、今更、私が主張するのはおこがましいのですが、自分なりの考えを述べてみたいと思います。

 まず、第一には、家庭、地域社会が未だしっかりしていることです。ほとんどの子どもたちは、親が作るご飯をしっかり食べ、常識的なしつけの生活がなされていることです。地域社会においても、隣近所の付き合いもあり、人間的な絆が依然として存在していると思います。登下校時も、多くのボランティアの方々の見守りによって、安全な日々を送っています。このような家庭、地域の暖かいまなざしは、子どもたちが学校で先生方の指示に従って、素直に勉強しょうとするベースになっています。

 二つ目に、職員室に秩序があると思われます。校長を中心に、みんなで協力して子どもたちをよくしていこうとする気持ちと実行力があると思います。一部の県では、日の丸、君が代の反対闘争などに見られるように、管理職と一般教職員の間に対立があるところは大変だと思います。教育委員会と一般教職員の間に立たなければならない管理職は大変です。福井県では、それなりの年齢になれば、みんな、特に男は管理職になりたくっても、なかなかなれないのですが、そのような地域ではなり手がいなくて困っているという話も耳にします。私の想像ですが、校長が「学力テストにがんばって取り組んで行こうではないか」と呼びかけても、おそらく、校長の言うことなど聞けるかという人間関係にあるのではないかと思います。

 三つ目に、行政が打ち出しているいろいろな施策があると思います。なかでも、現場の先生方に喜ばれているのは教員の加配です。子どもたち一人ひとりを丁寧に指導することが出来るからです。一つの教室で二人の先生が指導する「TT加配」やクラスを二つに分けて少人数で指導する「少人数加配」、じっと椅子に座っておれなくて、立ち歩く子を見守る「生活支援員」などいろいろな名目で、以前より手当てされています。もちろん、一クラスの人数を少なくする努力もされています。教育現場もご他聞にもれず、多忙です。また、手のかかる子どもたちも少なからず増加しています。そのような状況の中で、行政の、このような施策は現場の先生方に喜ばれています。しかし、人を増やすには多額のお金がかかります。難しいところです。

 ところで、今、問題にしている学力テストそのものについても、その功罪について意見の分かれるところです。「ペーパーテストで子どもたちの能力が測れるのか」「点数より大切なものがあるのでは・・・」などいろいろな異論があること事実です。しかし、全国学力テストの第一回目では意見の相違がマスコミをにぎわせました。結局、国は該当学年全員が受けることを求め、ごく少数校のみ拒否したようです。政権が変わり、3割程度の抽出になりました。対象校以外は自由となりましたが、福井県は全学校が受けることを希望しました。私は、それは当然の流れだと思います。先生方はテストを一つのきっかけとして、子どもたちの学力を向上させよう、テストの分析を通して、自分たちの指導の問題点を探り、改善しようと心を固め始めていたからです。また、国の学力テストの問題そのものも質が高く、本当に質の高い授業、子どもたちに考えさせる授業を提供していないと十分対応できない問題が出されていたからです。そういうことも幸いし、学力テストに対する意見の相違は一応、決着を見ていると思われます。今は、テストを一つの指標として授業改善をしていこうと、教育現場は意志を固めています。
 さて、ここまでつらつらと述べてきて、教育長である私に課せられた課題は何か。今後、本市の学力水準を維持、向上するために何をすべきか、明確であると思われます。
 一つ目は、都市部に比べて、家庭・地域社会の崩壊程度は少ないものの、養育に苦慮している家庭が増えており、地域社会の絆が崩れつつあるのも現実です。行政として、何らかの手を差し伸べ、地域の再興を模索していかなければなりません。
 二つ目は、教員の教育に対する志を高くし、授業力を高めるよう働きかけなければなりません。
 三つ目は、教育条件の改善です。ひとりでも多くの先生が加配されることで、子どもの学力は維持・向上できます。余程の裕福な市・町・村でないかぎり、教員を雇うことは出来かねます。やはり、国・県にお願いする以外にはないでしょう。
 四つ目に、就学前教育の質的向上に努力しなければなりません。幼稚園・保育園の先生方の指導力向上が求められます。子育てのスタートは肝心です。一年生に入学したとき、先生のお話をきちんと聞けるところまで、育てられている必要があります。
 これらのことについて、稿を改めて述べていきたいと思います。

平成22年11月20日

研究者が注目する町−若狭・小浜

 ここ1〜2年の間に、三人の研究者から、若狭・小浜は全国的に注目されているんだと聞かされました。
 その一つ。若狭歴史民俗資料館の女性学芸員から聞いた話。彼女は関東の出身、小浜とは縁もゆかりもありません。一流の大学で歴史を学び、小浜でないと研究できないので希望して福井県職員になり、当館に勤務しているのです。彼女によると、若狭・小浜は中世・近世の古文書が量・質とも全国一だそうで、研究にはうってつけの場所だということです。特に、田烏、志積地区に残っているそうです。

 その二。福井県立大学の先生から聞いた話。先生の話は海と川を行き来する回遊魚の研究でした。小浜は回遊魚の種類が多く、国内では貴重であるとのこと。その背景には自然が残されているからだということでした。山や川や海の自然が豊かだということです。そして、できれば山は雑木林を増やすこと、川の護岸は自然に近いものに改善すること、魚が川の上流までさかのぼれるよう、堰は望ましくないこと、海は稚魚の生育場所として砂浜が必要であることなど教えてもらいました。

 その三。花園大学の先生から聞いた話。先生は古墳の研究者です。最近、小浜市遠敷の検見坂の山の上にある「九(きゅう)花(か)峰(ほう)古墳」、これまで、若狭地方では、6世紀頃の新しい古墳だと考えられていました。先生が改めて、古墳を実測したところ、4世紀にさかのぼるという結果が出たとのことでした。若狭の古墳は5世紀のはじめ、旧上中町脇袋あたりに作られ始め、北川沿いを、徐々に小浜湾のほうへ下ってきたそうです。ですから、当然「九(きゅう)花(か)峰(ほう)古墳」も新しい古墳と考えられていました。古墳は都の大和朝廷と関係があったことをしめすものなので、「御食国」としての関係も、今まで考えられていたより50年ばかり、さかのぼると考えられるそうです。さらに、すでに確認されている雲浜地区と国富地区の境にある丸山山頂の古墳とあわせて考えたとき、大陸から外国船が小浜湾に入ってきたとき、左右の山頂に古墳が鎮座しているわけですので、権威を示していたのではないかと考えられるそうです。とにかく、いかに、大和朝廷が大陸との玄関口として、若狭・小浜を重要視していたかが伺えるということです。そこで、日本の研究者だけでなく、韓国などの学者も若狭・小浜に注目し始めているそうです。
 そう言われても、大阪近辺の名立たる古墳に比べたら、若狭の古墳なんて、ちゃちで小さく、たいした物でないのではないかと私は思いましたので、その疑問を先生にぶつけました。先生は、「大きさなどは畿内のものには負けますが、そういう量じゃなく、質ではまったく劣りません。出土品は当時の一級品です。畿内を除けば、これほどの古墳地帯は全国的にも見当たりません」と、誇らしげに答えてくださいました。さらに、先生は「できれば、地域のみなさんで、毎年古墳の草刈などしていただけるといいんですが。また、一基でいいので、建設当時の古墳に復元してもらえると見学者にとってもいいのですが」と言われました。

   若狭・小浜がこのように全国の研究者から、注目されるような宝物を抱えているとは、今まで思っても見ませんでした。さらに保存活用して、よりよい形で未来に残していかなければなりません。他の地域にない、貴重な文化・自然遺産を町おこしにうまく利用できないものかなぁと思っています。他の町にないものですから。全国、いや世界から、大勢の人に見に来てもらえるようになるといいのにと思います。

平成22年9月30日

世界の企業動向と子どもたちの未来

   こんな大げさなこと、私のようなものが考えてもどうしょうもありませんから、無駄かな・・・と、思いつつ考えざるを得ない心境です。
 先ごろ、『NHKスペシャル アジア沸騰(1)急成長のタイに世界企業が殺到』をみて、日本の将来と子どもたちの未来を思って暗澹たる気持ちになっています。見られた方も大勢いらっしゃると思いますが、テレビの内容は、今、タイに工場を建てて、材料を輸入し製品を作り輸出しても関税がかからず、企業にとってはとても有利であるというものでした。そこで世界中から、企業が集まっているとのこと。もちろん、日本企業も次々進出していました。さらには、今まで日本本土の企業で働いていた人たち、世界有数の技術を持って働いていた人たちですが、日本で仕事がなくなりどうしょうかと思っていたところが、タイで、タイ人が経営する工場で何人もの人が就職しているとのことでした。テレビを見ていて、日本の風土の中で、日本人が長い年月をかけて磨き上げてきた技術を一瞬にして、タイ人の経営する企業に奪い取られている気持ちになりました。タイ人社長は「世界一の企業にして見せる」と豪語していましたが、これこそ、人のふんどしで相撲をとる事態だと複雑な気持ちになりました。
 さて、工場も日本国内から外国に出て行き、優秀な技術者も流れてしまって、国内の産業はどうなるのでしょうか。もう無くなってしまうのではないかと心配になりました。これからの日本で、子どもたちの働く場所はあるのでしょうか。私たちは子どものとき、社会科の授業で、「日本には資源がありません。資源を輸入して、製品に加工し、それを輸出してお金をもうけて生活しています」と教えられてきました。もうそれが出来なくなるのではないかと。日本の国はどうするんだろうと思っていて、雑談で、市長さんにこのことをお話ししたら、「日本も、フランスやイタリアみたいに、観光や文化などを創造して、お金儲けをしないといけない」とお聞きしました。そうなんや、今までどおりの国づくりではだめなんやと改めて思いました。
 日本の生き残り作戦。時々このことを考え続けています。観光・文化、アニメ、ファッション、音楽、それに、他の国より有利なのは瑞穂の国といわれる豊穣な土地と海、この土地と海を使った農業や水産業はここ数十年日の目を見なかったけど、めぐりめぐって工夫次第で日の目を見るのではないかと思います。質の高い農産物や海産物なら、海外の人たちはどんなに高くても買ってくれそうです。私はすぐには思いつきませんが、企業の中には買収されても、この日本の風土から離れられない特殊な企業もあるのではないかと思います。
 こういった産業や企業を育てていくことが、子どもたちの働き場所を確保し、生活を成り立たせてやれるのではないかと思います。もちろん、一方では日本の国内に固執することなく、どんどん海外に働く場所を求めて積極的に出て行く気概と能力を育ててやることも必要であると思われます。
 私は今、先生方に次のように呼びかけています。国の学力テストの科目は国語・算数・数学ですので、どの学校でも、その教科に尽力を傾注していますが、「今の日本の国の状況を考慮すれば、音楽や図工・美術などもとても大切なんではないですか」と。また、これからの子どもたちが、海外で働くには外国語が必須ですから、必ずしも英語と限定しなくても、他国の言葉が話せないようでは大変不利になるでしょう。
 大人の責任として、子どもたちが将来日本で、小浜で生計を成り立たせる社会を、私たちは作ってやらなければなりません。日本の将来の産業に見合った能力を開発してやる必要が学校に求められています。あるいは、日本から飛び出していく子どもたちのために、世界の人たちと意思疎通できる言葉や度胸を与えてやらなければなりません。学校教育は子どもたちの未来のために、社会の急激な変化に対応していくことが今こそ求められています。

平成22年9月10日

文化財保存修理の仕事

 教育委員会のなかには「文化課」という部署があります。今、課員が精力的に取り組んでいる仕事は

小浜市・若狭町歴史文化基本構想の策定
小浜市と若狭町が共同して、小浜市・若狭町一帯に散らばっている文化財を総合的に調査し、歴史文化を活かしたまちづくりのマスタープランを策定する事業です。現在、専門家と協力して、調査中。
重要伝統的建造物群保存事業・環境整備
いわゆる旧小浜の西部地区一帯の建物や町並みが保存すべき値打ちがあると、国から認定を受けました。地域内の家屋の修理に尽力中。
小浜小学校跡地の発掘調査
もとの小浜小学校跡地は戦国時代、武田氏の館跡だったそうで、福井市の朝倉氏館跡に匹敵する遺跡が眠っているといわれています。できるかぎり、調査し、保存活用することが求められています。
  ところで、このように、今も調査・発掘している文化財もありますが、すでに文化財として値打ちの確定している物件も、小浜市にはたくさんあります。何百年の間、私たちの祖先が守り続けてきたものですが、風雨にさらされるなかで、修理が求められます。このような修理には多額のお金と修理の専門家が必要ですが、そのような手配やお世話もしています。最近、本課で手がけたものを紹介します。
萬徳寺(遠敷)保存修理工事
修理内容
書院の屋根は茅葺ですが、葺き替え。
鐘楼の修理
庭園の石組み等の改修など
修理期間
平成17年度〜平成20年度
総事業費         188,905,000円
国補助金(1/2)     94,450,000円
県補助金(1/6)     31,482,000円
市補助金(1/6)     31,482,000円
寺負担 (1/6)      31,491,000円
きれいに修理されました。特に茅葺屋根には趣があります。
国宝・明通寺(松永)保存修理工事
修理内容
本堂、三重塔の屋根葺き替え(桧皮葺)
修理期間 平成21年度〜平成23年度

総事業費          250,140,000円
国補助金(75/100)  187,605,000円
県補助金(8.3/100)  20,844,000円
市補助金(8.3/100)  20,844,000円
寺負担 (8.4/100)   20,847,000円
現在修理中、ただし、いつもは拝観できない三重塔の内部の仏様が拝観できます。
小浜西組重伝建保存地区
町の種別 商家町、茶屋町(中世の港町から発展した近世城下町)
区域面積 約19.1ヘクタール
保存修理対象物件  257件
補助事業による修理
平成21年度  3件
事業費             35,963,000円
国補助金 (1/2)      12,000,000円
県補助金 (1/4)       6,000,000円
市補助金 (1/4)       6,000,000円
所有者負担(残額)      11,963,000円

平成22年度  5件を予定
事業費             29,017,000円

 民家の修理に補助しています。対象物件が、257件もあるそうです。一年に5件ずつ修理したとしても、50年もかかる長期な取り組みです。

  以上からお分かりのように、文化財の修理・保存には億単位の多額の費用を使って、保存しています。ですから、ぜひ、多くの人に見てもらい、心をなごませてもらいたいものだと思っています。なお、このような文化財についてのお問い合わせは、文化課の専門スタッフにお聞きください。私も彼らにときどき質問しています。実に的確に答えてくれます。

平成22年5月20日

「通学費全額公費負担で」を考える

 三月議会で、議員さんから教育委員会にきびしく要求されたことは、子どもたちの「通学費を全額公費負担でやるべきではないか」という問題でした。議会では一応部長が、「検討して結論を出します」と、その場は切り抜けましたが、この問題は真正面から解決が求められています。現在、例外もありますが、基本的には公費負担8割、保護者負担2割です。保護者負担額は、具体的には月に千円程度の地域もありますが、田烏地区のように、月に六千三百円といった高額の出費を求められている地域もあり、検討は当然だと思います。
  私が考えるに、この問題で、検討すべきことは二つあります。一つは、通学費は理念として、全額公費負担が当然なのか、保護者負担なのかという問題です。議員さんは(1)義務教育は本来無償だろう(2)統合などによって、学校が遠くに行ったんだろう。子どもの側から遠くに行ったのではないだろう の理由で全額公費負担を主張されています。私自身も共感するところは多いのですが、教育委員会事務局内では(1)予算的に、全額出費が可能か(2)通学費は全額公費負担の対象になるのか など今一度検討すべきだとの慎重な意見もあります。
  二つ目に、仮に、全額公費負担との考え方をしたとして、現実問題、財政部がお金を都合してくれるかどうかという問題があります。もちろん、市長さんの市政全体の中でのお考えもあります。お金の都合がつかなければ、理念として、賛同できてもどうにもなりません。さらに、通学費は一年ぽっきりではありません。永久的に出費が求められます。全額出費で1800万から1900万円程度と見積もっています。どう処理すべきか、回答を急がされています。
  しかしながら、今後、学校統合を進めていくと、バス通学が必ず必要になってきますから、市民の皆様からも、問題提起されてくることは確実です。教育委員会としても、三月議会の議員さんの問題提起を積極的に受け止め、ここ数ヶ月で結論を出していきたいと考えています。

平成22年4月20日

校長先生方にお願いしていること

 教育委員会は学校教育だけでなく、社会教育、文化財保存のことなど、いろいろあります。時々、市民の方から、「教育長、学校のことだけでなく、社会教育などにも目を向けてよ」と、言われます。私も、学校教育以外の分野を軽視しているわけでは決してありません。しかし、学校教育は、対象が子どもたちであること、毎日欠かさず活動していることなどから、次々対応しなければならない課題が持ち込まれますので、教育委員会の仕事というと、どうしても学校教育がメインとならざるを得ません。
  その学校教育の現場の最高責任者が校長先生方です。ということは、校長先生方が各学校でどのように動いていただけるかで、小浜市の学校教育の成果が左右されます。他方、私の仕事は、校長先生方がどのように動くべきかを考え、指示することにあります。そこで、私は次のようにお願いしています。子どもたちが健やかに成長するかどうか、校長先生の学校経営の仕方にかかっています。日々、誠心誠意、命をかけるつもりで立ち向かってほしいと呼びかけてきました。
まず、手の空いているときは、校長室にすっこんでいないで、子どもたちのところへ出向いていってくださいといい続けています。そして、子ども達に授業をしてください。放課後は、遅れがちな子の指導なども手がけてみてください。保護者との間で、担任の先生がもめているときは、教頭や職員に任せることなく、タイミングを見計らって、自ら首を突っ込んでくださいと。
  私が言いたいのは、子どもたちの様子、保護者の思いを自分の目で見、自分の肌で感じることで、「ああ、自分の学校の問題はこんな問題なんだ。さて、どのような方法でこの問題を解決しようかな」と、具体的な対応策が思いつくのではないかと思っているからです。校長室にすっこんでいて、間接的に、教頭から情報を提供されているだけでは、具体的な解決策を指示することはできないと思っています。
  どこの学校でも実施していると思いますが、月に一回の職員会議で、各学級の問題を報告しあい、検討する時間があります。担任の先生が、「今、私のクラスではこういう問題があります。・・・・」と報告します。そして、解決の見通しのある報告ならば、聞き流しておけばいいのですが、やはり、上司として口を挟まなければならないときが多々あります。こういった場合、報告を聞いていて、校長としてどのような助言ができるかと言えば、一般論としては言えるのですが、その問題に対して、ずばり具体的には助言できないのです。具体的に助言するためには、そのクラスへ行って子どもたちと接触していなければ、思い浮かばないことなのです。
  私は次のような経験をしました。ある学校の五年生の男の担任から悩みを打ち明けられました。「女子の扱いに苦労している」と。その担任の先生は、私から見ると平均以上の指導力を持っている優秀な方なのです。にもかかわらず、クラスの女の子の扱いに手を焼いているのです。実はこういうことはよくあることです。5・6年生ぐらいになると、女子は精神的な発達が早いので、その年齢の子どもたちの気持ちを汲み取れないと、へそを曲げられてしまいます。そこで、「○○せんせい、いややな」と女子同士で言い合うようになります。先生を避けたり、斜めにかまえた態度でつきあうようになります。先生からすれば、言うことを素直に聞かない、手のやける子どもだということになります。そこで、「女の子を扱うのは難しい」という報告がなされるわけです。私は職員会議での報告に対して、「女の子の気持ちを考えないと」とか、「固い態度では嫌われるから、融通を利かさないと」というように、一般的な助言をしてきました。しかし、私のこのような助言では、担任はおそらく雲をつかむような思いを持ったでしょう。私も解決できないだろうなと思いつつしゃべっていました。もちろん、私はこの状況と平行して、ときどき、このクラスの授業にかかわっていました。
あるとき、このクラスで、田んぼの稲刈りをして、脱穀をする授業を指導させてもらいました。足踏み脱穀機を玄関前広場に置き、子ども達にさせていました。しばらくして、周りを見回すと、女子の一部が参加せず周りでおしゃべりしていたので、担任に、「先生、全員に参加するよう言ってください」といいました。担任は即座に、「みんな一度はやるんだぞ!」と、大きな声で、指示をしてくれました。しかし、あいかわらず、一部の子は参加しないままなのです。担任はこのことに気づいていないのです。これでは子ども達にわがままを認めているようなものです。教師の指示に従わなくてもいいと教え込んでいるようなものです。
  数ヵ月後、この学年が六年生になり、修学旅行に行きました。大阪城近くのホテルに泊まりました。翌朝、大阪城を見学するため、バスに乗りました。私は一番後ろの座席に座っていました。両側に女の子が座っていました。クラスの中でもしっかりした感じの子どもたちです。しばらくすると、その子どもたちのうちの一人が、「先生、歌うたってもいいですか?」と、先生に聞いています。先生は「30分ぐらいで着くし、やめとけや!」と、返答しました。この返事に子どもたちはどう言ったと思いますか?校長である私に聞かせるように「いやわ。先生たら、修学旅行楽しくせぇと、自分から言っといて、私ら楽しくしょうと思っていると、するなというやもん」と。担任は子どもたちとの心のギャップに気づいていません。子どもたちとの、この心のずれが問題です。私なら、「あまり時間がないけど、それでもよいならご自由に」と、返答します。もっと融通を利かせたらうまくいくのにと思いました。
  すなわち、指示を出しながら最後まで指示に従わせず、あいまいな指導をし、一方、好きにさせればいいところでさせていないのが原因で、子どもから反発を食らうのです。
 担任には、このことを話して理解してもらいましたが、具体的に話ができたのは、私がこのクラスに入り込んで、子ども達にかかわってきたからです。校長室で仕事をしているだけでは的確な指導をすることはできません。自分の部下が、100人も、200人以上もいるのなら別ですが、小浜市の学校はせいぜい、10人、20人というところです。教員生活30数年のキャリアを生かして寄り添って指導していただけたら、子ども達にとっては幸いではないかと思います。同時に、子どもたちから、喜び、悲しみに満ちた成長ぶりに触れられるのが、教職を生涯の仕事とした者の生きがいではないかと思っています。また、部下職員は校長の仕事ぶりを見ています。体をはって勤務する校長の姿を見れば、職員もがんばってくれると思います。このよき循環は、結局、子どもたちのためになるのです。私は日々、そのような学校づくりをしてくれることを校長先生方に期待して、教育長の仕事に取り組んでいます。

平成22年2月1日

頭悩ます体育施設

 社会体育の施設の維持管理には大変悩ましいものがあります。
口名田にある総合グラウンド。トラックの一部が10cmほど陥没し、このままでは次回、公認記録のグラウンドでなくなります。「修理すればいいじゃない?」と、言われそうです。いくらかかるとおもいます?最低は8,000万円あまりかかるそうです。きちんと直すと、1億数千万はいると聞いています。この事実を担当職員から聞いて、はぁ〜と、ため息が出ました。全身から気力が無くなります。
市民体育館も古くなってきました。修理も必要です。いや、建て直すことも必要な時期です。県立図書館の横に、弓道場があります。地面は借地ですので、借地料を払っています。もっと、びっくりしたのは市民体育館横の中央グランドです。県の用地だそうです。契約に従って、県に借地料を払わなければなりません。えぇ!中央グランドが借地やった!?今まで、一市民でいた私には思いもよらなかったことです。勢にある野球場、まわりのフェンスがコンクリートのままです。選手が激突すると危険なので、現在、高校野球は使用しません。今、2,400万円ほどかけてクッション材をはる工事中です。西津の温水プール、暖房費などが多額にかかります。毎年、3,000万円ぐらい赤字です。
  このように、社会体育の施設だけでも大変なお金がかかります。それ以外に、教育委員会は学校、公民館、文化施設等多くの施設を抱えています。もちろん、市民の皆様が楽しんで使用してくださっておられるので、有効なお金です。しかし、本当に多額のお金が要ります。お金がなければどうすることもできません。その年その年をやり繰りするしかありません。長期的な展望で、この課題を処理したいのですが、どうしようもありません。本当に、厳しい現実の前に歯軋りするしかありません。心配性の私は、どうするのかなぁと頭を悩ます毎日です。

平成22年1月28日

公民館のあり方と地域の活性化

 公民館のあり方が常にわれわれの話題にのぼります。本市の場合、大きく二つあると思っています。一つは公民館職員の報酬や任期の問題です。もう一つは活動の内容というか役割です。
 ところで、先日、小浜市社会教育委員さんから『今後の公民館のあり方とその充実策について』の提言をいただきました。そこで、この紙面では、後者についてのみ、私見を述べて見たいと思います。
 提言によれば、「近年の公民館は、設置された時代とは社会の背景や構造、住民の意識が大きく変化する中でその役割について見直しが必要」、「社会の要請や多様化する地域住民のニーズに的確に対応」することが求められていると、述べられています。私たちが「公民館のあり方」を考えるとき、この文脈をより具体的に共通理解することが必要だと思います。状況を具体的に思い浮かべることで、「あり方」が浮かび上がってくると考えられるからです。
 そこで、まず、「近年の公民館は、設置された時代とは社会の背景や構造・・・が大きく変化」とは具体的にどういうことなのだろうか、考えて見たいと思います。
 公民館は戦後、民主化の社会状況の中で設置されてきたと思います。各地域は経済的にも、社会的にも、夢や元気があった時代です。例えば、小浜市の中山間地域を頭に浮かべて考えてみます。地域の山の木々は切り出せば高値で売れました。たきぎや炭も生産され、地域にお金が落ちました。人々はこの地域で生活と生計を立てることができました。それゆえ、山林を所有していれば、わざわざ地域外へ働きに行く必要はありませんでした。おそらく多くの人たちが代々その地に住み着き、家族を形成していこうと思っていたことでしょう。一定の地域に、多くの人々が集えば、必然的にスポーツや文化活動が盛んになります。その拠点として、公民館が利用され、活発な公民館活動が生み出されていたと思います。
 ひるがえって、今の地域の状況はどうでしょうか。山の木は金にならない。たきぎや炭は石油エネルギーに取って代わられました。地域での経済活動が無くなったのです。地域にいて収入を得ることができなくなったのです。人々は必然的に、地域外に出て収入を得なければなりません。かっては地域に一日中いた住民は一日の大半を地域外で活動しています。極端な場合は、地域は寝るだけに帰ってくるという現状が生まれています。そうなると勢い、この地域から脱出して職場に近いところ、すなわち町に住居を移す人もでてくるのは必然と言えるでしょう。人がいなくなる、いてもわずかな時間だけということになると、人々は集えなくなりますし、人々は集いを避けるようになります。結果的に公民館活動の衰退や形骸化が始まります。一般的にはこの活動の衰退を食い止めるために、関係者は悲痛な思いで強制力を働かせたりしますが、そういった努力は空回りに終わるでしょう。
 では、この状況を乗り越えていくためにはどうしなければならないのでしょうか。すでに答えは見えています。かってのように地域での経済活動を活発にし、わずかでも収入が得られるように工夫することです。しかし、現実には、木材や炭では収入は得られません。過去の経済活動でなく、新たな時代に即応した経済活動を創造することが求められているのです。
 そこで、「公民館のあり方」を今一度考えてみると、公民館は、人々が集い活動するという教育レベルに今までどおり取り組みながらも、経済活動の次元で取り組む拠点として、とらえなおすことが求められているのです。言い方を変えれば、公民館を地域再生の拠点として理解しなおさなければ、公民館自身の活性化はありえないのではないでしょうか。経済活動の上に、社会的な関係=人々の集いが形成されるのです。経済活動がなくなれば、社会的な関係は壊れ、人々の集いは消滅するのです。その典型が夕張です。炭鉱での繁栄と衰退は人びとの集散を左右してきました。
 私は今、小浜市の公民館を通して地域の活性化を目論んでいます。そのポイントは三つほどあります。わずかでも現金収入が得られるように考えること。二つ目は地域づくりに命をかけるというリーダーを発掘することです。そして外部から人を呼び込む仕掛けを発想することです。
 先進地の事例を研究してみれば、活性化に成功している地域には上記のような共通点があると思われます。一つ目の現金収入を得るは当然のことだと思います。ただ、地域の人々にとっては多額の収入が目的ではなく、むしろ売れるものを客に提供して喜んでいただくという生きがいが目的ですので、年間何百万もの収入が目的ではないようです。せいぜい何十万単位での儲けでいいのです。働きがい、生きがいが地域の人びとを生き生きさせるのです。二つ目に、リーダーのいないところでは新しい物事は推進できません。成功している地域は、すべて行政頼みでないところが共通していると思います。自分たちの地域は、自分たちで立て直すと言う意気込みこそが創造的な発想と粘り強い努力を生み出し、成功に導いているようです。行政は何もしてくれないと考えている人たちばかりの地域はいつまでたっても活性化しないと思います。そのためにも、「自分たちでやろうじゃないか」と人々に呼びかけ、率先して実行に当たるリーダーの存在は不可欠です。最後に、内部の者たちだけでは、どうしても取り組みの発想が旧態依然のままになりやすいと思います。その点、外部の人材が導入されれば、内部改革がなされることは想像できます。もちろん、外部人材を導入するきっかけをどのように企画するかは重要です。
 さて、ここまで述べてきて、活性化を推し進めていく上で留意しなければならない重要なことがあります。それは何のための活性化かという根本的な目的を、地域住民が確認しつつ事に当たることです。すなわち、地域に住む人々が、「この地に住んで幸せ」だと思う地域にすることです。幸せだと思うような地域には地域の人々のおもてなしの心であるとか、安らぎの自然や家並みが形成されているはずですから、それをもとめて、外部からの来訪者も増加することは考えられます。一人ひとりが安らぎを感じることができれば、地域の人たち同士も心を通い合わせることができるでしょう。このことが、より幸せ感を醸成していくことになります。
 私たちは今、公民館に求められている役割をしっかり理解しなおし、地域を再構築し人々が生きがいを感ずる地域づくりしようではありませんか。

平成21年12月20日

統合問題はどうなっているの

 最近、よく、市民の方から聞かれます。「統合問題どうなっているの?」と。
私は教育委員会の職員に、平成21年2月ごろから、「統合問題はメリット・デメリットのシミュレーションをしないと市民の皆様が判断できないよ。資料をつくろうよ。」と、説得してきました。
 4月から動き出しました。日々の仕事に上乗せですから、職員も大変ですが、みんなで協力して9月末にようやく形になってきました。10月いっぱいで市長さんをはじめ庁舎内の人たちを対象にシミュレーションを聞いていただき、意見を頂戴し手直しをしました。その後、各地区に説明に行きたいと考えています。
 11月〜12月にかけて、統合・改築が急がれている遠敷地区をはじめとする松永、宮川、国富地区の役員の方および各地区の学校の教職員を対象に説明させていただきます。そこでいただいたご意見をもとにシミュレーションを手直しします。より各地域の実情を踏まえた現実的な資料に仕上げます。その後、来年1月〜2月にかけて、同じような方法でそのほかの市内全地域に説明に回ります。
 3月ごろから、手直しした資料を持って、統合・改築が急がれている遠敷、松永、宮川、国富地区の全住民を対象に説明会を持ちます。話し合いに決着が見られるようであれば、9月頃をめどに遠敷小学校改築・統合に賛同するか否かの態度を明確にしていただく予定でいます。同時に、4月頃から、それ以外の地区を回ります。一年ほどかけて、各地区の判断を求めていきます。
 こういったやり取りを通して、小浜市全域の統合・再編の計画案を完成させます。もちろん、自分たちの思いのままに、スムーズに進展するとは思っていません。紆余曲折のあることは承知しています。この計画はあくまで私どもの腹づもりであり、柔軟に対処していきたいと思っています。
 市民の皆様には各地区での説明会にぜひご参加いただき、私どもの真意をご理解願って、子どもたちのために、また、地域のために適切なご判断を賜りたいと思っています。

平成21年10月28日

9月議会が始まる

 教育長に就任して、一年近くになりました。とにかく、思いや願いをきちんと形にして、市民の皆様のお役に立つ仕事をしていかないと、そればかりを念じて努力させてもらってきましたが、どうだったかなと不安になります。それでも、市役所の仕事の仕方については少しは要領を得てきましたので、自分なりの色を出しながら推進したいと思っています。
 市役所は、年四回の議会を節目として、動いていることが分かってきました。今は9月議会の真最中です。庁舎内もなんとなく、緊張感に包まれています。議会が終わると、しばしホッと一息という雰囲気になります。この変化の原因は、何と言っても、議会での議員さんの指摘に答えていかなければならないからです。うまく仕事の成果が出せていればいいのですが、財政的にも、仕事的にも、難しいところがあって、なかなかご満足のいくお答えができません。そうなると、お叱りを受けることになりますので、職員たちは重苦しいものを感じながら、議会を乗り越えていくことになります。ですから、今の私は、とにかく、きちんと成果の出る仕事をすることが、こういった状況を乗り越える唯一の出口であると理解しています。我が教育委員会の職員に、成果を出す仕事をしてくれるよう日々指導しています。成果さえ出ていれば、議会中も明るい市役所を実現できるのではないかと思います。
 そういう思いを持って、今取り組んでいる、教育委員会としての最大の難問は小浜市内の小学校の再編(統廃合)問題です。ここ一・二年の間に、市内全域で、市民の皆様と対話しながらこの問題を推し進めて行きたいと思い、準備しています。市民の皆様に分かりやすい判断しやすい資料を作り、各地域にお伺いしたいと思っています。今後の議会での教育委員会の答弁を聞いていただき、また、地域での対話集会等に参加してくださって、ご理解をたまわりますようお願いします。

平成21年9月15日

市内すべての学校でご飯が炊けるよ

 かねてから小浜市教育委員会の念願であった「自校炊飯」が市内すべての学校で実施できる運びとなりました。
 小浜市は「食のまちづくり」の全国的な先進地です。学校教育でも「地消地産」を推進してきました。しかしながら、市内の大きな学校、小浜小、雲浜小、西津小、遠敷小、今富小、小浜中、小浜二中にはご飯を炊く釜が設置されていませんでした。市外の業者から、ご飯を購入してきました。議会の議員さん方からも、「教育長、自校炊飯を実現してくださいよ」と、言われ続けてきました。国のほうでも自給率向上の方針のもと、「給食にご飯を」 と、呼びかけています。そこで、この六月議会で、市長さん、議会のご理解を得て、二千万円の予算をつけていただきました。九月から、すべての学校で、子どもたちは毎日、自分の学校で炊いたご飯を食べることができるようになります。
 では、自校炊飯をするとどんないいことがあるのでしょうか。
 まず、費用が安くなることです。業者購入は、小学校で一食あたり50円前後、自校炊飯ですと20〜30円です。ちなみにパンは40円あまりです。
 次に、ご飯を主食とする献立が健康にいいことは今日広く言われているところです。ごはんは他の主食と比べて、消化が遅く、血糖値の上昇が緩やかであるともいわれています。また、地元産の減農薬米を調達することも可能です。子どもたちを動員して、草取りをさせるなら、完全無農薬米を食べることも可能になります。これから、成長し、子孫を残していく世代ですから、できるかぎり、農薬や添加物のない食材で作った給食を子ども達に食べさせてやりたいものです。
 自分の学校でお米をたくということは、各学校でどのようにでも工夫できるということです。健康なご飯ということで、玄米ご飯、麦や雑穀を混ぜたご飯。学校の創立記念日には赤米や紫米で赤飯のお祝いご飯をする。郷土の食材を生かした混ぜご飯を楽しむ。さらには外国の米など食べれば、日本のコシヒカリがどんなにおいしいか実感するはずです。栄養教諭や給食主任などの創意工夫しだいで、今まで以上に楽しい給食を実施することが可能になりました。現場の関係者の今後の努力に大いに期待しています。
 現在、小浜市ではすべての学校で、地域の農家の人から、給食食材の提供を受けています。子どもたちは、そのような農家のおじちゃんやおばちゃんと交流しています。栽培している畑に行って、お話しを聞いたり、感謝の集いの日には、農家の方をお呼びして一緒に給食を食べたりしています。昼近くになると、給食室からおいしそうな匂いが漂ってきます。給食のおばちゃんが一生懸命給食を作ってくれているんだという事実を、子どもたちは五感を通して実感します。私たちは、子どもたちの教育に生かせるいろんな可能性をもった給食という「教材」をさらに前進させようと考えているのです。
 財政が逼迫する中で、このような方向を理解してくださった市長さんや議会関係者の思いをくみとり、小浜市の給食が子どもたちの健やかな成長に貢献できるよう、今後とも市教育委員会として全校に指導していく決意でいます。

平成21年7月20日

新しい学習指導要領で子どもたちは学びます

 学習指導要領が改訂され、今年度から移行期間として、実施されています。幼稚園は今年度から、小学校は平成23年度、中学校は平成24年度から完全実施です。特別支援学校は平成25年度から学年順に完全実施です。
要領では、子どもたちに「生きる力」をはぐくむことを目指しています。特に、「言語活動、算数・数学、理科教育、道徳教育、体験活動、外国語教育」の充実を目指したといわれています。算数・数学、理科の授業時間数が増やされています。また、小学校5・6年で外国語活動に取り組むことになっています。
授業時間数の新・旧の違いは下記のとおりです。

小学校6年間の総授業時数 中学校3年間の総授業時数
20年度 23年度 増減 20年度 24年度 増減
国語 1377 1461 +84 国語 350 385 +35
社会 345 365 +20 社会 295 350 +55
算数 869 1011 +142 数学 315 385 +70
理科 350 405 +55 理科 290 385 +95
生活 207 207 0 音楽 115 115 0
音楽 358 358 0 美術 115 115 0
図工 358 358 0 保健体育 270 315 +45
家庭 115 115 0 技術家庭 175 175 0
体育 540 597 +57 外国語 315 420 +105
道徳 209 209 0 道徳 105 105 0
特別活動 209 209 0 特別活動 105 105 0
総合 430 280 -150 選択教科 155〜280 -155〜-280
外国語 70 +70 総合 210〜335 190 -20〜-145
合計 5367 5645 +278 合計 2940 3045 +105

 世論の影響もあったのでしょうが、授業時間数がずいぶん増やされています。私は団塊の世代で、クラスの人数も多かったのですが、授業時間数も多かったと記憶しています。私の子どもは今、大学生ですが、小・中学生の頃はちょうど時間数の減らされた指導要領のもとで学習をしてきています。ときどき、テレビなど見ていて、外国の国の名前が出てきたとき、例えば「キューバって、どこにあるか知っとる?」と聞いても、あまりに知らないので唖然としてしまいました。授業時間数の少なさが知識の少なさに影響しているのかなと思ってきました。そして、この程度の知識では社会を理解するのにさしつかえるなと思ってきました。
 4月1日付けで、文部科学大臣 塩谷 立 氏の名前で、「新しい学習指導要領の先行実施に当たって」のメッセージが届けられました。その中に、
「子ども達に『早寝早起き朝ごはん』などの基本的な生活習慣や学習習慣を身に付けさせること」
「『読み書きそろばん・外遊び』をはじめ、何事にも好奇心を持って意欲的に取り組むように育ってほしい」

ということが述べられています。当たり前のことですが、当たり前のことが実行しにくい世の中になりつつあります。国の学力テスト結果は、福井県は全国で、秋田県と1、2を争うほどよい結果です。その理由の第一は、大臣の言われる上記のような育て方がなされているからだと思います。
 新しい指導要領の目指す「生きる力」を、小浜市のすべての子ども達に体得させるために、教育委員会としても学校に適切な指導をしていきます。市民の皆様のご理解、とりわけお子様をお持ちの保護者の皆様のご理解と、お子様に対して正しい生活習慣などの実行にご協力くださいますようお願いします。

平成21年4月27日

自分なりの仕事をしなくちゃ

 昨年、12月と今年3月の議会を経験しました。自分なりに行政の仕事の仕方を考えています。特に、3月議会では、つばき回廊の商業棟解体に伴って、市は業務棟を金融機関に売却しました。業務棟に入居している図書館はどうなるのか。市民の皆様の当然のご心配かと思います。議会で、この点を追及され、教育委員会、そして私も積極的な返答をすることができませんでした。一通だけですが、市民から匿名のハガキをいただきました。「教育委員会としての対応はなっていないと思います。為政者の職員吏員としてもっと先を考えて対応すべきである」という、きびしいご批判のお手紙をいただき、大変悔しい思いをしています。
 私個人のことを申し上げれば、10月の就任以来、個人的には「業務棟を売り渡したら、教育委員会の管理下にある図書館はどうなるのかなぁ」と心配し、いろいろ思いをめぐらし、関係者の方々にも相談をかけてきました。何も考えていなかったわけではありませんが、行政の仕事の仕方が十分飲み込めていないなか、この5ヶ月間、教育委員会事務局のトップとしての適切な指示を発することができなかったことは、市民の皆様に申し訳なく思っていますし、私自身もこの上なく歯がゆく思っています。
 さて、このような経験を通して、私も教育長としての仕事の仕方を私なりに考えてきました。
(1) 自分なりの考えをしっかり持つ
 まず、どんなことでも、たとえば、「小学校の統合問題」なら、その内容、経過などを部下職員から聴取しますが、それだけでは外部の人たちに対応していくには不十分であることが分かってきました。職員からの情報を踏まえて、もう一度自分なりにその理屈で推進できるのかどうか、考え直してみることが必要だと思うようになってきました。職員の説明で、納得のいかないところはとことん突き詰めて説明を求めることも必要だと思っています。あいまいな思い込みや納得では、この世界は通用しないんだということが分かってきました。なぜなら、議論する相手は主として議会の議員さん方で、議員さんは議員さんで、しっかり勉強されて議会に臨んでおられるわけで、その主張に対応できるだけのしっかりした考えを持たなければならないんだということが分かってきました。
(2) 自分の考えをはっきり主張する
 当初は、市役所内の空気も読めませんし、遠慮がちに会議に臨み続けてきました。しかし、それは、自分や教育委員会にとって、市の行政全体にとってもよくないことだと理解するようになってきました。
 私が三十数年勤めてきた学校現場では、どちらかといえば、あまり自己主張しないほうがいいと言う雰囲気でした。その中で、私は自己主張する異色な存在でしたが、それでも年をとるに従い、空気を読んで自重しつつ発言してきましたので、この間、教育長として、このスタンスで遠慮がちに臨んできました。しかし、そのような消極的な姿勢、待ちの姿勢は行政ではあまり好ましくないというように思いつつあります。出るところへ出たら、妥当で、現実的で、周りの人を説得できる自分の意見をスパッと言ったほうがお互い得策なのではないかと思いつつあります。4月からは、このようなスタンスで、まず教育委員会の職員の方々に対して、はっきり自分の求めることを要求していこうと心に決めています。とにかく、タイミングを考えながらも、早く仕事を進めないと、市民の皆様に成果をお示しすることができないと思ってきました。
 ある企業の社長さんの講演を聞きました。話の中で、その会社の標語として、社員の仕事への取り組み方として、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」を掲げているのだと。この標語を機会あるごとに反芻しながら、自分を叱咤激励し、仕事に望んでいきます。

平成21年3月30日

三ヶ月を経過して

 昨年十月に教育長という職を拝命して、三ヶ月が経過しました。この間、私なりに必死で、周りの皆さんのお教えを請いながら努力してきました。周りの人に、いろんなことを聞いて聞いて、聞きまくりました。昼夜、土日問わず、多くの会議に出席し、いろんなことを学ばせていただきました。
 まず、教育委員会の部長さんをはじめとする事務方の方々、他の部局の方々は、何も知らない私を温かく教え導いてくれました。行政の仕事の手順をこと細かく説明してくれました。ほんの少しですが、わかりかけてきた気がいたします。
 教育委員会の仕事は教育委員五名で構成する教育委員会会議で決定されます。教育委員長をはじめとする教育委員の方々のご承認やご指導をたまわらないと、教育長であっても、事務方の方々と仕事を進めるわけには行かない仕組みになっていることがわかってきました。そこで、私からいえば、委員さん方にわれわれが抱えている課題を十分理解していただくよう、この会議をどう運営していくかが求められているようです。少しずつですが、要領がわかってきましたので、仕事の成果が現れるよう、この委員会に働きかけていきたいと思っております。
 議会を通して、いろんな議員さんからお教えいただくことが多々ありました。議員さんには、それぞれの得意分野があり、その分野で意見を述べられます。私は、なるほど、なるほどと感心し納得するところが多く、大変勉強になりました。その中でも印象に残っていることは端的にいうと、「物事を前へ進めよ」という議員さん方の考え方です。税金を使って行政の仕事を遂行しているわけですから、何とか結果を出すことが求められているのだと、いまさらながら納得いたしています。私も、今一度この命題を心にとどめ、創意・工夫していきたいと決意いたしています。もともと、私は現状維持が嫌いな性格ですので、遂行の仕方が体得できれば、結果が出せるのではないかと、今は少し希望の光を心の中に感じています。
 月に一度、三役会があります。市長さん、副市長さんと私の会議です。市長さんからは現在の市政の状況やこれからの課題などをお聞きし、意見交流をします。私も少し慣れてきたので、教育委員会の動きや課題についても話題に出し、お二人の同意を得たりします。話の中身も大切なのですが、三人が気心をあわせるよい時間だと理解し、そのような姿勢で臨むよう心がけているつもりです。
 さて、私も私なりに、教育委員会として、教育長として、どんな問題をどのように解決しなければならないか、理解しつつあります。
 遠敷小学校建て替えに絡んで、学校の統合問題があります。遠敷、松永、宮川、国富の各小学校が一緒になれないか、地域の方々と相談を重ねています。松永、宮川、国富小学校は児童数の減少で、複式の授業やきわめて少人数で学習をしなければならなくなってきています。私たちとしては、おおぜいの集団の中で、切磋琢磨しながら学校生活を送ることが子どもたちの成長にとって大事だと考えています。また、遠敷小学校単独で、校舎を再建した場合、各学年一学級の大きさの校舎、グラウンドしか確保できず、新築された小浜小学校のような大きなものを建てることができません。もちろん、その反対に統合すれば、地域から学校がなくなるなど問題点もあり、地域の人々は非常に悩むところです。お互いがこの問題をどう理解し、前へ進めるか、そろそろ正念場に来ています。急いでもだめでしょうが、かといって、遠敷小学校もたいそう古くなり、子どもたちの学びの場としては早急な建て替えが望まれているところです。私どもは地域の人々と心を通じ合わせて、ことの解決に当たらなければならないと思っています。
 そのほか、地産地消のあり方を実現する自校炊飯による米飯給食の推進があります。現在、各学校では、週数回パンの日があります。中心部の学校では、炊飯施設がありませんので、高浜の業者からご飯を納入してもらっています。議員さんやまちづくり課などからは、自校炊飯による完全米飯の実施が求められており、小浜市の食育推進計画に基づき検討を進めているところです。
 また、各学校の学力を向上させるため、施策を遂行していかなければなりません。先生方の授業力を向上させる手を打っていかなければなりません。
 授業中、教室に座っておれない子、大きな声で騒ぐ子、服を着替えたり、後始末がなかなかできない子がいます。このように学校生活に適応できない子を支援する「生活支援員」を、現在、必要な学校に市費で九名配置しています。必要人数が増えるばかりですが、子どもたちのために財政課にお願いしているところです。支援員がいなければ、学級の先生一人では教室から出歩く子どもたちをどうすることもできません。出て行く子を追いかければ、授業は中断します。私は、支援員を適切に配置することは授業を遂行する上での生命線だと考えています。関係者には、ぜひともご理解を願わなければという気持ちです。
 次に、まだ具体的にどうするか、自分なりには明確ではありませんが、公民館のあり方についても今後考えていかなければなりません。地域づくりの拠点であり、地域の絆が崩壊しつつある今日、その復興を担えるのは、公民館以外には見当たりません。市内に散らばる各公民館をどう組織していくか、青年団活動などをとおして身をもって体験してこられた議員さんや地域の人々から、知恵を、私自身教えていただかなければならないと思っています。
 教育委員会は、学校を始め、公民館、体育館、図書館など多くの施設を管轄しています。それらも老朽化し、多くのお金が必要となっています。本当に頭の痛いところです。
 この他にも解決が求められている多くの問題がありますが、関係団体や市民の皆様と意思疎通しつつ、課題の解決に当たりたいと思っています。
 次回は、できればひとつの問題をもっと詳しく述べていきたいと思います。なぜなら、私自身行政の仕事に携わってみて、初めてわかったこと、解決することの難しさに直面しているからです。また、解決できれば、市民の皆様に喜んでもらえるわけですから、そのような夢もあります。私自身の気持ちも織り交ぜながら、教育行政の仕事を発信したいと思っています。

就任に当たって

 このたび、10月1日づけで教育長に任命されました、森下博です。
 私は、平成20年3月末に、38年間の教員生活を終えました。学校教育、学校運営については熟知いたしておりますが、社会教育、行政、政治の分野は未熟でございます。関係者の方々のご指導を得て、早急に、自分なりの考えが持てるようにしたいと思っております。
 さて、世の中が、大きく変動する中で、教育を取り巻く状況や課題が山積いたしております。家庭・地域社会の変貌は子どもたちに育ちの遅れやゆがみとして、その影響を露呈しています。私は、教職の晩年、学校現場を任された校長として、そのような子どもたちの教育を担う教員たちが何とか子どもたちを健やかに育てようと、日々必死で格闘している姿を目にしてきました。私自身もそのような覚悟で勤めてまいりました。
 私には幸いにも、学校教育にご理解のある多くの保護者、地域の方々は私たちの教育活動に温かいご援助の手を差し伸べてくださいました。また、各地域の公民館の動きも、私には希望のともし火でした。学校だけで解決できない問題が生じるたびに、公民館長の助けを求めてきました。どの館長も地域と学校の間にたって、積極的に援助してくださいました。そのご恩を忘れることはできません。
 教育を取り巻く状況が、厳しいことは事実ですが、多くの支援者が存在することも事実です。自分が誠心誠意、子どもたちのために尽くしていけば、必ず、支援してくれる人たちが現れ、前進していけるという人生観を学びました。
 今、この経験をもとに、子どもたちのために、生きがいある家庭・地域づくりのため、教育長という役職を活かして、やるべきことがあると思っております。そして、松崎市政の前進に少しでも寄与できたらと願っています。市民の皆様方のご指導ご支援のほどよろしくお願いします。

平成20年1月14日