ストーリー

海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~

若狭は、古代から「御食国」として塩や海産物など豊富な食材を都に運び、都の食文化を支えてきた地である。また、大陸からつながる海の道と都へとつながる陸の道が結節する最大の拠点となった地であり、古代から続く往来の歴史の中で、街道沿いには港、城下町、宿場町が栄え、また往来によりもたらされた祭礼、芸能、仏教文化が街道沿いから農漁村にまで広く伝播し、独自の発展を遂げた。「鯖街道」とも呼ばれるこの街道群沿いには、往時の賑わいを伝える町並みとともに、豊かな自然や、受け継がれてきた食や祭礼など様々な文化が今も息づいている。

日本海にのぞみ、豊かな自然に恵まれた若狭は、古代、海産物や塩など豊富な食材を都に送り、朝廷の食を支えた「御食国」のひとつであり、御食国の時代以降も「若狭の美物(うましもの)」を都に運び、京の食文化を支えてきた。近年「鯖街道」と呼ばれる若狭と都とをつなぐ街道群は、食材だけでなく、様々な物資や人、文化を運ぶ交流の道であった。朝廷や貴族との結びつきから始まった都との交流は、「鯖街道」の往来を通じて、市民生活と結びつき、街道沿いに社寺・町並み・民俗文化財などによる全国的にも稀有なほど多彩で密度の高い往来文化遺産群を形成した。
「鯖街道」をたどれば、古代から現在にかけて1500年続く往来の歴史と、伝統を守り伝える人々の営みを肌で感じることができる。

若狭街道

御食国若狭の原点と鯖街道のメインルート

若狭と畿内を結んだ街道、いわゆる鯖街道のうち、最大の物流量を誇った若狭街道沿いには、古代の首長墳墓群から近世の宿場町まで、御食国若狭と鯖街道を代表する文化財が点在している。
若狭は古墳時代、宮中の食膳を司る膳臣(かしわでのおみ)が治めた国であるといわれ、「御贄(みにえ)」や「御調塩(ごちょうえん)」を都に貢納する御食国のひとつであった。膳臣一族の奥(おく)都城(つき)とされる脇袋古墳群をはじめとする古墳群は近江国との国境に源流を持つ北川沿いに築かれており、北川沿いに開発された若狭街道では、古墳群に囲まれるように都との往来が脈々と行われている。
若狭街道は軍事上も大きな役割を果たしており、戦国時代には、織田信長が豊臣秀吉や徳川家康を引き連れ、この街道から越前朝倉攻めに向かった。後の天下人たちが意気揚々と通った出世街道ともいえる道である。
近世中期以降、街道最大の中継地となった熊川宿では問屋たちが、小浜の仲買が送り出した大量の物資を馬借や背負に取り次ぎ、京都などに運ばせた。一日千頭の牛馬が通ったとも言われる宿場町は馬借や背負で大いに賑わった。現在も塗り壁の商家や土蔵など多数の伝統的建造物がのこる旧街道筋では、神社の祭りには豪勢な山車が繰り出し、
盆には京都から伝わった盆踊りが踊られるなど当時の宿場の賑わいを伝えている。
街道沿いの集落には道標や街道松などの遺物が点在するほか、六斎念仏や祇園祭、地蔵盆など京都伝来の民俗行事が守り伝えられており、街道の歴史的景観を彩っている。

モデルコース

若狭街道モデルコース1

若狭街道を車で巡るコースです。

順路場所ランチ情報
1西塚古墳
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徒歩 3分
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2上ノ塚古墳
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徒歩 3分
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3中塚古墳
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車 15分
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4十善の森古墳
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車 5分
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5丸山塚古墳
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車 6分
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6瓜割の滝
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車 6分
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7上船塚古墳
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車 2分
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8下船塚古墳
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車 7分
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9白鬚神社古墳
  • 若狭街道
  • 鯖街道の起点
  • 針畑越え
  • 若狭の浦々に続く鯖街道
若狭街道 鯖街道の起点
針畑越え 若狭の浦々に続く鯖街道

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